第二千百五十四話 白毛九尾、再び(九)
黒き矛の穂先が白く膨張したかに見えたつぎの瞬間、破壊的な光の奔流がセツナの視界を純白に塗り潰した。いわゆる黒き矛の能力のひとつ、破壊光線だ。呼称そのままの破壊が、帝国軍陣地前方に巻き起こった。凄まじい爆発光。音が聞こえなかったのは、あまりにも大きすぎて聴覚が拒絶したのだろう。そして、光が消え去ったあとにあるのは、荒れ果てた大地に空けられた大穴だ。
帝国軍の半数くらいは飲み込めそうなほどの大穴は、彼らを沈黙させるには十分過ぎるほどの威力を見せつけていた。直撃を喰らえば、帝国軍といえどひとたまりもないことくらい、だれの目にも明らかだ。優れた防御能力を持った召喚武装の使い手がいるのならばまだしも、通常戦力では対応のしようがない。
「俺はいま、あんたらの命数に関わる重要な話をしているんだ。これ以上の邪魔をするなら、交渉の余地なしと見なし、俺がこの手で殲滅してやる」
セツナは、帝国軍本体に切っ先を向け、警告した。大音声で発したわけではないが、セツナの声は帝国軍将兵の末端に至るまで聞こえただろうことは疑う余地もない。末端の兵士たちは、上官や指揮官の反応に戦々恐々とし、帝国軍の指揮官と思しきものの反応も手に取るように分かった。伝令兵に全軍に攻撃を停止するよう命じる声が聞こえたのだ。
こういうとき、召喚武装装備の副次効果である感覚の強化は有難かった。遠く離れた敵陣の様子までもがわかってしまう。
もっとも、わかりすぎるということは、怖いことでもあるのだが。
たとえば、白毛九尾の中にシーラの声さえ聞こえないという事実は、あまりにも恐ろしい。シーラは、生きているのか、死んでいるのか。いや、死んでいるはずはない。そう理解していても、寒気がするくらいに恐ろしいのだ。彼女の身になにが起こっているのか、想像するだけで苦しくなる。
「奇妙なことをいうものじゃ」
九尾は、セツナを嘲笑う。
「何故、あやつらをいますぐ滅ぼさぬ。あやつらは、この地を踏み荒らさんとするそなたの敵ぞ。敵を護り、のさばらせるなど、言語道断ではないのか?」
「あいつらがこのまま俺の邪魔をするなら、あんたの望み通り滅ぼしてやるさ。だが、そうじゃないなら、滅ぼす必要はない。無意味な殺戮はもう懲り懲りだ」
「なにを戯けたことを申すかと想えば……セツナよ、そなたはまこと腑抜けになってしもうたようじゃ」
「なんとでもいえばいい。俺は、だれかにどう思われようと、なんといわれようと、生きたいように生きていくだけだ」
「その結果が、このざまか」
「……ああ」
ただ、認める。
セツナが生きたいように生きた結果が、この現状なのだ。セツナは敗れ、地獄へ逃れた。シーラは白毛九尾と化し、二年以上に渡ってこの地を護り続けてきた。それがすべてだ。そこを否定することはなにものにもできない。好きなようにした結果、彼女だけを傷つけることになったという事実を捻じ曲げることなど、できるわけがない。だからこそ、セツナはここにいるのだ。
シーラに直接謝らなければならないのだ。
「ふ……ふはは。そなたは、なにもわかっておらぬ。なにも理解しておらぬ。なにも、知らぬ。知ろうともせぬ。そなたは、そなたは……!」
九尾が怒気を発っしながら九つの尾を同時に振り回した。凄まじい勢いと速度、そして破壊力でもって振り回された九つの尾が向かう先は、もちろん、セツナの後方――帝国軍の真っ只中。セツナは、メイルオブドーターの力を最大限に発揮させ、飛膜による防壁を強固なものとした。電熱を帯びた九つの尾が黒き障壁に激突し、虚空を歪ませるほどの力を拡散させる。
「ハートオブビースト!」
「止めてくれるな!」
「いや、止める! 止めてみせる!」
「何故じゃ! 何故邪魔をする!」
九尾が牙を剥き出しにして、セツナを睨む。その怒りに満ちたまなざしがセツナの心を震わせるが、セツナは、一歩も下がらなかった。引き下がるわけにはいかないのだ。ここで引き下がれば、帝国軍の兵士たちが皆殺しにされかねない。それほどまでに、九尾は怒り狂っていた。
「敵を滅ぼすことが無意味じゃというのか!? 国土に害をもたらすものを滅ぼすことこそ、幸福に繋がる、それが真理ではないのか!」
「真理だよ。だけど、時と場合によるだろ」
「知らぬな! 敵を救う必要のある時と場合など」
九尾が吼え、その足の力によって大地が割れた。地の底より噴き出した力の奔流がセツナめがけて立ち上り、襲い来る。避けない。動けないのだ。セツナの体を突き抜けた衝撃は、強烈な痛みとなって全身を駆け巡り、彼は歯を食いしばった。耐えなければ、ならない。
「敵は、尽く引き裂き、食い破り、蹂躙し、滅ぼし尽くす! でなければ、楽土は得られぬ!」
「それは、あんたの考えだろう」
「そうじゃ! それが、どうした!」
九尾が、セツナを見下ろし、告げてきた。逆立つ毛並みがその制御しがたいほどの感情の昂ぶりを表し、九つの尾が揺れ動く様は、さながら天変地異の様相を示しているかのようだった。敵対する神と対峙しているときのような緊迫感を覚えるということは、それほどの力を持っているということなのだろう。つまり、セツナといえど、本気にならなければ危ういということだ。
「わらわは白毛九尾。こことは異なる時空、異なる地平において万象鳥獣を支配するものぞ」
「だったらどうした。俺は俺だ。セツナ=カミヤ。なにも果たせなかった夢の骸の成れの果てさ。だからなんだってんだ。なにがいいたいってんだ」
「わらわに指図するなというておる!」
「……そうだよな。あんたに指図できるのは、シーラくらいのもんだ」
セツナが見つめると、九尾は、目を細め、黙り込んだ。そのまなざしに複雑な感情の揺らめきが見え隠れする。やはり、九尾にとって、シーラは重要な存在なのだ。だからこそ、シーラの望みを叶えようと今日までこの地に君臨してきたのだ。
つまるところ、九尾は、優しいのだ。
一方で、敵対者に対しては苛烈極まりないというのは、なにも矛盾はしない。身内に優しく、敵に厳しいというのは、極当たり前の反応だ。セツナだってそうだし、多くの人間がそうだ。敵にまで優しく振る舞えるものなど、そうはいない。
「だったら聞くが、シーラはなんていってる? あんたの横暴に、あんたの理不尽なまでの力の振るいようを、なんて評価してる?」
言い過ぎなきらいがあることは理解していたが、それでも、セツナはいわなければならなかった。九尾の向こう側にいるシーラにこそ、セツナの目的がある。そのためにも、まずは九尾を説得しなければならない。
シーラに逢いたい。
逢って、直接言葉を交わしたい。
そのための唯一にして最大の障害が、目の前の九尾の化け物なのだ。