第二千百八十六話 マルウェール神人戦(二)
「さすがはセツナ殿ですな」
レーヴェン=シドルは、弓で遠方の神人を的確に狙撃しながら、まるで身内のことのように喜んで見せた。銀蒼天馬騎士団幹部であり、エトセアの騎士のひとりである彼が手にしているのは、弓型の召喚武装・千光弓だ。かつて黒獣隊幹部であり弓の名手として知られたリザ=ミードが用いていた代物であるそれは、龍府戦役後、九尾によって回収され、龍府にもたらされた。当初は、黒獣隊幹部を弔うため、厳重に保管されていたが、戦力増強の必要性に迫られた仮政府首脳陣によって解禁、ほかの召喚武装ともども武装召喚師が在籍する銀蒼天馬騎士団に任されたのだ。
ミーシャ=カーレルが用いた篭手型召喚武装・破山砕河拳は、同じく騎士ゴーザ=リヴォンが愛用しているし、クロナ=スウェンが用いていたソウルオブバードは、エリルアルムが手にしている。以前、銀蒼天馬騎士団に在籍していた二十名の武装召喚師は、龍府戦役においてその半数が戦死し、戦力が激減したが、三つの召喚武装の使い手が誕生したことにより、ある程度は回復したといってよかった。
ちなみに、ウェリス=クイードが用いたストーンクイーンは、銀蒼天馬騎士団ではなく、竜宮衛士が所有しており、龍府の守りの切り札となっている。使い手は、リュウガ=リバイエンだ。当然、龍府の守りの要がこの戦場に来ているわけもない。
長い髭のレーヴェンを横目に見て、エリルアルムは、彼がなぜにそこまで喜んでいるのかを察する。レーヴェンもそうだが、銀蒼天馬騎士団を形成するエトセアの遺臣たちというのは皆、エリルアルムと長らく苦楽をともにしてきたものたちだ。エリルアルムの人生設計について様々に考え、それぞれに持論を展開できるほど、エリルアルムのことを想ってくれてもいた。そんな彼らにとって、セツナの存在は非常に重要といっていいのだ。
エリルアルムがガンディアを訪れることになったのは、とりもなおさず、政略結婚のためだった。小国家群北西端の国であるエトセアにとって、小国家群の中央から物凄まじい速度で勢力拡大を続けるガンディアは驚異的な存在であり、できるならば味方につけたい国だった。ガンディア王レオンガンド・レイ=ガンディアが掲げる小国家群統一がなれば、小国家群が三大勢力に蹂躙されずに済むのではないか、という希望もあった。
小国家群は、その立場上、常に三大勢力の脅威に晒されていた。その脅威を消し去るには、小国家群そのものがひとつの勢力となり、大陸に新たな均衡を作るしかない、というのはレオンガンドの考えであり、エトセア国王にしてエリルアルムの父ラムルダルカは、レオンガンドが掲げる理想に共鳴し、ガンディアとともに小国家群の統一を行うべく、ガンディアとの同盟を申し出たのだ。ただ同盟するだけでは物足りないから、王女エリルアルムをガンディアの英雄セツナに輿入れさせようと考えた。
エリルアルムの周囲は、政略結婚の話が聞こえたとき、沸きに沸いたものだ。なぜかといえば、だれもがエリルアルムの将来を心配していたからだ。ただひたすらにエトセアの勝利のため、戦場に身を置き続けるエリルアルムには浮いた話のひとつもなかった。それもそうだろう。恋だの愛だのにうつつを抜かしている暇など、彼女にはなかったのだ。しかし、それが周囲を心配させることになろうなどとは考えてもいなかったし、まさか、政略結婚の話で盛り上がることになるとは、思いもよらなかった。
たとえ政略結婚でも、エリルアルムが結婚することができるというだけで、周囲は沸きに沸いたのだ。
その上、セツナに実際にあってみると、中々いい男であり、エリルアルムを必ずや幸せにしてくれるだろう、などと、レーヴェンたちがいうものだから、エリルアルムもついその気になったものだった。
それも、いまや昔。
(まあ、あの程度はやってのけるさ)
エリルアルムは、ソウルオブバードを手に戦場を駆けながら、セツナが超大型の神人を撃破した瞬間の光景に想いを馳せた。セツナならば、その程度は容易い、と、思わせる。しかし、実際のところはどうなのか。異形化した人間である神人は、ただの人間とは比べ物にならないほどの力を持っている。セツナたちのもたらした情報により、その力の源が神威――神の力であることが知れ渡り、神人がいかにしてその力を得たのかがわかったいま、その圧倒的な膂力と生命力の謎については解明できたが、故にこそ、絶望的ともいえた。これまで対峙してきたどのような敵とも比較できないほどだ。神人にも個体差があり、低強度の神人ならばエリルアルムたちでも相手になるが、超大型のような高強度の神人ともなると、ただの武装召喚師、召喚武装使いでは太刀打ちできないほどに凶悪であり、圧倒的だった。
セツナは、軽々と撃破して見せたように思えるのだが、本当のところはどうなのだろう。五本の指を触手のように伸ばしてきた神人の攻撃を捌きながら、エリルアルムは考える。槍を旋回させることで指をすべて切り落とし、踏み込み、腕を切り飛ばし、肩口から斜めに切り下ろす。切れ目に“核”を認識した瞬間には槍を回転させ、石突を叩き込んでいる。“核”の破壊により、神人はその生命力を失い、肉体を崩壊させた。
(セツナ……あなたは)
彼方、セツナの苛烈な戦いはいまも続いている。
マルウェールの廃墟にいた神人は、その大半が方舟の砲撃によって一掃された。しかし、神威砲によって消滅したのは、極めて強度の低い神人だけであり、一定以上の強度を持つ神人は消滅を免れていた。その数、三百は超えるだろう。とはいえ、数万体もの神人が数百体にまで減少したのだから、神威砲が無駄だったわけではない。むしろ、極めて効果的だったというほかない。
神威砲が神人を間引いてくれたおかげで、勝算が生まれた。
もし、数万もの神人と相対することになれば、同盟軍の壊滅を覚悟しなければならなかっただろう。
どれだけセツナが強くとも、数の暴力の前には為す術もないはずだ。
高強度の神人を一手に引き受けるセツナを一瞥しつつ、エリルアルムは、部下と連携しつつ、低強度の神人の撃破に全力を上げた。
戦場は、激しさを増す一方だ。
同盟軍一万五千対マルウェールの神人数百体の戦いは、決して一方的なものにはならない。
なぜならば、神人一体の力は、常人の数百倍といっても過言ではなく、通常戦力では太刀打ちできないからだ。神人が指を伸ばし、鞭のように薙ぐだけで数十人の命が消し飛ぶ。神人が光波を放つだけで部隊が消滅する。神人が全力を発揮すればどうなるか。一万五千の大軍勢も瞬く間に塵と消えるだろう。兵力差はこちらのほうが圧倒的でも、戦力差は依然、神人のほうが遥かに上なのだ。
故にこそ、自分たちが気張らなければならない。
ファリアは、数十の神人を視界に捉えると、後先も考えずオーロラストーム・クリスタルビットを発動した。怪鳥が広げた翼から無数の羽根が飛び散り、電光の糸がそれらを結び、怪鳥の翼を肥大させていく。オーロラストームがまさに巨大化し、すべての結晶体が発電によって輝きを増す。射線上、味方はひとりもいない。当然だ。ファリアはいま、敵陣を右翼から捉えている。射線は、直線ではない。前方扇状の広範囲が、最大火力の射程範囲となる。
射線上の神人の何体かがファリアの思惑に感づいた。こちらに顔を向け、地を蹴った。飛ぶ。凄まじい速度だ。一足飛びに間合いを詰め、ファリアを攻撃範囲に収めると、腕や指を伸ばしてくる。光波を放つものもいた。だが。
(遅いっ!)
ファリアは、胸中で叫ぶと、オーロラストームの最大火力を解き放った。紫白の光が視界を塗り潰し、電熱の余波が皮膚を伝う。燃え上がるような、痺れるような感覚。しかし、自身にはなんの影響もない。それはそうだろう。いくら最大火力とはいえ、自分自身にまで影響するような攻撃は、制御しているとはいえない。制御できない力など、使うべきではないのだ。
爆発的な電熱の奔流が前方扇状の広範囲を焼き尽くし、破壊の限りを尽くす。それも一瞬のことではない。数秒間、徹底的にだ。射程に納めた数十の神人のうち、半数でも“核”を破壊できれば儲けものだが、果たして、成果はどんなものか。
視界が正常化すると、オーロラストームの最大火力は、少なくともファリアに殺到した数体は消し飛ばしていた。そして、射程範囲に収まった神人の大半が跡形もなく消え失せており、残った神人も“核”を露出させた結果、味方の追撃によって破壊され、消滅していった。
つまり、ファリアの狙いは上手くいったということだ。
実際、そこから戦況は大きく動いた。
同盟軍が神人を圧倒し始めたのだ。
シーラがハートオブビーストの能力を発動させ、エリルアルムがソウルオブバードの能力を発動させたことも大きければ、セツナが縦横無尽に戦場を走り回ったことも、大きい。
やがて、マルウェールの戦いは、同盟軍の勝利に終わった。