第二千二百九話 ログナー島の激戦(一)
戦闘は熾烈を極めている。
ネア・ガンディアのウェゼルニルは、マユリ神の忠告していたようにただの人間などではなかったのだ。
ミリュウたちは、マユリ神がウェゼルニルと敵の神を引き離すことで三対一の戦闘に持ち込んだものの、戦闘が始まってからというもの決定的な攻撃を叩き込むことができないでいた。
相手は、ひとり。
こちらは、三人。
レムが姿を消したまま現れないこともあり、攻撃に回れるのはミリュウとダルクスのみだが、戦闘を補助、支援することに特化した召喚武装を持つエリナの援護により、ミリュウとダルクスの身体能力は引き上げられている。それぞれ愛用の召喚武装によって拡張される以上に強化された身体能力は、本来であれば皇魔は愚か、神人さえ手玉に取るほどのものであるはずだったが、しかし、ウェゼルニルは、強化されたミリュウたちをも上回る戦闘能力を見せつけていた。
まったく手応えがないわけでは、ない。
攻撃は通用しているのだ。だが、ミリュウたちの攻撃がどれだけ届いたとしても、ウェゼルニルの動きに変化はなかった。ラヴァーソウルの刃が白甲冑を傷つけ、ダルクスの拳が胸甲を粉砕しても、ウェゼルニルにとっては決定打にはならない。むしろ、ウェゼルニルは、戦闘が自分にとって過酷になればなるほど昂揚する種類の人間らしく、攻撃を受けるたびに研ぎ澄まされていくような気配があった。
ラヴァーソウルの刀身を砕き、無数の砕片を磁力で結ぶ、ミリュウのいつもの戦い方に加え、擬似魔法による攻撃も何度も行っている。擬似魔法によって発生した魔法波がウェゼルニルの巨躯を打ち据え、そこにダルクスが形成した重力球を叩きつけるといった連携攻撃も行った。だが、決定的な一撃とはならない。ウェゼルニルは、ぼろぼろになった白兜の下で、口の端を歪めてみせるだけだ。
ミリュウは、手の甲で額の汗を拭うと、ちらりと右後方に目線を送った。フォースフェザーを掲げたエリナが蒼白の顔で戦況を見守っている。彼女を戦闘に参加させるべきではなかったのではないか。いまさらのように己の判断に疑問を持つ。彼女も、エインたちと同様、船に残しておくべきではなかったか。
相手は、ミリュウに下した決断を後悔させるほどに強いということだ。並大抵の相手ならば、エリナの参戦を気に病むことはない。神人との戦闘も経験したエリナのことだ。自分の身は自分で守れるだけの実力はあるし、いざとなれば逃げに徹するといった判断も下せるだろう。しかし、今回の相手は、そういった次元ではなかった。たとえエリナが逃げに徹したところでどうにもならないほどの力がある。
それでもミリュウたちが食い下がれているのは、マユリ神の加護とエリナの援護のおかげなのは間違いなく、エリナがいなければ、もっと苦戦していたのは紛れもない事実だ。しかし、この戦況の不安定さを考えれば、彼女は船の中にいたほうがよかったのではないか、と想わざるをえない。
「どうしたよ? 威勢が良かったのは、最初だけか」
煽るように告げてきたのは、もちろん、ウェゼルニルだ。向き直ると、彼は悠然と拳を構えていた。ウェゼルニルは、武器を持たない。肉体こそが武器であり、その強靭な肉体から繰り出される打突は一撃で大地を砕き、広範囲の地面を陥没させるほどだった。その上、姿を消す能力を持っているようだが、それについてはマユリ神が対処してくれていた。だからミリュウたちは辛くも食い下がれるのだが。
「あまり俺を失望させないでくれ」
「なんであんたのご機嫌取りなんてしなくちゃいけないのよ。それをいうなら、あたしたちのためにもとっとと斃れなさいよ!」
「なら、斃してみるんだな」
ウェゼルニルが皮肉げに笑う。
「この俺たちを斃せるなら、な」
「なっ……!?」
ミリュウは、その瞬間起こった出来事に衝撃のあまり絶句するほかなかった。
ウェゼルニルの周囲に十人以上のウェゼルニルが突如として出現したのだ。なんの前触れもなければ、物音ひとつなく、さっきまでそこにいたかのような自然さで、だ。本物のウェゼルニルの能力なのは、十中八九間違いない。その能力によって、自分をそっくりそのまま再現しているということは、偽者のウェゼルニルたちの姿が現在のウェゼルニルそのものということからもわかる。白甲冑の破損具合もそのままであり、ちょっとでも目をそらせば本物がどれかわからなくなること請け合いだ。
「ちょっ、卑怯よ! 勝てないからって数で勝負ってわけ!?」
「どの口がそれをいうかねえ。元々三対一で、数の上ではこっちのほうが不利だったんだが?」
「そりゃあたしたちが正義だもの。なんの問題もないわ」
「俺が悪かよ」
「どう考えてもそうでしょ!」
ミリュウは、柄と鍔だけになったラヴァーソウルを掲げ、ウェゼルニルを指し示した。ダルクスがぎょっとした理由は、彼女にはわからない。
「ガンディアの名を騙り、レオンガンド陛下の名を騙る偽者を担ぐ連中が悪じゃなかったら、なにが悪だっていうのよ!」
「それが事実なら、そう判定されても文句はないがな」
「事実じゃない」
「知らないものが口を挟むんじゃあないよ」
「なにがよ!」
「なにもかもさ」
ウェゼルニルは、この問答の無意味さを理解してのことなのか、肩を竦めてみせた。
「俺達のことをなにも知らないものが、なにをいったところでどうにもならないってこった」
「どうにもならない? そんなことはないわ。あたしたちがあんたたちの悪しき野望を打ち砕くもの」
「はっ……正義の味方気取りもそこまでいくといっそ清々しい。応援したくなるよ」
「だったら負けなさい」
「無理だな。それは」
ウェゼルニルが冷ややかに告げてきた。
「俺は獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアが獅徒ウェゼルニル。神皇の勅命に従うのは、我が魂のさだめ。故に、俺はここにいて、あんたの前に立ちはだかっている」
「だから! 陛下の名前を騙るんじゃあないっての!」
叫び、擬似魔法を発動させる。そのための術式は、ウェゼルニルとの会話中、秘密裏に紡いでいた。そのためのくだらないやり取りだ。相手が、擬似魔法のなんたるかを知っているはずもなく、術式がどのようにして紡がれているかもわからない以上、術式構築のための時間稼ぎなどとは想うまい。実際、発動した魔法は、見事、ウェゼルニルたちを飲み込んでいた。
地中より噴き出した莫大な量の光の奔流が、天へと昇りながら、天と地の間にあるすべてのものを打ち砕いていく。十人以上いたウェゼルニルたちを全員飲み込み、でたらめなまでの攻撃を叩き込みながら天へと昇った光は、さらに地上に降り注ぐことでさらなる痛撃を叩きつけていく。
だが、それさえも決定打にならないのは、わかりきっていた。
(精度も威力も低すぎる!)
広範囲に及ぶ擬似魔法が天も地も破壊し尽くすが如く猛威を振るうが、しかし、荒れ狂う光の奔流の中で、確かに十人のウェゼルニルがぼろぼろになった甲冑を脱ぎ捨てるのをミリュウは見逃さなかった。白甲冑の中から現れるのは、白い肉体。まるで神化し、変わり果てた存在のような真っ白な肉体は、擬似魔法の破壊の嵐をものともせずに地を蹴り、躍動した。
十体のうちの半数が一瞬にしてミリュウに肉薄したのだ。
(速い!)
舌打ちをしている暇もない。咄嗟に後ろに飛ぼうとした瞬間、背後に気配が生じた。振り向く。ウェゼルニルの獰猛な笑みが目に焼き付く。白く染まった髪が燃え盛る炎のように輝いていた。拳が唸りを上げる。大気を貫き、ミリュウの腹に突き刺さらんとしたまさにそのとき、轟然たる爆音とともに、ミリュウの体が天に舞った。ミリュウはなにが起こったのかわからないまま、ウェゼルニルの拳が空を切り、その際生じた風圧が別のウェゼルニルを吹き飛ばす光景を目の当たりにした。
「な、なに?」
ミリュウは、空中に投げ出されたまま態勢を整えることもできず、混乱しかけた。
「このログナー島は、俺たちの島なんだぜ」
野太くもよく響く声だった。
「その未来を決めるかもしれない戦いで除け者にされるのは勘弁だな」
折れたグレイブストーンを掲げたシグルド=フォリアーは、そういうなり、とんでもない速度でウェゼルニルに切りかかっていた。