第二千百九十九話 術中
同盟軍とネア・ガンディア軍との本格的な戦闘が始まったのは、マルウェールの神人を殲滅した翌日のことだ。
同盟軍は、マルウェール北西に布陣し、ネア・ガンディア軍の到来を待っていた。ネア・ガンディア軍の戦力の巣窟となっていたマルウェールを攻撃し、神人を殲滅した以上は、ネア・ガンディア軍が反応しないわけがない。そして、ネア・ガンディア軍の支配するクルセルク方面に攻め込むよりは、マルウェール付近で迎え撃ったほうが同盟軍にとって有利であると判断されたからだ。自国領に敵を引き入れて戦うというのは愚策も愚策だが、クルセルクも元々ガンディアの国土であり、ネア・ガンディア軍を撃退した後は、仮政府の統治下に収めるつもりなのだから、いずれにしても自国領内での戦いということに変わりはない。そのため、同盟軍は、マルウェール近郊に留まり、ネア・ガンディア軍がおびき寄せられるのを待ったのだ。
その際、同盟軍は動員しうる武装召喚師を広範囲に配置することで警戒網を構築、敵戦力が少しでも近づけばすぐに本陣に知らせるような体制を取った。
その警戒網にネア・ガンディア軍が引っ掛かったのが、五月三日、正午のことだった。
早めの昼食を終えていたセツナたちは、警戒網からの報告を聞き、すぐさま本陣に向かっている。
本陣では、同盟軍総大将エリルアルム=エトセアのほか、仮政府軍、帝国軍の首脳陣が顔を揃えていた。
報告によれば、ネア・ガンディア軍は、マルウェールを攻撃した超大型の方舟でもって接近中とのことであり、おそらくネア・ガンディア軍の動員しうる兵力はすべて方舟に乗り込んでいるに違いない。マルウェールの数万の神人がたった一日で殲滅されたのだ。ネア・ガンディア軍も、この戦いには本腰を入れざるを得ない。少数の部隊を派遣して、様子を伺っているような状況ではないのだ。
本陣では、各部隊の配置や戦術に関する最終確認が行われた。
戦術の核となるのは、当然、セツナだ。
この戦いの勝敗は、いかに迅速にセツナがネア・ガンディアの指揮官を討つかにかかっている。ネア・ガンディアも結局は軍隊なのだ。軍隊は、指揮官を失えば、指揮系統に混乱が生じ、軍勢としての機能を大幅に損なうものだ。精強極まる軍勢が将を失った途端、極端に弱体化した例は古今、数多にある。例外もなくはないが、ネア・ガンディアが例外に該当するかといえば、ありえないことのように思える。
ただ、指揮官を討つだけでは、物足りないかもしれない。
が、方舟を動かしている神をも撃破することができれば、その限りではあるまい。
ネア・ガンディア軍は、間違いなく混乱するだろうし、撤退を余儀なくされるだろう。そうなれば、こちらの勝利は疑いようもなくなる。
「セツナ殿が敵軍指揮官を討つまで持ちこたえる。それだけが同盟軍の戦術といっても過言ではない。逆を言えば、セツナ殿が敵軍指揮官を討つまで持ちこたえられなければ、我々の敗北だ。よって、連携を密にし、各個撃破などされることのないよう注意されたし」
エリルアルムが総大将らしく厳かに告げると、首脳陣はいずれも静かに頷いた。
「諸君の奮戦を期待する」
かくして、同盟軍とネア・ガンディア軍の本格的な戦いの火蓋が、切って落とされた。
ネア・ガンディア軍は、方舟とともに飛来した。
セツナたちの方舟よりも一回りも二回りも巨大なそれは、二十四枚もの光の翼を展開しており、その神々しさたるや、敵であるはずなのに思わず見惚れてしまいかねないほどだった。セツナたちの方舟とは異なるのは翼の数だけではない。形状も大きくことなり、途方もなく巨大な船体は、どこか攻撃的、威圧的ですらあった。セツナたちの方舟が優美かつ流麗なところを見ると、方舟にも様々な形状、意匠があるのだろう。
その方舟をセツナが認知したのは、本陣を離れ、最前線に向かう最中のことだった。
馬上、青空の彼方に輝きを見た。輝きは次第に鮮明になっていき、それが無数の翼であるということがわかっていく。ついにそのとてつもない質量を誇る方舟がセツナの肉眼で確認できたとき、ともに馬を走らせるファリアやシーラ、同盟軍将兵たちも大いに唸った。
「あれでもかなり遠いんだよな?」
「ああ。まだ、最前線には届いちゃいないだろう」
遠近感が狂うほどの大きさを誇るのが、ネア・ガンディア軍の方舟なのだ。その威容たるや圧倒的といわざるをえない。セツナたちの方舟と並べば、大人と子供くらいの違いがあるのがわかるだろう。それほどまでの質量の船を浮かせているのだから、搭乗している神の力もきっと強大なものに違いない。激戦が予想された。
(けど、あの距離なら)
セツナは、威圧的な方舟との距離間を目測で確認しながら、口早に呪文を唱えた。武装召喚。その一言でセツナの武装召喚術は完成し、望み通りの召喚武装が具現する。爆発的な光の中から現れたのは黒き矛であり、立て続けにメイルオブドーター、エッジオブサーストを召喚した。複数の召喚武装の同時併用は、使用者の負担を増幅させるのだが、そんなことをいっていられるような相手ではない。むしろ、完全武装状態でなければ太刀打ちできないかもしれないのだ。この程度で音を上げている場合ではなかったし、ネア・ガンディアと戦うならば、これが普通になるはずだ。
感覚の急激な拡大の中で、彼は、さらにエッジオブサーストをメイルオブドーターと同化させた。メイルオブドーターの飛行能力を強化しておかなければならない。
「帝国軍の話じゃ、ネア・ガンディアの兵力は一万くらいだろうって話だ」
「同盟軍には、それをぶつけてくるはずね」
「俺とファリアは地上戦力の相手をすりゃいいんだな?」
「同盟軍の損害を最小限に抑えるよう、立ち回ってくれ。きっと、神人も投入してくるだろうからな。俺は、船をやる」
「船を?」
「あんなの野放しにしておいたら、マルウェールの二の舞いになるからな。だれか、馬を頼んだぜ」
一方的に言い捨てて、セツナは、馬から飛び降りた。瞬間、メイルオブドーターの翼を閃かせ、空へと飛び上がる。急激な速度変化は全身に多少の負荷をかけるが、問題はない。
「え、あ、おい! セツナ!」
「こっちは任せて、セツナ」
シーラとファリア、それぞれの反応を聞きながら、セツナは、急上昇した。さらに呪文を口ずさみ、左手にロッドオブエンヴィーを呼び出す。異形の頭蓋骨が先端についた黒き杖を握りしめ、感覚がさらに肥大し、先鋭化するのを認める。視界が広がり、敵方舟の詳細な飾り付けまで脳裏にくっきりと焼き付けられる。直後、方舟のきらびやかな船首が開口し、神威砲がその砲門を見せつけてきた。神威砲がどのような形状をしているのか、目の当たりにしたのはこれが初めてだ。円筒状の砲門は、大砲そのものといっていい。その砲口に神威が収束していくのが感覚としてわかる。
(やはり、撃つか)
敵方舟の神威砲は、マルウェールの都市そのものを灰燼と帰すほどの破壊力と効果範囲を誇る超兵器だ。地上に展開した同盟軍陣地に打ち込めば、一撃で壊滅状態に持ち込めること間違いなく、また、マルウェールにそうしたように同盟軍将兵を神人化させることさえ可能かもしれない。そうなれば、たとえセツナが敵指揮官を討てたとしても、同盟軍の勝利はなくなるだろう。味方がひとり残らず神人化した暁の勝利など、勝利と呼べるものではない。
それは敗北以外のなにものでもないのだ。
同盟軍の敗北では、ない。
セツナの敗北だ。
ファリアとシーラ、エリルアルムたちを失うようなことがあれば、たとえセツナひとり生き残ったとして、今後生きていけるものかどうか。
(んなこと、させるかよ)
セツナは、ロッドオブエンヴィーを振り上げ、能力“闇撫”を発動させた。黒き魔杖の髑髏から闇そのものが奔流となって溢れ出し、巨大な異形の腕を形成する。大きさにしてセツナ自身の百倍はあろうかという闇の掌を、敵船が神威砲を発射した瞬間に振り下ろす。船首の砲口より放たれた神威は、まばゆい閃光となって視界を灼くが、それは一瞬にして闇に飲まれた。“闇撫”が神威砲の放った破壊光線を打ち返したのだ。光の奔流は、無数に拡散してあらぬ方向に飛んでいき、地上の同盟軍に損害が出ることはなかった。無論、ネア・ガンディア側にもだ。
シーラやファリアが歓声を上げたのを聞き届け、セツナは、さらに翔んだ。急加速し、敵船へと接近する。
方舟が再び神威砲を充填するよりも早く方舟に取り付き、砲塔を破壊しなければならない。そのためには、方舟を護る防御障壁を打ち破らなければならないのだが、それもまた、簡単なことではなかった。方舟の防御障壁は、方舟に流れる神の力によって形成されているものだ。並大抵の攻撃ではびくともしない。
(並大抵なら、な!)
防御障壁に激突するほどの速度で肉薄したセツナは、その勢いのまま、黒き矛の切っ先を叩きつけた。全力を込めた一撃は、見えざる防御障壁に直撃すると、凄まじい破壊の力を伝達させ、つぎの瞬間、球状の障壁に巨大な穴を開けた。間髪を入れず障壁内に飛び込むと、透かさず船首に取り付き、神威充填中の砲口に黒き矛の“破壊光線”を撃ち放つ。直撃、そして爆発。神威砲の無力化に成功すると、彼は爆風をかわして方舟の上方に回り込み、甲板を覆う天蓋を突き破った。甲板に、ミズトリスと思しき白甲冑の女と光り輝く清楚な女性がいた。そちらは、女神だろう。神々しい輝きを帯びた人間など、いるはずもない。
「撃つなら、もっと遠距離からにするべきだったな」
セツナは、敵指揮官とその協力者たる神だけしかいないことを確認すると、気を引き締め直した。どうやら、ほかの戦力は地上に展開済みらしく、既に地上では同盟軍とネア・ガンディア軍の遠距離戦闘が始まっていた。
「確実におまえを消し去る方法を用いたまでのこと」
白甲冑の女の言葉に、セツナは怪訝な顔になった。
「俺を消し去る?」
「そう。あなたは既にわたくしの術中に嵌っているのですよ」
女神の声は、背後から聞こえた。
「哀れな魔王の哀れな人形君」
セツナは、振り向きざまに黒き矛を振り抜いた。