第二千百七十八話 二方面作戦(二)
「わたしにはミリュウらとログナーへ向かえ、というのだな」
マユリが難しい顔をしたのは、方舟の機関室でのことだった。
会議を終え、今後の方針が定まったため、セツナたちはそのことをマユリに話すべく、方舟に乗り込んでいる。そして、マユリに対ネア・ガンディアの方策を伝えると、女神は少なからず不服そうな顔をしたものだから、ミリュウが頬を膨らませた。この少女神と最も打ち解けているのがミリュウであり、ついでエリナだ。ふたりは、マユリ神の話し相手になってあげていることが多く、故にマユリもふたりを特別扱いしている風があった。
「なによう、不満でもあるわけ? 方舟の中に閉じこもってるより、たまにはぱーっと憂さ晴らしでもしたくない?」
「ミリュウよ、前々から想っていたのだが、おまえはわたしをなにか勘違いしているようだ」
「へ?」
「わたしは希望を叶えることこそが存在意義。この狭苦しい機関室の中から動けずとも、それがおまえたちの望みを叶えるためであれば、なにひとつ不満はないのだ。むしろ、喜びに満ち、わたしの力は充溢する一方なのだよ」
「マユリん……」
「では、マユリ様におかれましては、我々の望みをお聞き届けくださるということですね」
「セツナよ。なにを畏まっている。歯がゆくて、むず痒いぞ」
マユリは、格式張ったセツナの言い方に苦笑せざるを得ないといった風に笑った。
「しかし、おまえのいうとおりだ。おまえたちがそれを望むというのであれば、ログナーへ向かうのもよかろう。だが、こちらは、本当にセツナたちだけでいいのか? 確かにセツナとあの九尾の娘の力があれば、連中を撃退することも容易かろうが」
九尾の娘とは、シーラのことだ。シーラは現在、天輪宮で休養中だった。ハートオブビーストの能力による九尾化の負担は、白毛九尾のおかげで大したものではなかったというが、それでも休養したほうがいいとのセツナたちの判断から、半ば強制的に休養させており、エリナがその側について見守ってくれている。
「いまのところ、シーラに無理をさせるつもりはないよ」
「では、おまえとファリアだけで戦うのか?」
「いや、仮政府軍の力も借りるし、帝国軍も巻き込むつもりだ」
セツナは当然のようにいったが、先の会議においても帝国軍を戦力としてあてにするという話は、決定事項として組み込まれている。
帝国軍の先遣隊は既に龍府に到着しており、指揮官である大佐レング=フォーネフェルも仮政府代表のグレイシアに挨拶を済ませていた。帝国軍は、自分たちを快く受け入れてくれた仮政府に心よりの感謝を示すとともに、ネア・ガンディア軍と戦う際には、戦力として組み込んでくれて構わないと公言した。
帝国軍は、自分たちを支配するのはザイオン皇家であり、たとえどのような苦境に立たされようとも、ネア・ガンディアに降伏するなどありえないという考えを持っており、そのため、仮政府がネア・ガンディアに降伏しない限りは協力を惜しまないというのだ。
帝国軍の総兵力は、およそ一万三千。
当初、二万あった兵数が激減しているのは、ネア・ガンディア軍との激戦の結果であり、壊滅的な損耗を強いられたのだ。故に帝国軍は、ネア・ガンディア軍に抗戦するのを諦め、ザルワーン方面への進出に活路を見出そうとしたのが、マルウェールの戦いのすべてだ。結果として、帝国軍は残存兵力を失わず、仮政府と合流できたのだから、正しい判断だったというわけだ。
もし仮に全滅覚悟でネア・ガンディアに戦いを挑み続けていれば、いまごろ帝国軍は死屍累々となっていたことだろう。
「ただの人間たちにどれだけの期待が持てるだろうな」
「わかってるさ」
仮政府軍にせよ、帝国軍にせよ、その戦力の根幹をなすのはただの人間だ。召喚武装の補助もなければ、神の加護などあろうはずもない一般人。そのような連中に戦力としての期待感など持てようはずもないが、だからといって、戦力として用いずにはいられないのだ。
「ふむ……では、問題はログナーのほうだな」
「なんでよ。マユリんがいて、あたしたちがいる以上、こっちよりもマシかもしれないわよ?」
「……神は神を滅ぼせぬぞ」
マユリが、厳かに告げた。
「神を滅ぼすことができるのは、唯一、魔王の杖のみ。よって、ネア・ガンディアが投入した神との戦いには、わたしが出向いたところで時間稼ぎにしかならん」
「時間稼ぎは、できるんでしょ?」
「なるほど。そういうことか。わかった。理解したよ」
マユリは、ミリュウの言い分に目を細め、セツナに視線を向けてきた。
「セツナ。おまえだけが頼りだということだ」
「ああ。そのようだな」
セツナは、静かにうなずいた。
「でも、目的がネア・ガンディアの指揮官を倒すことなら、神様を相手取る必要はないのかもしれないけど」
「敵指揮官だけ倒すことができればそれに越したことはないが」
そううまく行くものでもあるまい。
セツナは、ファリアの言に同意しながらも、不可能だろうという想いを抱いた。敵も、それは理解しているはずであり、指揮官の護りは鉄壁のものとなるだろう。そのために神が戦場に出てくる可能性も決して低くはない。神を突破しなければ指揮官に到達できないということだって、十二分にありうるのだ。
故にこそ、魔王の杖こと黒き矛の役割は大きく、セツナだけが頼りだというマユリの発言も、それ故のものだ。神でさえ、神を滅ぼすことはできない。神は、不老不滅の存在であり、どれほどの攻撃を受けたとしても、決して滅び去ることはないのだ。
唯一、神を滅ぼす力を持つのが、セツナの召喚武装である黒き矛なのだ。
黒き矛は神々にとって忌むべき存在であり、憎むべき敵であるという。元々敵対的な神であったアシュトラだけでなく、人間に友好的な神であった救世神ミヴューラ、海神マウアウでさえ、その存在を危惧したほど、神々にとって看過できない存在なのだ。
故にこそ、セツナは神々と敵対する宿命にあるといっていいのかもしれず、ネア・ガンディアと相容れぬのも、運命なのかもしれない、とも想った。
それから、セツナたちは、二方面作戦についての事細かな話し合いを行った。
二方面作戦の提案者ということもあるのだろうが、ミリュウは終始上機嫌であり、積極的だった。その不可思議さは、彼女と数年来の付き合いのあるセツナたちにしかわからないだろうし、セツナたちの不思議そうな表情を見て、マユリが怪訝な顔をするのも当然だった。
シーラは、しばしの休養を命じられたこともあり、天輪宮紫龍殿の一室にいた。命じたのは、無論、彼女の主であるセツナだ。セツナは、シーラが二年以上もの間、白毛九尾の状態を維持していたことを理由に、極端なまでに心配しているのだ。とにかく、体調が万全といえるようになるまではゆっくりと休養して欲しい、というのがセツナの願いであり、命令だった。
いかにシーラといえど、最愛の主の命令には逆らうこともできず、仕方なく、充てがわれた部屋の中で体を休めていた。
セツナは心配症なのだ。自分は散々無理をして、無茶ばかりするくせに、シーラたちが無理をすることを許さないところがある。少しでも不調であることを伝えると、一大事であるかのごとく対応するものだから、迂闊にいえない。しかし、シーラの隠し事など、セツナにはすぐ見抜かれるから、不調も見抜かれ、今回のように休養を言い渡されるのだ。
それは、素直に嬉しいことだ、とシーラは寝台の上で想う。
それだけセツナが注意深く見守ってくれているということであり、気遣ってくれているということであり、また、愛されているということの現れだろう。
もちろん、シーラだけが特別扱いを受けているわけではない。ファリアもミリュウもレムもエリナも皆、同様に丁重に扱われている。セツナの愛は、別け隔てがない。
だから、シーラは、体を動かしたいという自身の欲望を抑えることができるのだろう。
セツナにこれ以上の負担をかけたくはない、という想いがある。
再び、セツナと巡り会えたのだ。
もう二度と、彼の側を離れたくはなかった。ずっと、彼のために尽くしたかった。そのためにはどうすればいいか。簡単なことだ。体調を万全に整え、常に全力を尽くせる状態にしておくことだ。そうすれば、セツナもシーラの心配をせずに済む。そうすれば、シーラもセツナの側にいることができる。
「シーラお姉ちゃん、起きてる?」
部屋の外から聞こえてきたのは、エリナの声だった。セツナたちは方舟に向かったのだが、エリナは、シーラの監視役として天輪宮に残されていた。
「ああ、起きてるよ」
シーラは寝台から跳ねるようにして降りると、すぐさま部屋の扉に向かった。




