第二千百六十七話 ネア・ガンディア(六)
ファリア、エリルアルムを連れ立って機関室に辿り着くと、、マユリ神はいつもの場所に鎮座していた。機関室の中心に備えられた水晶球の上だ。まるで指定席であるかのようにそこに座す女神の姿は、やはりいつ見ても神々しく、幻想的だ。少女神と少年神がまさに表裏一体となった姿そのものもそうだが、マユリ神の美貌も衣装もなにからなにまで神々しく見えるのだ。それが神と見えるということだろう。
エリルアルムは初めて対面するマユリ神のその姿に驚きを隠せず、呆然としていた。神の姿を目の当たりにする事自体、初めての経験だろう。驚くのも無理のない話だったし、マユリ神のそれは、衝撃を受けて当然の姿だ。
「待たせたな」
《うむ。よく来てくれた。話をする前に、船は龍府に移動させるが、よいな?》
「ああ。そうしてくれると有り難い」
《わかった。少し待っていよ》
そういうと、マユリ神はなにやら念じるようにした。すると、水晶球が淡い光を発し、水晶球と方舟を同調させているのであろう機材にも光が走った。光はそのまま配線を伝わり、方舟全体に行き渡っていく。それこそ光の速度でだ。方舟が再起動したのだろう。
《これでよい》
「いつも済まねえな」
《なに、おまえたちの希望を叶えるのがわたしの存在意義。不満もないぞ》
「だから感謝するのさ」
セツナが告げると、マユリ神は微笑んだ。神々しい美少女の顔で微笑まれると、さすがのセツナもたじろがざるをえないほどの破壊力を発揮するものだから、困りものだ。そして、マユリの表情にやられると、ファリアやミリュウが鋭い視線を送ってくるのが常であり、いまもそうだ。ファリアがなにやらいいたげなまなざしを向けてきていた。セツナは、藪蛇にならないよう、話を進めた。
「で、見せたいものって?」
《うむ。これよ》
マユリが少女の右手を軽く掲げた。手の平の上に光の長方形が生じたかと想うと、それは瞬く間に拡大し、マユリの頭上に大きな映写幕の如く展開する。そして、映写幕に映し出されたのは、以前見た世界地図だ。方舟に残っていたそれは、ネア・ガンディアが方舟に記録していた代物であることは明らかだ。
「これはいったい……?」
「世界地図だよ。現状、世界はこうなっているんだ」
「これが世界の現状だと……」
「大陸はばらばらに引き裂かれた。“大破壊”によってな。その結果がこの惨状なんだ」
「そんな……」
エリルアルムが衝撃のあまり言葉を飲み込んだ。彼女の絶望的な表情から察するに、エトセアが生き残っているかもしれないという希望が打ち砕かれたのではなかろうか。エトセアは、最終戦争によって滅亡したが、だからといって全国民が死に絶えたわけでもないはずであり、世界が無事ならば、きっとエトセアを再建できるくらいの人数は生き残っていることだろう。エリルアルムは、そこに希望を見出していたのではないか。
それなのに大陸がでたらめに破壊された世界の有様を見せつけられたのだ。エトセアが現在どこにどのようにして存在しているのか、そもそも、エトセアの元国民が無事なのかどうかさえ、地図上からではわからない。だからといって絶望するのは早計だが、絶望したくなるのも無理のない話ではある。
「で、これがどうしたんだ?」
「ちょっとよく見て、セツナ。あのときと様子が違うわ」
「様子が違う?」
《さすがファリアよな》
マユリは、嬉しそうにファリアを褒めると、映写幕に映し出された地図に変化をもたらした。要するに地図の一部を拡大してみせたのだ。世界地図全体ではわかりにくかったものも、これでよくわかるだろうという配慮だろう。実際、そのおかげで、セツナはマユリがなにを見せたかったのか理解した。
「これは……」
セツナは、方舟が現在移動中のザルワーン島に、方舟とはまったく別の光点があることに気づいた。
その光点は、以前地図を見せられたとき、リョハンに輝いていたものとまったく同じ代物であり、ネア・ガンディア軍の攻撃目標を示すものであるというセツナたちの見解が見事的中していることを示していた。
ただ、それだけならば驚くに値しない。
なぜならば、ネア・ガンディアによる宣戦布告ともとれる降伏勧告がなされたばかりなのだ。ネア・ガンディアがザルワーンの制圧に乗り出していることは、既にわかりきっている。それは、マユリだって理解していることだろう。
問題は、光点がもうひとつ、別の島にあることだ。攻撃目標であろう光点が瞬いているのは、ザルワーン島の南西の小さな島だ。ザルワーン島に比べると三分の一程度の大きさだが、攻撃目標にするくらいなのだ。国があり、ひとが住んでいると見るべきだろう。
《どうやら、ネア・ガンディアなる連中は、このザルワーンと、ログナーを同時に制圧するつもりのようだ》
「ログナーだって!?」
「この島にログナーがあるのですか?」
《どうやら、な。わたしにも詳しいことはわからぬが、方舟内をいじくり回しておる間に船間通信とやらが聞こえてきたのだ》
「船間通信……?」
「おそらく、方舟同士で連絡を取り合う手段だな」
方舟は、神の力を利用した超技術の塊だ。通信機能くらい有していても、なんらおかしくはない。しかし、だとしても、この方舟がネア・ガンディアの方舟の通信を傍受できるのは、奇妙だ。方舟がケナンユースナルらに奪取された時点で、そういった機能が使えなくなるくらいの処置が施されていてもおかしくはないし、そのほうが自然だった。
《うむ。その通信によればな、ログナーの制圧を任されたのはウェゼルニルという男らしい。ザルワーンは、ミズトリスという女だな》
「ウェゼルニルにミズトリス……」
「聞いたこともないわね」
「ああ。あの女の声にも聞き覚えがなかった」
あの女の声とは無論、降伏勧告をしてきた女の声のことだ。雄々しさの中に女性らしい瑞々しさのある声だった。一度聞けば、忘れるような印象ではない。きっと、聞いたことがないのだろう。名前にしてもそうだが、ネア・ガンディアを名乗る組織は、セツナたちとは関わりのないものたちによって構成されているのではないか。
レオンガンドの名も、騙っているだけではないのか。
ふとそんな希望に縋ろうとしている自分に気づくが、いまはそこにこそ光を見出したかった。レオンガンドが、マルウェールを犠牲にするようなやり方を認めるわけがないのだ。きっと、レオンガンドを名乗る別人か、そもそもそのような人物が指導者として存在しないのではないか。ガンディア国民を支配するための虚構の支配者なのではないか。
《さて、セツナよ。どうするのだ?》
「どうする……ったって」
セツナはマユリの目を見つめ返したものの、即答はできなかった。ネア・ガンディアがザルワーンとログナーへの同時侵攻を開始しているのは、明らかだ。地図上に明滅する光点と、マユリが受け取ったという通信内容がそれを確定的なものとしている。つまり、このままザルワーンに留まっていれば、ログナー方面はネア・ガンディアによって制圧される可能性が極めて高いということなのだ。それは、ネア・ガンディアの戦力を鑑みれば、否定しようのない現実だ。
神々を戦力の要とするネア・ガンディアに敵う軍事力など、この世に存在するものとは思えない。二大神と謳われたナリア、エベルがネア・ガンディアに属しておらず、それぞれに軍勢を率いているのであれば、対抗できなくはないだろう。しかし、二大神が人間の力になってくれるかというと、望み薄だ。エベルもナリアも、ヴァシュタラの神々同様、本来在るべき世界に還るべく、三大勢力を利用し、儀式の完成と聖皇の復活を夢見たものたちなのだ。そんな神々が、儀式が失敗したからといって手のひらを返したように、この世界のひとびとに協力的になるとは考えにくい。
仮にそのようなことがあったとして、ネア・ガンディアからログナーを護ってくれる可能性など、万に一つもありえない。
「ザルワーンから離れるわけにもいかないし、かといって、ログナーを見捨てるなんてできるわけがないわよね……」
ファリアが、苦渋に満ちた顔をして、いった。
彼女のいうとおりだ。ザルワーンもログナーも見捨てることなどできるわけがない。ザルワーンには太后グレイシアを始め、ガンディア王家のひとびとや、ガンディア国民が住んでいる。ログナーとて、同じだろう。ガンディアの領土だったのだ。最終戦争時、三大勢力によって蹂躙されたとはいえ、そこに住む人々の多くはガンディア国民だったはずだ。
放っては、置けない。
「龍府に戻り、仮政府の判断を仰ごう」
グレイシアたちには辛い話になるだろうが。
いまは、そうするほかなかった。