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第二千百四十四話 九尾山へ


 大陸暦五百六年四月二十二日。

 セツナは、さっそく白毛九尾の狐ことシーラとの対話を試みるべく、龍府を出発した。

 たったひとり、護衛も連れず、というのはミリュウの提案であり、セツナは当初、ファリア、ミリュウ、レムらを引き連れて、シーラの元に向かうつもりだった。それに待ったをかけたのがミリュウであり、彼女の言い分はこうだ。

『シーラも、セツナが相手なら心を開くかもしれないけど、そこにあたしたちがいたら上手くいかないかもしれない』

『なんで?』

『シーラだって、女よ』

『ん?』

『鈍いわね。嫉妬するかもってこと』

『シーラはそんな狭量じゃないと想うが』

 むしろ、ミリュウたちの無事な姿を見て喜ぶだろう、と、セツナは考えていた。実際のところはわからない。ミリュウのいうとおり、嫉妬に駆られ、白毛九尾のままであろうとするかもしれないし、話し合いにさえ応じてくれなくなることだって、ありうるのかもしれない。

『念のため、よ。それに龍府に万が一のことがあってもいけないしね。セツナならひとりでも心配いらないし』

『そうね。セツナならなんの心配もいらないわね』

『そうでございますね』

『うんうん!』

 ファリア、レム、エリナが三者三様でうなずくのを見遣りながら、セツナは何とも言えない気持ちになった。

『俺に過剰な期待を抱きすぎだろ』

『え?』

『俺には皆が必要なんだよ。ひとりじゃあ生きていける気がしないんだ』

 それは、力量の問題などではない。力量だけならば、セツナは十二分にある。あの地獄の試練を突破し、さらなる力を身につけたいま、どんな相手にも負けない自信がある。神にさえ打ち勝てるだろう。しかし、それとこれとは別の話だ。どれだけ力を身に着けようとも、どれだけ強くなろうとも、どれだけ鍛え上げようとも、どうにもならないものがある。

 ひとは、ひとりでは生きていけない。

 そう、実感する。

 だれかがいなければ、だれかが側にいてくれなければ、寂しすぎて死んでしまうのではないか。

 そんなことをふと想うくらいには、セツナは、自分が心弱い存在であると自覚している。故に群れるのだろうし、その群れの中に居場所があることに安堵するのだろう。そして、だからこそ、どのような困難にも立ち向かっていけるのだし、絶望的な戦いにだって挑めるのだ。そこに皆がいて、居場所がある。

 ただそれだけで、戦える。

 とはいえ、ミリュウの意見を聞き入れたセツナは、たったひとり、白毛九尾の狐の居場所に向かって龍府を出発した。

 頭上、抜けるような青空が広がっている。雲ひとつなく、太陽が燦々と輝いている。その青空の美しさは、かつてのイルス・ヴァレでは見られなかったものだ。いつだって濡れたように滲んでいた。しかし、セツナが地獄から舞い戻って以降の空は、そのような滲みは見られず、むしろ透き通って美しかった。“大破壊”の影響なのか、それとも、別のなにかが原因なのか。

 この世界には、未だわからないことが多い。

 セツナは、道中、移動には馬ではなく召喚武装メイルオブドーターを用いた。なぜ負担になるようなことをするかといえば、簡単なことだ。それも鍛錬の一貫になると考えてのことだった。龍府から九尾山――というらしい――までは、半日ほどの距離がある。馬で飛ばせば数時間の距離であり、メイルオブドーターで飛べばもっと短時間で辿り着けるだろう。その程度の距離を往復できないわけもない。

 セツナは、機会さえ、時間さえあれば鍛錬をしたいと考えていた。

 地獄での修業を経て、黒き矛と六眷属の使い手として成長したのは疑いようもない。間違いなく、以前にも増してそれらの力を引き出し、制御することができている。以前ならば完全武装など不可能だっただろうし、エッジオブサーストの応用など考えもできなかったはずだ。地獄での修行は、セツナに様々なことを教えてくれた。正しい力の使い方や応用術が完全武装に生かされている。

 しかし、それだけでは足りないということが、第二次リョハン防衛戦で明らかとなった。

 神軍の女神を圧倒しながらも斃しきれなかったという事実がある。

 その事実は、あまりにも大きな壁となって立ちはだかり、セツナにさらなる鍛錬を促していた。

 なぜならば、神軍の神というのは、神々の中でも小物の部類なのだ。なぜならば、神軍の神々というのは、かつて至高神ヴァシュタラと名乗っていた神々の集合体の成れの果てであり、そこから分裂した神々であることは明らかだ。神々が至高神ヴァシュタラを名乗っていたのは、そうでもしなければ、二大神ともいわれる二柱の神、エベルとナリアに対抗できないからであり、ヴァシュタラの神々と二大神の力の差が圧倒的なものであることは、それだけでわかるだろう。

 つまり、神軍の神さえ斃せないようでは、ナリア、エベルとは勝負にすらならないのではないか、という懸念があるのだ。

 無論、ナリアやエベルがセツナの敵に回るとは限らない。もしかすると、マウアウのように話のわかる神様かもしれないのだが、そのような可能性にすべてを賭けられるわけもない。神々が在るべき世界への帰還こそを本願とし、そのためにあらゆる犠牲を厭わないという性質を持っている以上、敵対する可能性が高いことを念頭に入れておくべきなのだ。そもそも、セツナは黒き矛の使い手だ。黒き矛は神々の敵そのものであり、その使い手たるセツナもまた、神々にとって滅ぼすべき敵でしかないのだ。マウアウのように話し合いだけで済むような神がどれほどいるのか。ラジャムのように戦うだけで満足するような神がどれだけいるのか。多くは、忌まわしき魔王の杖とその使い手は殲滅するべきだと考えるだろうし、交渉の余地などあろうはずもない。

 神々との戦いは、既定路線といってもいい。

 セツナが黒き矛を召喚し、その使い手としての道を歩み始めたときから、決まっていたことなのだ。そしてその道から外れることは、もはやできない。既にセツナは黒き矛と運命をともにしているといってもいいのだ。いまさら黒き矛を手放し、別の召喚武装を愛用するようになったところで、魔王の杖の使い手という極印は消え去らない。

 神々は、セツナをこそ、滅ぼすべき敵として狙ってくるに違いない。

 もっとも、たとえ黒き矛を手放せばそれで神と戦わずに済むようになるからといって、はいそうですかと手放せるほど、状況は甘くはない。目的を果たすためには、この世界から理不尽なるものを取り除くためには、どうしたところで圧倒的に理不尽な力である黒き矛が必要不可欠なのだ。

 理不尽には、さらなる理不尽をぶつける以外にはない。

 そのため、セツナは日々、暇を見つけては鍛錬を行っていた。方舟に乗っている間も、訓練室の内外を問わず、鍛錬に勤しみ、ミリュウたちに不満をこぼされる始末だった。しかし、そうでもしなければ完全武装を使いこなすことはできず、使いこなせなければ、いずれ神々と戦ったとき、敗れることになりかねない。ミリュウたちの要望を聞き入れるのは、すべてが終わってからならばいくらでもできることだが、鍛錬は、そういうわけにはいかない。

 すべてが終わる前に命を落としては、意味がない。

 

 九尾山への道中、方舟の側を通過した。方舟にはマユリ神だけが残っているが、いまのところなんの心配もいらないだろう。また再びマユラ神が目覚めたとしても、昨日と同じようなことにはなるまい。少なくとも神が約定を違えることはないというのだ。マユリが一方的に結んできた約束ではあったが、その約束がマユラの行動を縛ることになったのは、マユリにとって想定通りの出来事なのか、どうか。

 方舟にも立ち寄らず、ひたすら九尾山を目指す。一刻も早くシーラと話し合い、彼女を九尾の状態から元に戻すべきだった。ナインテイル状態の維持は、シーラにとてつもない負担を強いているはずだ。少なくとも、通常ならばシーラの身も心もとっくにどうにかなっているだろう。そうなっていないようだから奇妙なのだが、その原因の追及など、セツナにとってはどうでもいいことだった。

 大事なのは、シーラの無事の確認と解放だ。

 遠目には白い山に見えたそれは、間近で見れば確かに体毛の塊であり、毛皮に覆われた獣が丸まっていることがはっきりとわかった。

 山肌とも雪が積もっているようにも見えたそれは、透き通るほどの白さを誇る体毛であり、毛皮だったのだ。そして、生きていることも、山のような巨躯が周期的にわずかに震えることから明らかだ。呼吸しているのだろう。

 ただ、それが九尾の狐であるかどうかを確認することはできなかった。メイルオブドーターの飛行能力によって周囲を巡り、全方向あらゆる角度から確認しようと試みたが、全体が純白の体毛に覆い尽くされていて、特徴的な頭部を見つけることができないのだ。

 おそらく、九つの尾で丸まった全身を覆い隠しているのだろう。故に獣らしい特徴がほとんど見受けられず、遠目に見れば白い山にしか見えないのだ。

 その上、その大きさは、かつてアバードで見たナインテイルさえも比較にならないほどのものであり、まさに山のように巨大だった。目測だが、龍府を丸々覆い尽くせるほどの巨体なのではないか。だからこそ、”大破壊”の余波から龍府を護り抜けたのではないか。その巨躯を防波堤として、破壊の力が龍府に到達するのを防いだということは、リュウイやグレイシアの話で判明している。

 セツナは、九尾山の周囲をもう一度旋回すると、九尾山よりやや北西に位置する九尾山観測所に向かった。

 九尾山観測所は、その名の通り、日々九尾山の状況を観測し、記録をつけるためだけの施設であり、九尾山の形成後、リュウイが主導して設立されたという。当然、観測所で働いているのは龍宮衛士ばかりであり、彼らはセツナの到来を全身全霊で喜んでくれた。龍宮衛士は元々、龍府の領伯だった頃のセツナが作り上げた組織だ。龍宮衛士の隊士にとってセツナは主君に当たる存在であり、彼らがセツナの生存と再会を喜ぶのは道理だった。

 しかし、セツナはいまや龍府の領伯ではない。そのことを伝えると、龍宮衛士たちは信じられないといったような反応を示している。だが、セツナがガンディア王家の家臣を続けるという話を聞けば、安堵もした。セツナがガンディア王家から離れることを危惧しての反応だったのだろう。

 観測員の話により、九尾山が最近動いたのはつい一月ほど前のことであり、それまで数ヶ月沈黙を保っていた九尾が突如として起き上がったかと想うとナグラシア方面に向かっていった、ということがわかった。そして、半日後には元いた場所に戻り、また九尾山を形成しているという。おそらくナグラシア方面での問題が解決したのだろうとのことだ。

「なにがあったのかはわかりませんが、まず間違いなくこのザルワーン方面にとっての害悪が取り除かれたのでしょう」

 観測員のひとりが、九尾への信仰心を隠すこともなくそういって、セツナにここ二年に渡る九尾の活動状況を記した書類を見せてくれた。

 記録によれば、白毛九尾の狐ことハートオブビースト・ナインテイルの活動は、周期的、定期的なものではなかった。ザルワーン方面になにがしかの問題が発生すれば動き出し、その問題を解決すると元いた場所に戻り、山のように静まり返る。その繰り返しがナインテイルのすべてであり、九尾教を誕生させることになったのだろう。

 セツナは、観測所を後にすると、九尾山へと足を向けた。

 純白の体毛に覆われた巨躯は、ただ眠り続けている。


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