第二百十九話 力の差
「死んではいませんよ」
ウォルド=マスティアが、静かに語り出すのを彼女はぼんやりと眺めていた。
疲労が残っている。看病疲れといってもいい。ロンギ川での戦いから今朝まで、彼女はほとんど寝ていなかった。消耗のあまり意識を失って倒れてしまったクオン=カミヤの側を離れることができなかったからだ。医者に任せておけばいいというウォルドの言ももっともだとは思うのだが、イリスも彼女も、クオンの寝所を離れられなかった。傷を負ったわけではないため、医者や衛生兵の厄介になる必要もない。
マナ=エクシリアは、あくびを漏らしかけて、はっとなった。人前だ。室内にいるのがウォルドだけであっても決して取らない行動だった。口元に手を当て、誤魔化す。が、だれも彼女に注意を向けていなかった。
ふたりがいるのは、ザルワーンの都市だったゼオルの市街地だ。ガンディア軍によって簡単に制圧された都市のいくつかの建物は、兵員を収容するための施設として接収されており、マナたちがいるのもそんな建物のひとつだった。
広い室内には、マナとウォルド以外に、ガンディアの高官がふたりいる。ゼフィル=マルディーンという口髭の紳士はレオンガンド王の腹心だったか。もうひとりは、ジル=バラム。大将軍の片腕と目される人物であり、金髪碧眼の気の強そうな女性だ。左眼を眼帯で隠しているところを見ると、隻眼なのだろう。
「使えるか使えないかでいうと、使えはしませんがね」
ウォルドが、机の上に安置された鎧に触れながら告げる。
ザルワーンの武装召喚師にして聖龍軍総大将、聖将ジナーヴィ=ワイバーンが、ロンギ川での戦いで召喚した召喚武装である。名称は不明だが、どことなく龍を模したような意匠の胴鎧だ。背に一対の翼を連想させる飾りがあるのだが、一枚はルクス=ヴェインに切られ、片翼になっている。そして、ルクスの剣による傷痕は、胸元にも刻まれている。ルクスは鎧ごとジナーヴィの胸を貫き、絶命させたのだ。それによって嵐は止み、戦いは終わったのは記憶に新しい。
ルクスの足場にされたウォルドは、しばらく立ち直れないといった有り様ではあったのだが、召喚武装の調査の依頼を受けると、けろりと忘れたように了承した。彼は、筋骨隆々の見た目とは裏腹に根っからの研究者であり、探求者なのだ。武装召喚術に関する研究と探求こそが彼のすべてであるといっても過言ではないらしい。いまは《白き盾》での活動を優先しているだけなのだ。クオンとの出会いが彼を変えてしまったのだろう。マナやイリスのように。
「使えないのですか。それは残念ですな」
ゼフィルが、ジナーヴィの死体から回収させたらしい。召喚されたまま契約者が死んでしまった場合、召喚武装の使用権は宙に浮く。だれのものでもなくなり、手に入れたものが仮の契約者として力を使うことも不可能ではない。しかし。
「使い物になったとしても、常人に扱いきれる代物でもありませんよ」
ウォルドがちくりといったのは、武装召喚師としての誇りがあるから、というわけではない。実際、ジナーヴィの召喚武装は、普通の人間には扱えなかっただろう。最後、彼が生み出した嵐は、凄まじい破壊の爪痕を戦場に残した。それほどの力を制御するのは、並大抵のことではない。武装召喚師としての訓練を積み重ねてやっと制御できるようになるものであり、ただ肉体を鍛えただけの戦士や兵士では扱えるはずもない。
ただ身に付けるのならば問題はない。通常の鎧よりも性能はいいだろう。しかし、召喚武装特有の能力を目当てに身につけるのならば、それ相応の知識と技術が必要なのだ。
「そういうものか」
ジル=バラムは興味もなさそうにつぶやいた。彼女もジナーヴィの召喚武装の威力は目の当たりにしたはずだが、だからといってそれを使いたいとは思ってもいないのかもしれない。ジル=バラムがどういった人物なのかは知らないが、どことなく武人の風格があった。
「召喚武装の使用には、相応の知識や技術が必要なんですよ。ただ肉体を鍛えればいいという話じゃないんです」
「我々もただ肉体を鍛えているわけではないがな」
ウォルドの言葉に、ジルが右眼を細めた。冷ややかな視線がウォルドに突き刺さったようだが、彼は表情をまったく変えなかった。しばらく睨み合うような空気だったが、先に折れたのはウォルドだ。おそらく、クオンのことでも思い出したのだろう。
「失礼。気分を害されたのでしたら謝りましょう」
「いや、こちらこそ礼を失していたようだ。調査を頼んだのはこちらだ。改めて礼をいわせてもらう。ご苦労だった」
ジルが至極あっさりとした態度でいってきたので、マナは拍子抜けした気分だった。もちろん、悪いことではないのだが、ついさっきの態度はなんだったのかと思わないではない。
「お二方にはご足労頂いた上、調査にご協力いただき、まことにありがとうございました」
ゼフィルが、ジルに続いて口を開いた。彼は、ジルの態度に眉を潜めていたのだが、注意するような素振りもなかった。彼は確かレオンガンド王の四友と呼ばれる立場にあったはずだが、大将軍の副将に口出しすることはできないのだろうか。どちらの立場が上なのか、ガンディアの外部の人間にはわかるはずもないのだが。
「いえ。当然のことをしたまでですので、お気遣いなさらないでください」
「そうですよ。契約に従っただけのことです。また、なにかあればいつでも協力いたしますよ」
マナは、ウォルド共々、ふたりに頭を下げ、それこそ失礼のないように最新の注意を払って部屋を後にした。扉を閉めても、すぐに安心はできない。廊下を進み、階段を降り、建物を出て、ようやくふたりは大きく息を吐いた。
夕日が、町並みを赤く燃え上がらせていた。
ゼオルでは戦闘は起きていない。聖龍軍がゼオルで待ち構えていれば、この街が戦場になったのは間違いないだろう。その場合、ジナーヴィの嵐や、マナのスターダストのせいで、市街地に大きな被害が出たかも知れなかった。スターダストの爆発の被害は、別の召喚武装を召喚することで防ぐことはできたが、ジナーヴィの嵐ばかりは彼女にはどうすることもできない。
「益体もないことだな」
ウォルドの一言に今回の徒労のすべてが集約されていた。
これもクオンのためだと考えれば、なんということもないのだが。
夕焼けの街には、市民の姿が散見される。敵国の制圧下になっても普段通りの生活をしているようだった。街行く軍人に突っかかる市民もいないこともないが、ほとんどの住民は、軍人たちを黙殺し、関わろうともしなかった。軍の不在で不安になっていたところにガンディア軍が雪崩れ込んできたのだが、マナには市民の反応がきわめて冷静なものに思えた。暴動のようなものは起きてはおらず、レオンガンドらが上手く対処したのだろうか。一介の傭兵風情には、上の動きはほとんど見えなかった。もっとも、ついさっきガンディアの上層部と言葉を交わしてきたばかりだが。
召喚武装については、武装召喚師の意見を聞くしかないのだから、彼らが《白き盾》を頼るのは必然ともいえる。ザルワーンには《大陸召喚師協会》の力が及んでおらず、《協会》の支局も存在していなかった。ザルワーンは独自に武装召喚術を研究し、ジナーヴィやフェイのような武装召喚師を生み出したのだろうか。
「ジナーヴィ=ワイバーンだかライバーンだか知らないが、相当な使い手だったな」
「少なくともわたしよりは……」
マナが沈んでいるのは、それもあったのだ。
武装召喚師として研鑽に励み、修練を積んできたはずだったが、あのふたりの実力は間違いなくマナの上を行っていたのだ。武装召喚師の実力というのは、召喚武装の能力だけではない。いかに強力な召喚武装を召喚し、どれだけ自在に操れるか。また、身体能力も武装召喚師には欠かせないものだ。召喚武装の力だけに頼っていては、いつか力に振り回され、自滅するだろう。力を制御し、支配する。それが武装召喚師の真髄なのだ。
あのふたりは、完全に召喚武装の力を制御し、使い切っていた。
(わたくしは……彼らのように戦える?)
マナは、脳裏にあの夜の情景を浮かべながら自問する。戦場を席巻した暴風の男と、イリスと正面からぶつかり合った小刀の女。ふたりの戦いぶりは、彼女の記憶にあざやかに焼き付いている。マナたちが無事なのは、クオンのおかげなのだ。シールドオブメサイアの守護によって、彼女たちはまったくの無傷で勝利することができた。いつものことではあるのだが、盾の力に甘えてばかりいるからこそ、力がつかないのではないか、と思わないでもない。
「なーに落ち込んでんだよ、らしくねえなあ」
「あなたほど単純に生きられれば、どれほど楽なのでしょうね」
言い返しながら、マナは自分らしさとはなんなのかと一瞬だけ考えて、やめた。いまはそんなことに時間を費やしている暇はない。
「ひでえ。さすがの俺でも傷つくぜ」
「あら、ごめんなさい」
「……なんだ、張り合いがねえ」
ウォルドが肩を竦めるのを気配だけで察しながら、マナは嘆息した。力を身につけなくてはならない。でなければ、自分がクオンの側にいられなくなるのではないか。
そんな不安が、彼女の胸を締め付けていた。




