第二千百八十七話 同盟軍状況
マルウェールの神人討伐戦の結果はというと、必ずしも芳しいものとはいえなかった。
マルウェールに生き残った神人は滅ぼし尽くし、同盟軍の勝利で終わったのは間違いない。これにより、マルウェールの廃墟を取り戻すことができ、今後の復興に望みを繋げることもできた。しかし、損害は軽微とはいえなかった。死傷者は多数でている。
総兵力は、一万五千から一万四千にまで減少した。
たかが数百の神人との戦いとはいえ、相手は神人だったのだ。戦死者が千程度で済んだのを僥倖と呼ぶほかないのは、恐ろしいことだ。しかし、それが現実でもある。
(ベノアガルドやリョハンとは、違うか)
ベノアガルドの騎士団騎士たちは、神の加護を受けていた。十三騎士はいわずもがな、准騎士以上は救力なる神秘の力を用いることができたのだ。その力を用いれば、神人ともある程度は戦えるという話であり、実際にそのとおりだった。従騎士ですらその練度は、ほかの国の一般兵とは比べ物にならないものがある。それでも多数の犠牲者が出るのが神人との戦いではある。
武装召喚師ばかりを戦場に投入するリョハンなど、比較対象にするべきではあるまい。リョハンを二度に渡って攻め寄せたネア・ガンディア軍だが、第二次防衛戦における攻勢というのは、圧巻というほかないものであり、多数の武装召喚師が落命したとのことだ。それでも、同盟軍よりは遥かに強いのはいうまでもないだろう。
同盟軍は、その大半が通常戦力――つまり一般兵だ。訓練こそ受けているものの、神の加護などあろうはずもなければ、武装召喚術の使い手などでもない。武装召喚師は、帝国軍、仮政府軍含めても十五人しかおらず、それら武装召喚師が召喚武装を提供する、などという芸当ができるはずもない。複数の召喚武装の同時併用というのは、術者に多大な負担を強いるものだ。もしそのような運用法が可能であれば、同盟軍の戦力は大幅に強化されることだろうが、そうはいくまい。一朝一夕にできることではないし、負担が増大した結果、戦力が激減する可能性のほうが高い。
武装召喚術の総本山リョハンですら、複数の召喚武装を併用する武装召喚師は稀だ。
つまり、セツナ自身、とてつもない負担の中で戦っているということだが、セツナは、そのことを苦にしている場合ではなかった。神々と対等以上に渡り合うためには、完全武装状態を使いこなさなければならないのだ。完全武装状態は、七つの召喚武装の同時併用だ。その負担たるや、言語を絶するものであり、表現のしようのないものだった。
「これでも、損害は少なくて済んだほうだろうな」
などと極めて冷静に振り返ったのは、エリルアルムだ。ソウルオブバードの能力を解除した彼女は、先程までの冷酷な天使のような様子からは一転して、同盟軍総大将の風格を纏っていた。
マルウェールでの戦闘が終わり、戦場では負傷者の治療や戦死者の遺体の回収作業などが行われている。負傷者の治療に当たるのは、医療班だが、帝国軍の武装召喚師が数名、治療のため奔走していた。回復系召喚武装の使い手たちなのだろう。回復系召喚武装は、極めて難易度の高い部類であり、ある種の特別な才能が必要とされている。一定以上の技量があればだれでも使えるのであれば、だれもが回復用の召喚武装を用いるようにするだろう。しかし、どうやらそういうわけにはいかないらしい。逆に、回復系の召喚武装の使い手というのは、攻撃系の召喚武装に不向きだという話もあるらしい。
そういう意味では、グロリア=オウレリアは特別なのだろう。彼女は、攻撃系のメイルケルビム、回復系のエンジェルリングを使いこなしている。天才中の天才というものなのかもしれない。
「三百体の神人を相手に戦死者千名で済んだ……か」
それは、確かにその通りというほかないのだが、しかし、セツナとして見れば、もっと被害を抑えることができたのではないか、と考え込まざるをえないのだ。後先考えず、完全武装状態で突っ込んだなら、間違いなく損害を減らすことはできただろう。その結果、つぎの戦いで消耗しきった状態になるのが目に見えているから無理はできなかったのだが、だからといって、死者の数を少しでも減らすことができたのなら、そうするべきだったのではないか。
無論、つぎの戦いこそが本番であり、本番に全力を発揮できなければどうなるかわかっている以上、必要な犠牲と飲み下すしかないのだ。つぎの戦いでセツナがやり遂げならなければならないことは、この戦いの比ではない。
神人の殲滅ではなく、方舟に乗っているであろう神と敵指揮官の撃破なのだ。そのためには、少しでも力を温存しておかなければならない。
でなければ、同盟軍が全滅することだってありうる。
そのために多少の犠牲には目を瞑るしかないという現実を認めるほかないのだから、苦しいとしかいいようがなかった。
それでも、エリルアルムは、セツナに向かってこういうのだ。
「セツナがあの超大型を速攻で倒してくれたおかげだ。同盟軍を代表して、感謝を」
「当然のことをしたまでです、総大将殿」
そうはいったものの、エリルアルムの感謝の言葉に少しだけ気が軽くなったのは事実で、彼女の気遣いにセツナのほうこそ感謝した。
「そうそう、セツナはセツナにしかできないことをしただけだもんな」
といってきたのはシーラだ。どこか物足りないといった様子を見せる彼女だが、その本音がどこにあるのかはいまいち不透明だ。ファリアが彼女に同意した。
「役割分担は重要よね」
「ファリアだって」
「どうしたの? シーラ」
「俺は……なにもできなかったな、って」
シーラが憮然とした表情で、戦場を見遣る。神人と武装召喚師の激突によって荒れ果てた戦場には、戦死者の亡骸を探すものや、同盟軍陣地へと運んでいく兵士たちの姿があり、その痛ましさは戦勝の風景には見えない。まだ緒戦に勝利したばかりであり、ネア・ガンディア軍との本当の戦いはこれからなのだ。マルウェールの結果を知ったネア・ガンディア軍がこの戦場に辿り着くまでには、まだしばらくはかかるだろうが、浮かれている場合ではない。
戦場を見遣るシーラの横顔からは、浮かれているとか浮かれていないとか、そういうことではなさそうな心情こそわかったものの、やはり彼女がなにを想っているのかは、はっきりと伝わっては来ない。
「そんなことはないわよ」
「そうだぞ」
「うむ」
「……そうかな」
シーラは、手にしたハートオブビーストを見下ろし、深刻な表情をした。
「……もう少し、動けるかと思ってたんだ。でも、体が想うように動いてくれなくてさ」
「それは仕方がないわよ。二年以上、眠り続けていたようなものなんだから。あれだけ動けただけでも奇跡的よ」
ファリアがシーラにいったのは、慰めでもなんでもなく、ただの本音だろう。実際問題、シーラの動きは、確かに彼女の全盛期に比べれば微妙に見える部分もあったが、病み上がりであることを考えれば、十分以上といってよかった。ハートオブビーストを携え、戦場を駆け抜けるシーラの姿は、まさに獣姫そのひとであり、彼女のことをよく知る仮政府軍の将兵は、その光景に興奮を隠せなかったようなのだ。シーラは、その勇猛果敢さと美しさから、ガンディア軍人に一定以上の人気があった。彼女の存在そのものがガンディア軍人からなる仮政府軍将兵を鼓舞したのは疑いようもない事実なのだ。
それはファリアにもいえることで、どうやら、セツナ自身にもいえることのようだが。
英雄の帰還は、ガンディアの軍人たちには大いなる励みとなるらしい。
その程度のことが同盟軍の戦意高揚に繋がるのであれば、大いに活用すればいいのだ。幾多の敵を倒し、ガンディアの進路を切り開いてきた黒き矛のセツナそのままに敵陣に突貫し、風穴を開けてやればいい。それが自分の役割だ。それしかできないといっても過言ではあるまい。セツナは、自分が器用な人間だと想ったこともなかった。不器用で愚直、ただひたすら真っ直ぐに突き進むことしかできない。そんな自分を愚かだとは想うこともあるが、他人に笑われても構いはしないと吹っ切れてもいる。
どうせ自分にはこのような生き方しかできないのだ。
なにを恥じることがあるのか。
とはいえ、シーラもまた、シーラなのだ。彼女の心に踏み込むような言葉を安易に吐き出すこともできず、彼は手探り状態のまま、口を開いた。
「ファリアのいうとおりだ。シーラはシーラのやり方で、戦いの勘を取り戻していってもらえばいいんだ。そして、くれぐれも無理はしないようにな」
「……それで、貢献できるのかな」
「できているさ。シーラがいなかったら、損害はもっと大きかったんだ。助かってる」
「でも、これじゃあ駄目だ」
シーラが斧槍を握りしめたまま、空を仰ぐ。長い白髪が揺れる中に見えた青い瞳は、落ち行く日を映していた。
「これじゃあ、駄目なんだよ」
彼女の決然たる声音には、覚悟を感じさせるものであり、セツナは、不安を覚えずにはいられなかった。無茶をするな、無理をするな、などと言葉でいくらいったところで、彼女の覚悟を変えることなどできまい。
セツナの周りには責任感の塊のような人間ばかりがいる。
シーラもそのひとりだ。
そしてその責任を肩代わりすることなど、他人にできるはずもないのだ。
だから、セツナは、彼女に負担がかからないよう、無理をせずに済むように心がけることしかできないのだ。