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第二千百三十二話 希望と絶望(八)


《さて》

 マユラが話題を切り替えるようにしたのは、どういう意図があってのことか。

 セツナが怪訝な表情で神を見ると、マユラは、妙に眠たそうな顔をしていた。神の気の抜けた表情などそう見るものでもあるまいが、そのようなめずらしい表情も、いまのセツナには馬鹿にしているとしか受け止められなかった。

《我はそろそろ眠ろう》

「なんでだよ」

《少々、力を使いすぎた故な》

「あんなことをするからだろ」

 セツナが呆れると、マユラは馬鹿にするように苦笑した。

《たわけ。あのようなことで力を使うものか》

「じゃあなんでだよ」

《我もマユリも、ひとを救うが役割よ》

「あんたはひとを滅ぼすのが、だろ」

《……それは一面に過ぎぬぞ》

「どうだか」

 セツナの訝しげな反応を見ても、マユラは超然としていた。セツナの感情など、マユラにとってはどうでもいいことなのだ。そのことは、これまでの言動からも一貫している。

《どうとでも思うがいい。我は我、汝は汝故な》

「なんだよそれ」

《我は眠る。しばらくはマユリに任せる故、どうとでもするがよい》

「そうかい」

 セツナも、マユラの眠りを引き止めるつもりはない。むしろ、さっさと眠り、マユリと交代してくれたほうがセツナたちにとっても有り難いことだ。たとえマユラが、マユリの約によって、セツナたちに助力するしかないにしても、今回の件のようなこともありうるからだ。解釈次第では、方舟落としさえ助力になりうるのであれば、セツナたちに害をもたらすようなこともありうる。

 その点、マユリは安心できた。少なくともリョハンからここに至るまで、マユリがセツナたちに害をもたらしたことはない。むしろ、セツナたちのほうこそマユリに負担ばかりかけていて、そのことを自覚しているからこそ、マユリは丁重に扱わなければならないという気持ちがセツナたちにあった。

 マユラが片目を瞑って、いたずらっぽく告げてくる。

《つぎに目が覚めたとき、汝が滅びていなければよいがな》

「何百年でも眠っていてくれていいよ」

《そうするのも悪くはないな》

 マユラは、本心からそう想ったのか、どうか。

 少年神は静かに両目を閉じると、その場に崩れ落ちかけた。が、すんでのところで留まり、態勢を整える。顔を上げたのは、背後の少女神のほうだ。マユラが眠り、マユリが目覚めた、ということだろう。

《……む》

 マユリがこちらに向き直る。マユラとは正逆の存在たる女神の姿は、少年神と同じく美しく、まばゆい。その寝起きの顔すらも可憐なのだが、マユラと対峙しているときとは比べ物にならないほど心が落ち着くのは、女神の容姿が原因ではあるまい。

「おはようございます、マユリ様」

 セツナは、目覚めの挨拶をして、すぐさますべての召喚武装を送還した。黒き矛と六眷属の同時併用、それによる完全武装状態の維持は、消耗が激しく、負担もまた極めて大きい。長時間の維持など困難を極めるものであり、その上であれだけの力を放出したのだ。セツナの精神力は空っぽになる寸前といってもいい状況だった。

《おはやう……セツナ。どうやらマユラが起きていたようだな》

「ええ。いろいろやってくれましたよ」

 セツナは、マユリを気遣うようにして、告げた。

《そうであろうな。あやつのこと、おまえに害をなそうとすることはわかりきっていた》

「ですがが、あなたが俺たちと助力すると約束してくれたおかげで、大事に至らずに済んだようです。ありがとうございます、マユリ様」

《そうであろう、そうであろう》

 マユリは、とにかく嬉しそうな表情をしてうなずいた。マユラと同一の神とは思えないほどの喜びようであり、柔らかな笑顔だった。セツナも、マユリ神には警戒を解かざるを得なかった。マユラとマユリが表裏一体の同一存在である以上、マユリにも警戒して然るべきなのかもしれないが、しかし、この女神を警戒するのは失礼に当たるという想いがあった。マユリは、マユラと違い、徹頭徹尾セツナたちに協力的なのだ。

 まず、方舟の動力源になるということを了承し、率先して船を動かしてくれている。ただそれだけでも感謝してもしたりないくらいだというのに、マユリは、セツナたちの旅が快適なものになるようにと様々に配慮し、方舟そのものを改造するというまさしく神業をやってのけている。セツナたちが口に出さずとも希望を汲み取り、行動に起こしてくれるなど、希望を司る神に相応しい行いであると同時に、セツナたちはマユリを利用しているだけであり、申し訳なさもあった。だから、こうしてマユリと直接話すようなときには礼儀を忘れず、必ず感謝を言葉と態度に表すことにしているのだ。

 そうでもしなければ、女神がしてくれたことへの恩返しもままならない。

 もっとも、女神は、そういったセツナたちの感謝をこそばゆいといい、そこまで気にせずともよい、といってくるのだが。

 マユリにとっては、希望に沿うことこそ存在意義なのだから、して、当然のことなのだろう。マユラが司る絶望に真摯なように、マユリもまた、希望に対して真剣そのものなのだ。とはいえ、感謝や敬意を忘れては、人道に悖るといってもよく、セツナたちは、マユリがなんといおうと言葉と態度で、女神の助力への感謝を表し続けることになるだろう。

 その点、マユラとは違う。

 今回、マユラが暴れ、その本性を表したことで、マユリへの信頼がより強固なものとなったのも、そのためだろう。

 マユリは、マユラ自身がいっていたように少年神とは正逆の存在なのだ。

 絶望の男神マユラと希望の女神マユリ。

 虚偽と欺瞞に満ちた希望などとマユラはいっていたが、マユリが差し出した希望が偽りに満ちたものであるかどうかを判断するのは自分たちである、とセツナは結論づけた。なにが虚偽で、なにが欺瞞なのか。なにが真実で、なにが本当なのか。それを判断するのは、結局のところ自分以外にはないのだ。他人がどう判断しようと、マユラがどういおうと、マユリの助力が自分たちに必要ならば、手を借りるだけの話だ。

《しかし、上手くやったものだな》

 そういって方舟を見やったマユリ神につられるようにして、視線をそちらに向ける。セツナが地上に下ろした方舟は、いまは動力を失い、沈黙を保っている。無論、無傷のままだ。マユリが感嘆の声を上げたのは、その傷一つない方舟の姿に対して、なのだろうか。

《さすがはミリュウらの光というべきか》

 にやりとこちらに視線を送ってきた女神に、セツナはきょとんとなった。

「なんです、それ?」

《ミリュウやエリナがよくいうのだ。おまえは光だと。おまえに光を見たのだ、と》

「光……」

《ひとという生き物は、光のためにならば命を捨てることもできるらしいな。いつも、いっているよ。おまえのためならばいつ死んでも後悔はない、とな》

「そんなことまで?」

 さすがのセツナも驚くほかなかった。ミリュウたちが機関室から離れられないマユリ神のためにと、暇を見つけては機関室に押しかけ、話し込んでいることは知っている。たまにはセツナも混ざることがあるくらいだ。だからこそ、マユリと交わす話の内容など、他愛のない談笑ばかりだと想っていたのだが、どうやら想像以上に深刻な話までしていることが垣間見えた。

《うむ。ミリュウらとの話はとりとめがなく、実に愉快だ。わたしはおまえが心底羨ましいと想っているぞ》

「俺が、ですか」

《ミリュウらの中心にはおまえがいる。おまえがあのものたちの心を支えているといっても過言ではないのだ》

 いいながら、マユリが再び方舟に視線を向けた。船体下部の搬入口が開き、そこからファリアたちが飛び出してくるのが見えた。マユリにはわかっていたらしい。予知したというよりは、船内を駆け抜ける足音や声を聞いたのだろうが。

 船外に出てきたファリアたちは、セツナを見つけるなり、何事かを叫び、駆け出した。ファリアがミリュウに肩を貸しているところを見ると、ミリュウも相当に消耗している様子だった。さもありなん。ミリュウは、方舟が落下を始めてからというもの、皆を護るための魔法防壁を構築し続けていたのだ。それもただの魔法防壁ではない。神威の爆発にも耐え抜けるよう、極めて強固な魔法防壁を構築したに違いなく、その負担たるや、セツナの比ではあるまい。

 ちなみに、セツナがそのことを認識しているのは、完全武装状態だったからだ。

 ファリア、ミリュウ、レム、エリナ、ゲイン、ミレーユ、ダルクス。皆、無事だった。当然だ。ミリュウがしっかりと守りきったのもそうだが、セツナが船を落とさせなかったのだ。怪我ひとつあるはずがない。

《もう二度と、折れるでないぞ》

 マユリに視線を移す。

 美しい少女の姿をした女神は、その深い睫毛に縁取られた金色の瞳で、セツナをじっと見つめていた。真剣に、まっすぐに。その透徹されたまなざしは、セツナに様々なことを考え込ませた。

 もう二度と。

 と、マユリは、いった。

 約二年前のあの日のことをいっているのだ。

 あの日、あの時、セツナは、クオンとの戦闘に敗れた。黒き矛が折れた瞬間、セツナの心もまた、折れ、戦う意思も、立ち向かおうとする想いも、なにもかもが消えて失せた。生きる意欲さえ。

 あの瞬間だけは、ファリアたちのことさえ、考えられなかった。

「……はい。肝に銘じます」

 セツナが力強く頷くと、マユリは、満足したように微笑んだ。

 その微笑みには、いかにも美しく、あざやかだった。



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