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第二百十六話 落日の欠片

『此度の敗戦、すべて、わたしの責任です』

『では、死ぬか?』

 ニルグが泰然と笑ったのは、メリスオールがザルワーンに敗北した後のことだった。

 大陸歴四百八十九年。

 いまから十二年前の話。

 メリスオールは、ザルワーンの物量の前に敗北を喫した。メリスオールは国土に比べれば強大な軍事力を誇る国ではあったが、数倍の国土を誇るザルワーンと正面からぶつかり合って勝てるはずもなかった。最強無比を誇るグレイ=バルゼルグの軍勢も、ザルワーンの圧倒的兵力の前には沈黙せざるを得なかったのだ。

 グレイの部隊は勝ちに勝ったのだ。しかし、彼の部隊が五方防護陣に到達する寸前、メリス・エリスが落ちた。たとえ局所的に勝利を飾ることができたとしても、本拠地が落とされれば負けを認めざるを得ない。道理だ。国を失えば、戦う理由も消滅する。

 グレイ部隊は、メリスオール国境付近に展開したザルワーンの本隊との戦いに打ち勝ち、その勢いに乗じてザルワーン本土へと侵攻、龍府に大打撃を与えることで、メリスオールに手を出させないようにするつもりだった。しかし、それが裏目に出た。グレイの大軍勢がメリスオールを空けた隙を突いて、ザルワーンの本隊と同等の戦力を誇る別働隊がメリス・エリスに殺到し、瞬く間に制圧してしまったのだ。

 無論、グレイだけならばそんな戦い方はしなかった。国土の防衛こそ優先すべきであり、ザルワーンの首都まで進軍するなど正気の沙汰ではない。グレイに預けられた軍勢こそメリスオールの主戦力であり、ザルワーンの本隊を撃退できたのも、戦力を集中していたからにほかならない。防衛戦力も残さずに特攻を仕掛けようとは、普通ならば思いもしない。

 グレイは、将軍であった。メリスオールの軍事の一切を取り仕切る地位にあり、軍事に関連することで彼に意見するものはいなかったといっていい。しかし、例外はあるものだ。王家の人間には、さすがの将軍も敵わない。

 グレイが、敗戦の責任を自分ひとりと宣言したのは、それが指揮官の務めであると信じていたからであり、龍府攻撃作戦を熱烈に支持した王子の存在を隠し通すためでもあった。ニルグの息子でもある年若い王子の命令に従ってしまったのは、グレイが、王子の容貌にあの日のニルグを見出してしまったからというのもあるのだろうが、やはり、グレイにとっては王こそこの天地を支える柱であり、王子もつぎの世を支える柱として見ていたからであろう。

『陛下が御下命くださるのなら』

『おまえも年を取った。あのときのようにはいかんぞ』

 あのとき、ニルグの命により短剣を腹に突き刺したグレイは、なんとか一命を取り留めたのだ。驚異的な速度で回復したのは、若さゆえ、のものらしい。いま同じことをすれば、下手をすれば死ぬに違いない。いや、死ねるだろう。いまのグレイならば、痛みに耐えながら腹を割くことくらいはできそうだった。

 互いに、年を取った。

 グレイは五十歳に手が届こうとしていたし、ニルグはとうに五十歳の大台に到達していた。メリスオールという問題だらけの国を抱えて、苦労が耐えなかったのだろう。若き日、黄金色に輝いていた頭髪も、見事なまでに白く染まっていた。頬は削げ落ち、顔には深いしわが刻まれている。このしわは年輪だよ、というのが彼の口癖になっていた。

 グレイも、似たようなものだろう。普段、鏡を見ないため、自分がどのような顔をしているのかはわからないが、妻にはよく年を取ったといわれていた。そういわれればそういわれるほど、老化に負けてたまるかという意思が働くのか、グレイは年々精力的に働くようになっていた。段々若返っているのではないか、とニルグが苦笑するほどだ。

『しかし、この敗戦はおまえのせいではあるまい』

 ニルグが、目を細めた。聡明な王だ。グレイの考えなど、なにもかも見透かしているに違いないのだ。昔からそうだった。グレイがニルグに隠し事をして、隠し通せたことなどないのだ。それでも、グレイは首を縦に振ることはしない。

『いえ……わたしの責任です』

『俺が知らぬとでも?』

『軍の指揮官はわたし、グレイ=バルゼルグを置いてほかにはおりません』

 グレイは、ただ、それだけをいった。随行した王子にどれだけの権力があろうと、最終判断を下すのは、グレイ=バルゼルグなのだ。相手が王であれ、間違った判断は正すべきだと教えてくれたのはニルグであり、正せなかったのなら、責任の所在はグレイにあると考えるべきなのだ。

 じっと、見つめ合った。

 長年、ともに戦場を駆け抜けてきた者同士、目と目を合わせるだけで分かり合えた。互いに、心の奥底まで読み取ったのだ。

『……そうだ。その通りだな。済まない。ありがとう』

 ニルグは目に涙を浮かべて、深々と頭を下げてきた。グレイは狼狽した。そんなつもりはなかったのだ。彼は、当然のことをしただけのことだ。王と王の一族を護るのは、メリスオールの将として、バルゼルグ家の人間としては当たり前のことなのだ。

『陛下、どうかお顔を上げてください』

『俺はいい臣下を持った。おまえがいてくれたから、これまで持ち堪えてこられたのだ。おまえがいなければ、とうにこの国は消えていたよ。俺にはわかっている』

『陛下……』

 ニルグのいったことは、ある意味では事実だっただろう。グレイはたったひとりでこのメリスオールの軍を立て直し、最強無比の部隊を作り上げたのだ。かといって、グレイは自分だけの力でそれを成し遂げたとは思っていない。ニルグの後援があったからこそできた改革なのだ。ニルグが反対すれば、グレイは一も二もなく止めていただろう。グレイには、軍事力の強化が必ずしも正しい道とは言い切れなかったからだ。そこを、ニルグが後押ししてくれた。グレイは、全身全霊でメリスオール軍の改革を行った。弱兵を精兵へと仕立てあげるのに費やした時間は、気の遠くなるようなものだ。馬も、激しい戦闘に耐えうるようにするまで時間がかかった。時も金も人も資源も、費やした。そうして、ザルワーンの本隊に打ち勝つような軍勢が作り上げられていったのだ。

 それでも、負けた。

 ニルグは、しばらくして口を開いた。言い出しにくいことだったのだろう。

『ザルワーンは、おまえを欲している。おまえと麾下の三千人を差し出せば、王家と国民の命は保証するといってきている』

 応じなければ、どうするというのだろう。皆殺しにでもするつもりだろうか。まさか、ザルワーンでもそこまではすまい。が、見せしめに殺すことを躊躇うような国でもない。そして、敗戦国に選択肢はない。勝者こそが強者であり、歴史を作る資格を持つのだ。敗者は勝者に従うしかない。でなければ、滅びるまで抵抗するよりほかはない。

 メリスオールは全滅よりも生き延びることを選んだ。それだけのことだ。

『は』

 グレイがうなずくと、沈黙があった。玉座の間。ふたり以外だれもいない。王宮はザルワーン軍に取り囲まれており、逃げ場はない。元より、グレイは、逃げるためにここにきたわけではなかった。逃げるのならば、メリス・エリスに戻ってくる必要はなかった。しかし、彼のようなものが王を置いて逃げるはずもない。逃げるならば、王を連れて逃げるだろうし、逃げないとしても、王に逢わねばならなかった。王の命令を聞かなければならない。

 そのために、彼はメリス・エリスに戻ってきたのだ。

『グレイ=バルゼルグと麾下の三千人は、メリスオール国民を救うため、ザルワーンに行くのだ』

『王命とあらば』

 グレイは静かに首肯した。死ねといわれれば死ぬつもりで生きてきた。行けといわれれば行くだけのことだ。それで王と国民の命が守られるというのなら、安いことだ。敗北したのだ。奪われ尽くしても文句はいえない立場だった。

『そして、これが王として最後の命令だ』

 ニルグの目が、強く輝いている。若い頃からずっと追い続けてきた男の目だ。グレイにとって唯一無二の主君のまなざしは、いつだって彼の原動力になった。どんな苦境にあっても、ニルグの目を思い出すだけで戦い抜くことができたのだ。平時でも、そうだった。

 ニルグという主を持てたこと。

 それはグレイの人生を意義深いものにしてくれたのだ。

『死ぬなよ』

『は!』

 グレイは、敬礼し、王城を後にした。

 それが王と交わす最後の言葉になるとは、思いもよらなかったものだ。

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