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第二千百七十三話 ナージュの想い


「レイオーン……?」

 不意に聞こえた声は、ナージュ・レア=ガンディアのものだということは瞬時にわかった。

「そこにいるのはレイオーンですね?」

 見上げると、ナージュは、二階の渡り廊下の欄干から身を乗り出していた。そして、すぐさま踵を返し、泰霊殿内に走っていった。渡り廊下から直接中庭に降りる手段がない以上、殿舎内の階段を使うしかないからだろう。

 すると、レオナがすぐさま反応した。

「母上だ、レイオーン」

「やれやれ、我が姫君にも困ったものだ」

「なにを困っておる。さっさと行かぬか。母上に捕まってはせっかくの散歩が第なしではないか」

 レオナが憤然と言い放つと、レイオーンは困り顔のまま頭を振った。その挙措動作は、レオナに対して馴れ馴れしいというほかないが、それこそ、レオナとレイオーンの絆の深さ故のものであることは一目瞭然だ。レオナ自身、レイオーンには気安い。

「わかったわかった。では、な。セツナ。あとのことは貴様に任せたぞ」

「任せたぞ、セツナ」

「はい? あ、ああ、ちょっと……」

 レオナとレイオーンは、セツナの呼びかけなど気にすることもなく、地面を蹴って飛び上がり、二階の渡り廊下の欄干に飛び乗り、そこからさらに上空へと飛んでいった。そしてそのまま泰霊殿の屋上へと至ると、セツナの視界から姿を消す。

 中庭に取り残されたセツナたちが呆然としていると、泰霊殿と紫龍殿を結ぶ渡り廊下からナージュが姿を見せ、駆け寄ってきた。

「ああ、セツナ殿。いまここにいたレイオーンがどこに向かったか、御存知ではありませんか?」

「いえ。なにも仰られず、去っていかれたので」

「そう……ですか。レオナらしいといえばらしいのですが」

 ナージュは、全速力でここまで駆け抜けてきたようで、額に薄っすらと汗が浮かんでいるものの、呼吸に乱れはなかった。どうやらあれくらいの距離を全力疾走するくらい日常茶飯事のようだ。レイオーンに乗ったレオナを追いかけるような毎日を送っているのだとしたら、それくらいの体力はつくものかもしれない。

「レオナがレイオーンと遊ぶのが好きなのは構わないのですが、だからといって夜中に飛び回るのはやめなさいとあれほどいっているのに聞いてくれないのですよ。本当、だれに性格が似たのでしょうか」

「奔放さでは、陛下も殿下も変わらないように想いますが」

「あら、セツナ殿までお義母様のようなことを仰るのですね。わたくしはともかく、陛下はレオナほど奔放だったのでしょうか」

「そりゃあもう。なあ?」

「え、ええ。そうですね……陛下は、予想のできないことばかりをしては、周りのものを驚かせたものです」

 ファリアはそういうと、遠い目をした。ファリアとレオンガンドの付き合いは、セツナやナージュよりもずっと古く、長い。ファリアがアズマリアの情報を求めてガンディアに流れ着いて早々、王宮にて会見し、そこから友人としての付き合いが始まったというのだ。

 レオンガンドがファリアを友人として遇したのには、政治的な下心があったのは、邪推するまでもない。ガンディアの土を踏んだ当初の彼女は、ファリア=ベルファリアと名乗っていたというが、その名だけでも彼女の特別性というのは、わかるものにはわかるものだからだ。リョハンの戦女神ファリア=バルディッシュの存在は、大陸小国家群にも知れ渡っていた。その孫娘というだけでなく、名前からして次期戦女神候補であることは疑いようがなく、故にレオンガンドは、ある種の下心でもって彼女を厚遇しようとしたのだろう。実際、ファリアがガンディアにいたからこそ、クルセルク戦争時、リョハンに援軍を要請する伝手ができたのであり、魔王軍に勝利することができたのだから、レオンガンドの先見の明は正しかったのだ。

 とはいえ、ファリアはレオンガンドとその実妹にしてガンディア王女リノンクレアとは、本当の意味で友人としての付き合いをしていたのであり、レオンガンドも、クルセルクの魔王軍と対決する羽目になるまでは、ファリアを利用し、リョハンと繋がりを持とうとはしなかった。だからこそ、ファリアもレオンガンドを信頼したのだろうが。

「そういえば……ファリア殿は、陛下とは友人であられたと聞きました。時間さえあれば、ぜひ、当時の話を聞かせてもらいたいものです」

「殿下がお望みとあらば、いくらでも」

「ふふ……それは楽しみです」

 ナージュが、ファリアに対して微笑み返した。その微笑みは本心からのものであり、素直に喜んでいるようだったが、そのまなざしにはどこか儚さがあった。それは、会議のときから、いや、セツナたちが龍府に辿り着いたときから継続しているもののように思える。心にぽっかり穴が開いているような、そんな気配。

「……ところで、殿下。レイオーンが龍府にいて、王女殿下の護衛のような役割をしているとは、初耳ですが」

「ああ、そういえば、セツナ殿や皆様にはレイオーンの紹介がまだでしたね。そうなのです。レイオーンは、二年ほど前、突如としてわたくしたちの前に現れ、レオナを守護する、といってくださいまして、それ以来、わたくしたちはレオナの護衛に関してはレイオーンに任せっきりで」

 ナージュは、レイオーンの飛び去った夜空を仰いだ。レイオーンの姿は影も形も見当たらないが、建国神話に登場する伝説的な存在である彼のことだ。レオナの身辺警護に関しては任せきりでもなんの問題もあるまい。人語を介するだけでなく、凄まじいまでの跳躍力を見せていた。身体能力もとんでもないだけでなく、大きな力を持っているに違いない。

「レイオーンのおかげでレオナの護衛は完璧なのですが、レイオーンがレオナを甘やかすものですから、、夜中であろうと飛び回る始末で」

 困り果てた様子のナージュではあったが、セツナを見て、なにかに気づいたように両手を重ねた。

「セツナ殿からも厳しくいってやってください。あの子は、セツナ殿に憧れを抱いておりますから、セツナ殿が直接いったことは必ず護ってくれると想うのです」

「まあ、そういうことでしたら……」

「そうと決まれば、明日にでも、是非」

「畏まりました、殿下」

 セツナは、恐れ多いことだと想いながらも、このまま成長した場合のレオナを想像すると、そうする以外にはないと結論づけた。このまま、レイオーンに甘やかされ続ければ、いずれグレイシアやナージュの言いつけを守らないだけでなく、王族としての務めを果たすことさえなくなるのではないか。それでは、レオンガンドに申し訳が立たなくなる。

 セツナがそんな風に考えていると、ナージュが少しばかり複雑そうな表情を見せた。何事かと想う間もなく、王妃が口を開く。

「……ところで、セツナ殿。それに皆様にも、お聞きしたいことがあるのですが」

「なんでしょう? 殿下。俺たちに応えられることならば、なんなりと」

 セツナたちが応じる構えを見せると、ナージュは、しばし言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。

「セツナ殿は、レオンガンド・レイグナス=ガンディアについて、どのように想われますか」

「どのように……とは」

「我が夫レオンガンドが、そう名乗っているとは考えられませんか?」

 ナージュの質問に、セツナは、一瞬だけ息を止めた。

「レオンガンドの夢は、大陸小国家群の統一。そのための戦力が整い、大望が実現することが明確になった故に、帝国の皇帝や聖王国の聖王のようにレイグナスと名乗った可能性もあるのではないでしょうか」

 セツナを見る縋るようなまなざしは、ナージュが先の会議で食い下がったときのそれと同じだ。ナージュは、ネア・ガンディアとレオンガンド・レイグナス=ガンディアの名を聞いたとき、喜びと驚きの入り混じった複雑な感情をその顔に覗かせていた。ナージュにしてみれば、最愛の夫であるレオンガンドが生きている可能性が少しでもあるというのであれば、どのような理由があれ、縋りたいし、信じたいのだ。彼女の気持ちは、痛いほどわかる。

 セツナだって、同じ気持ちだ。

 だが、いや、だからこそセツナは、ナージュの希望を切り捨てざるを得ない。

「……殿下。申し上げにくいことですが、俺には、レオンガンド・レイグナス=ガンディアなる人物も俺の敬愛する陛下御本人だとはとても想えないのです」

 セツナは、ナージュを含め、その場にいる全員が自分を注視していることを意識しながら、言葉を選びながら続けた。セツナの中で、レオンガンド以上の主君は後にも先にもいない。それは、セツナの中で確定事項だったし、そのことについていまさら説明する必要もないと想っている。皆、知っていることだ。セツナがどれだけレオンガンドを尊敬し、忠誠を誓っているのか、周りにいるだれもが理解してくれているだろう。だから、ファリアたちも気遣って、レオンガンド・レイグナス=ガンディアの話題を口に出さないようにしてくれていたのだ。

「太后殿下が仰られたように、陛下ならばマルウェールを犠牲にするような手段を用いないはずです。陛下御本人がネア・ガンディアを立ち上げたというのであれば、ザルワーン方面を攻撃する必要がありません。仮政府の存在を認知しているのであれば、交渉に訪れれば良いだけのこと。ネア・ガンディアには方舟があるのです。陛下御本人が訪れてくださればいい。そうすれば、我々も喜んで陛下を迎え入れましょう」

 もちろん、それが本物のレオンガンド・レイ=ガンディアであれば、の話だ。レオンガンドの名を騙る偽物ならば当然、迎え入れる義理はなく、戦い、排除するのが道理だとセツナは考えている。セツナが唯一人自分の主君と認めたのが、レオンガンドだ。その名を騙る偽物に情け容赦など必要あるものだろうか。

(あるものか)

 胸中で吐き捨て、続ける。

「しかし、実際には陛下御本人の姿も声もなく、ただネア・ガンディアなるものたちの声明にその名が語られたのみ。それを鵜呑みにし、信用しろというのは、無理な話です。彼らが名乗るネア・ガンディアという国自体、我々のガンディアとはまったくの別物である、と、俺は認識しています。ガンディア再興を掲げるのであれば、ガンディアを名乗ればいい」

 ネア・ガンディアという名称そのものが違和感を生んでいる。

 真にレオンガンド・レイ=ガンディアそのひとならば、堂々とガンディアと名乗ればいいだけではないか。そして、ガンディアの領土を取り戻すための戦いを起こしているというのであれば、そう明言すればいい。そして、降伏勧告など行わず、交渉に訪れればいいのだ。

「新生ガンディアなどと名乗るのは、ガンディアと連続していないことの現れなのではないですか」

「……そう、ですよね」

 ナージュが顔を俯ける。希望を正面から打ち砕かれた王妃の心情は、想像するまでもなく痛々しいものだ。だが、ここでナージュの想いに絆され、曖昧な返答をして、変な希望を持たせるのは余程不忠だろう。

 忠義とは、唯々諾々と主君の意向に従うだけのものではない。

 誤りは誤りであると堂々と胸を張っていえなければならないのだ。

 そういうようなことを学んできたのが、ガンディアでのセツナだった。もっとも、当時のセツナは、主君たるレオンガンドの正誤を見極められるほどではなかった上、レオンガンド自身、道を誤るようなことがなかった(と、セツナは想っている)ため、セツナは常にレオンガンドの命に従っていれば良かったのだが。

 そして、それこそレオンガンドが最高の主君であることの証明だと、セツナは考えていた。

「陛下が、我が夫レオンガンドが、自国民を犠牲にするような手段を用いるはずがありませんよね。セツナ殿の仰るとおりです。レオンガンド・レイグナス=ガンディアが陛下ならば、わたくしたちに直接生存を伝えてくだされば、それだけで丸く収まる話です。わたくしたち仮政府は、ガンディアへの帰属こそ最上の望みとしているのですから」

「……その通り、ですね。セツナ殿の仰ることに間違いはありませんわ」

 ナージュが気丈に振る舞う様は、セツナの胸をひたすらに締め付けるのだが、しかし、ここで折れるわけにはいかないのが彼の立場だった。ナージュは、レオンガンド・レイグナス=ガンディアがレオンガンド当人ならば、降伏するべきであるという考えを持っているようなのだ。少なくとも、ナージュ本人はネア・ガンディアに降るつもりだろう。しかし、いまここでナージュひとりでもネア・ガンディアに降るようなことがあれば、全体の士気に関わる。

 レオンガンド・レイグナス=ガンディアがレオンガンド本人である可能性は皆無であるといい切り、希望を断ち切らなければならない。

 それは、ナージュに絶望を叩きつけるようなものであり、セツナ自身、身を切るようにつらいことだった。

「話を聞いてくださり、ありがとうございました。おかげで、少しすっきりしました」

「殿下……」

「気遣いは無用ですよ、セツナ殿。わたくしは、あなたから忌憚のない意見を聞くことができて、大変満足しています。陛下が、あなたをガンディア随一の忠臣と評しただけのことはありますね」

 ナージュはそういって微笑んだが、その瞳には失意が揺れていた。

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