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第二千二百六話 底なしの欲望を(四)


 殺されることになれるというのは、怖いことだ。

 ここは地獄。

 現実世界とはなにもかもが異なる虚構の中だからいいものの、現実世界に帰還したとき、その感覚のままでいれば、無闇矢鱈に傷を負い、ついには致命的な傷を受けかねない。地獄ならば、どのような傷も立ちどころに治り、死んでも生き返るものだが、現実ではそうはいかない。ある程度の傷ならば治療できても、失った腕を復元したり、失った命を取り戻すことは不可能に近いのだ。

 蘇生能力を持った召喚武装などそうあろうはずもないし、あったとしてもソウルオブバードのような限定的なものだ。ましてや、マスクオブディスペアの力を自分に用い、仮初の命を与えることなど不可能だ。あれはあのとき、マスクオブディスペアの力が極まった空間にあったからこそできた芸当であり、また命の供給源と蘇生対象が別だったからできたのだ。もちろん、セツナ以外のだれかがマスクオブディスペアを用い、セツナに仮初の命を与えようと想えばできるかもしれないが、簡単なことではあるまい。そもそも、セツナが死んだ場合、だれがマスクオブディスペアを召喚するというのか。

 アルジュ・レイ=ジベルは、マスクオブディスペアの召喚呪文を知っていただろうが、ジベルのどこかに記録として残されているとは思えないし、残っていたとして、召喚し、使用できるものかどうかはまた別の話だ。

 六眷属は、いまや黒き矛と合一している。

 セツナが六眷属を個別に召喚できるのは、黒き矛の契約者だからなのだ。ランスオブデザイアの召喚呪文は、ファリアが考えだしたものであり、いまもどこかに記録しているはずだが、その召喚呪文を用いてもランスオブデザイアが召喚されることはあるまい。ランスオブデザイアも、マスクオブディスペアも、エッジオブサーストも、セツナの召喚以外には応じなくなったのだ。

 セツナが死ねば、その縛りもなくなるのだろうが、黒き矛そのものを召喚できなくては同じことだ。黒き矛と契約を結ばなければ、六眷属は応じないのだから。

「いつまで、いつまでそうやって寝ているつもりだ?」

 声が降ってきて、セツナは仕方なく閉じていた目を開いた。視界を覆うのは、暗黒の空だ。祭壇に差していた光が消え去ったことで、ほとんど完璧に近い闇がこのセツナの欲に塗れた世界を覆っていた。あの刺激臭と汚濁の集合体のような液体すべてが自分の欲望の形だなどと認めたわけではないし、認めようとも思わないが、相手がそういうのだから、そう形容する以外にはないのが不愉快極まりないところだ。

「貴公は、貴公は我らが主に謁見を願うため、ここを訪れたのだろう。そのための鍵を求めて、わたしの前に立ったのだろう。ならば、ならば立ち上がりたまえよ」

「こっちだっていろいろ考えてんだよ」

 ランスオブデザイアの言い分もわからないではないが、セツナとしては、少しでも考える時間を稼がなければならなかった。

 現状、セツナには、ランスオブデザイアに対抗する手段がない。徒手空拳では、敵う相手ではないのだ。確かにセツナは、これまで物凄まじい鍛錬を積んできたし、肉体を鍛え上げ、体術も学んだ。無手で戦う術も持っている。しかし、相手はランスオブデザイアそのものであり、ランスオブデザイアの使い方をだれよりも熟知しているのだ。一線級の武装召喚師でも、拮抗できるかどうか怪しいものだ。相手は、人間ですらない。

 かといって、武装召喚術を使ったところで黒き矛を召喚することはできまい。

 地獄に堕ちてから長い時間が経過した。折れた矛が元通りに修復している可能性がないとはいえないが、だからといって召喚に応じてくれるとは考えにくかった。これは、黒き矛が課した試練といってもいい。その試練を一瞬に打破しかねないのが、黒き矛の絶大な力だ。みずから与えた試練をみずからの手で台無しにするようなことを、黒き矛が考えるとは思えなかった。

 とはいえ。

「なにを考えることがあるというのだ。貴公には、わたしと戦い、わたしに示す義務がある。ただそれだけのことではないか」

「なにを示すってんだ」

「貴公が、我らが主の面前に立つことに相応しいかどうか」

「あんたを倒せば、相応しいってか?」

「少し違うな。我ら六眷属すべてを下し、ようやく値するのだ」

 ランスオブデザイアが勿体つけていってきた言葉を受けて、セツナは、地を蹴ることで反応とした。鍛え上げられた足の力で、前に飛ぶ。ランスオブデザイアに殴りかかったのだ。

「あんまり変わんねえじゃねえか!」

「遅い」

「ぐはっ」

 セツナを一撃の元に撃退したランスオブデザイアの動作は、極めて短いものだ。予備動作すら見極められないほどの速度と最小の動きは、これまでの彼がいかに手を抜いていたかがわかるというものであり、セツナは地面に背中から叩きつけられながら力量の差を思い知った。だが、そこで諦めるセツナではない。叩きつけられた衝撃で背骨が悲鳴を上げるのを認めながらも両手を地面に殴りつけ、その反動で体を跳ね起こすと、すかさずランスオブデザイアの足元に滑り込む。

「まだまだ!」

「この程度か」

 掬い上げるような横薙ぎの一撃がセツナの脇腹に入り、激痛に苛まれながら吹き飛ばされるも、セツナは受身の姿勢で地面に叩きつけられた瞬間には動き出している。

「なんの!」

「ふむ」

「これしき!」

「他愛もない」

「うおお!」

「弱い」

 何度となく挑みかかるが、そのたびににべもなく一蹴されてしまう。それも力量差を考えれば当然の話であり、へこたれる理由はなかった。カインにもウェインにもルクスにもやられたことだ。無造作に殺されないだけ、ルクスより余程優しいとさえいえる。事実、セツナが男に殺されのは、最初の一回だけで、それ以降は、致命傷に留まっている。

 痛みが深く残るだけ、生かされているほうがきついともいえるのだが。

 ランスオブデザイアは、あまりの手応えのなさに憤りさえ覚えているようだった。

「どうしたのだ、セツナ=カミヤ。貴公の力はこの程度なのか。やはり、わたしが貴公に敗れ去ったのは、貴公が黒き矛を召喚していたがためか。所詮は借り物の力に頼り切っていただけの、情けない人間のひとりに過ぎなかったということか」

「……ああ、そのとおりさ」

 素直に、認める。

「俺は、黒き矛の力に頼りきりだったさ。まさにおんぶにだっこって感じでな。黒き矛があまりにも強すぎるから、自身を鍛える必要さえないんじゃないかって想ったもんだぜ」

 それは事実だ。認めざるをえない。それを否定しては、事実を歪曲することになる。黒き矛カオスブリンガーの絶大なる力のおかげで、セツナは戦って来られたのだ。幾多の敵を倒し、黒き矛の眷属との戦いを制し、さらなる強敵との邂逅にも絶望せず、挑み続けることができたのも、すべて、黒き矛の偉大なる力のおかげという以外にはなかった。最初に召喚したのが黒き矛でなければ、そうはならなかっただろう。もっと弱い、ごく普通の召喚武装ならば、そんなことにはならなかったはずだ。真っ先にランカインに返り討ちに遭っていたか、たとえ勝っていたとしても、いまと同じ人生を歩むようなことはなかったに違いない。

 故にこそ、セツナは黒き矛に感謝しているのだ。

 黒き矛と巡り会えたからこそ、セツナは、誇らしく戦い抜いてこられたのだ。

 そして、故にこそ、セツナはだれよりも厳しい鍛錬を己に課し、だれよりも強くなろうとしたのだ。

 黒き矛の使い手として、相応しい人間になるために。

「でも、それじゃあ駄目だって、わかったんだ。黒き矛に、カオスブリンガーにすべてを委ね、ただ召喚武装の使い手となるだけじゃあ駄目だって。それじゃあただの人形だ。自分の意志も持たない、自分の考えも持たない操り人形となんら変わらない」

 思考を放棄することは、簡単だ。

 そして、そのほうが気楽だということも知っている。実際問題、セツナが歩んできた人生というのは思考放棄の連続といってよかった。ガンディアにいたときですら、思考を捨て、主君の意志に従うだけだったのだ。それは極めて気楽で、同時に極めて無責任な生き方といえた。責任はすべて自分の主にあり、自分は、主のいうことに唯々諾々と従うだけなのだ。迷うこともない。苦悩もない。

 黒き矛の使い手としても、思考を放棄し、黒き矛の操り人形と化したほうが楽だろう。黒き矛の力の触媒、あるいは依代として存在するのであれば、その限りない力を使うこともできたかもしれない。だが、それでは駄目なのだ。

 それでは、目的を果たせない。

 願いを叶えることができない。

「俺は俺だ。俺の意志で、ここにいる」

「周りに流され続けてきた男がなにを言い出すかと想えば……ありもしない幻想に縋るだけか」

「ありもしない幻想?」

「そうだろう。セツナ=カミヤ。貴公がここにいるのは、結果に過ぎない」

「違うな」

 頭を振り、告げる。

「俺は、黒き矛の真の使い手となるために、ここにいる」

 もっと力が欲しい。

 黒き矛のすべての力を解放しても、制御しきるだけの力が。

 どれだけの理不尽が相手であっても、飲み込まれず、捻じ伏せるだけの力が、欲しい。

 そのためならばどのような試練にだって耐え抜ける。

 たとえその結果、自分の身にどのようなことが起ころうとも構いはしない。

 そう想って、ここにいる。

 無力な己と決別するためには、それくらいの覚悟が必要だ。

「だから、あんたを倒し、残りの眷属にも打ち勝とう」

 そしてセツナは口ずさんだ。

「武装召喚」

 呪文の末尾を。



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