第二千百六十二話 ネア・ガンディア(一)
光と音の発生源に目を向けたとき、セツナは、ただただ唖然とするほかなかった。セツナだけではない。その場にいただれもが、その惨憺たる光景を目の当たりにし、絶句せざるを得なかっただろう。
マルウェールが爆炎に飲まれていたのだ。
「な、なんだ!? いったい、なにが……」
「どういうことだよ、おい!」
「これは……」
マルウェールの四方を囲う城壁が消し飛んだだけではなく、城壁内の建物群も尽く破壊され、跡形も残っていない状態だった。黒き矛とメイルオブドーター、エッジオブサーストを身につけていることによる超感覚が、セツナの目にマルウェールの惨状をありのまま認識させる。生き残っている人間などいようはずもない。一般市民は愚か、マルウェールに残っていただれもかれもが、いまの光に飲まれ、息絶えたのだ。
マルウェールは、あの瞬間、全滅した。
「マルウェールが……」
セツナは、シーラやエリルアルムが自分に注目していることを認めながらも、マルウェールの惨状について言葉にしたいとは思えなかった。伝えなくてはならないが、いまここでありのままを話せば、余計な混乱を生むのではないか。仮政府軍の第一軍団には、凄まじい衝撃を与えることになるだろう。絶望させかねない。
マルウェールに生存者はいない。
少なくとも、セツナの感知範囲に生存反応はなかった。そして、マルウェールの市街地は全体がセツナの感知範囲に入っている。つまり、生存者は絶望的だということだ。生き残れたのは、この度、戦場に赴いた人間だけだということだ。
「セツナ……?」
シーラがセツナの顔を覗き込んでくるが、そのときには、セツナはマルウェールとは正反対の方角、つまりクルセルク方面より迫り来る存在を感知していた。強大な圧力を発しながら、上空を邁進する存在。それがなんであるかは、直接見ずとも想像がつく。
セツナは、炎に包まれたままのマルウェールから背後へと視線を向け、上空を睨んだ。蒼穹を切り裂く二十四枚の光の翼は、その巨大で威圧的な船体を機械じかけの天使の如く思わせるかのようであり、まさに神の尖兵のような有様だった。方舟だ。方舟に搭載された神威砲によって、マルウェールが灰燼と帰したのだ。凄まじい怒りがセツナの全身に脈打った。黒き矛の憤怒は、方舟に乗る神に対してのものであろうが、セツナの怒りは、神軍そのものに対するものだ。そして、神軍の攻撃を防ぐこともできなかった自分自身への怒りともなっている。
セツナを攻撃するのであれば、いい。セツナは黒き矛の持ち主であり、神々の敵対者にして、神軍の敵なのだから、攻撃されて当然だ。しかし、マルウェールは違うはずだ。神軍とマルウェール――ザルワーン仮政府が敵対したということは聞いたことがない。少なくとも、仮政府の首脳陣は、神軍の存在さえ知らなかったのだ。
「あれは……いったい?」
「天使?……いや」
「方舟、と、俺たちは呼んでいる」
「方舟?」
「神軍の移動手段であり、戦力を運搬するための手段でもある。神軍は、あれを使って世界各地に戦力を送り込み、戦争を起こしているって話だ」
「ちょっと待ってくれ。当たり前のように話してるけど、そもそも神軍ってなんなんだ?」
「うむ。わたしにもわからないな」
シーラとエリルアルムの疑問はもっともだったが、セツナだってよくわかっていないことには違いなく、彼は渋い顔をした。神軍に関する情報といえば、いまさっき伝えたことが大半だ。方舟を利用して世界各地に戦力を送り込み、飽きることなく闘争を繰り返しているという謎の勢力。神々の多くが属しているということから、とてつもない勢力であることに間違いはなく、この変わり果てた世界における最大の脅威といっても間違いはあるまい。
「実のところ、よくわかっていないというのが本当のところだ。ただ、神々が属し、世界各地で争いの原因になっているということと、そこに死んだはずのクオンが属しているということくらいしか、わかっていない」
「クオン? クオンってあのクオンか?」
「《白き盾》のクオン=カミヤ殿?」
「……ああ」
静かに肯定する。
確かにあのとき、方舟の甲板にいたのは、クオンだったはずだ。変わり果てた姿ではあったものの、クオン以外のなにものでもなかった。シールドオブメサイアを召喚していたことからも、彼以外にはありえないことがわかる。シールドオブメサイアには、黒き矛と同じく召喚術式が存在しないのだ。クオンしか呼び出せないということであり、赤の他人がシールドオブメサイアを携え、クオンの見た目だけを模倣することはできない。
だが、クオンは死んだだろうというのが、セツナたちの見解だった。神の加護を受けた十三騎士たちが死に絶えたのだ。クオンだけが生き延びているとは、考えにくい。シールドオブメサイアの防御能力ならば、と、考えもしたが、シールドオブメサイアは、絶対無敵の盾とはいい難いのだ。かつてシールドオブメサイアを模倣したドラゴンを倒したことがあるように、破壊力次第では、盾を貫くことも不可能ではない。
あのときのセツナと黒き矛では貫けなかったが、世界を崩壊させるほどの力を無効化できるとは、とても考えにくいのだ。
故にクオンは死んだものと思うほかない。しかし、現に彼は生きていて、セツナの前にその姿を見せている。では、クオンが死ななかったのか、というとそうは考えにくい。
クオンは、神々の力によって生き返ったのではないか。
神々は、万能に近い力を持っている。死者を蘇生させることができたとして、なんら不思議とは思えなかった。
『この場にいるすべてのものに告ぐ』
突如として響き渡った凛々しい女の声に、セツナたちは顔を見合わせた。声は、遥か頭上から降ってきており、方舟が発信源であることは明らかだった。高性能な拡声器でも使っているのか、地上にいるものたちの耳にしっかりと届いている。烈しさを秘めた強い声。人間の声のように聞こえるのは、神々のように頭の中に直接響く聲ではないからだろう。
『いま、マルウェールを攻撃したのは、我々である。マルウェールの二の舞いを避けたければ、いますぐ武器を捨て、速やかに降伏せよ。さすれば、我らが同胞として快く迎え入れよう』
粛々たる女の宣告に、矛を握る手に力が篭もる。黒き矛が強く反応するのも当然だった。黒き矛の敵があの船の中にいるのだ。
「有無を言わさずマルウェールを攻撃しておいて、よくいう……!」
「いや、そのためだろう。マルウェールへの攻撃は」
「なに?」
「自分たちにはマルウェールを滅ぼすくらい造作もないということを満天下に示したのだ。あちらの降伏勧告に応じなければどうなるかをな」
エリルアルムは、方舟を睨みながらいった。
場は、騒然となっていた。仮政府軍の将兵たちも、帝国軍の将兵たちも皆、方舟からの高らかな宣言を聞き、それぞれに反応を示している。マルウェールへの攻撃がそういった反応を呼び起こしたのは間違いない。方舟が見せつけた絶大な力がと結果が、両軍を恐怖に慄かせている。
『降伏を快しとせず、飽くまで我々と戦うというのであれば、我々も全力で応じよう。ただし、そうなれば、ザルワーン全土がマルウェールの如く灰燼と帰すことを忘れぬことだ』
そして、女の声は、冷ややかに、恐るべき名を告げてきたのだ。
『我々は、ネア・ガンディア』
「は!?」
「なんだって?」
「なにをいった?」
セツナたちが耳を疑ったのは、当然だったが、しかし、セツナ自身、自分が聞き間違えることなど万にひとつもないことを知っていた。故にこそ、女の発した名称が聞き捨てならず、疑問の声を上げるしかなかったのだ。
『神々をも支配せし真なる王、獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアの勅命に従い、ザルワーン方面の制圧に臨むものである』
またしても、予期せぬ名を告げてきた女の、冷厳たる宣言は、粛々と続く。
『ザルワーンの、ガンディアの臣民よ。レオンガンド神皇陛下と再び世界統一の夢を追いたいのであれば、レオンガンド神皇陛下の庇護下にて、永遠不変の安息を得たいのであれば、この船の元に参集せよ。さすれば、我らは快く同胞と迎え入れ、神都ネア・ガンディオンへの道は開かれよう』
セツナは、茫然と方舟を見遣りながら、広がり続ける動揺を肌で感じるしかなかった。
『我々はネア・ガンディア。神々の王たる獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアとともにこの世に真なる平穏をもたらすものなり』
方舟は、船首を巡らせると、その二十四枚の翼を膨大化させ、空を覆うほどに光り輝かせた。まるで、ザルワーン全土に方舟の存在を主張するかのように。
まるで、地上に舞い降りた天使がその奇跡を示現するかのように。




