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第二千百三十八話 龍府の事情(二)


「この二年あまり、この島の外の状況はまるでわからないまま、時間ばかりが過ぎていったわ。九尾様のおかげで龍府やザルワーン方面の各都市は極めて安定していたし、帝国軍の生き残りによる丸ウェールの占拠も長続きしなかった。それも、九尾様が御力を貸してくださったから。聞いてのとおり、なにもかも九尾様のおかげなのよ。九尾様がいなければ、きっと龍府の秩序は維持されなかったでしょうし、そもそも、この都がいまのような姿を取り戻せもしなかったでしょうね」

 グレイシアが嘆息するように告げたのは、再会と生存を喜び合い、諸々の事情を話し合ってからのことだ。

 場所を天輪宮泰霊殿の応接室に移している。広間ではなく応接室を選んだのは、話しやすさの問題だろう。大広間では身分の関係で礼儀作法にうるさくならざるをえないが、応接室ならば、最低限の礼儀だけで済む。

 応接室には、セツナ一行全員に加え、グレイシア、ナージュのほか、龍府の司政官であるダンエッジ=ビューネル、龍宮衛士筆頭リュウイ=リバイエンが同席した。メリルやリュウガは立場を弁えたのか、この話し合いには参加しなかった。

 最終戦争末期から“大破壊”を経、それから約二年あまりの年月が経過した。その間、龍府を始めとするザルワーン方面がどのような状況にあり、どのような事件、出来事を乗り越えてきたのか、そして、どのようにしてザルワーン方面を統治しているのかについて、つぶさに聞いた。

 龍府を中心とするザルワーン方面の統治機構は、ガンディアの仮政府と呼ばれている。ガンディア本国とまるで連絡が取れない上、龍府の領伯さえ消息を絶っているのだ。そうもなろう。仮政府の頂点には、太后グレイシアがみずから名乗り出た。そこに太后派の貴族たちが名乗りを上げるのは当然のことだが、とはいえ、グレイシアが王宮から龍府に移り住むに当たってみずからの意志でついてきたものたちの覚悟は決まっており、皆、グレイシアのため、粉骨砕身の働きぶりを見せているという。

 もっとも、仮政府の実質上の頂点に立っているのは、龍府のことをもっともよく知るダンエッジ=ビューネルであり、彼とともに、かつてのザルワーン国主の腹心だったものたちが懸命に統治運営に努めているという話だ。

 また、仮政府には、エリルアルム=エトセア率いるエトセア遺臣団も参加しており、エリルアルムはその強大な武力を背景にそれなりの発言力を持っているとのことだ。エリルアルムはかつて、エリルアルム・ザナール・ラーズ=バレルウォルンと名乗っており、セツナと政略結婚するべく、婚約を結んでいた人物だ。彼女が名を改めたのは、もはや祖国エトセアとの繋がりが立たれた上、最終戦争によってエトセアそのものが滅ぼされたという事実があるからなのだろう。バレルウォルン領主を名乗っている場合ではないと判断したのだ。そして、“大破壊”後、仮政府の一員として、龍府およびザルワーン方面の秩序維持に貢献しているようだ。

 応接室にエリルアルムの姿がないのは、現在、麾下の軍勢とともにマルウェールの様子を見に行っているからだ。それにはミリュウの弟であり、龍宮衛士の部隊長を務めるシリュウ=リバイエンも同行しているらしい。

 仮政府が統治下においているのは、この龍府のほか、ザルワーン方面のいくつかの都市だけだ。マルウェール、ゼオル、スルーク、ナグラシアの四都市であり、それらが現在仮政府によって統治運営されている。

 ザルワーン島は、ザルワーン方面だけの島ではないということが、話の中でわかってきた。どうやら、アバードの一部とクルセルクの大半とともにひとつの島になっているとのことであり、クルセルク方面は、帝国軍の勢力が圧倒的で手付かずの状態で、いまだ現状がどのようなものなのかわかっていないとのことだった。

 また、ザルワーン方面の都市だったルベン、バハンダールもこのザルワーン島内にはなく、切り離され、どこか遠くへ流されてしまったのだという話も聞いた。龍府にはルベンやバハンダールから訪れていたものもいて、帰る場所を失い、龍府での生活を余儀なくされているらしい。

 ともかくも、龍府が“大破壊”を乗り切ったのは、なにもかもすべて突如現れた九尾の狐のおかげである、という。その九尾の狐が出現したのは最終戦争真っ只中のことであり、ヴァシュタリア軍がザルワーン方面への侵攻を開始し、シーラ率いる龍府軍が迎撃に出たあとのことだった。それもおそらくは龍府軍とヴァシュタリア軍の戦闘の最中のことであり、シーラがハートオブビーストの力を解放したことによって九尾の狐と化したことが確定的となった。

 白い山が白毛の九尾の狐だと知らされたときからほぼ確実視していたことではあったが、グレイシアたちから話を聞けば聞くほど、確信を深めていった。

「九尾様、シーラちゃんなのでしょう?」

 グレイシアが複雑な感情のこもったまなざしを向けてきた。そのまなざしにレオンガンドのことを思い出すのは、レオンガンドがグレイシア似だからというのが大きいのだろう。レオンガンドは、性差を超越した容貌の持ち主だった。

「……おそらくは」

「やっぱり。以前に聞いたことがあるもの。シーラちゃんがアバードで白くて大きな狐になったって話。だから九尾様もそうなのかと考えたわ。でも、確信が持てなかった。だって、いくら呼びかけても応えてくれないんだもの」

 グレイシアはこともなげにいってきたが、要するに彼女は、何度となく九尾の狐に話しかけているということであり、セツナは内心驚くしかなかった。グレイシアは恐れ知らずではあるが、無謀なひとではない。当然、安全には十分に注意を払ってのことだろうが、それにしても勇気のある行動と思わざるをえない。

「もしかしたら、セツナ殿ならば、シーラ殿も応えてくれるかもしれませんね」

「あら、それってわたしがシーラちゃんに嫌われてるってことかしら?」

「お義母様、なにを仰るのですか」

「冗談よ。シーラちゃんがそんな風に想うはずがないのはわかっているわ。でも、そうね。セツナちゃんの声になら、耳を傾けてくれるかもしれないわね」

 グレイシアの意見は、かつてセツナが暴走状態のシーラを九尾の狐から元の姿に戻したという話を知っているからのものなのかどうか。セツナ自身、あのときのことを思い出さずにはいられない。

「シーラは……二年以上も、ずっと、あんな風に?」

「ええ。だから心配なのよ」

「飲まず食わずで、龍府やザルワーンの都市を護ってくれているんですもの。お義母様でなくとも、心配しますよ」

 九尾の狐は、龍宮衛士の監視下にあり、常にその行動は把握されている。もちろん、動き出せば龍宮衛士の隊員には捕捉しきれないほどの速度で、圧倒的な距離を移動するものだから、確認しようもなくなるとはいえ、普段、山のように丸まって動かないという事実に変わりはないというのだ。そして、その間、九尾の狐は、なにかを食べ、栄養を取っているという様子はないという。つまり、ナージュの言ったとおり、飲まず食わずなのだ。

 二年以上も。

「二年以上……か。普通なら消耗し尽くしていてもおかしくはないわね」

 ファリアが渋い顔で告げる。

「でも、九尾の狐は生きているんですよね?」

「ええ。ついこの間も動き出して、東の方へ行ったみたいよ。なにを撃退したのかはわからないけれど……」

「九尾様が動くときは、ザルワーンのひとびとにとって害悪となるものを打ち払うときくらいのものですから、お義母様が仰るように、なにかしら、害悪なるものを撃退しに向かわれたのだと思われます」

「……つまりシーラは生きている、ということ」

「でも、どうやって?」

 ミリュウがだれもが持つ疑問を口にした。

 でも、どうやって。

 どうやって、二年以上もの長きに渡って九尾の狐状態を維持しているというのか。シーラの話によれば、白毛九尾ことハートオブビースト・ナインテイルは、極めて膨大な量の血を必要とする、ハートオブビーストの最大能力だ。故にその力は圧倒的であり、ベノアガルドの騎士団さえ一蹴してみせたことをセツナは覚えている。それだけに消耗も激しく、制御も困難であるとシーラがいっていたことも、だ。

 発動当時、血は、それこそ莫大な量、流れていただろう。

 最終決戦終盤。戦場に大量の血が地に満ちていたのは紛れもない。ハートオブビースト・ナインテイルの発動条件が整っていたのは疑いようもないのだ。だから、そこに疑問は持たない。問題は、それからのことだ。それから約二年以上もの長い間、ナインテイルを維持し続けるなど、とてもではないが、人間業ではあるまい。人間ならば身も心も持たず、命を燃やし尽くしているはずだ。

 では、シーラは人間ではなくなったとでもいうのか。人外に成り果てたというのであれば、人間と同じように栄養補給の必要はなくなるかもしれない。が、それは少しばかり考えにくい。

 シーラがナインテイルを発動したのは、ヴァシュタリア軍との戦いの最中だという話だ。つまり、“大破壊”が起きるよりずっと前のことであり、世に白化症の原因が満ちるのはずっと後のことなのだ。シーラは神人化したわけではないということであり、神人の限りない力が九尾を支えているというわけではなさそうだ。そもそも、神人化したのであれば、龍府やザルワーン方面を護ろうとはしなかっただろうことは明らかだ。

 神人化したものは、神によって使役さえない限り、周囲に破壊と殺戮を撒き散らす災害となる。

 シーラは、そうではない。

 普段は、山のように丸くなって静まり返り、なにかしらザルワーン方面にとって良からぬことが起きたときのみ、暴風の如く駆け出し、あっという間に物事を解決するという。まさにザルワーンの守護神というべき在り様であり、龍府のひとびとが信仰するのも当然である、とグレイシアたちはいった。

 九尾の正体がシーラであることを知っているのは、グレイシアら一部の人間だけであり、公表はされていないようだ。

 公表したところでだれも信じないということもあるだろうが。

 セツナたちはしばらく、シーラのことについて話し合いを続けた。

 結局、シーラがなぜ、ナインテイルを維持し続けられているのかは不明なまま、話は進んだ。そして、シーラを元に戻すことが最優先事項であるという結論に至るのは、当然のことだった。

 龍府やザルワーン方面の民にとっては、守護神たる九尾の狐がいなくなるというのは望んでもいないことだろうが、セツナたちとしては、シーラをあのまま放置しておくことなどできるわけもない。いまは、いい。いまは状態を維持し、生命活動を続けている。しかし、それもいつまで持つかわかったものではないのだ。二年以上もナインテイルを維持し続けていること自体、ありえない話なのだ。

「シーラは、必ず元に戻します。それがたとえあいつの望みじゃなくても」

「シーラちゃんの望み?」

 グレイシアがきょとんとした。

「もしかしたらシーラは、あのままで在り続けることを望んでいるのかもしれない」

 かつて、アバードでのシーラがそうであったように。

 シーラは、ナインテイルのまま、死ぬことを望んでいるのではないか。

 そんな漠然とした不安が、セツナの胸中に満ちた。

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