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第二百二十話 ふたりの夜

 九月十八日、夜。

 漆黒の帳が頭上に落ち、星々と月に彩られた。雲は少なく、晴天なのだということが窺える。風は穏やかだが、まだ熱を帯びている。ワーグラーン大陸中央部の夏は長いらしい。

 夜の市街は、静かなものだ。出歩いている市民はほとんどおらず、巡回しているガンディア兵くらいしか見当たらないようだった。家々の窓から漏れる光も少ない。それもそのはずだ。ゼオルはいま、ガンディア軍の制圧下にある。

 つい一日前まで、ゼオルはザルワーンの都市であった。そのころはもう少し賑わいもあったのかもしれない。支配するのが、同じザルワーン人ならば気楽さも違っただろう。いまは、気楽には振る舞えまい。制圧され、支配下に置かれてしまった。ゼオル市民はガンディア軍の到来に恐怖や不安を抱いたに違いない。もっとも、ガンディア軍の軍規の厳しさは徹底しており、彼らが市民に害意を及ぼすようなことはなかったが。

 傭兵団《白き盾》からも、問題行動を起こすものは現れなかった。だれひとりとして市民を傷つけることはなく、人々の心を踏みにじるようなこともなかった。《白き盾》がただの傭兵の集まりではないことの表れといってもいい。クオン=カミヤの名の下に集った彼らには、彼らなりの正義があり、矜持がある。自分たちは金だけで動く傭兵ではないのだという自負もある。正義の味方だと思っているものもいる。実際、そういう側面も強い。皇魔を相手に無償で戦うことも多かった。雇われた先で、だれに頼まれてもいないのに皇魔の巣を焼き払って回ることもあった。

 それがクオンの望みだからだ。

 クオンは、この世界から皇魔による被害を無くしたいと考えている。皇魔という異世界の存在をこのワーグラーン大陸から消し去りたいのだ。でなければ、だれもが安心して眠れる世はこない。戦争は、人間の努力で防ぐことができる。回避することができる。しかし、皇魔による被害だけは、どうすることもできない。強大な力を持つ化け物たち。人間と見れば襲いかかり、死を撒き散らす彼らと交渉する余地はない。戦って滅ぼすか、元の世界に還すか。現状、前者の方法を取るしかないのだが、後者の可能性も常に考えてはいるのだ。召喚武装が元の世界に帰れるのなら、皇魔が元の世界に戻れても不思議ではないはずなのだ。

 もっとも、どれだけ文献を当たっても、皇魔の帰還方法は未だ見つかってはいない。それでも、クオンは諦める気にはならなかった。

 だから彼は、暇さえあれば古い文献を漁っている。

 いまも、《白き盾》の宿舎として割り当てられた建物の最上階の個室で、マイラムから持ってきていた古書と睨み合っていた。

 窓際。携行用の魔晶灯を机の上に置いており、その冷ややかな光が古書と彼を照らしている。古書とはいえ、大陸の共通言語で記されており、クオンにもなんとか読むことができた。

 共通言語は、現在もスウィールやマナに学んでいるところだ。平易な文章ならば読み書きできるくらいには上達しており、その速度は中々に驚異的なものらしいが、本当のところはわからない。スウィールやマナがクオンをわけもなく賞賛するのはいまに始まったことではない。

 大陸の言語が共通化されたのは五百年以上前のことらしい。聖皇ミエンディアによる大陸統一の余波とでもいうべきか。聖皇ミエンディアは、すべての国々、すべての地域に住む人々に同じ言語を与えた。共通の言葉ならば意思疎通の問題は生じず、人々は手を取り合い、心を許しあうことができるだろうという高邁な理想は、夢でしかなかったようだが。

 麻のように乱れた小国家群の現状を鑑みれば、わかるというものだ。

「まだ起きていたのか。今朝から働き詰めじゃないのか?」

「そうでもないよ」

 背後からの声に、クオンは微笑をこぼした。イリスが、魔晶灯の光に起こされたのだろう。彼女は、クオンの寝台で寝ていたのだ。いつものことではある。クオンの身辺を護衛するのが彼女の務めであり、寝食を共にするのも常だった。

 実際のところ、働き詰めというほど働いた記憶はない。ロンギ川からゼオルに至るまで、《白き盾》に関する仕事の大半はグラハムが請け負ってくれていた。彼は戦闘でも活躍していたが、雑務処理にこそ真価を発揮する。どのような些事であっても即座に対応してくれる彼の存在は、クオンの負担を減らすという意味でも大きかった。

 クオンは、シールドオブメサイアの召喚と維持で力を使い果たし、十七日は一日中寝込んでいたのだ。動けるようになったのは、今朝になってからのことだ。一日分の遅れを取り戻すべく、働き回るのは自然の勢いだった。

 イリスが寝台から降り立ち。こちらに向かってくるのを足音だけで認識する。クオンは、視線を古書に注いだままだったが、意味の分からない文字の羅列を解明する気にもなれないでいた。

「クオンは《白き盾》の要だ。寝込んでいる間、大変だったんだぞ」

「それはすまなかったね」

 いいながら、クオンには、なにが大変だったのかは想像がついた。主にマナとイリスが、だろう。ふたりはクオンのことを心配しすぎるのだ。ときには過保護だと思うこともあるくらいに、クオンの体調を気にしている。戦場に出れば、その過保護さが消え去るのは、シールドオブメサイアの性能を信じてくれているからなのだろう。だとしても、もう少しクオン本人のことも信用してくれてもいいのではないかと思うのだが、クオンはそのことを口に出していう気はなかった。命令すれば、聞いてくれるはずだ。それはわかっている。だが、強制するようなことではないのだ。

 彼女らは心配症なのだろう。

 クオンにも似たようなところがあるのを否定できない。

「今日はもう寝るべきだ」

 本を、閉じられた。

 隣を見ると、イリスが立っている。彼女の困ったような顔が見られるのは、クオンだけの特権かもしれない。皆の前では見せない表情だ。そのときのイリスは、妙に幼く見えた。クオンよりも随分年上のはずなのだが、場合によってはクオンよりも年下に見えることがある。彼女の精神年齢と肉体年齢が一致していないことからくる違和感なのだろう。

「わたしが邪魔で眠れないのなら、マナのところに行っているが」

「いや、気にしなくていいよ。いてくれるほうが助かる」

 クオンは、閉じられた本を机の上に置くと、彼女の気遣いに感謝した。感謝はしたが、側にいてくれたほうが嬉しいのだ。

 ひとりでいるのは酷く寂しい。孤独を実感してしまうからだ。ここは異世界だ。本来彼があるべき場所ではない。寄る辺のない魂は常に孤独だ。傭兵団という集団の中にいることで、その事実から目を逸らし、みずからをも欺き続けている。イリスを得てからは、それがより顕著になった。常に側にいてくれる彼女の存在は、彼の心を孤独からは救ってくれるのだが、同時に独りになることへの恐怖をより強くしてしまう。劇薬のようなものだ。だが、いまやなくてはならなくなった。

 ひとは、ひとりだ。

 だが、独りでは生きてはいけない。

 だれかの助けがあり、力があり、干渉があって、はじめて生きていける。

 無敵の盾を持ってしても、その法理を覆すことはできない。いや、無敵の盾を持っているからこそ、より実感するのだ。盾だけでは、どうすることもできない。圧倒的な力を無効化する盾を掲げるだけでは、力の根源を取り除くことはできないのだ。取り除くには、他者の助力がいる。それが、クオンにとっては《白き盾》の面々であり、イリスであり、マナなのだ。

 彼女たちの助力によって、クオンは孤独から救われ、この世界で生きていられる。

 ひとりでは、どこかで野垂れ死んでいたに違いない。

「クオンは、優しいな」

「そうかな。皆のほうが余程優しいと思うよ」

 クオンは椅子から腰を上げると、イリスに視線を向けた。彼女は机の上の魔晶灯を手に取ろうとしている。光量の多い魔晶灯は、マイラムで購入した高級品で、魔晶石の純度が高いということだった。机の上に置いていても室内全体を照らすほどだ。イリスが眩しさに目を覚ますのも無理はなかったかもしれない。

「そうだな……マナもスウィールの爺さんもグラハムも、ウォルドだって、優しいな」

 イリスの横顔が、微妙に緩んだ。彼女も《白き盾》の団員を気に入っているのだ。それは普段の言動からもわかる。当初こそぎこちなかった関係も、いまや阿吽の呼吸で連携できるまでになっている。信頼関係がある。互いに信用し、心を許している。だから、居心地がいいのだ。

「君も」

「わたしは違うよ」

 光が消えた。イリスが魔晶灯に触れたのだろう。闇が訪れ、窓から差し込む月明かりだけが室内を照らす。闇の中、彼女の肌が白く浮かび上がった。

「わたしは優しくなんてないよ。ただの化け物だ」

「君は人間だよ」

 クオンは断言すると、わずかな光を得て輝く彼女の目を見つめた。光の下でなら、灰色の虹彩を見ることができたのだろうが、夜の闇の中ではそれもかなわない。しかし、彼女が目を逸らさないだけで十分だろう。イリスも、クオンの目を見つめていた。

 傷つき、涙を流し、怒り、憎しみ、嘆き、荒れ狂う――イリスはこれ以上なく人間であり、それ以外に形容しようがなかった。確かに超人めいた怪力の持ち主ではある。凄まじい運動量と反射神経を持っている。常人では持ち得ないような膂力は、彼女が、外法機関という組織によって植え付けられた異能なのだ。だが、だからどうしたというのか。そんなことをいえば、クオンだって化け物だ。異世界から召喚された存在という点では、皇魔と同じなのだ。だが、自分は皇魔ではない。化け物ではないと言い切れる。

「クオン……」

 イリスの瞳が揺れたように見えた。

「ぼくと同じで泣き虫だもの」

 クオンが自嘲気味に笑うと、彼女も笑ったようだった。

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