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第二千百五十九話 交渉、そして


「帝国軍の指揮官はどこだ? どこにいる?」

 セツナは、シーラを抱きかかえたまま帝国軍陣地へと近づき、大声で帝国軍兵士たちに向かって問いかけた。

 兵力差が歴然としているからといって、下手に出る必要などはない。兵力差こそ圧倒的に帝国軍のほうが上だが、戦力差となれば話は別だ。たとえ帝国軍に何十人もの武装召喚師がいようと、いまのセツナには関係がないのだ。少なくとも、帝国軍の戦力では、セツナを殺すどころか、傷つけることも不可能だろう。たとえシーラを抱き抱え、両腕を戦闘に用いることができなくてもだ。なんの枷にもならない。

 セツナが、帝国軍と仮政府軍が対峙することによって生まれていた空白地帯を踏破しきったころには、帝国軍兵士たちは騒然となっていた。大盾を前面に押し出して警戒を主張しながら、セツナに警告してくる。盾兵の後方に控えた数え切れないほどの弓兵たちが、殺意の矢をセツナに向けている。号令があり次第、いつでも発射できるよう準備万端といった具合だった。

「待て! 止まれ! そ、それ以上近づくな!」

「そ、そうだ! 止まれ、動くな!」

「なんでだよ?」

 セツナは、素朴な疑問を口にしただけだったが、それが帝国軍兵士たちには挑発に受け止められたらしい。兵士のひとりが居丈高に言い返してくる。

「それ以上接近すると、攻撃する!」

 しかし、セツナは接近を止めなかったし、それを見た帝国軍兵士は、掲げた手を振り下ろさんとした。攻撃命令のためだろう。が、その手は、振り下ろし切る前に止まった。兵士――おそらく前線部隊長だろうが――の背後に立った人物が、素早くその手首を掴み取ったのだ。重厚な軍装の男は、蛇のように禍々しい目でもって、その兵士の顔を覗き込むようにした。

「だれがそのような命令を下したか」

「敵が警告を無視して――」

「だれが攻撃してよいといった、と聞いている」

「こ、これは大佐殿……!?」

 兵士が凍りつく様は、さながら蛇に睨まれた蛙のようであり、蛇のような男の印象をさらに強くする。冷ややかなまなざしは、ひとをひととも想っていないようであり、無機物的であり、異様なものでもあった。長身痩躯。前線部隊長と思しき兵士よりもずっと上背がありながらも、肉感のない細身が、より蛇蝎のような印象を与えるのだろう。

「なにを驚く必要がある。わたしがこの軍団の指揮官だろう。交渉とあらば、指揮官が出向くのは当然のこと」

「し、しかし……」

「指揮官に口答えするのか?」

「い、いえ……」

 前線部隊長が慌てて首を横に振ると、指揮官と思しき男は、視線をこちらに向けてきた。鈍い輝きを帯びたまなざしは、一兵士が持ちうるようなものではない。

「なに。彼はどうやら、我々と戦うつもりはないようだ。交渉がお望みのようだ」

「どうやら随分と耳がいいらしいな、あっちの指揮官は」

 セツナは、帝国軍指揮官にこちらの会話が筒抜けだったことを認め、目を細めた。

「部下に武装召喚師でもいるんだろ」

「まあ、そうだろうな」

 シーラのいうとおりに違いない。指揮官当人が武装召喚師という可能性も低くはないが、召喚武装を身につけているようには見えなかった。敵指揮官の側に控える女が、どうやらそうらしい。先端に円環を纏う宝石を浮かばせた杖は、どこをどう見ても召喚武装以外のなにものでもないのだ。人間の作りうる武器にそのような芸当ができるはずもない。さながら魔法使いのように長衣を纏い、頭巾を目深に被った女で、褐色の肌が見え隠れしていた。表情はよくわからない。男に視線を戻す。

「大佐といったか」

「……帝国軍の階級は、よくわかんねえな」

「そういや、そうか」

 大佐や少佐といった肩書の名称は、小国家群中央部には極めて馴染みの薄い代物だった。ガンディアでも、ついぞ聞いたことがない。特にガンディアは、階級に関しては大雑把の極みといってよかった。将軍、軍団長、隊長、一般兵といった具合だ。無論、もう少し細かな分類があるにはあるが、それだけ理解していれば十分なほど、小国家群の国々というのは単純な構造をしていたのだ。

 その点、三大勢力の一角ともなると、そういうわけにもいかないらしい。リグフォードの話によれば、帝国軍の階級は細かく分けられており、最下級の二等兵から最高指揮官である大総督まで、全部で十八階級あるとのことだ。

 大佐は、中佐の上、少将の下という階級であり、上等といっていいだろう。クルセルクに駐屯する二万人を指揮するのに最適な階級なのかは、判然としないところではあるが。

「貴公が、龍府仮政府の代表とのことだが、真か?」

「ああ。仮政府より、帝国軍との交渉に関し、全権を委任されている」

 というのは、嘘でもなんでもない。セツナは、九尾だけでなく、帝国軍への対応に関しても仮政府の代表であるグレイシアから一任されていた。政治能力のないセツナに一任するのはどうかと想うが、セツナ以外に帝国軍を対処できる人材もいないのが仮政府の現状なのだろう。それ故、セツナは九尾を説得し、シーラを解放でき次第、クルセルク方面に飛ぶつもりでいたのだ。無論、そのときは単独ではなく、ファリアたちも同行させるはずだったが、残念ながらそうはならなかった。いてもいなくても大勢に影響はないが、頭の悪いセツナひとりでは交渉事には向かないことはわかりきっている。だから、ファリアたちに同行してほしかったのだが、こうなった以上は仕方がない。

 ここで交渉しなければ、帝国軍によるマルウェール攻撃を許すことになる。そうなれば、セツナも黙ってはいられない。撃退しなければならないし、帝国軍が切羽詰まっている様子である以上、生半可な方法では撃退できまい。無為に血を流すことになりかねない。

「交渉か。本当に、我々と交渉つもりだとはな。随分と……見くびられたものだ」

 と、男が一瞥をくれたのは、セツナの胸元にだった。セツナは、その瞬間、彼の視線と発言の意図を理解した。シーラのことに違いなかった。

「……ああ、これか。このことは気にしないでくれ。事情がある」

「それも認識してはいる。ただ、気に食わないだけのことさ」

 彼の言い分も十二分に理解できたが、その言い方こそ、セツナには気に食わなかった。シーラが困ったような表情を浮かべているのも、なんだか可哀想だ。シーラは、セツナに巻き込まれているだけなのだ。

「気に食わないのはこっちも同じだ。お互い、気に食わない同士、仲良くやろう」

「ふん……礼儀がなっていないな」

「礼儀? 人様の土地に土足で踏み込んできて、荒らし回っているような連中がいえたことか」

 セツナが鋭く言い放つと、さすがに相手も気色ばむのがわかった。周囲の兵士や武装召喚師がわずかに反応を見せる。セツナの言葉に棘がありすぎたのだ。シーラが囁いてくる。

「お、おい、セツナ」

「なんだよ」

「交渉に来たんじゃないのかよ。喧嘩を売ってどうすんだよ」

「喧嘩を売るつもりはないさ。ただ、いわなきゃならんこともある。奴らがクルセルクを蹂躙したのは事実だ。そのために何人が死んだ」

 最終戦争において、ガンディアは一方的に蹂躙されるしかなかった。クルセルク方面を始め、あらゆる地方が三大勢力の圧倒的物量、絶対的軍事力によってもみ潰された。抵抗などなんの意味もなかった。数の暴力。理不尽極まりない。そのため、クルセルクにどれだけの血が流れたのか。ガンディア全土にどれほどの血が流れ、どれほどの死が満ちたのか。考えるだけで心が震える。

 西ザイオン帝国との契約もあり、できるだけ考えようとしてこなかったことだ。見て見ぬふりをして、思考から排除しておくべきだった。妙なわだかまりは、契約に不穏な影を残す。しかし、傲岸不遜な帝国軍指揮官の言動を見聞きすれば、セツナが考えまいとしていたことまで蘇り、吹き荒れるのだ。

「そりゃあ……そうだけど」

 シーラがバツの悪そうな顔をした。クルセルク方面まで手が回らなかったことを気にしているのかもしれない。そういうことをいっているわけではない、と、セツナがいおうとしたとき、帝国軍の指揮官が傲然と口を開いた。

「く……くはは、貴公、交渉下手にも程が有るぞ。それではまるで、我々を挑発しているようなものではないか」

「そうだな……どうせなら、あんたらが有無を言わさず攻撃してきてくれりゃあいいのにって、心のどっかで想ってるよ」

「ほう……では、交渉というのはなんなのだ?」

 帝国軍指揮官が、怒りを露わにする部下たちを手で制するのを見て、安堵とともにどこか残念な気持ちが生まれている事実に内心愕然とする。人殺しを嫌いながら、目の前の帝国兵を吹き飛ばしたいと想っている自分の矛盾した感情が、あまりにもどす黒く、烈しい。深く息を吐きだし、頭を振る。冷静にならなければ、ならない。

 ここで帝国軍と争うことになんの利もない。この地から帝国軍を完全に排除したからといって、得られるものなどただの独りよがりの満足感に過ぎないだろう。いや、満足感すら得られるものかどうか。

 か弱いひとびとを皆殺しにしたところで、虚しいだけだ。

 そんなことは、とうにわかりきっている。

 だから、セツナは、人殺しを嫌う。殺し過ぎたのだ。命を奪いすぎたのだ。

「……が、無駄に血を流したくないってのは、本音なんだよ、俺の。あんたら帝国軍への恨みつらみもいまは飲み込むさ。あんたらを皆殺しにしたって、恨みが晴れるわけでもねえ」

「まるで貴公の手で我々二万余を滅ぼせるといいたげだな」

「できるさ」

 セツナは、即答でいい切ってみせた。まさに大胆不敵で傲岸不遜といった態度だったが、気にもしない。たかだか二万人あまりの常人でセツナを止められるはずもないのだ。

「言い忘れていたな。俺はセツナ・ゼノン=カミヤ。ガンディア王国宮廷召喚師をやっているものだ」

「……貴公があのセツナ・ゼノン=カミヤだと」

 帝国軍指揮官が、元々青ざめていた顔をさらに深く染めた。

 どうやら、セツナのことをよく知っているようだった。



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