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第二千百五十五話 白毛九尾、再び(十)


「セツナよ。そなたはなにかを勘違いしておるようじゃな」

 九尾が、セツナを見据える目には、冷静さが戻っていた。さっきまでの感情的な振る舞いからは考えられないほどに落ち着きを取り戻した声音は、むしろ底冷えするくらいの迫力がある。だが、セツナが

押し負けるわけにはいかない。

「なんだと?」

「わらわは、そなたを認めぬ」

 九尾は、断言した。その力強い発言に大気が震え、電光が虚空を彩った。

「シーラは、そなたを好いておる。そのことは、認めよう。じゃがな、そなたは、シーラのその想いに応えなんだ。そなたは、シーラの好意を知りながら、愛情を理解しながら、それを利用するだけ利用して、踏みにじった」

「俺は……!」

「言い訳なぞ聞きとうないわ。そなたはあの都の護りを任せ、それ以来、なんの音沙汰もなかったではないか!」

 九尾の怒号がマルウェールの天地に響き渡るが、セツナは、返す言葉もなく、ただその声に耳を傾けた。言い訳などできるわけがない。それは事実なのだ。

「そなたがシーラと交わした約束、忘れたとはいわせぬぞ」

「……忘れてなんかいるもんか」

「なれば――!」

 九尾の怒りが、最高潮に達する瞬間をセツナは見逃さなかった。だが、だからといって逃げようとはしない。九尾の、ハートオブビーストの怒りは、理不尽なものでもなんでもないのだ。その怒りの原因が自分である以上、黙って受け止める以外にはない。その結果、セツナ自身がどうなろうと知ったことではないのだ。

「なればなぜ、あのとき、シーラを助けてやらなんだ! なればなぜ、あのとき、シーラを護ってやらなんだ! なればなぜ、ずっとシーラの側にいてやってくれなかったのじゃ!」

 九つの尾が逆巻くように乱れ舞い、大地を蹂躙し、大気を掻き混ぜる。凄まじい熱量が渦を巻いた。圧倒的な力は、セツナを包み込み、吹き飛ばさんとする。しかし、セツナは、その場から動くまいと懸命に耐え抜いた。激痛が全身を貫くが、逃げるわけにはいかないんどあ。

「わらわは、シーラを愛しておる。あの娘ほど、心の美しいものはおらぬ。あの娘ほど、魂の澄み切ったものはおらぬ。あの娘ほど、か弱く、儚いものはおらぬ。わらわには到底持ち得ぬものがシーラにはあるのじゃ。故にわらわはシーラとともにあろうと想った。力を貸し与えようと想った。そなたに力を貸すのも、一興じゃとな」

「ハートオブビースト……」

「じゃが、現実はどうじゃ。そなたは、シーラとの約束を果たさず、それどころか、ついぞ姿を消したまま二年以上もの月日が流れた。この地平は変わり果て、荒れ果て、壊れ果てた。その成れの果てがこの有様じゃ。わからぬか、セツナよ。そなたがシーラを見捨てねば、こうはならなんだ」

 セツナには返す言葉もなかった。

 すべて、九尾のいうとおりだ。

 そのつもりはなくとも、結果的にはそうなっているという事実まで否定することなどできるわけがない。

「シーラは、だれひとり護ることもできなかったことに耐えかね、壊れた。わらわがこうしてここにあるのもそのため。そなたが側にいてくれておれば、こうはならなかったものを……!」

「シーラが……壊れた? どういうことだよ!」

「いうたままの意味じゃ」

「逆流現象なんじゃあないのか」

「セツナよ。シーラがその責任に耐えかね、絶望のあまり壊れたという事実をわらわのせいにするつもりか? それならばそれで構わぬ。わらわもまた、わらわの想うまま、そなたに責任を果たしてもらうのみじゃ!」

「俺の……責任」

 否定は、しない。できるわけがない。シーラたちを龍府に置いたのは、セツナだ。シーラ率いる黒獣隊、龍宮衛士、ガンディア軍、それにエリルアルムたちエトセア遺臣団による龍府防衛軍の構築は、セツナの意志とは無関係ではない。もしセツナが望むのであれば、シーラを側に置いておくことだってできただろう。シーラの立場は、セツナの家臣だったのだ。ガンディア軍の指示に従ういわれはない。だが、セツナは、シーラを龍府に置くことに決めた。それがシーラのためであると信じたというのもあるが、余計なおせっかいだったのかもしれない。龍府がアバードに近いとはいえ、アバードを護るために勝手に動ける立場にはないのだから。

「シーラを斯様な目に遭わせたこと、わらわが許すわけがなかろう。そなたがどれほど謝ろうと、そなたがどれほど後悔していようと、もう遅い!」 

 九尾の力がその巨躯を支える大地そのものに影響を与え始める中、セツナは、マルウェール方面からの援軍が到来したのを感知した。エリルアルム率いる騎士団と龍宮衛士、それにザルワーン方面軍第一軍団だ。だが、彼らは九尾とセツナの対峙を目の当たりにして、困惑を隠せない様子だった。当然だろう。九尾といえば、彼らの守護神であり、セツナと敵対することなどありえないはずだからだ。

「セツナ!」

「エリルアルム、絶対に手を出すなよ!」

「しかしっ!」

 エリルアルムの悲鳴にも似た反応を認めながら、セツナは頭を振った。九つの尾が、セツナを包み込んでいく。強烈な力を帯びた九つの尾。触れるだけで皮膚が焼け、剥がれ落ちるかのような痛みが生じる。

「これは、俺の問題だ。俺の責任なんだ。責任は果たさなきゃな。そうだろう、ハートオブビースト」

「いまさらしおらしくなったところで、いまさらじゃ! 泉下でシーラに詫び続けるがいい!」

「……シーラ」

 九尾の大口が眼前に迫る。口腔内の漠たる闇は、さながら暗黒の深淵そのものであり、セツナは、虚無の奥底へと吸い込まれるような感覚に襲われた。

 そして、すべての感覚が途絶した。

(――済まない、シーラ)

 全身がばらばらになるような感覚が襲ってきたのは、九尾に喰らわれ、闇に飲まれたあと、しばらくしてからのことだった。最初は、感覚の断絶があった。あらゆる感覚が消失し、自分さえも見失いかけたのは、手から黒き矛が離れたせいもあるだろうし、メイルオブドーターが無力化されたことも大きいに違いない。

(約束したのにな。おまえを護るって)

 謝罪の言葉を並べたところで、それが本人に届かなければ意味がない。いや、届いたとしても、本人が納得しなければ、なんの意味もないことくらい、わかりきっている。謝って済む話ではないことも、理解している。だが、それでも謝る以外にはない。それ以外、彼女にかける言葉などあるだろうか。

(なのに俺は、おまえからも、世界からも逃げ出したんだ。最低だ。本当に最低のゴミクズ野郎だ。おまえに嫌われても、憎まれても、殺されても文句はいえねえ)

 どれだけ言葉を紡ごうとも、それだけでは足りないということもわかっている。シーラに逢い、彼女の目を見て、伝えなければならない。そうして、彼女自身に判断してもらう以外にはないのだ。それは、シーラに限った話ではない。

 レム、ファリア、ミリュウ――だれもかれもそうだ。皆に謝罪し、許しを請わなければならないのがいまのセツナの立場なのだ。

 あれだけ大見得を切って、このザマだ。

(だって、そうだろ……)

 当然の報い。

 そんな言葉が脳裏を過る。

「俺はおまえを護れなかった」

 自分の声が聞こえたとき、セツナは、自分が死んでいないことを理解した。そして、全身の痛みが地面に叩きつけられたことによるものだということも、悟る。セツナは、地面に仰向けに倒れていたのだ。

「……ここは」

 一面純白で埋め尽くされた光景が広がっていた。見渡す限り、白、白、白――なにもかもが白く塗り潰された世界で、天と地の境目さえも曖昧な空間。見覚えがないこともない。

「白毛九尾の体内……か」

 かつて一度、セツナは白毛九尾の体内に飛び込んだことがある。そして、その中にシーラがいたということを思い出して、セツナはおもむろに立ち上がった。白い大地に突き立っていた黒き矛を引き抜き、空を仰ぐ。

 シーラがどうやって白毛九尾の狐を形成していたのか、思い出したのだ。

 白毛九尾の狐は、ハートオブビーストの最大能力ナインテイルの発動によって顕現するものではない。ナインテイルの発動中、その能力をさらに極限まで振り絞る必要があるということをシーラ自身から聞いた覚えがある。シーラは、アバードでの白毛九尾顕現後、しばらくまともな生活も送れないほどに消耗しており、短時間の顕現さえも心身への負担が激しく、そう簡単には使用できるものではないということもわかっていた。

 ハートオブビーストは、血を触媒として様々な能力を発動し、使用者の肉体に変化をもたらす。まるで猫のようになるキャッツアイ、兎の耳が愛らしかったラビットイヤー、バッファローホーンなる能力もあるという。ナインテイルもそのような変身能力の一種であり、その名の通り、九つの尾を持つ狐に似た姿へと、シーラ自身を変化させるものだ。

 そして、白毛九尾は、その状態のシーラが作り出す実体を持った幻像とでもいうべき代物であり、その圧倒的な力は、ハートオブビーストの潜在能力の高さを示していた。

 つまり、白毛九尾の中心には、その幻像を作り出すシーラがいるということだ。

 セツナは、神経を研ぎ澄まし、白で埋め尽くされた世界を見回した。そして、白い虚空を走る九つの尾が一点に集中する場所を見出すと、即座に飛んだ。メイルオブドーターの翅を広げ、空中へ。

(シーラは壊れたっていったな)

 白毛九尾の姿を借りて、ハートオブビーストが告げてきたことが嘘だとは思い難い。しかし一方で、セツナを殺すようなことをいいながら、実際には殺すどころか無傷のまま体内に取り込んだだけだというのも、おかしな話だった。ハートオブビーストの怒りは本物だったし、その昂ぶり方は生半可なものではなかった。セツナに殺意を抱いていたのは間違いないし、殺すつもりだったのも気のせいではあるまい。

 だが、しかし。

(俺は生きている。死んじゃあいない)

 それがどういうことなのか、ハートオブビースト本人に直接聞く以外にはないのだが、ハートオブビーストの姿はどこにも見当たらない。

 セツナの視界に映るのは、純白に塗り潰された空に浮かぶ繭状の白い物体のみだ。そこから長大極まりない九つの尾が伸び、縦横無尽に入り乱れてこの世界を形成している。つまり、それこそナインテイルによって生じた九つの尾であり、白毛九尾という実体を作り出しているものなのだ。その中心、繭状に丸まっているのもまた、九つの尾だろう。

 シーラは、その尾の繭に守られているということだ。

 セツナは、尾の繭に接近すると、人間大の大きさであることを確認した。やはり、シーラはこの中にいるのだろう。

「シーラ」

 呼びかけ、手で触れる。

 繭を形成する白き尾は、ふさふさで暖かかった。柔らかく、体温を感じる。拍動さえもだ。生きている。当然のことに感動し、感激する。シーラは死んでなどいない。ここに生きている。だからこそハートオブビーストが九尾として在り続けることができるのだろうが、最悪の可能性を考えていたセツナにとって、この確認は喜び以外のなにものでもなかった。

「シーラ。聞こえては……いないかな」

 セツナは、尾の繭に触れたまま、ただ、謝った。

「済まなかった。ずっと、ひとりぼっちにしていて、本当に済まなかった。謝って済む話じゃないことはわかっている」

 シーラがなぜ、ナインテイルを暴走させたのかは、想像がつく。ハートオブビーストは、シーラが絶望したといった。だれひとり護れなかった、とも。故に絶望し、九尾を顕現させた。これまでにないほどの力を用い、想うままに暴走させた。それはどういう理由からか。

 黒獣隊の全滅。

 おそらくは、それが最大の要因だろう。

 シーラにとって、黒獣隊の隊士たちは、かけがえのない存在だった。だれひとり欠かすことのできない存在であり、彼女の人生を支えてきた家族のようなものたちだったのだ。それこそ、アバードの姫君時代から支え続けてきたのだ。もはやシーラにとっては無くてはならない存在だったのはいうまでもない。

 それが全滅したのだろう――ということは、龍府にもマルウェールにも彼女たちの姿が見当たらず、黒獣隊の現状についてなんら知らされていないことからも想像がつく。ひとりでも生きていれば、セツナに報告があるはずだ。それがなかった。

 つまり、黒獣隊は全滅したということだ。

 故に、シーラは、絶望した。

 無論、シーラだって本当はわかっていたはずだ。黒獣隊として、ともに戦場に立つ以上、いつかはだれかが負傷したり、戦死するようなことがあることくらい、覚悟していたはずだ。しかし、だからといって、ひとりふたり失うだけならばまだしも、全滅するとなると話は別だ。ひとりずつならば、傷つき、苦しみながらも、受け入れていけたかもしれない。

 しかし、全員が戦死したのであれば、そうはいくまい。

 喪失感や無力感が押し寄せ、絶望を抱いたのだとしても、なんら不思議ではなかった。

 その結果が白毛九尾の顕現と暴走に繋がったのではないか。

 セツナは、繭の中のシーラに語りかけながら、胸を締め付ける想いに涙さえこぼした。

「俺が至らぬばっかりに、おまえをこんな目に遭わせてしまった。俺がもっとしっかりしていれば。俺がもっとちゃんと、状況を理解していれば……」

 シーラを傷つけるようなことも、黒獣隊の皆を失うようなこともなかったのではないか。

 もちろん、わかっている。

 いまさら後悔してももう遅いのだということくらい、理解しているのだ。それでも、その苦い想いを抱かずにはいられなかったし、もしもの可能性に想いを馳せないわけにもいかないのだ。

 もし、あのとき、セツナが世界情勢を正確に理解し、徹底抗戦を諦めていたのであれば、身の回りにいるひとたちをだれひとり失うことはなかったのもまた、事実なのだ。

 セツナの愚かさが、黒獣隊の皆の命を奪った。



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