第二千百三十六話 再び、龍の地を(四)
「……いまも俺が領伯のままか」
「当然でございましょう!」
セツナが感傷的に発した言葉をどう受け取ったのか、リュウガが力強く肯定してきた。熱気に満ちた彼の一挙手一投足は、ミリュウでなくとも後ずさりするものかもしれない。リュウガは熱弁する。
「あのような恐ろしい出来事があったからといって、国が潰れ去ったわけではありません。主不在のこの地を護ることこそ、セツナ様への御恩返しであると、我が長兄も申しておりました」
「リュウイさんが?」
「ええ!」
「へえ……」
ミリュウの感心したような反応を見て、セツナは少し安堵した。ミリュウは、リュウイのことを心底嫌っていたが、彼が龍宮衛士として立派に役割を果たしていることを知ってからというもの、態度を軟化させつるある。セツナは、ミリュウにはとにかく幸せになって欲しいという想いが強い。彼女の人生を考えれば当然のことだったし、そのためならばどのような労苦も惜しまないつもりだった。
無論、彼女が兄弟との関係の修復を望んでなどいないことは知っていたし、無理強いをする気もない。ただ、ミリュウにとって親類縁者であるアスラやメリルとの仲の良さを見ていると、彼女の本質は、家族愛に溢れたものなのだろうと想ってしまうのだ。数少ない肉親と仲違いしたままでは、本当の幸福は得られないのではないか。余計なおせっかいかもしれないが、そう考えてしまう。
故にリュウイがみずからの意思で職務を全うし、それによってミリュウに見直されようとしていたあの頃は、セツナにとって望むべくもない日々だったのだ。そんな幸福への道のりが破壊されたのが最終戦争の勃発であり、“大破壊”の発生だった。
「ですから、我々は、いつかセツナ様がお帰りになられるときが来ると信じて、こうして龍府を護り続けてきたのです。なにせ、我々は龍府の守護者たる龍宮衛士ですから!」
胸を張って宣言したリュウガに、彼の部下と思しき龍宮衛士たちが拍手して盛り上げた。門兵たちもそれに習う。門兵は、龍宮衛士ではないだろう。鎧の隙間から見える服装が違う。ガンディア軍の生き残りだろうか。
現状の龍府では、龍宮衛士のほうが立場的に上であるということのようだ。
「もっとも、この都がいまもこうしてなにひとつ問題なく存在していられるのは、守護神様のおかげなのですが」
「守護神……か」
リュウイの発言に疑問は持たなかった。むしろ腑に落ちたというべきだろう。
「不思議とは想っていたけど、やっぱり神様が絡んでいたってわけね」
「神様といえど、多様にございます。なにも神軍に属するような神ばかりではございませぬ。マリク様やマウアウ様、マユリ様のように、話し合うことでわかりあえる神様もおられましょう」
「でも、龍府の神様とやらがそうである保証はないわよ」
「二年以上も護ってくれていたのなら、警戒する必要はないんじゃないかしら」
「そう思いたいがな」
セツナが警戒心をむき出しにしたのは、自分のことがあったからだ。セツナは、黒き矛カオスブリンガーの使い手だ。黒き矛は、魔王の杖とも呼ばれる存在であり、ただの召喚武装ではなかった。魔王の杖とは、神々に徒なすものであり、
「……なにか、勘違いしておられるようですが」
「ん……どういう意味だ?」
「皆様は、なにやら本物の神様が龍府を守られている、と考えておられるのでは?」
「そうだけど……違うのかしら?」
「ほかにどう捉えようがあるのよ、あんたの説明」
「これは言葉足らずで申し訳ありません!」
リュウガが思い切り頭を下げてきたため、セツナは唖然とした。
「我々にとっては守護神そのものなので、つい」
「……で、いったいなんなのよ、あんたたちのいう守護神様って。神様じゃあないんでしょ?」
「まあ、実際のところはよくわからないのが実情なのですが。本当は本物の神様かもしれませんし」
「うん?」
要領を得ない。
セツナたちが当惑していると、リュウガは、南方を指し示した。
「あちらの山が見えますでしょうか」
「見えるが、あれがどうかしたのか?」
龍府からも普通に見えるくらいに巨大な山だった。まるで雪山のようにも見えるが、そうではあるまい。季節的にも気候的にもありえない。そもそも以前のザルワーンには存在しなかった山であるため、突如として雪山が出現した、というのであればわからなくはないが、それもどうなのか。
「もしかして、あの山が守護神っていうんじゃないでしょうね」
「そのもしかして、なんですが」
「え?」
「ええーっ!?」
「あれが……神様?」
「はい」
「あれが……」
「普段はああして丸まって山のように静まり返っておられるのですが、龍府に危機が訪れると、立ちどころに本来の御姿を顕され、我々を救ってくださるのです」
「本来の姿ってどんな?」
「その巨躯は頭上を覆う白雲の如く」
朗々たる声が突如として響き渡り、セツナたちは顔を見合わせた。そしてすぐさま門前に目をやると、やはり龍宮衛士の隊服に袖を通した男が部下を引き連れ、こちらに向かって歩いてきていた。白金色の頭髪がミリュウとそっくりな中年の男。その男については、ひと目で名前を思い出せた。リュウイ=リバイエン。ミリュウの兄であり、長らく反目しあっていたことは記憶に強く残っている。
「その眼は蒼天にして蒼海の如く。四肢は隆々、爪は容易く山をも砕き、牙は鋼をも突き破る。その咆哮は天地四海に響き渡り、力持つ九つの尾はさながら龍の首が如く災禍を吹き飛ばす。ひとはいう。かのものは、この地の守護神、白毛九尾の狐なり、と」
「……白毛の……九尾」
リュウイの口ずさんだ詩の一部を反芻するようにつぶやくセツナの脳裏には、かつて、アバードの首都を破壊し尽くした巨獣が鮮明に浮かび上がっていた。追い詰められたシーラがハートオブビーストの力を暴走させたことによって出現したそれは、まさに白毛九尾の狐であり、その美しくも圧倒的な巨躯はいまも色鮮やかに思い出せたのだ。
そのときシーラが見せた絶大な力をもってすれば、“大破壊”から龍府を護り抜くことも可能かもしれない。もし、その九尾の狐がシーラとハートオブビーストであるならば、なおさらだ。シーラは、アバード事変以降、熱心に自身を鍛え上げ、召喚武装使いとしての実力を磨き上げていたのだ。ハートオブビーストの真の力たる白毛九尾の狐は、さらなる力を発揮することだろう。
しかし、にわかには、信じがたいことではあった。
「ねえ、それって……」
「シーラなんじゃ……」
「シーラ様は、最終戦争当時、龍府に配置され、北の護りにつかれておられたはずですし、可能性は高そうですが」
皆がそうと断言しないのは、少々、信じられない出来事であるからだ。
リュウガやリュウイの話を総合すれば、白毛の九尾の狐は、“大破壊”から龍府を護ってからというもの、約二年以上に渡ってこの地を守護し続けているというのだ。
「しかし、二年以上もの間、ずっと護り続けてるっていうんだろ?」
「本当なの? それ」
「ああ、本当だ。九尾様は、普段はああして山のように丸くなり、微動だにせず静まり返っておられるのだが、ひとたび龍府に危機が訪れると、地を揺らして起き上がり、その偉大なる力で我々を護ってくださるのだ」
「それ、聞いたわ」
「む……そうか」
「すみません、兄さん」
「いや、よい」
「……本当に、二年以上もの間、ずっと……なのか?」
「はい、セツナ様。九尾様の状況は、我々龍宮衛士が常に見守らせて頂いておりますが、この二年間、状況はなにひとつ変わっておりません。ついこの間も、起き上がられ、この龍府を災厄から護ってくださったようで」
「二年間……」
セツナには、それ以上、リュウイの説明は頭に入ってこなかった。
白き山の如く聳え立つそれが本当に白毛九尾の狐で、シーラがハートオブビーストの力を解放したことによって出現したものであるかどうか。それだけが気になって仕方がなかったのだ。