第二千百八十四話 反撃の狼煙
同盟軍がマルウェール付近に到着し、布陣を完了させたのは、五月二日。
仮政府軍の主力である銀蒼天馬騎士団を中央に両翼に帝国軍の部隊を展開させた陣形であり、セツナたちは、銀蒼天馬騎士団とともに最前線にあった。
開戦予定地点とはいえ、ネア・ガンディア軍の姿は影も形もなく、あるのはマルウェールの神人の群れだけだ。その神人の数たるや数万を超えるため、迂闊に手出しすることができないということは、作戦会議でも触れている。先制攻撃とばかりに生半可な攻撃をした途端、手痛い反撃を喰らい、戦場に展開した軍勢は半壊の憂き目を見ることになりかねない。それほどまでに神人というのは凶悪だ。
神人による大攻勢を受けたリョハンがそれでも切り抜けることができたのは、大量の武装召喚師を投入することができたからであり、通常戦力では太刀打ちできる数ではない。セツナならば、戦える。しかし、数が数だ。マルウェールの神人を殲滅するために完全武装を用いるのは、消耗の激しさも考えてありえないし、黒き矛一本では時間がかかる上、負傷の可能性も低くはない。いくら黒き矛が強力無比であっても、数で圧倒されれば、隙を突かれることもありうる。
そのため、マルウェールに注意を向けながら、上空からの開戦の合図を待つ以外にはないのだ。
上空からの開戦の合図とは、無論、方舟のことだ。
同盟軍の進発より遅れること一日以上後、龍府付近を出発したはずの方舟は、既に同盟軍の頭上にあった。
空を埋め尽くす鉛色の雲の下、燦然と輝く十二枚の翼を生やした方舟の存在感たるや、真冬の太陽の如くであり、その頼もしさたるや、セツナをして安堵を覚えさせるものだった。とはいえ、その方舟の大きさ、規模というのは、やはり、ネア・ガンディアの方舟と比べるとどうしようもないくらいの差があった。
「同じ神威砲でも、船の規模が違うからな。同じだけの威力は期待できないぞ」
「殲滅は期待するなってこったろ」
「ああ」
「それは聞いたよ」
馬上、シーラが苦笑まじりにいった。彼女は、仮政府が保管していたシーラ用の白甲冑を身に纏い、ハートオブビーストを手にしている。臨戦態勢といったところだ。
セツナの馬に同乗したファリアも、既にオーロラストームの召喚を済ませていて、青の軽鎧を身につけている。軽装の鎧を好むのは、武装召喚師ならば当然といっていい。召喚武装によって身体能力が引き上げられる武装召喚師たちは、敵の攻撃を受けるよりもかわすことのほうが多いからだ。そして、そのほうが生存率は高まる。
「それにネア・ガンディアがマルウェールへの攻撃を認識して、動き出すまでの時間差は、わたしたちにとって有利に働くわ。ネア・ガンディアが本腰を入れる前にマルウェールの神人を殲滅できるものね」
「その通りだ」
それが、この作戦の要となる。
つまり、この開戦予定地点にネア・ガンディア軍が展開していなかった時点で、勝ち目があるということだ。逆をいうと、もしネア・ガンディア軍がこちらの動きを知り、マルウェール付近に軍を展開していれば、万が一にも勝利の可能性はなかったかもしれない。マルウェールへの砲撃を妨げられれば、数万の神人とネア・ガンディア本隊を相手にしなければならなくなるからだ。それでは、戦術通りに戦闘を進めることができなくなる。
(ま、俺がやることは変わらんがな)
セツナは、召喚済みの黒き矛の柄を握りしめ、その禍々しい矛の姿に頼もしさすら感じながら、反撃の狼煙たる号砲を待った。身につけているのはいつもの黒装束であり、鎧兜の類は着込んでいない。鎧ならばメイルオブドーターがあるのだ。鎧を二重に着込むとなると、さすがに重くなる。
《そろそろ、よいか?》
「ああ」
脳内に響き渡ったマユリの聲に、セツナは、ただうなずいた。全軍、戦闘準備は完了していて、あとは方舟の砲撃を待つのみといった状態だった。全軍、戦意は高水準で維持できており、いつ開戦となっても問題はないだろう。各軍各部隊の武装召喚師たちも、召喚武装を携えている。なんの問題もない。
《では、ゆくぞ》
マユリのその聲とともに、方舟の十二枚の翼が最大限に広げられた。翼の光がより強く烈しくなったかと想うと、その光が船体を伝い、船首に収束していく。膨大な量の神威が一点に集中するだけでその周囲の空間に歪みが生じた。莫大な量の神威は、網膜を灼くほどに強烈な閃光となり、一瞬、上空を純白に染め上げた。白く塗り潰されたのは一瞬の出来事であり、つぎの瞬間、轟音が天地を揺るがした。見ると、爆発が閃光の奔流となって、セツナたちの左前方――マルウェールを飲み込み、その光の中で多数の神人が跡形もなく消滅していく様がセツナにはわかった。
《あとは、任せてよいのだな?》
「ああ。無駄打ちはしなくていい。そっちは、頼んだぜ」
《任せよ。ミリュウたちとの再会を楽しみにするがよいぞ》
「おうよ!」
方舟が船首を回頭させるのを尻目に、セツナは勢い良くうなずくとともに馬の腹を蹴っていた。片手で手綱を捌き、軍馬を走らせる。もはや馬の扱いには慣れたもので、マルウェールまでの道のりに迷いはなかった。馬も、セツナの自信に満ちた手綱捌きに安堵しているのか、猛然と突き進む。マルウェールを包み込んでいた爆発光は既に消え去り、生き残った神人たちが動き出していた。
前方、廃墟より姿を見せたのは、マユリの神威砲を生き残った高強度の神人ばかりであり、大多数の低強度の神人は、砲撃に耐えきれず、消滅している。セツナが感知したところでは、神人の数は、十分の一どころか百分の一以下にまで低下しているようだった。
「我らが神様はさすがだ」
「マユリ様が味方になってくれて良かったわね」
「本当にな」
「でもよ、敵にもいるんだよな? 神様」
「ああ」
だからこそ、厄介なのだ。
ネア・ガンディアが神など関係のないただの軍勢ならば、なんの問題もないといい切れる。セツナひとりでも殲滅しうるといっていいだろう。しかし、現実はそうではない。ネア・ガンディアこそ、セツナたちが神軍と呼称していた神々の軍勢なのだ。その戦力たるや、これまでこの世界に存在したあらゆる軍勢を遥かに凌駕しており、まともに太刀打ちできるものなど存在しないといっても言い過ぎではないだろう。セツナですら、ひとりでは正面から戦うことなどできるわけがなかった。
神々が味方しているのだ。
神の力は、マルウェールへの攻撃を見れば明らかだ。人間とは格が違うどころの話ではない。次元が違うのだ。比べること自体、不遜といっていい。並の武装召喚師では神に攻撃を加えることはできず、強大な力を持った武装召喚師でも、対等に戦うことさえできまい。
完全武装状態のセツナですら、決定打を与えることさえできていないのだ。
だが、それでも、セツナは戦わなければならなかった。
神々こそ、この世界の歪みを生み出す原因に違いないのだ。
少なくとも、この世界が滅亡に瀕しているのは、神々が野放図なまでに神威を撒き散らしているからにほかならない。世界を滅亡より救うには、神々を送還するか、説得するか、滅ぼすかしかない。送還が不可能なのであれば、説得するしかなく、説得に応じてくれない神々には黒き矛の力をもって滅び去ってもらうしかないのだ。故に、セツナは完全武装を使いこなし、神々をも圧倒する力を見せつけなければならない。
ましてや、ネア・ガンディアが神々の力を使い、世界を征服しようというのであれば、なおさらだ。
大型の神人が廃墟から姿を見せた。わずかに残ったマルウェールの城壁よりも遥かに図体のでかい白い巨人。その姿は、戦鬼グリフの真の姿を想起させた。しかし、グリフのそれとは明らかな違いがある。グリフには自我があり、己の意志で攻撃を繰り出してきた。神人は、ただ、攻撃されたことに対する無意識的な反撃を行ってくるだけなのだ。そこに自我はなく、自意識もない。
のっそりのっそりとこちらに向かってくる神人に一種の哀れみを禁じ得ないのは、それらが元人間だという事実があるからだ。高純度の神威を浴び、容易に死ぬことも許されぬ化物に成り果てたのだ。そこに同情せずして、なにを想えというのか。
だが、しかし。
(済まない、などとはいえねえさ)
謝罪して、どうなるものでもない。
謝れば許されるのか。
頭を垂れ、誠心誠意謝り倒せば、神人たちは救われるのか。神人となったものたちの魂は浮かばれるのか。そんなわけがあるはずもない。もはや人間の心さえ失った彼らを救う方法など、あるものだろうか。
セツナにできることは、ただひとつだけだ。