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第二千百七十九話 シーラ、その想い


 その日、龍府の頭上には抜けるような青空が広がっていた。

 雲ひとつない、というほどではないにせよ、天の広大さを見せつけるような群青の多さは、意気を吸い上げるほどに美しく、澄み切っている。

 そのことに気づいたシーラが呆然としたのは、このような空を見るのは、初めてのことだったからだ。イルス・ヴァレの空というのは、いつだって、どこか濡れたような、滲んだような青さが特徴的だった。しかし、いま見上げる空は、ただひたすらに青く澄み渡っているのだ。

 それが不思議でならない。

 だから、シーラは、隣の座席に腰を下ろし、古書を開いている少女に話しかけたのだ。

「なあ、エリナ」

「なあに?」

 エリナが書物を閉じ、こちらを横目に見上げてくる。その挙措動作がいかにも愛らしい。エリナは、いつだってシーラたちの心を和ませてくれる、必要不可欠な存在だった。彼女が武装召喚師として立派にやれているという話をミリュウから聞いたときは驚くよりもむしろ当然のことと想ったし、嬉しくもあったが、同時に少し苦しくもあった。武装召喚師として戦場に立つということは、痛みを覚えることもあるということだからだ。エリナには、そういった痛みを覚えて欲しくはない――というのは、傲慢な考えだろうか。

 ふたりはいま、馬車の客車に座っている。客車の天蓋は、開閉式であり、開放することで快晴の空を見せてくれていた。

 馬車は、天輪宮から龍府内のある場所に向かっている。

「空……なんか変じゃねえか?」

「変?」

「なんつーか、その、綺麗すぎるっていうかさ」

「……そうなの。不思議なの」

 エリナが空を仰ぎ見た。その瞳に映る空もまた、青く澄み切っている。

「“大破壊”からずっと、こんな空なの」

「“大破壊”から……か」

 シーラは、エリナの真似をするように空を仰ぎ見て、考え込んだ。シーラが白毛九尾を顕現させ、意識を失っている間、この世界にはこれまでの常識を覆すような出来事が起きていた。そのひとつが“大破壊”とセツナたちが呼んでいる事象であり、世界中を巻き込んだ未曾有の天変地異は、ワーグラーン大陸を引き裂き、ばらばらにしてしまったという。そうして、ザルワーン方面はクルセルク方面などとともにひとつの島となり、大海原が別の島や大陸との繋がりを隔絶しているのだ。話を聞いただけではにわかには信じがたいことだったが、方舟の展望室から見た景色は、セツナたちの説明を裏付けるものであり、さすがのシーラも認めざるを得なかった。

 世界は、破壊されたのだ。

 その破壊の影響が空にまで及んでいる可能性は、決して低くはあるまい。

 世界そのものの形を大きく変えてしまったのだ。自然の摂理さえも変わり果てたとして、なんら不思議ではない。

「俺にはなにがなんだかさっぱりでさ、話についていくこともできやしねえ」

「シーラお姉ちゃん、ずっと狐様だったんだもんね……仕方ないよ」

 エリナが、はたとなにかを思い付いたかのように表情を変えた。

「でもでも、太后様や王妃様がシーラお姉ちゃんに感謝してたし、龍府のひとたちだって、皆して九尾様、九尾様っていってたよ」

「あ、ああ……ありがとう」

 シーラは、エリナの気遣いに感謝するとともに、自分が彼女に気遣わせるほど深刻な表情をしていたのではないかと想い、憮然とした。エリナにまで気を使わせるのは、本意ではない。

 エリナのいうようにグレイシアを始めとする仮政府首脳陣は、シーラの二年以上に渡るザルワーン方面の守護に対し、心からの感謝を示した。それもただの言葉や態度だけではない。公文書として記録され、また、シーラの功労に対する褒賞として多額の金品が下賜されることとなっていた。シーラの意識喪失中のこととはいえ、シーラがハートオブビーストを用いて行ったことなのは間違いないため、感謝の言葉も褒賞金も受け取るつもりだ。その金は、今後、セツナたちの活動に役立つことだろう。

 また、龍府のみならず、ザルワーン各地には九尾教なる新興宗教が幅を聞かせていたという話も聞いている。白毛九尾を神として崇め讃えていた当該団体は、白毛九尾が姿を消したからといって即座に瓦解する気配は見せていないものの、どうやらその正体が明らかになったことで、脱退するものが少なくないらしく、いずれ自然消滅するのではないか、と見られているらしい。

 が、それはそれとして、白毛九尾の正体がシーラだと明らかになったことは、龍府のひとびとにとっても喜ばしいことであったらしく、シーラは、道行くひとびとに感謝の言葉をかけられたものだった。シーラは、龍府とそれなりに縁があり、龍府市民にも顔を知られた有名人だ。白髪も目立つ。見たことがなくとも、ひと目でシーラとわかるのかもしれない。

 そういう声は、素直に嬉しかったし、笑顔で応えたりしたのだが、一方で、失ったものについても考え込まざるを得なかった。

 馬車がやがて目的地に辿り着いたのは、春風も穏やかな午後のことだった。

 龍府には、いくつもの墓地がある。そのうちのひとつがシーラたちの目的地であり、エリナがシーラの部屋を訪れた理由だった。

 その墓地には、龍府戦役における戦死者の亡骸が葬られているという。当然、シーラとともに龍府戦役を戦い、戦死した黒獣隊幹部、隊士たちの亡骸も同様に埋葬されており、シーラは、エリナからその話を聞くと、いてもたってもいられなくなったのだ。

 ウェリス=クイード、クロナ=スウェン、ミーシャ=カーレル、アンナ=ミード、リザ=ミード。シーラの半生を支えてくれた彼女たちの魂を弔わずにはいられなかった。そのため、エリナに無理をいって、天輪宮を連れ出してもらったのだ。セツナは、休養しろとはいったものの、出歩いてはいけないとはいわなかったし、むしろ、エリナと一緒ならばどこにいっても構わないという認識だった。

 都市部から離れた場所にある墓地は、寒気がするほどの静寂に包まれていた。墓地内には、無数の墓石、墓碑が立ち並んでいて、中でも龍府戦役における戦没者の慰霊碑が大きく目立っていた。その慰霊碑には、黒獣隊幹部と隊士の名が、ほかの戦死者ともども刻まれているようなのだが、本人たちの墓は、別の一角に設けられていた。

 黒獣隊幹部ということで特別扱いしてくれたようだ。

 黒獣隊は、当時龍府の領伯だったセツナが肝いりで創設した近衛部隊だ。領伯近衛ともなれば、その扱いが丁重になるのは当然のことだったし、ウェリスたちの墓が特別に用意されたことはなんら不思議でもなかった。とはいえ、シーラは、戦後、彼女たちを特別扱いしてくれた仮政府の心遣いに感謝した。

 そして最初に慰霊碑に刻まれた黒獣隊士の名をひとりひとり心に刻みつけ、その魂の安らかなることを祈ると、幹部たちの墓へ向かった。

 五つの墓碑が、並んであった。そこに刻まれた名は、間違いなく元侍女たちのものであり、それを認識した瞬間、シーラは目頭が熱くなるのを止められなかった。視界が揺れる。

「ウェリス、クロナ、ミーシャ、アンナ、リザ」

 手入れが行き届いているのか、五つの墓碑の周囲には雑草のひとつも見当たらなかった。墓碑そのものが綺麗だ。まだ二年そこそこというのもあるだろうが、傷もなければ汚れてもいない。定期的に磨かれているということがよくわかる。それくらいの特別扱いを受けているのは、いつか、セツナが領伯として戻ってきたときのため、というのもあるのだろうが。

「俺は、生き残ったよ」

 生き残ってしまった、などとはいわない。

 生き残れたのだ。 

 ウェリスたちが身命を賭して護ろうとしてくれた命が、こうしていまを生きている。それはつまり、彼女たちの犠牲が決して無駄にはならなかったということにほかならない。そう、彼女たちの死は、無駄ではなかった。無意味ではなかった。不要なものではなかったのだ。

 必要な犠牲を払っただけのことだ。

「全部、皆のおかげだ。皆が、俺に力をくれたんだ」

 だから、シーラはハートオブビーストの力を完全に解き放つことができたのだし、龍府を守護し、ザルワーン方面を護ることができたのだ。

 彼女たちの犠牲がなければ、二年以上に渡る守護などできはしなかっただろう。それは間違いない。

「俺は生き残った。龍府も無事だ。セツナも、ファリアも、ミリュウも、皆、生きてる。こっちのことはなんの心配もいらねえ。おまえらはそっちで楽しくやってくれ。俺もいつかはそっちにいくからよ。そのときまで仲良くしとけよ。喧嘩なんかすんじゃねえぞ」

 シーラの脳裏に懐かしい日々の光景が過ぎっては、光の中に消えていった。

 男として育ったシーラを王女として育て直すべく躍起だったウェリス。いつも男言葉を使っては怒られたことを覚えている。

 男勝りで姉御肌のクロナ。シーラが男勝りになっていたのは、彼女の影響が一番大きいのではないか。いつもシーラのことを見守ってくれた、姉のような存在だった。

 自称元気だけが取り柄のミーシャ。それだけに彼女の元気が侍女団の空気を和らげ、活気をもたらしていた。侍女団が黒獣隊の五人だけになってからも、彼女の元気さには何度となく救われた。

 そんなミーシャに対抗意識を燃やすアンナ。ふたりの切磋琢磨の関係は、シーラにとって憧れにも近いものがあった。そして、その中に入って自分を磨き抜いたことは記憶に残っている。

 大人しくも、一番大人びていたリザ。寡黙でなにを考えているのかわからない彼女だったが、五人の中でもっとも理性的で、必要不可欠な重しのような存在だった。

「ま、そんな心配、する必要ねえか。仲、いいもんな、おまえら」

 五人それぞれの想い出と、五人一緒の想い出、自分を含めた六人の想い出が頭の中で錯綜し、頬を熱いものが伝い落ちる。彼女たちとの日々は、シーラの半生そのものだった。彼女たちがいなければシーラはとっくに人生を諦めていたに違いない。彼女たちがいたからこそ、アバードを離れたあとも生き抜くことができたのだ。

 その彼女たちを失ったという事実が、いまさらのように押し寄せてきて、シーラは茫然とした。心に空いた穴の大きさは、どうしようもなく、埋め合わせられるようなものでもない。

「お姉ちゃん……」

「ああ、そうだな」

 シーラは、エリナから花束を受け取ると、五人の墓前にそれぞれひと束ずつ置いていった。

「皆、俺のこれから、見守ってくれよな」

 五つの墓碑は、なにもいわない。いうはずもない。そこにあるのはただの墓碑であり、言葉を発することもなければ、なにかを伝えてくるわけもないのだ。亡骸が埋まっているのだとして、それが想いを伝えてくるはずもなかった。そしてその無反応が、改めて、彼女たちの死を実感させるのだ。

「おまえらの望み、叶えてみせるからさ」

 シーラは、天に昇ったのであろう五人の魂に向かって、宣言するように告げた。


「お姉ちゃん……ひとつ聞いていい?」

 エリナが聞いてきたのは、天輪宮への帰路だった。シーラは、エリナへの感謝の気持ちもあり、どんな質問にも答える気になった。

「なんだ?」

「皆の望みってなんなのかなって」

 予期せぬ疑問というわけではなかったが、改めて問われると、狼狽せざるを得ない。

「……えーと……それはだな、むう……」

「え、と、いいたくないなら、いいけど」

「いや、いっておく」

 シーラは、そこで大きく息を吸い込んだ。そうでもしなければ、たとえエリナが相手でもいえないくらいには、自分は臆病だ。

「セツナと添い遂げるってこと!」

「え!?」

「決めたんだ、俺。もう逃げないって」

 シーラは、拳を強く握りしめた。湧き上がる気恥ずかしさを抑え込み、勇気に変える。

「自分の想いからも、あいつらの想いからもな」

 ウェリスもクロナも、ミーシャ、アンナ、リザでさえも、彼女たちは一様にして、シーラの幸福を望んでいた。それが元侍女である彼女たちの悲願であり、その望みを叶える数少ない方法がセツナと結ばれるということだと、だれもが認識していたようだ。

 実際、それ以外にはない。もちろん、シーラとしては、彼女たちが一緒にいてくれることが第一だったのだが、それが叶わなくなった以上、セツナ以外にはないのだ。

「それがどれだけ困難で過酷な道なのかはわかってるけどな」

 シーラは、目を丸くしたままのエリナの頭に手をおいて、笑った。

 恋敵は、数多といる。

 だが、負けるつもりはない。

 諦めるつもりもない。

 白毛九尾にも応援されているのだ。

 これほど心強いことはあるまい。



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