第二千百八十話 機運、高まる
ネア・ガンディアからの降伏勧告に対する仮政府の対応が決まると、龍府では、徹底抗戦の機運が高まっていった。
龍府には、数日のうちにザルワーン方面軍第一軍団、銀蒼天馬騎士団、龍宮衛士といったマルウェールから龍府に向かっていた仮政府軍の軍隊が到着し、クルセルクを負われた帝国軍の残党もつぎつぎと龍府に入った。
その帝国軍だが、ネア・ガンディア軍の猛攻を受けながらも命からがらザルワーン方面に入り込むことができたという話であり、“大破壊”直後は二万を誇った総兵力もいまや一万程度に落ち込んでいるという話だ。これまで帝国軍に対する攻撃の手を緩めていたはずのネア・ガンディア軍が突如として牙を剥き、掃討戦に入ったのは、帝国軍と仮政府軍の合流を防ぐためか、それとも、ただの気まぐれなのか。前者の可能性が高いが、後者の可能性も捨てきれなかった。なぜならば、仮政府軍との合流を防ぐつもりであれば、最初から帝国軍を殲滅しておけばいいからだ。マルウェールを一撃の元に壊滅させることができるような軍勢が、帝国軍二万程度に手間取るとは考えにくい。
要するに、白毛九尾の存在によってザルワーン方面進出の目処が立たないため、適度に攻撃し、クルセルク方面から追い散らす程度にとどめていたのが、いまになって目障りになった、というところだろう。
そんな帝国軍がザルワーン方面への受け入れを快諾した仮政府に対し、共同戦線の構築を申し出た。これは、当初の予定通りの行動であり、仮政府もこれを承諾、仮政府と帝国軍残党の同盟が締結される運びとなった。
絶大な戦闘力を誇るネア・ガンディアに徹底抗戦するという事実は、グレイシアの意向により、龍府市民に包み隠さず明らかにされた。グレイシアは、龍府に住むひとびとには、なぜガンディアへの帰属を望む仮政府がネア・ガンディアと敵対する必要があるのかについて、正しい認識をして欲しいと願ったのだ。
龍府市民は、かつてのザルワーン国民だが、ザルワーンがガンディアに併呑されてからというもの、ガンディア国民としての意識を持ち始めていた。彼らが仮政府を受け入れたのも、ガンディア時代こそ、龍府の、ザルワーン方面の黄金時代に等しいという認識があったからだろう。五竜氏族による統治は、支配階級と被支配階級の明確な差が明暗そのものとなり、一般市民には決して住みやすい世界ではなかったのだ。ミレルバス=ライバーンによる改革が持て囃されていたことがそれを裏付けている。果たして、ガンディアによる統治は、当時のザルワーン一般市民にとって諸手を挙げて受け入れるほどのものであり、以来、ザルワーン方面はガンディアの一部として機能していった。
そんな地域だ。
市民も、ガンディアへの帰属を強く望み、そのために仮政府を応援し、太后グレイシア、王妃ナージュを推戴したのだ。
そういう状況下にあって、新生ガンディアを名乗る軍勢が現れ、降伏するよう迫ってきた。しかも、相手は、主の名をレオンガンド・レイグナス=ガンディアと告げてきている。ガンディア国王レオンガンドが立ち上げた軍勢であることは明らかで、ガンディアへの帰属を願うのであれば、降伏勧告に従うべきだと考えるのが普通だ。たとえネア・ガンディアがマルウェールを滅ぼしたとしても、そこには、眼を瞑るものだろう。
しかし、グレイシアは、そういうわけにはいかない、と市民に当てた声明で告げている。
ネア・ガンディアは、マルウェールを攻撃しただけでなく、壊滅させ、一般市民を無意味に虐殺している。そのようなことを行う連中に降伏したところで、どのような目に遭うかわかったものではない。なにより、マルウェールで殺された市民たちは、異形症の末路のような有様と成り果て、死んでも死ねない状態だというのだ。ネア・ガンディアに降伏するということは、そのような末路も受け入れなければならないということであり、仮政府首脳としては、受け入れるわけにはいかない、と、グレイシアは断じた。
また、ネア・ガンディア国王、獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアをレオンガンド陛下の名を騙る偽者と断罪。ネア・ガンディア自体、ガンディア国民を取り込むための方便であり、欺瞞に過ぎないと切り捨てた。
たとえザルワーンの地が血に染まろうとも、ガンディアの国土を偽者の王が治める虚構の国に明け渡すわけにはいかないのだ、というグレイシアの声明は、龍府市民に仮政府の判断を支持させるとともに、仮政府軍の戦意を否応なく奮い立たせた。
声明文の発表以来、龍府中が仮政府に奮起を促す熱狂の渦に包まれており、龍府市民がいかにガンディアという国に愛着を持ち、レオンガンドを敬愛していたかが窺い知れるとともに、ネア・ガンディアに対する怒りの烈しさも理解できるというものだった。
「殿下には扇動家の才能がお有りなのかも」
声明文を読み終えてだろう。ファリアが感嘆するようにいった。
「あれだけの檄文を飛ばされて奮起しない奴はいないだろうな」
セツナも、既に声明文を読み終えていて、グレイシアの辛く苦しい胸の内を垣間見たような気分になっていた。グレイシアとしては、レオンガンドの生存をいつまでも信じたかっただろうし、レオンガンド・レイグナス=ガンディアに一縷の望みを託したかったはずだ。できれば、降伏してでも、ネア・ガンディアの国王に謁見し、顔を拝みたかったはずだ。だが、それは叶わない。なぜならばグレイシアは仮政府の首脳なのだ。仮政府の頂点にあって、ザルワーン方面の統治を預かっている身の上なのだ。私情では、動けない。
もちろん、レオンガンドがマルウェール攻撃のようなことをするはずがない、ということは、セツナと同じくらいには想っているだろうが、それでも、という気持ちもあるはずだ。ナージュが最後まで諦めきれなかったように、実の母であるグレイシアもまた、レオンガンドを望んでいるのだ。
だが、それはそれとして、仮政府首脳として、仮政府軍の士気を高揚させるための檄文を書くこともできるのが、グレイシアの強かさというか、長年培ってきたものだろう。ナージュには、そのような強さはないし、激昂し続けるリノンクレアも少々危うさがある。常に微笑を湛え、あらゆる感情を飲み込んで冷静に対処できるのは、やはり、グレイシアくらいしかいないのだ。
「はあい、おふたりさん。こっちの準備は整ったわよ」
極めて気楽な声が聞こえてきて、セツナは、奇異なものを感じた。見遣る。ミリュウが、方舟の搬入口から出てくるところだった。
場所は、龍府の外だ。方舟の発着場代わりに使っている平地には、セツナとファリアのほか、数台の馬車だけが止まっている。馬車には、方舟に運び込むための物資が積み込まれていたのだが、その運び込みがようやく終わったようだった。それら物資は、ログナーにいるかもしれないひとびとのためのものであり、乗船員の荷物とは別のものだ。
「ミリュウ……」
「なによ? 改まっちゃって」
「おまえ、本当にだいじょうぶか?」
「なにが?」
ミリュウは、セツナの前で立ち止まると、不思議そうな顔をした。真っ赤に染めた髪を見ると、妙に安堵を覚えるのは、やはり彼女といえば赤という認識があるからかもしれない。もっとも、白金色の髪も似合っていて素敵だったのは、嘘ではない。
「無理してんじゃないだろうな?」
「なんでそうなるのよ」
「いや……なんでっていわれてもな……」
きょとんとするミリュウの反応があまりにも素のままの彼女だったこともあり、セツナは、なんともいいようがなかった。
(なんとなく、としかいいようがねえよ)
ミリュウは、二方面作戦を提案したときから、妙に張り切っていた。自分が提案者ということも関係あるのかもしれないが、それにしたって、戦いにこれほど乗り気なミリュウを見るのは、初めてのことではないかというくらいのはしゃぎっぷりだった。だからこそ違和感を覚えるのだし、不安も抱くのだ。本当にだいじょうぶなのだろうか、と。
「あたしが心配なんだ?」
「当たり前だろ」
「エリナやレムはいいのかなあ?」
「いまはふたりのことは関係ないだろ」
「どうだか」
ミリュウが訝しむような顔をした。後ろ手に手を組み、いたずらっぽくはにかんでくる。
「でも、ありがと」
その笑顔がいつもより可憐で、セツナは思わず見惚れた。
「心配してくれて、さ。でも、だいじょうぶよ。あたしはあたしにできることがあって、あなたにはあなたにしかできないことがある。だから、少しの間離れ離れになるだけ。ほんのちょっぴり寂しいけど……ううん、とってもとっても寂しいし、離れたくなんてないけど、あたしにしかできないことだと思うし」
「ミリュウ……」
「だから、なんの心配もいらないわ。レムもエリナも、ダルクスもいるし、いざってときにはマユリんが護ってくれるでしょうし」
「ああ……そうだな」
確かに彼女のいうとおりだ。
マユリ神が同行する以上、なんの心配もいらないのだ。
そのことを思い出すと、不安がわずかばかり薄れた。それでも完全に拭いきれないのは、やはり、ネア・ガンディアの戦力が未知数だということが大きい。神々を従える神皇、その配下たちの実力など、想像するべくもないのだ。
「そんなに不安ならさ、こっちをとっとと片付けてよね」
またしてもいたずらに笑う彼女には、返す言葉もなかった。その通りだ。こちらを素早く片付ければ、それだけ早くミリュウたちを救援に向かうことができるのだ。
そうだ。
それなのだ。
セツナは、力強くうなずくと、一歩進み出た。困惑するミリュウを抱きしめ、告げる。
「任せろ」
セツナの想いは、既に戦場に向かっていた。