第二千百三十五話 再び、龍の地を(三)
「ここより先はガンディアの龍府である」
と、開口一番、門兵のひとりがいった。
重武装の門兵が五名、龍府の門前、セツナたちの進路に立ちはだかるようにして立っていた。見るからに屈強そうな兵士たちは、門兵のひとりがいったようにガンディアの紋章が記された鎧を身に着けていた。一瞬、セツナたちは戸惑ったが、冷静に考えれば当然の出来事だった。龍府は、ガンディオンから遠くはなれている。“大破壊”が起きたあの日、ガンディオンでなにが起きたのか知るよしもないのだ。龍府に住むひとびとにとって、ガンディアはいまだ健在であり、龍府もまた、ガンディアの支配下にあると考えていても不思議ではなかったのだ。
「ここを通り、龍府に入りたくば、通行許可証を提示されよ」
「通行許可証?」
「そんなの必要だったっけ?」
「聞いたことはないな」
無論、国外からの訪問者にはそういったものが必要ではあるが、それは国境で提示されるものであって既に国内に足を踏み入れている人間に対し提示を要求されることは、基本的にはなかった。それはどこの国でも大体同じことであり、ガンディアだけがそういうわけではないらしい。
そういう意味において、小国家群というのは進んでいるといってよかったのかもしれない。
故にセツナたちは疑問を持ったが、同時にそうもなるだろうとも考えた。“大破壊”以来、世界は変わり果てた。ザルワーン方面の情勢も、“大破壊”以前とは比べ物にならない状態になっていたとしてもなんら不思議ではない。
以前となにひとつ変わらない龍府の様子を見ると、そうは思えないのだが。
「現在、龍府は特別警戒中である。よって、外からの訪問者には通行許可証の確認が必要とされているのである。通行許可証のないものの出入りは堅く禁じられている」
「それは、どこで得られるんです?」
「持っていないのか?」
「ええ」
「なるほど、部外者か。本来ならば追い返すところであるが……このような情勢下である。上のものに確認を取る故、しばし待たれよ。よろしいな?」
「もちろんです」
セツナたちは、門兵の横柄ながらも行き届いた対応に不満のひとつもなかった。セツナたちの応対に当たった門兵は、別の門兵に言伝をすると、その門兵が龍府内に駆けていくのを見届ける。
「何分、情勢が情勢である故、龍府の出入りも厳しく取り締まらねばならぬのである。容赦されよ」
「ええ、仕方がありませんよね」
「うむ。仕方がないのである」
「まあ、何分、このような情勢下ですしね」
「うむ。しばし、待たれるが良い。なに、我々とて外から逃れてきたものを追い返すようなことはしたくないのである。同じガンディアの国民であれば、なおさらである」
門兵が肩を怒らせながら空の彼方を睨んだ。彼の視線の先になにがあるのか、ザルワーン方面の現状を知らないセツナには想像もつかなかったが、どうやら、不測の事態が起きていることは間違いないようだ。マユラが方舟をここに落とそうとした理由なのだろうか。
(ねえ、セツナ)
ミリュウが耳元で囁いてきたのは、セツナが門兵の前から移動する最中のことだ。門の脇に移動しながら、小声で応える。
(なんだ?)
(なんか話合わせてるけど、なにが起こってるのか、知っているの?)
(俺が知るわけ無いだろ)
(え)
(てきとーだよ、てきとー)
セツナは頭上を仰ぎながらいった。空は、晴れ渡っている。青空に白雲が混じり、そこに朱が差し始めていた。つまり、夕刻が近いということだ。
(どうやら俺達が方舟から降りてきたことだって知らないんだ。ここは適当に話を合わせておくほうが、問題にならずに済むだろう)
(まあ、それはそうだけど)
ミリュウは、口でこそ納得したようだが、どうにも本心からそう想っているようではなさそうな口ぶりだった。
(なんだよ)
(セツナらしくはないかな)
(どういう意味だよ)
(めずらしく頭が回っている、っていうか)
(酷いな!?)
セツナは、小声で抗議しながら憮然とした。ミリュウがセツナのことをそのように評価しているという事実に愕然とする。いや、彼女の評価は正しいし、なにひとつ間違っていないのだが、自分がそのように認識されているという事実には、やはり悲しいものがある。
「このような情勢とは……いったいなにが起きているのでございましょうね?」
「聞けばよかったのにね」
「そうしたら、この土地以外からの来訪者ってことがばれて、大問題になるだろ」
セツナがミリュウを背中から下ろしながら口を尖らせると、ファリアはむしろそれこそ望むとおりだといわんばかりの顔をした。
「そうなったらそうなったで良かったんじゃない」
「なんでだよ」
「門兵さん、ガンディアの龍府っていっていたわ」
「確かにそうはいっていたけど」
「つまり、セツナの領地のままってことじゃないの?」
ファリアの意見に、セツナは目を見開くほど驚いた。いや、驚くほどのことではないことは、すぐにわかる。言われてみれば確かにそうだ。ガンディアの龍府という認識があるのであれば、ガンディアが領伯と認定したセツナの領地と認識されたままだとしても、なんら不思議ではない。むしろそのほうが自然だろう。龍府の領伯は、“大破壊”が起きたあの日も、セツナだったのだ。
“大破壊”があの日、王都ガンディオンが“大破壊”に飲まれ、ガンディアという国は滅び去った。国王レオンガンドも無事であるはずがないのだ。そうである以上、国が存続しているとは考えにくい。しかし、その事実は、ガンディオンから遠く離れ、もはやガンディオンの状況など認識しようはずもない龍府のひとびとにとっては理解の外にあることなのだ。だからこそ、門兵たちはここをガンディアの龍府といったのであり、であれば、龍府の支配者は未だセツナのままなのかもしれない。
とはいえ、二年以上に渡って放置していたのも同然である都市の支配者として振る舞うような厚顔さは、セツナにはなかった。龍府が今日まで生き抜いてこられたのは、セツナとは無関係の、龍府住民の努力があってこそのものだ。そこへ、突然現れたセツナが、以前のような支配者顔をすれば、龍府住民もいい顔はすまい。かつてはセツナに好感を抱いていたひとびとも、そっぽを向くに違いなかった。
そういう理由もあり、セツナは、門兵にかつての領伯である、などと名乗りだそうとはしなかったし、ファリアたちもそのような真似をしろ、などとはいい出してこなかった。ザルワーンのことなどどうでもいいミリュウですら、そうだ。セツナが悪く想われるようなことは率先してしようとはしたくないのが、ファリアたちの想いでもあるのだろう。
しばらく、セツナたちは待った。セツナにとってみれば、公然と休むことのできる時間であり、疲労しきった心身を少しでも休ませるには好都合だった。無論、ファリアやミリュウたちの手前、思い切り休むようなことはできなかったものの、そのわずかな時間はこの上なく有り難いものだった。
夕焼けが西の空を真っ赤に燃え上がらせ始めたちょうどその頃、突如として門前が騒がしさをました。セツナたちは門の脇に屯していたのだが、なにやら急に騒然としたこともあり、皆で怪訝な顔を見合わせたものだ。そして、その騒ぎの原因がなんであるかは、すぐにわかった。
「ああ、やはりセツナ様だったのですね!」
熱を帯びた声が、セツナの耳朶に飛び込んできたからだ。
聞き知った声ではあったものの、声の主の顔がすぐには思い浮かばなかったのは、あまり記憶にない声だからだろう。声の主が、部下らしき兵士を引き連れ、ずかずかと近寄ってくる。物凄い勢いと熱量を感じたのは、その声の主がそれだけこの状況を喜んでいる証だろう。白金色の髪の男。セツナより多少年上といったくらいだろうか。どことなくミリュウに似ている気がするのは、決して気のせいではあるまい。男が身につけているのはセツナが肝いりで立ち上げた天輪宮警護組織・龍宮衛士の隊服だった。緑色を基調とし、全体的にゆったりとした隊服は、ザルワーンの特色をふんだんに取り入れている。
「門兵から特徴を聞きもしやと思い、駆けつけて良かった!」
男は、その熱気よろしくきらきら輝く両目でセツナを見つめてきた。セツナは男の興奮ぶりに戸惑いながら、見知った、しかし必ずしも深く関わっているわけではない男の名前が思い出せず、困り果てた。
「ええと……」
「リュウガよ。弟の」
ミリュウが、壁に背を預けて立ち上がりながら、助け舟を出してくれる。リュウガ=リバイエン。ミリュウと同じくオリアン=リバイエン(オリアス=リヴァイア)を父とする四人兄弟の三男がそのような名前だったはずだ。長男リュウイ、長女ミリュウ、次男シリュウ、三男リュウイ、だったか。名前だけでわっと沸き上がってきた情報に自分の記憶力を認識する。
「ああ、姉さんも無事だったのですね!」
「まあ、ね」
「良かった、本当に良かった!」
リュウガは、セツナが無事であることを確かめたとき以上の喜びぶりを全身で表し、ミリュウを不可解な表情にさせた。ミリュウの中には、家族への複雑な気持ちがあるのだ。
「……元気そうね、リュウガ」
「はい! このような情勢下ですが、俺も、シリュウ兄さんも、リュウイ兄さんも、皆無事で元気ですよ!」
「暑苦しいのも相変わらずね」
「ははっ、それだけが取り柄ですから!」
「……そう」
ミリュウが妙に疲れたような表情をしたのは、彼女が自分の家族に対するわだかまりを完全には消しされていないからというのもあるのだろうが、特にリュウガという弟に対し苦手意識があるからなのだろう。ミリュウは元々他人との接触を極端に嫌う傾向にあるが、リュウガのようなある種の熱を持った人物が特に苦手らしい。
「セツナ様に姉さん、それにレム殿にファリアさん、ですね」
「この子はエリナ。知ってるわよね、あたしの弟子」
「もちろんです!」
力強くうなずくリュウガには、ミリュウだけでなく皆があっけに取られるほどだった。ミリュウとどことなく似た雰囲気の容姿をしていながらも、その性質はまるで違っている。家族だからといって性格まで似ていることなどそうあるものではないにせよ、それにしたって、熱量の違いには驚かざるをえない。
とはいえ、リュウガが出てきてくれ、セツナたちを認知してくれたおかげで、問題なく市内に立ち入ることができそうであり、彼の機転というか、想像力には感謝するしかない。彼がもし、特徴を聞いただけでセツナかもしれない、などと想わなければ、もうしばらくここで立ち往生しなければならなかったかもしれないのだ。
「中に入りたいんだが、構わないか?」
「もちろんです! ここ龍府は、ガンディアの英雄にして大領伯たるセツナ様の領地なのですから」
リュウガの屈託のない言葉は、セツナの胸を刳り抜くかのようだった。