第二千百九十三話 絶望のログナー(四)
敵は、ひとり。
白甲冑ことウェゼルニルと名乗る男。
人間かどうか定かではないが、人知を超えた力の持ち主であることは、《蒼き風》団員や魔王軍将兵の証言からも明らかだ。三者同盟が手も足も出なかった偽女神マリエラ=フォーローンを容易く撃破してみせたほどの化物であり、現有戦力どころか全戦力を投入しても、勝てそうにはなかった。
(勝つ必要はない。出し抜くことができればいい)
だが、戦力差がありすぎれば、出し抜くことすら困難であり、エインは、集まった情報と手駒を整理しながら途方にくれていた。
しかも、ネア・ガンディアの駒がウェゼルニルひとりとは限らない可能性も低くはない。ログナー島各地の制圧には全力を出す必要もないという理由から、ウェゼルニル単独で出撃してきたかもしれないのだ。
ウェゼルニルは、空を飛ぶ巨大な船でこのログナー島に降り立った。たったひとりで乗り込むにはあまりにも巨大な船だ。どのような力で動いているのかはまったく見当もつかないが、ウェゼルニルひとりが動かしているとも考えにくい。ウェゼルニル以外の戦闘要員が乗り込んでいると考えるほうが自然だ。
だとすれば、仮にウェゼルニルに一泡吹かせるようなことができたとしても、本気を出し、全戦力を投入してくるようなことがあれば、それだけで三者同盟は終わるだろう。
その段になれば、降伏する以外の手段はなくなる。国が滅びるまで戦い抜くなど、最終戦争のような状況以外ではするべきではないのだ。
なんとしてでも、国や民を存続させるべきであり、そのことを最優先に考えなければならない。
ウェゼルニルに立ち向かうのも、そのためだ。
ただ潔く降伏したところで、その後、ネア・ガンディアにどのような扱いを受けるかわからないからこそ、ここで意地を見せ、三者同盟に気骨があるところを見せようというのだ。
(それも無意味かもしれないけれどね)
それでも、なにもせず、ただ降伏し、支配者の思うままに蹂躙されるよりは、ましな選択だと想いたかった。
抵抗しようがしよまいが、結局は降伏する以外にログノールを存続させる道はない。いや、降伏したところで、ネア・ガンディアによってログノールそのものが解体されるだろうが、それにしたって、人民を皆殺しにされるよりはいいだろう。
『だからといって、ネア・ガンディアの思い通りにはさせたくないんだよ、俺はね』
ログノール総統ドルカ=フォームは、官邸からマイラムを見渡しながらいったものだ。
『軽々しくも新生ガンディアなんて名乗る連中にこの国を明け渡すだなんて、ログナー人の誇りが許さないのさ』
ログノールの総統に担ぎ上げられて以来、ドルカの言動には、ログナー人としての自負や誇りといったものが顕著に現れるようになっていた。ログナーがガンディアに飲まれたことを心より喜んでいた彼だが、実際には、だれよりもログナー人だったということなのだろう。ドルカのそういったところは、エインは大好きだったし、そんな彼のために力を尽くさなければならないと躍起になってもいた。
『ま、そんな安っぽい感情で国を滅ぼすようなこともしたくはないがね』
彼は自嘲したが、そんな彼の感情的な決断を批判できるものなど、そうはいまい。
自国を侵略され、征服されることを喜ぶようなものなど、いるものではないのだ。
「あなたにしてはめずらしいことだが、随分と、苦しんでいるようだ」
「別にめずらしいことでもなんでもないよ」
顔をあげると、アスタルの顔が間近にあった。思わず、見とれる。湯上がりの彼女は、いつも以上に艶やかに見えて、エインは一瞬、我を忘れかけた。
「なんだ? わたしの顔になにかついているのか?」
アスタルは、エインの反応が理解できなかったのか、きょとんとしながら対面の席に腰を下ろした。
「そういうわけじゃないんだけど」
エインが頭を抱えていたのは、マイラムにある彼の屋敷、その一室だった。当然、彼の妻であるアスタルも同居していたし、その部屋は彼の自室でもなんでもなかったし、扉に鍵もかかっていなかったため、湯上がりのアスタルが入ってきてもおかしくはなかった。寝間着に包まれた肢体は、いまも均整の取れた体型を維持しており、年齢を感じさせない若々しさがあった。ついさっき間近で見た顔も、年々若くなっているのではないかと噂される通りだ。エインを夫として迎え入れたからだろうという噂もよく聞くが、それはどうなのだろうか。エインにはよくわからない。
ただ、結婚したことで、アスタルが以前にも増して精力的に活動するようになったのは確かだろう。それが、彼女の若々しさにつながっているのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考える。
「それで、ウェゼルニルとやらを出し抜く手立てのひとつでも思い付いたか?」
「そんな簡単に思いつくのなら苦労はしないんだけど」
「わたしたちとは頭の出来が違うからな。それくらいたやすく思いつくものだと、だれもがあなたに期待している」
「そんなに……変わらないよ」
「そんなわけがないだろう」
彼女は、どうしようもなく愛しい笑みを浮かべた。
エインとふたりきりのとき、アスタルは極めて砕けた態度を取る。昔からそうだったが、結婚してからはそれが顕著だ。そしてそれは、エインにとってこの上なく重要なことであり、必要不可欠なものといっていい。愛しいひとがいて、そのひとが、自分に幸福を感じてくれている。であればこそ、そのためにならばなんだってできる気がしてくるものだ。
最終戦争に打ちのめされ、“大破壊”によってすべてを失った気になっていたエインにとって、アスタルは、雲間から差し込んできた希望の光そのものだったのだ。
「あなたは、あのナーレス軍師が認めたほどの才能だ。わたしたちとは比較のしようもない」
「ナーレス=ラグナホルンでも、お手上げだと思うよ。今回ばかりは」
「それほどか」
「ウェゼルニルは、シグルドさんや守護精霊、魔王軍の皇魔たちが力を合わせても敵わなかったマリエラを容易く撃破したほどの実力者なんだ。現状、持ちうる手駒では、とてもとても」
「出し抜くことすら難しい……か」
アスタルは、茶器を卓に置くと、静かに嘆息した。
冷静になって考えれば考えるほど、戦力差に打ちのめされざるを得ない。
現状、三者同盟が投入しうる手駒というのは、女神教団との戦いのときよりも少なかった、まず、マリエラとの戦闘で活躍したエンジュールの守護精霊ゼフィロスが使えないという点が大きい。守護精霊は、エンジュールの守護のため、離れることができないのだ。戦場をエンジュールに限定すれば、守護精霊の協力を仰ぐこともできるかもしれないが、そのためにエンジュールの信用を失うことになるのは、三者同盟的にはありえない選択だ。よって、必然的に守護精霊は戦力に入れられない。
つぎに、魔王軍の戦力も、大幅に減少している。
コフバンサールが焼かれた際、多くの将兵がウェゼルニルによって討ち取られたからだ。リュウディースもレスベルも数多くが戦死し、生き残ったわずかばかりが獅子殿に匿われている。魔王軍最強の王妃リュスカがいるが、彼女を戦力に組み込むことをユベルが許すとは思えない。
《蒼き風》も、シグルド以外、当てにできない。いや、人間の戦士としては破格の実力者揃いなのは、エインも認めている。が、相手が人知を超えた存在である以上、人間の規格内に収まるような実力では、当てにできないのだ。
ログノール軍が当てにならない理由も、そこにある。
皇魔と武装召喚師以外の通常人では、肉壁にしかならないのだ。
いや、肉壁にすらならないのではないか。
ウェゼルニルの戦闘を目の当たりにしたものたちの証言を総合すれば、そういうことになる。
『奴と戦うなら、ただの人間は投入しないこった。ただの一撃で消し炭になるだけだからな』
部下の多数を失ったシグルドは、そうエインに警告した。
そして、その警告がエインをさらに苦悩させることになったのだ。
想像の中で手駒を縦横無尽に活躍させても、ウェゼルニルに一蹴される結末ばかりが描き出された。どれだけ試行錯誤しても、どれだけこちらに有利な条件を付け足したとしても、前提条件となるウェゼルニルの実力を加味すれば、一泡吹かせることもできず敗れ去るしかない。
「それでも、戦うしかないんだろう?」
「総統閣下のお考えには、共鳴できるからね」
ログナー人の誇りとか、ログナー人の自尊心とか、そういったことはあまり理解できないが、ガンディアを名乗る侵略者に対する怒りというのは、エインにはこの上なく共感できることだった。故にこの国をガンディアを名乗る侵略者にはいそうですかと明け渡すつもりはない。
が、策もない。
「わたしも、あなたと同じ気持ちだ。ううん。わたしは、あなたと一緒なら、どのような運命でも受け入れられる」
アスタルは、椅子から立ち上がると、エインの背後に回った。そして、その長い腕でエインを抱きすくめる。
「この地獄のような世界で生きていられるのも、あなたがいるからだ」
アスタルの抱擁に深い愛情を感じて、彼は、ただ感謝した。
そのように想ってくれるひとがいる限り、どのような地獄だって生き抜けるのだ。
解決策も打開策も思い浮かばないまま迎えた翌日、エインですら予想だにしない事態がログノールを震撼させた。
もう一隻の空飛ぶ船が、マイラムに襲来したのだ。