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第二百十七話 明日の行方

 日が、沈んでいく。

 九月十八日が終わろうとしている。

 グレイが麾下の三千人とともにガロン砦を占拠して、二月ほどが経過しようとしていた。死を覚悟して二月だ。生き長らえすぎているといっても過言ではない。

 だが、それも仕方のないことだと彼は割り切って考えていた。どうせ死ぬのなら、やれるだけのことをして死ぬべきなのだ。彼が部下にいう「く死ぬ」とはそういうことだ。せめて、ザルワーンに一矢報いなければ、死ぬ意味がない。それすら無駄死になるとしても、その瞬間だけは無意味ではないはずなのだ。それこそ、自己満足以外のなにものでもないのだろう。そんなことはわかりすぎるくらいにわかっている。しかし、護るべきものを失ったものには、それ以外には道がないのだ。

 失ったのは、護るべきものではない。主、国、家族、民。すべてを奪われた。奪われ尽くした。もはや涙は枯れ果て、心も乾ききった。なにもないのだ。

 死ぬしかない。

(陛下……王命に背くことをお許し下さい)

 グレイは、胸中で何度となく許しを請うた。ニルグ・レイ=メリスオールは、最後、死ぬなと命じたのだ。死ぬなと命じられたからこそ、今日まで生き抜いてこられた。ザルワーンという蟲毒の坩堝のような国にあっても、自分を見失わず、戦い続けてこられたのだ。

 だが、その王もいまや泉下であり、彼はなんのために生きていけばいいのかわからなくなった。メリスオールの惨状を目の当たりにしたときこそ、王命を思い出し、生きようとしたのだ。しかし、それも続かなかった。

 グレイも、グレイの部下たちも、行き場をなくしたのだ。生きていく道を見失ってしまったのだ。戦いに明け暮れ、疲れ果ててもいた。魂が安らぎを求めた。それは死ぬことによってしか満たされないものであろう。

 そうこうしているうちに、ガンディアがザルワーン領に攻め込んできたという情報が飛び込んできた。

 ガンディアといえば、グレイが軍を引き払った隙にログナーを制圧した国だ。先の王シウスクラウド・レイ=ガンディアは、メリスオールの王ニルグとは気が合うのか、度々書簡を交換するほどの間柄であり、そういう点でグレイの記憶に残る国だった。シウスクラウドが病に倒れたことは、ニルグにとっても衝撃的だったらしい。ガンディアに将来はないだろうというニルグの予感は、レオンガンドが頭角を現したことで外れてしまった。

 若き王レオンガンドは、ザルワーンの属国であったログナーに制圧されていたバルサー要塞を奪還し、さらにログナーまでも飲み込んでしまった。電撃的な制圧劇に、ザルワーンのみならず、周辺諸国は驚きを禁じ得なかっただろう。

 グレイがガンディアのログナー併呑を知ったのは、ログナーを引き払い、メリス・エリスに向かう道中のことだ。呆気にとられたのはいうまでもない。まさか、あのログナーがガンディアに遅れを取るとは思わなかったし、ガンディアが圧勝するなど想像もできなかった。

 そして、ログナーの戦力を吸収したガンディアが、さっそくザルワーンに攻め寄せてくるなど、だれが予想できようか。

 グレイが離反したとはいえ、ザルワーンは巨大な国だ。ガンディア、ログナーの全兵力を合わせても越えられない程度の戦力は保有していたし、凶悪な武装召喚師も多数抱えていた。そんな国に全面戦争を仕掛けてくるなど、当分先の話だとだれもが考えていた。

 ガンディアは、アザークやベレルに手を出すのが順序として正しいのではないか。グレイは、他国のことながら真剣に考えたりもした。

「将軍はここがお気に入りなのかな」

 不意に声をかけられて、グレイは眉を顰めた。まったく、この男は心臓に悪い。どこからともなく現れ、不意打ち気味に声をかけてくるのだ。どれだけ警戒していても、一瞬の気の緩みを衝いてくるから質が悪い。そもそも、魔王とは質の悪い存在なのかもしれないが。

 月が出始めた闇夜の下、前方には幽然たる王城の姿がある。月と星の光に照らされ、闇に浮かび上がるメリス・エリス城の姿は、確かにお気に入りではある。

 振り返ると、グレイが供回りに連れてきた兵士たちも、彼らの登場には驚いたようだった。闇の中、漆黒の衣を纏った男と、男に寄り添う異界の存在が立っている。クルセルクの魔王ユベルと、彼の寵姫リュスカ。青白い肌に藍色の髪を持つ女はリュウディースと呼ばれる皇魔であり、両目の瞳孔から真紅の光が漏れている。皇魔特有の眼光だ。

「嫌いではありませんな」

 グレイが返答すると、彼は困ったように息を吐いた。

「特に好きでもないのなら、ガロン砦に留まっていてもらいたいものだな。将軍を探すだけで一日が暮れてしまった」

「これは失礼を。しかし、魔王陛下がわたしを探しておられた?」

「現状、俺が興味を持っているのは将軍くらいのものだよ」

 ユベルは、そういってから、思い出したように言葉を付け足した。

「人間の中では」

 リュスカの視線を気にしたのだろう。

 魔王は魔王で人間臭いところがあり、この皇魔も皇魔で人間臭いのだ。まるで本当の恋人同士のように戯れ、言葉を交わしている。しかし、皇魔とは本来人間の言葉を理解せず、話すこともない。それがどれだけ人間に近い容姿をしていてもだ。彼らは人間を敵として認識しており、見つけ次第攻撃してくるのが常だった。交渉を持つことは不可能であり、分かり合えない人類の天敵というのが五百年前からの共通認識だった。だが、リュスカは、人語をある程度解し、片言ながらも人間の言葉を喋っていた。

 もっとも、彼女が喋るのはユベル相手に対してだけであり、グレイが彼女と言葉を交わしたことはなかった。挨拶しても、ぎこちない微笑を返されるのが関の山だ。やはり、皇魔は皇魔なのだろう。魔王にはなぜか心を開いているようだが、ほかの人間に対してまで心を許すつもりもないようだった。

「ガンディアが攻め寄せてきたそうだな」

 グレイは、ユベルがガンディアと口走るとき彼の黒い瞳に憎悪が滲んでいることに気づいていた。しかし、そのことを言及したことはない。グレイは、このおせっかいな協力者のことが嫌いではなかったし、心証を悪くしたくないという配慮もあった。ユベルの協力には、感謝してもしきれないものがあるのだ。

 彼のおかげで、グレイたちはザルワーンに一矢報いることができる。

「ええ。クルセルクはどこまで掴んでいるんです?」

「ガンディア軍がナグラシアを制圧したと聞いただけだ」

「やはり、情報の伝達には時間がかかりますな」

 早馬を飛ばすにせよ、伝書鳩を飛ばすにせよ、情報の往来には時間がかかるものだ。それは仕方のないことであり、どうしようもないことでもある。だからこそ、情報収集を怠ってはいけないのだ。情報を制するものが勝者となる。この乱世においては、それが顕著ともいえよう。

「まったくだ。ガロン砦で新たな情報は得られたが」

「バハンダールの陥落ですな」

 グレイがいうと、ユベルは静かにうなずいた。瞳が、輝いているようにみえる。月光のせいだろう。

 バハンダールが落ちたのは十五日。つまり三日前のことだ。グレイはその報告を受け取ったのは今朝のことだが、それでも十二分に早いといえた。ゼオルに潜む協力者が伝えてくれなければ、その情報がガロン砦まで到達するのにあと数日は要したかもしれない。その協力者も、グレイが望んで協力を頼んだわけではない。ザルワーンの現状を憂うなにものかが、グレイに情報を提供してくれているのだ。

 グレイは情報提供には感謝しているが、協力者の希望は叶えられないということに胸を痛めたりはしなかった。正体も明かさず、勝手に情報を送り付けてくるだけの相手だ。考慮する必要はあるまい。ユベルとは、違う。

「面白いことになったものだ」

 ユベルは、別段面白くもなさそうに告げてきた。背後の皇魔もつまらなそうに周囲を見ている。取り立ててなにがあるわけもない廃墟だ。周囲には、魔王と皇魔の存在に緊張している兵士たちしかいない。

「将軍の存在も、ザルワーンの現状に大きく寄与しているのだよ。将軍がガロン砦に籠もっているから、スルークやマルウェールの軍を迂闊に動かすことができない」

 実際、ザルワーンがスルークかマルウェールの軍を動かせば、グレイはすぐにでも進軍準備に入っただろう。ガロン砦から龍府を目指すには、まっすぐ西に進めばいいのだが、その経路の北にはマルウェールが、南にはスルークが存在しているのだ。どちらにも千人程度の軍勢が駐屯しており、その状態でグレイ軍が西を目指して進めば、北と南から挟撃されるのは間違いない。いくらグレイ軍が最強無比であっても、進軍中に挟撃されれば、相応の出血を覚悟しなければならない。グレイ軍が目指すのは龍府であり、途上の経路で兵力を失いたくはないのだ。

 とはいえ、いつまでも待てるものではない。

 馬の調練が済み、軍備が整えば、たとえマルウェールやスルークの軍に変化がなくても、進軍する予定ではあったのだが。

「さて、雑談はここまでにして、本題に入ろう。馬の調子はどうだ?」

「暴れ馬に過ぎますな」

 グレイが正直にいうと、ユベルは愉快そうに笑った。その結果、グレイはリュスカに睨まれたのだが、しかたのないことだと割り切るしかない。

「そうだろう。だが、将軍なら乗りこなせよう?」

「乗りこなしますとも。でなければ、魔王陛下に助力を仰いだ意味がない」

 死ぬために、魔王の助力を仰ぐ。なんともおかしな話のようにも思えるのだが、魔王とは元来そういうものだろう。破壊と殺戮の権化。災禍の化身。死の隣人にして、滅びの影。

 しかし、ユベルは、魔王にしては優しすぎる。魔王というには気を使いすぎ、魔王というには人間臭すぎた。だからこそ、グレイは彼に好意を抱いたのだろう。初めて逢ったあの日以来、数えるほどしか会話をした記憶もないのだが。

「俺としては、将軍を死地に送り込みたくはないのだが」

 彼は、ふと、そんなことをいってきた。リュスカも今度は睨んでこなかった。魔王の声音に、なにかを感じとったのかもしれない。そういう面でも、ひどく人間めいている。

「友を失うのは、耐え難いものだ」

「……もう少し早く陛下と出会えていれば、と思うこともありますよ」

 そうであれば、グレイの運命も変わっていたのかもしれない。

 詮無きことだが、そう考えるのも悪くはない気分だった。

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