第二千二百七話 底なしの欲望を(五)
武装召喚術は、元来、呪文の末尾を唱えるだけで発動するものではない。
古代言語によって紡がれる術式が必要であり、長大な呪文の詠唱が不可欠だった。
解霊句、武形句、聖約句からなる召喚術式については、セツナも、ファリアたちから学んではいる。ただし、セツナはなぜか術式もなく、呪文の末尾だけで武装召喚術を発動できるため、詳しくは習わなかったし、習う必要はないとファリアたちにも判断されていた。故にファリアたち純粋な武装召喚師には卑怯者だのなんだのと皮肉めいた冗談をいわれることもあるが、仕方のないことだったし、無駄なことに時間を費やす必要はないという極めて合理的な判断を下すのも、当然のことだった。
呪文もなく召喚できるのならば、わざわざ難解な術式や古代言語を学ぶ必要はない。
そして、この地獄においても、セツナの武装召喚術は見事機能した。ただし、全身から噴き出した爆発的な光の中に具現化したのは、望み描いた黒く禍々しい矛などではなく、一振りの長剣だった。刀身の切っ先から柄頭まで黒一色の、正真正銘黒ずくめの長剣。刀身はセツナの身長の半分ほどで、二等辺三角形を描いているのが特徴だった。どことなく黒き矛を連想するのは、禍々しいまでの黒さ故だろう。
手にした瞬間にわかるのは、黒き矛とはなんの関連性もないという事実であり、内包された力の差だ。それこそ、天と地ほどの違いがあり、召喚武装を手にすることによる五感の強化も、黒き矛を手にしたときとは比較にならないほど小さかった。だが、なにも手にしていないときよりは遥かにましであることは間違いなく、感覚を研ぎ澄ませば、ランスオブデザイアの攻撃にだって対応できるはずだ。
ランスオブデザイアが、足元に突き立ててた槍を引き抜いた。ようやく戦う価値があると判断されたようだ。それまでは反応するのも馬鹿馬鹿しいくらいには想っていたのかもしれない。
「それが、それがこの試練を終えるための刃か」
「ああ。この黒き刃が俺の力だ」
「だとすれば、なめられたものだ」
ランスオブデザイアが一歩、踏み込んできた。その一歩が一瞬にしてふたりの間合いを縮め、鼻先で息が触れ合うほどにまで接近している。セツナの反応が遅れた。衝撃が腹を貫いている。腹の肉を抉り取られるような激痛が走ったかと思うと、意識が飛んだ。ランスオブデザイアが腹を貫通し、セツナを絶命させたのだ。
すぐさま意識を取り戻したセツナは、腹部の痛みに歯噛みした。内心、己の不甲斐なさにのたうち回りたくなりながら、ランスオブデザイアに向き直る。彼は、寸前まで立っていた場所に戻り、余裕綽々の構えを見せていた。
黒き長剣を手にしても、ランスオブデザイアの速度にはついていけないとでもいうのだろうか。それでは、全霊を込めて召喚した意味がない。
(いや、こんなもんか)
期待しすぎたのが悪かった、ということだろう。
そもそも、セツナは黒き矛とそれに関連するもの以外を召喚したことは皆無に近かった。術式によって召喚する武器防具を切り替える武装召喚師と違って、セツナの場合は、召喚対象を脳裏に強く思い描くことで、どれを召喚するのかを決定する。つまり、思い描く対象がなければ、召喚するのも困難なのだ。今回の召喚だって、上手くいくかどうかは賭けだったし、仮に上手くいったとしても、それが使い物になるかどうかはわからなかった。
それ故、黒き長剣がランスオブデザイアにまったく歯が立たない程度の召喚武装だったとしても、落胆はなかった。むしろ、召喚に成功した時点で光明を見ている。黒き矛と眷属以外の召喚武装を呼び出すことが可能だと証明されたのだから、それは今後の戦いにも大いに活かせるということだ。
もっとも、黒き矛と六眷属は、強力無比な召喚武装群であり、特別な能力を持つ召喚武装が必要でもない限り、新たな召喚武装に挑戦する必要はなかったりする。
それはそれとして、セツナは、黒き長剣の柄を両手で握りしめると、湧き上がる力のままに後ろに飛んだ。直後、眼前に粉塵が柱の如く聳え立つ。金切り音と破壊音が咲き乱れ、聴覚を狂わせんとする。ランスオブデザイアが飛びかかりざまに槍を叩きつけたのだ。さらに後ろに下がる。再び、粉塵と爆音。その粉塵を貫くようにして、ランスオブデザイアが肉薄してきたとき、セツナは両手で握った剣を垂直に振り下ろしていた。激突音とともに火花が散った。長剣と大槍がぶつかりあったのだ。凄まじい反動が両手から両腕に伝わる。反動だけで腕の骨が折れるのではないかと想うほどの衝撃だったが、歯噛みして、踏ん張り、押し返そうとするが不可能だと断じ、刀身を逸して受け流し、瞬時に右に飛ぶ。横薙ぎの一撃が追撃となって飛んでくるが、辛くもかわし切り、風圧が顔面を撫でるのを感じるだけで済む。だが、そこで安心しきってはいけない。
ランスオブデザイアの猛攻は、まだまだ続いた。
セツナは、ランスオブデザイアの息もつかせぬ連続攻撃を体を捌いてはかわし、避け、黒き長剣で受け止め、弾き返し、受け流しては回避していく。防戦一方とはまさにこのことだが、召喚武装の有無によって戦況は大きく変わっている。剣がなければ、セツナは相手の猛攻の前に為す術もなかったはずであり、回避に専念したところでどうにもならなかっただろう。
(この状況も芳しくはないがな)
留まることを知らない嵐のような連続攻撃は、捌くことに集中しなければ対処のしようもなく、そこに隙を見出し、反撃を叩き込むには、いま少し力が足りなかった。黒き長剣の力では、その力量差を埋めることはできないのだ。だがしかし、セツナは、この戦いを一切諦めてはいなかった。呆れるほどの苛烈な攻撃の嵐に晒されながらも、いまのところ、致命的な一撃は受けていないのだ。
超速回転する漆黒の大槍を受けても、黒き長剣は壊れず、持ちこたえている。それだけでも、召喚した甲斐があるというものだろう。つまり、攻撃性能よりも防御性能の高い剣なのだ。そして、召喚武装は特異な固有の能力を秘めているものだ。当然、この黒き長剣にもなんらかの力が秘められており、その能力次第では、逆転も不可能ではない。
それがどういったものなのかを知るためには、何度か能力の発動を試みる必要があるのだが、それを実戦の真っ只中で行うのは、愚かにも程があるというものだった。だが、ほかに方法はなく、故にセツナは、ランスオブデザイアの猛攻を凌ぎきり、わずかに攻撃が止んだ瞬間を逃さず、能力発動を試みたのだ。
「うおおお!」
雄叫びとともに剣を振り翳すと、刀身が描く軌跡が黒く歪んで見えた。その直後、剣の軌跡がそのまま黒い刃となってランスオブデザイアに襲いかかる。
(斬撃が飛ぶってことか)
単純な能力だが、セツナが望んだ通りの能力でもあった。セツナは、召喚の際、遠距離攻撃が可能な近接武器を望み、心の中に強く願ったのだ。そして、その通り、斬撃を飛ばす能力を秘めた黒き剣が召喚されたのだから、なにもいうことはないはずだ。召喚武装としての能力は決して高くないものの、剣そのものの強度は極めて高いこともセツナには有難かった。そもそも、ただの召喚武装でランスオブデザイアを上回れるなどとは想ってもいないのだ。となれば、防御に優れた召喚武装のほうがいい。少なくとも、攻撃特化の召喚武装で一か八かの賭けに出るよりは、可能性があるのではないか。
そんなセツナの考えを尻目に、ランスオブデザイアは軽く右に動くことで黒き刃をかわすと、瞬時に間合いを詰めてきた。猛然たる突進とともに繰り出される大上段からの突き下ろしは、渦巻く大気を伴い、竜巻そのものの如く猛威を振るう。剣の腹で受け止めても、紙一重でかわしても、負傷は免れ得ない。セツナは、手早く剣を振り回して複数の斬撃を飛ばすと、大きく後ろに飛んだ。ランスオブデザイアは、黒い刃の弾幕などおかまいなしに突っ込んでくると、それらを竜巻に巻き込んで破砕し、その勢いのままセツナに襲いかかった。
苛烈極まる突きは、セツナをまたしても絶命させた。