第二千百九十八話 違和
ミリュウたちを乗せた方舟は、マイラム上空を飛び立つと、最大速度で、現在接近中の敵方舟に向かった。
大空を突っ切り、ただひたすらに前進すると、すぐさま敵方舟へと接近できた。上空、進路上には障害となるものが一切ない。しかも、方舟の最大速度だ。体感にして、一瞬に近い。すると、マユリ神は、全員に衝撃に備えるよう通達した。ミリュウとレムは女神にいわれるまま、機関室の手摺に掴まると、つぎの瞬間、凄まじい光が映写幕を白く塗り潰す様を目の当たりにした。
「敵方舟の神威砲だ。やはり、規模が違うだけ、威力も強大だ」
などと、マユリ神は平然と言い放ったものの、敵神威砲を軽々と耐え抜いて見せている。
方舟の船内は、攻撃を受けたという気配さえなく、ミリュウとレムは互いに顔を見合わせ、拍子抜けするほかなかった。それもこれもマユリ神の偉大なる力のおかげだということは、考えるまでもなく明らかだ。
敵方舟に乗っているネア・ガンディアの神とマユリ神とでは、やはり格が違うのだ。
ネア・ガンディアの神々というのは、おそらく至高神ヴァシュタラから分化した神々であり、その力というのは、人間やその他生物と比べれば次元の異なるものであり、敵う相手ではないのだが、神々同士で比較した場合、弱小の神々ばかりといっても過言ではないらしい。
ヴァシュタラ擁するヴァシュタリアとともに三大勢力を構築したザイオン帝国と神聖ディール王国の神は、それぞれ一柱の神でありながら、無数の神々の集合体である至高神ヴァシュタラと同等の力を持つという。つまり、神々の中でもそれほどの力の差があるということであり、マユリ神は、ヴァシュタラの弱神よりも圧倒的に強力なのだ。
その事実は、敵神威砲を耐え抜いたつぎの瞬間、さらに明らかなものとなった。
「では、こちらもお返しといこう」
マユリ神は、水晶体の上で尊大に告げると、方舟の神威砲を発射させた。
映写幕が再び閃光に塗り潰されると、凄まじい爆発が起きたらしいことが外部からの音でわかる。しかし、なにがどのようになって爆発が発生したのかといって詳細は、ミリュウにはわからない。
「敵方舟の障壁を破壊した。このまま突っ込むぞ」
「わ、わかったわ」
ミリュウは、淡々と告げてくるマユリ神にそのように返答するので精一杯だった。船内機関室から得られる情報というのは、マユリの口から語られることか、映写幕に映し出された映像しかなく、爆煙渦巻く映像の中からは状況を判断することはできないのだ。
衝撃が、船体を激しく揺らす。マユリが宣言通り方舟を敵の方舟にぶつけたのだろう。故に障壁では緩和できない衝撃が船体を伝い、ミリュウたちにも伝わってきたのだ。それでも、手摺にさえ掴まっていればどうとでもなるようなものであり、ミリュウもレムも、マユリ神の力の偉大さを改めて理解した。マユリ神の強大な力が船全体を包み込み、ミリュウたちを護ってくれている。
(これならいけるわ、セツナ……!)
ミリュウは、確信とともに立ち上がると、映写幕を見上げた。立ち込める黒煙の向こう側、敵方舟内の通路が映り込んでいる。マユリ神の神威が敵方舟の防御障壁につぎ込まれた神威を上回ったが故の光景だということは、即座に理解する。方舟は、神威を動力とする飛行船であり、その周囲には船体を護るように強力な防御障壁が展開されている。方舟同士の激突は、いわば、防御障壁の性能勝負のようなものであり、マユリ神は見事敵の神に勝利したといっていいのだ。
「敵方舟の大きいだけの腹に風穴を開けてやった。このまま、船を沈めてやろう」
マユリ神が当たり前のように言い放ってきたかと想うと、つぎの瞬間、映写幕が閃光に染まった。凄まじい爆発の連鎖が映写幕の向こうから伝わってくるかのようだが、方舟内のミリュウたちにはなんの手応えもない。しかし、確かにマユリが発射した神威砲は、敵方舟を内部から徹底的に破壊し、爆砕し続けており、その容赦のない大攻勢には、ミリュウもマユリ神を大いに崇め奉りたくなった。
「さすがはマユリん……頼りになるわ」
「なに。わたしはおまえたちの希望。この程度の望み、叶えずにおられようか。しかし、船を沈めたとて、この戦いに勝つわけではないぞ。船は既にもぬけの殻だ」
「やっぱり、そういう展開になるわよね」
「敵船内にあった生命反応はふたつ。ひとつは、神属のものだ。わたしとの力比べに負けるような神だが、ミリュウよ、油断してはならぬぞ」
「わかってる。神様相手に正面から戦えるだなんて思ってもいないわ」
セツナは、神とも真正面から挑みかかり、圧倒するほどの力を見せつけたというが、ミリュウには到底真似のできることではない。そんなことはわかりきっているし、無謀な挑戦をするつもりもない。勝てない相手に戦いを挑み、命を落とすなど、無意味で無駄なことだ。そんなことをしてもだれも喜ばないし、セツナを悲しませるだけだ。
そういうときの苦しさは、ミリュウ自身、身を以て知っているのだ。
セツナは、無茶ばかりをする。そうしなければならない立場であり、状況に立たされるから仕方のないことなのだが、そういうときのミリュウたちの心の中というのは、決して穏やかなものではなく、終始波風が立ち、荒れ狂っているようなものだった。しかも、セツナの無茶というのは、結果論としては成功しているように思えるが、幸運故に命を拾っていることも必ずしも少なくないのだ。だから、余計に無茶はするべきではないと想えたし、自分の身の丈にあった戦い方を心がけるべきだと、彼女は考えていた。
ただ、ミリュウには、セツナにはない強みがある。
それがラヴァーソウルを用いた擬似魔法であり、それがある限り、大抵の相手には対等以上に戦えるはずだと彼女は確信していた。
「もうひとつ、おそらくウェゼルニルの反応だが、妙だ」
「妙?」
「人間でもなければ、神化した存在でもないのだ。わたしがこれまで知覚したこともない気配だ。ミリュウよ、おまえはウェゼルニルと戦うつもりだろうが、細心の注意を払え。普通の相手ではないぞ」
「神様直々の忠告、感謝するわ」
ミリュウがマユリ神の忠告を受け止めた直後のことだ。映写幕に映し出された爆砕の連鎖が途切れたかと思うと、爆煙の中をいくつもの巨大な残骸が墜落してく様が目に飛び込んできた。敵の方舟が神の手を離れ、浮力を失ったからだろう。そして、マユリ神の執拗なまでの神威砲の乱射によって徹底的に破壊された巨大飛行船は、大小無数の残骸となって、眼下の大地へと降り注いでいく。その降り注ぐ先の大地に白い甲冑の戦士と、淡く輝く存在を視認する。
ウェゼルニルと、方舟に乗っていた神に違いない。
ウェゼルニルの姿は、セツナから聞いたクオンとともに方舟に乗っていた白甲冑のようであり、どうやらクオンの配下のもののように思える。一方、神の姿は、美しいという以上に神々しい少年の姿をしており、マリク神に勝るとも劣らない美貌だと想えた。ただ、マリク神のような性格の良さはなさそうだ。むしろ、性格の悪さが全面に出ている。きっとミリュウとは仲良くなれない種類の神様だろう。もっとも、ウェゼルニルとの距離感も相当ありそうではあったが。
方舟の残骸がウェゼルニルと神を避けるようにして、その周辺に降り注ぐ。
「まるであたしたちの到着を待ってるみたいね」
「それはそうだろう。彼奴らはこの船を落とすつもりだったのだ」
「それが逆に撃ち落とされて、どんな気分かしらね。腸煮えくり返ってるんじゃないかしら」
「ウェゼルニルはわからぬが、神がそのように感情を動かすとは思えんな。ただ、多少なりとも動揺はしているだろう」
「動揺?」
「自分より上位の神と見えることになるのだ。いまごろ、どうやって戦うか、足りない頭を働かせているに違いない」
「いうわね、マユリん」
「あのような小さき神の相手をすることすら不快故な」
「そこまでいうんだ」
ミリュウは、マユリ神の吐き捨てるような物言いに畏怖すら覚えた。マユリ神にとっては、地上にいるネア・ガンディアの神は、それほどまでに格の違う神だったのだろうが、それにしてもまるで塵みたいな扱いをするのが、初対面の人間さえも丁寧に応対するマユリ神らしくないように想えてならなかった。人間に対しては優しい女神も、同じ神属相手には辛辣になるのだろうか。
「では、船を下ろすぞ。戦闘に参加するのは、ミリュウ、レム、エリナ、ダルクスの四名でいいのだな?」
「ええ」
頷いてから、ふと、気づく。
「って、レムは?」
「ふむ……?」
マユリ神とともに室内を見回すが、女給服の死神の姿はどこにも見当たらない。ミリュウの指示に従うことになっているはずの彼女が勝手に動き回ることなど、ありえる話ではない。
「さっきまで、そこにいたわよね?」
「ああ……しかし、これは……?」
「どうしたの? マユリん」
「いや……」
マユリ神は、ミリュウの問いに対し、なにやら答えにくそうな顔をした。女神がなにを考えているのかはわからないが、ミリュウはそれよりもレムのことが気になって仕方がなかった。ミリュウは、重要な戦力のひとりだ。特に近接戦闘においては、戦いに赴く四人の中で最強といっても過言ではない。彼女の協力なしでは、ミリュウの戦術は完成しないのだ。
「ったく、どこにいったのよ、あの子。あっちだってファリアとシーラで抑えないといけないってのに……!」
「ミリュウ……おまえ、いまなんといった?」
「え……?」
マユリ神に真剣なまなざしで問われて、ミリュウは、きょとんとした。自分がなにかおかしな発言でもしたのかと想ったが、いくら考え直してみても、問題はなかった。
「レムがいないってこと? それとも、ザルワーンのこと? ファリアとシーラに任せてるから、こっちも気張らないといけないって……」
「おまえにとってもっとも大切なものが抜けてはおらぬか?」
「もっとも大切なもの……? だれのことよ?」
ミリュウには、マユリ神がいっていることがまったく理解できなかった。自分にとってもっとも大切なものとは、いったいなんのことを指しているのか。愛弟子のエリナのことか。しかし、エリナはこちらの戦いに参加することが決まっている。抜けるのは必然だし、マユリ神もそのことをいっているわけではなさそうだ。では、だれのことをいっているのか。
ミリュウは、そこまで考えて、自分の頭の中、心の中にあまりにも巨大な欠落があることに気づいた。自分の胸の中を占めていたとてつもなく大きななにかが突如として消え去ってしまったかのような違和感。真っ白な空白。
「なんの……話?」
マユリ神は、ただ目を細めた。