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第二千二百三話 底なしの欲望を(一)

「――貴公の、貴公の力はその程度か」

 声が重くのしかかるように聞こえたのは、実際に声音そのものにとてつもない重圧があったからだ。聞き慣れない、しかし、聞き知った男の声。人間とは異なる存在であることを隠しもしないそれは、その力と威厳に相応しい高圧さで、こちらを見ているのだ。

「セツナよ」

 ぴくり、と、耳が動く。自分の名前を吐き捨てられれば、無意識にも反応するものだ。ただし、肉体は反応もままならず、身じろぎひとつ許されない。徹底的に打ちのめされたいま、彼の体力も精神力も尽き果てようとしていたからだ。

「であらば、であらば期待はずれも甚だしいぞ。我らが主が幾億星霜の魂の中から選び、認め、許したはずの貴公がこの程度では、この程度では……我らが主の顔に泥を塗るようなものではないか。恥ずかしくはないのか」

(うるせえよ)

 胸中、そう言い返す以外に取れる行動はなかった。そして、そんな言葉をたとえ口にしたところで、相手には痛くもかゆくもないのはわかりきっている。口惜しいが、それが現実だ。

 圧倒的な力の差。

 人間と人外だから、ということではない。

 もっと根本的なものだ。根元的といっていい。次元が違うのだ。

「黒き矛の主として」

 目が開く。

 暗黒の空の下、ひとりの男がこちらを見下ろしていた。長い黒髪を音もなく吹き荒ぶ嵐に靡かせ、赤き双眸を煌々と輝かせながら、超然と佇んでいる。手には、巨大な槍が握られていた。異様な大きさを誇る穂先はさながら掘削機のように螺旋を描いており、石突から伸びた黒い帯は悪魔の尻尾のように見えなくもない。

 かつて、ランスオブデザイアとルウファが名付けた漆黒の大槍そのものであり、手にしているのは、ランスオブデザイアを名乗る人外の存在。

「なんだ、なんだまだ息もやる気もあるんじゃあないか。ならば、ならば勝負を続けようぞ」

 いわれるまでもなく、黒き剣を支えにして立ち上がった彼は、上がる息を整えるようにして深く呼吸した。静かに意識を統一し、自身の状態を確認する。身につけていた装束はずたずたに引き裂かれ、全身、血塗れだ。満身創痍とはまさにこのことだが、幸か不幸か、傷口は完全に塞がり、痛みだけだ致命傷の残り香を漂わせている。ランスオブデザイアの一撃は皮膚を突き破り、骨を砕き、内臓をかき混ぜるようなものだ。そんな攻撃を受け続ければ、そうもなる。

 しかし、この地獄では、致命傷どころか絶命するほどの攻撃を食らったとしても、死ぬことはない。それはつまりどういうことかというと、死ぬほどの凄まじい痛みをそのまま感じ続けなければならないということであり、普通ならば意識を失うどころか、廃人化するかもしれない。だが、意識が薄れることも許されず、痛みが消えるその瞬間まで耐え続けなければならない。

 まさに地獄とはこのことで、彼は、改めてこの試練の酷烈さを実感していた。

 それでも、諦めるわけにはいかない。彼がこの地獄に堕ちたのは、自分の無力さを認め、さらなる力を求めたからだ。あれ以上の力を求めるならば、それ相応の対価を払う必要があるだろう。それこそ、いままでの地獄の試練程度では物足りないほどの対価を払わなければ、彼が望むほどの力は得られまい。

 柄を握りしめ、構え直す。

 これは、地獄の最終試練。


「わたくしどもの主は、この塔の最上階にて、セツナ様をお待ちになられておいでです」

 喪服のような黒装束の女が、低くも耳心地のいい声で告げてきたのは、セツナが彼女に続いて塔の中に足を踏みいれてからのことだ。

 塔の一階は、出入り口と中央広間だけの簡素な造りになっている。床も壁も漆黒の石材が用いられており、銀の燭台に灯された青白い炎に照らされ、黒く輝いているように見えた。鏡面のように磨き抜かれているからだ。

 円筒上の広間の天井は高く、闇の彼方に備え付けられた燭台のおかげで辛うじて確認できた。天井も、床や壁面と同じだ。火明かりに輝く様は、さながら鏡のようだ。

「ですが、ご覧の通り、この塔には階段がございません」

 喪服の女がいったとおりだった。広間のどこにも階段らしきものはなく、巨大な円柱が中心に聳えているだけのようだった。その円柱にはいくつもの扉がついているのだが、その扉を通れば上層に行けるわけもあるまい。扉の奥の部屋に続いているだけだろう。と、セツナは思ったのだが、喪服の女は、ひとつの、一番大きな扉の前に立つと、こういってきたのだ。

「どうやって最上階へたどり着けばいいのかお悩みのセツナ様に朗報でございます。実は、この扉を潜り抜けていただくだけで、一瞬にして我らが主の元にたどり着けるのです」

「へえ……」

「我が主の元へ赴くためには、この扉を潜り抜けていただくだけなのですが、残念なことに、扉を開くための鍵は、わたくしではなく、別のものたちが隠し持っているのでございます」

 喪服の女は、さも残念極まりなさそうにいってきたものの、声に心は籠もっていなかった。

「鍵は全部で六つ。この扉以外の六つの扉の先で、セツナ様の到来を待ちわびていることでしょう」

 女が指し示した扉には確かに六つの鍵穴があった。ほかの扉には見受けられないもので、やはり、正面の扉だけが特別であるということのようだ。

「……六つの鍵を手に入れるのが、つぎの試練ってわけか」

 そしておそらく、それが最終試練ということだ。

 この地獄に堕ちた目的が地獄の主催者たる喪服の女の主に逢うということならば、だが。しかし、それ以外には考えられないことでもある。なぜならばセツナは、ただアズマリアに地獄に誘われただけであり、ここでなにをすればいいのかなど、魔人はなにも教えてくれなかったのだ。

 アズマリアは、相変わらずの放任主義ということだ。

「我が偉大なる主と謁見しようというのであれば、それなりの覚悟と力を見せて頂かなければなりませぬ。これは諸魔の掟。万魔の法。百万世界の魔属なるものは、ただのひとりとして破れぬ絶対の摂理……」

 喪服の女がようやく感情を露わにしたかと思うと、自身の主をうっとりと褒め称えるものであり、セツナは唖然とした。しかい、喪服の女は、セツナの反応など意に介するどころか、臆面もなく言い放ってくるのだ。

「セツナ様。あなた様との対面を心待ちにされておられるお方は、この程度の言葉では言い表せられないほどのお方のですよ」

 そこまで仏頂面で聞いていたセツナの脳裏に不意に閃くものがあった。その名を口にする。

「……黒き矛」

「はい?」

 喪服の女が小首を傾げたが、そのわざとらしい反応には目眩さえ覚える。なぜかはわからないが、既視感があった。どこかで会ったことがあるとでもいうのか。いや、そんなわけはないと胸中で首を振る。

「黒き矛が、待っているんだな?」

「……カオスブリンガーという名も、お気に入りですよ。我が主は」

 喪服の女の口元は、至極嬉しそうに笑っていた。なにがそんなに嬉しいというのか。主の正体を言い当てられたことがそれほど嬉しいとでもいうのだろうか。セツナにはよくわからない反応で、彼は目を細めた。

「そうかい」

 ようやく状況が飲み込めてきた。

 このアズマリアが地獄と呼んだ世界は、黒き矛がその本来あるべき世界なのだ。イルス・ヴァレとは異なる次元、異なる時空、異なる地平に存在する異世界のひとつ。そこをアズマリアは地獄と称し、セツナを導こうとした。何度となく。

 アズマリアはおそらく知っていたのだろう。

 黒き矛の出身世界と、出身世界における立場について、見当がついていたのだ。だから、セツナを早々に地獄へ誘おうとした。そうすることで、セツナが黒き矛の使い手として大幅に成長することを期待していたのだ。

 黒き矛が本来、矛とは異なる姿をしているのだろうということについては、セツナは薄々感づいてはいた。

 召喚武装は、意志を持つ武器防具の総称であり、異世界の存在だ。武装召喚師たちは、それを異世界の武器防具だと教わり、そう信じているのだが、セツナには常々疑問があった。

 武器防具が意思を持ち、強大な力を持つのはいい。

 そういう世界でそういうことも起こりうるのだと理解していれば、受け入れやすい事象だ。召喚術が存在し、皇魔のような怪物が存在する世界で、武器防具が意思を持つ云々といわれて、そこだけに疑問を差し挟むものではないだろう。

 問題は、その意思表示のため、夢現の狭間に現れたとき、姿形が異なることだ。

 黒き矛の形状とはまったく異なる姿で、セツナの意識の中に現れた。黒き竜の姿であったり、黒い男の姿であったり、一定ではないものの、黒き矛そのものの姿形ではなかった。それはつまるところ、黒き矛の本質が矛とは異なる存在である可能性を示していた。

 そしてそれがいま、この試練の果てにあかされようとしているということだ。

「つまり、六つの扉の先には黒き矛の六眷属が待ち受けているというわけだ」

「ご明察にございます」

 頭巾から覗く口元だけで、喪服の女の満面の笑顔が想像できるくらいには、いまのセツナはあらゆる感覚がさえ渡っていた。

(妄想ともいうがな)

 内心苦笑をもらして、黒き矛への扉以外の六つの扉を眺めた。

 扉の先には、六眷属が待ち受けるというのだが、慎重に考える必要はないだろう。なぜならばどこから入ろうと、どれが相手だろうと、セツナのできることに変わりはないからだ。

 召喚武装のないセツナにとっては、どんな相手だろうと強敵に違いない。

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