第二千百四十九話 白毛九尾、再び(四)
「そう、先程申し上げた通り、帝国軍が突如として動き出したのです。それも、まるでクルセルクで異変が起きたかのような、そんな奇妙な動きを」
「どういうことだ?」
「帝国軍は、突如、西へ展開を始めたのです」
「西へ?」
「はい。それまでクルセールを本拠地とし、クルセルクの各都市に戦力を分散し配備していた帝国軍が、なんの前触れもなく、西側にその戦力のすべてを集中させ始めた。奇妙だと思いませんか?」
「……ザルワーン方面の制圧に、本格的に乗り出した、とかじゃあないのか?」
セツナの当然の疑問にケイオンはこれまた当然といった表情で返してくる。
「だからといって、全戦力を投入するとは考えにくいでしょう。戦力差は圧倒的です。九尾様さえどうにかできれば、全戦力の半分も投入すれば余裕で勝てます」
「余裕で……ねえ」
「戦争は、数ですよ」
「まあ、そうだが」
肯定しながらも、頭の中ではまったく逆のことを考えてしまうのは、悪い癖だろう。セツナはこれまで数的不利を覆すような戦いを数多く経験している。それこそ、勝ち戦の大半が該当するのではないかと想うくらいだ。実際のところはわからないが、印象としては強く残っている。
「まあ、セツナ様にとってみれば数的不利など、大した障害ではないのでしょうが、現実としては数ほど勝敗に直結するものはないのですよ。現状、我々ガンディア軍が帝国軍に勝てる道理はなく、故にこうして九尾様の加護を当てにしながら、帝国軍の動きを牽制することしかできていないのです。そして、帝国軍はそういったこちらの動きに対し、静観の構えを見せていました」
「九尾様がいる以上、帝国軍の数の力をもってしても、マルウェールを抜くことはできませんからな」
シリュウが畏敬の念を込めて発言した。九尾は、マルウェールにて帝国軍とガンディア軍の戦闘が始まる直前に戦場へと到達するほどの反応速度を見せている。それほどの反応速度を誇るからこその守護神であろうし、九尾信仰なのだろうが、それにしても、早い。故に帝国軍がザルワーン方面を諦めるのも無理のない話だ。これでは、いかに電撃的な作戦を考案したところで、九尾によって蹂躙されるだけだろう。
「ふむ……。つまり、帝国軍が西側に全戦力を集めるのは、通常ありえないということか」
「はい」
「まるでなにかに追い立てられているようだ、と、副長殿はいうんですがね」
ミルディは、頭の後ろで組んでいた手を解くと、膝の上に載せたようだ。
「いったい、帝国軍ほどの大勢力がなにに追い立てられるっていうんでしょうかね」
「第三勢力ってことか?」
「しかし、ヴァシュタリア軍ではないはずです。この島内にヴァシュタリア軍の生き残りはいませんから」
「仮に生き残りがいたとしても、極少数で、帝国軍を追い立てることはできますまい」
シリュウがケイオンの発言を補足するようにいった。かつてザルワーン方面を支配していたヴァシュタリア軍は、九尾によって撃退されたという話を聞いている。おそらく、だが、九尾はただヴァシュタリア軍を撃退したというわけではないのだろう。殲滅した、といってもいいのではないか。九尾は、先程の戦場において、帝国軍をただ追い散らしただけのようだが、これがもし、ヴァシュタリア軍が相手だった場合、様相は違っていたのかもしれない。話を聞く限りでは、九尾は、ヴァシュタリア軍に対しては容赦がなく、徹底的だったというのだ。
それは紛れもなく、シーラの意思や感情が反映していると考えていいだろう。
シーラは、ヴァシュタリア軍と交戦し、おそらくその最中にナインテイルを発動している。それは、ヴァシュタリア軍への限りない怒りからの発動であり、故にヴァシュタリア軍を徹底的に殲滅したのではないか。
純白の体毛に覆われた美しき巨獣は、その実、激しい怒りと絶望の化身なのかもしれない。
「じゃあ、なんだってんだ?」
「それがわかれば苦労はしませんが、わかったところで帝国軍の動きを止められるわけもありません」
「そりゃあそうだ。帝国軍が第三勢力に追い立てられてるってんなら、今後もマルウェールへの攻撃は続くだろうな」
だからこそ、九尾はマルウェール近辺に鎮座し、クルセルク方面を睨んでいるのではないか。帝国軍の戦力がマルウェールにあまりに近い位置に集中していることを察知した九尾は、マルウェールから目が離せないのだ。かといって、九尾がマルウェールに集中している間に別の都市を攻略するといった芸当が帝国軍にできるかというと、そうはいくまい。マルウェールを抜かなければ、ザルワーン方面への進出は難しい。
セイドロックから廃都メリス・エリスに向かい、そこから南西へ大回りしてナグラシアを狙う、という戦略もなくはないというが、その戦略を結実させるためには、九尾をマルウェールに釘付けにしておく必要があるのだ。もし、一瞬でも九尾がマルウェールを離れることができれば、その瞬間、南進戦略は瓦解する。九尾の移動速度は、メイルオブドーター単独では追いつけないほどのものだ。帝国軍が多方面作戦を展開していると知れば、マルウェールに取り付いた帝国軍を一蹴し、即座に他方面の帝国軍を撃滅に向かうだろう。
九尾がザルワーンの守護神であり続ける限り。
「帝国軍も、後には引けないでしょうから、ここで帝国軍を撃退するだけでは根本的な解決には繋がりません。九尾様の加護に頼り続けるのも問題がありましょう」
「……ああ」
「そんな我々を天は見放さなかった」
「ん?」
「セツナ様。ガンディアの英雄であられる貴方様がマルウェールに到着されたのです。帝国軍など、我らが英雄の敵ではないでしょう?」
「……なるほど」
「戦術はこれから考えますが、セツナ様には全面的に協力して頂きたいのですが、いかがですか?」
「協力はするさ。俺はいまもガンディア王家の家臣だからな。ガンディアのために戦うことになんの異論もない。ただ……」
「ただ?」
「帝国軍とは、交渉の余地があると想うんだ」
「交渉の余地、ですか」
ケイオンがその秀麗な容貌の中にあからさまに驚きの色を見せた。セツナがそのようなことを言い出すとは夢にも想っていなかったのだろうが、それにしても表情に出しすぎだろう。これでは彼を軍師に向かないと判断したナーレスやエインの判断に間違いがないといっているようなものだが、そのことはセツナは心の中にしまっておくことにした。
「帝国軍の目的はなんだと想う?」
「……はて」
「帝国軍の目的……か。いわれてみれば、考えたこともないな」
エリルアルムが胸の前で腕を組み、難しい顔をした。今日の今日まで、ザルワーンの仮政府には、帝国軍の目的を考える余裕さえなかったということだろう。“大破壊”後の混乱は、龍府にこそ起きなかったが、ザルワーン方面の各都市にはなにかしらの影響がでている。龍府は、どういうわけか白化症の発症さえ確認できていないのだが、龍府を除くすべての都市で白化症と思しき症状の発症と、神人化、神人の暴走が確認されており、“大破壊”だけでなく神人の破壊活動による被害も出ているというのだ。それらを収めるのは簡単なことではないし、そういった様々な問題に対処しながら帝国軍の侵攻に対応していたのだから、目的を考えることなどなかったのだろう。
ちなみに、暴れまわる神人や神獣を斃すのも、九尾が率先して行った。神人は、元人間だ。理屈を知らなければ、それまで人間だったものが突如化け物へと変じたとしか思えず、いくら暴れようと攻撃するのも躊躇われるのが人情というものだろう。九尾が、ガンディア国民であろう神人を攻撃するのを躊躇しなかったのは、そこに人間性さえ存在していないことを理解していたからなのかもしれない。
神化したものを救うことは、できない。
「セツナ殿は、御存知なのか?」
「帝国軍は、彼らは、終わったはずの戦争を続けているだけなんだよ」
「終わったはずの戦争?」
「帝国軍がかつての小国家群を蹂躙したのは、ほかの二大勢力と同じ理由だ。三大勢力を真の意味で支配し、操っていた神々の思惑を、悲願を叶えるためだけに小国家群そのものを戦場へと変えた」
それが最終戦争の真相であるということは、エリルアルムたちは知らないだろう。彼女たちは、最終戦争がなぜ起こったのか、三大勢力がどういう意図を持って小国家群に押し寄せてきたのかさえ知らないまま、ザルワーンにいたのだ。まさか、神々が裏で糸を引いていたなど、想像しようもない。
「その戦いは、大陸をばらばらに引き裂いた厄災――“大破壊”によって終焉を迎えたはずだ。三大勢力は目的を達成することはできなかったんだ。神々は、その悲願を達成することもできないまま、変わり果てたこの世界のどこかをさまよっている。三大勢力は、どうか。ヴァシュタリアはばらばらになり、帝国は、四つに分かたれた。聖王国の現状は知らないがな。ともかく、クルセルクの帝国軍が戦う理由なんざ、とうに失われているってことさ」
「……なるほど。故に終わったはずの戦争……と」
「しかし、それがどうして交渉の余地になるのです? 終わったはずの戦争を終わらせる方法がある、と?」
「だから、余地、といったんだ」
セツナは、ケイオンの結論を急ぐような口ぶりに眉を顰めた。
「俺は、ここの問題が片付いたら、帝国領に翔ぶつもりでいる」
セツナが告げると、さすがのエリルアルムも驚きを隠せない顔をした。




