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第二百十八話 傷痕の深度

「いつまでこうしてなきゃいけないんですかねー」

 ルクス=ヴェインが不満の声を漏らしたのは、丸一日、代わり映えのない景色を眺めていなければならなかったからだ。首を動かしたところで、視界に映り込むものに大きな変化はなかった。ガンディア軍が接収した病院の一室。壁の白さが病院特有の辛気臭さを醸し出している。天井には魔晶灯が吊り下げられており、冷ややかな光を降り注がせている。おかげで、いまが昼なのか夜なのかを判断するには窓の外を見やるしかなかった。

 幸い、個室だった。傭兵団《蒼き風》の突撃隊長だから特別扱いしてくれたわけではなく、敵部隊指揮官を倒すという大金星を上げたことが大きいようだ。ジナーヴィ=ワイバーンを討つのは、あの瞬間、ルクスにしかできなかっただろう。相当な無茶をしてしまった。その反動で、病院送りとなったわけだが。

 むさい部下たちと同じ部屋に放り込まれなかっただけましだろう。と思ったのは、最初の数時間だけだった。部下たちと同室ならば、話し相手にも不自由せず、持て余した暇を潰すのも簡単だったに違いない。この配慮には悪意がある、と思いたくもなった。

 白いカーテンが夜風に揺れている。窓の外の景色は、寝台に固定されたルクスには見ることはできなかった。カーテンの隙間から覗く闇が、夜であるということを知らせてくれるだけの機能しかない。

 そう、ルクスは寝台の上に固定されていた。全身を包帯でぐるぐる巻きにされているだけでなく、その上から体を寝台に縛り付けられていたのだ。ルクスが病室から勝手に抜けださないようになのだが、それが彼には窮屈でたまらない。とはいえ、初日に勝手に抜けだして、病院の通路でぶっ倒れていたのは自分である。そこを医者に発見され、団長の判断によって拘束されることになってしまったのだ。無論、食事のときや、用を足すときなどは解放してもらえるのだが、その際は団長か副長の監視つきであることが多く、結局は窮屈なのだ。

「治るまでですよ」

 寝台の脇に置いた椅子に腰掛けた《蒼き風》副長ジン=クレールが、ナイフで果実の皮を剥きながらいってきた。彼は、病室に果物を持ち込んできては、皮剥きに興じることが多い。もちろん、剥いた果物はルクスにも食べさせてくれるのだが。

 ルクスは、ジンのことを陰険眼鏡野郎などということも多いが、団長のつぎに慕っているのも事実だった。シグルド=フォリアーとジン=クレールのふたりがいなければ、ルクスの人生は終わっていただろう。それほどまでの影響をふたりに受けている。

「戦争、終わっちゃいますけど?」

 ルクスは、断続的な痛みに表情を歪めた。ロンギ川――というらしい――での戦いで負った傷は、深く、重い。ジナーヴィの本陣特攻を防ぐためとはいえ、無理をしすぎたのだ。ジナーヴィの暴風障壁を突破できたのはいいが、つぎの瞬間、停滞反撃を食らってしまった。全身、切り刻まれた。鎧は使い物にならなくなり、体中切り傷だらけになった。浅い傷だけならばまだしも、そうではなかったのだ。生きているのが不思議なほどだ。

「君は十分活躍しましたし、ゆっくり休んでいていいんですよ」

「えー……それは嫌だなあ」

 ルクスは、本心から嫌な顔をした。戦いだけの人生。《蒼き風》の皆と、いや、シグルドやジンと戦場に立てないことほど辛いものはない。同じ戦場の別の場所ならばいい。だが、ルクスだけ戦場の外で帰りを待つなど、到底耐えられるものではなかった。団長命令ならば従うし、納得はするのだが、不満は溜まるだろう。その不満が爆発するようなことはないとはいえ、ルクスにとっては気分のいいものでもない。

 もちろん、この状況ではまともに戦えないのもわかっている。傷だらけで、常に痛みを抱えている。病院内を歩き回るくらいならなんの問題もなかったが、戦闘行動には支障をきたすだろう。戦えない傭兵など、足手まといになるだけだ。

 グレイブストーンを手にすれば、無茶はできる。痛みを無視し、肉体を限界まで酷使することができるに違いない。それこそ、肉体が自壊するまで殺戮することも可能だ。だが、そんなことをシグルドもジンも望んではいない。望まれればいくらでも戦うのだが、彼らはそう思ってもいないのだ。ルクスの回復だけを願っている。

 それは嬉しくもあり、辛くもある。

「ガンディア軍は順調にザルワーンの各地を落としている。ナグラシア、バハンダール、そしてこのゼオルだ。マルウェールがどうなるかはわからんが、兵力差では大きく上回っている。問題はないだろうな」

 突然の声に、ルクスは視線を病室の入口に向けた。野性味溢れる大男が、魔晶灯の光に照らされていた。シグルド=フォリアー。

 ルクスは、彼の声を聞いた瞬間から、溢れる歓喜を抑えきれなかった。

「団長!」

「よっ、おとなしくしてたか?」

 シグルドが声を抑えめにしているのは、夜の病院だということに配慮したのだろうが。

「もちろん!」

「まあ、この状況で暴れられるのならたいしたものですけどね」

 ジンが苦笑したのは、ルクスが動きたくても動けないことを指してのことに違いなかった。全身包帯で縛られ、さらに寝台に拘束されている。だれであれ、おとなしくならざるを得ない。

 ルクスは、この拘束をいますぐ解いて、シグルドに駆け寄りたかった。しかし、それはできない。筋力で振り解けるはずもないし、そうやって力を入れると体の至る所が悲鳴を上げた。そんなことばかりしていれば傷口が開きかねないことに気づき、諦める。退院が長引くのは余計に辛い。

 シグルドは、ルクスの気持ちを知ってか知らずかゆっくりと寝台に近づいてくるのだが、それすらももどかしいと彼は思った。

「こいつなら暴れそうだ」

「そんなことあるわけないっしょ!」

「いや、ある」

「ああ、ありえそうです」

 シグルドが力強く断言すると、ジンが笑いながら肯定した。ジンは果物を剥き終えたのか、ナイフを布で拭っている。机の上の小皿には、綺麗に皮剥きされた果実が、適度な大きさに切り分けられていた。

「このひとたちは俺をなんだと思っているんですかねえ」

 ルクスがぼやくと、寝台の側まで来ていたシグルドがにっと笑った。

「自慢の突撃隊長だよ」

「それならいいんすけど……」

 口ごもったのは、団長の笑顔が眩しかったからだ。その笑顔に何度黙らされたのかわからないのだが、敵う気がしなかった。

「ま、じっくり休めや。残るは龍府攻めだ。俺達の出番自体そう多くはない」

「そうですか?」

「おまえの弟子様が頑張ってくれるさ」

「あー……そっか。そうだなあ」

 ルクスは、中央軍に編入されて以来すっかり忘れていたが、ガンディアには、彼の弟子ということになっている武装召喚師セツナ・ゼノン=カミヤという存在がいたのだ。ガンディアのとっておきの切り札ともいえる少年は、その圧倒的な力をこのザルワーンでも見せつけているらしい。難攻不落と名高かったバハンダールを半日足らずで制圧できたのは、彼の存在があったればこそだというのだ。黒き矛のセツナが、このガンディア軍のザルワーン侵攻の根幹になっている。彼が戦えば戦うほど、ガンディアの勝利は明確なものになっていく。

 彼の精神力が続く限り、彼の肉体が耐えられる限り。

 いつか、壊れるまで。

「《白き盾》もいるでしょう。彼らに任せておけば、我々はこれ以上の血を流さずに済みます」

 ジンの言葉に、ルクスは黙り込んだ。《蒼き風》の団員のいくらかが、先の戦いで命を落としている。ガンディオンで入団したばかりの新人から、長年《蒼き風》を支えてきた古参まで、死んだ連中に関連性はない。だれもが平等に命を晒すのが戦場だ。歴戦の猛者であっても、あっさりと死ぬ。ルクスだって、死にかけた。

 死者は、ルクスが意識を失っているうちに弔われてしまった。あの川辺に葬られたらしい。ルクスは、その話を聞かされて以来、度々黙祷している。ルクスとあまり関わりのなかったものたちもいたのだろうが、団員は団員である。部下であり、家族のような一面もあった。家族が死んだのだ。悲しくないはずはなかった。それはシグルドもジンも同じはずだ。

 しかし、そのことで立ち止まってはいられないのもまた事実だ。戦いに出れば、だれかは死ぬ。敵も味方も、簡単に死んでいく。ルクスは殺す側に回ることが多いが、仲間の死に直面することも少なくはない。だからといって、そこで悲嘆に暮れたりはしない。時間は止まってはくれない。仲間の死に足を止めたその一瞬が、命取りになるのだ。

 前に進むしかない。

 戦場ならば、敵陣に向かって進むだけだ。

「そういうわけだ。なにも心配すんな」

「心配とか、そういうことじゃなくて……」

 シグルドに頭の上に手を置かれて、ルクスはそれ以上なにもいえなかった。ただ同じ戦場に立っていたいだけなのだが、現状ではそれすらもできないことはわかりきってもいる。わがままをいって困らせたくもない。

 嘆息とともに、彼は目を閉じた。

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