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第二千百三十一話 希望と絶望(七)

 

「見当違いだって?」

 セツナは、マユラの悠然たるまなざしを見据えたまま、吐き捨てるようにいった。

「見当違いなもんかよ」

 方舟を見つめ、つぎに龍府を見る。どちらも無事だ。龍府は無傷だし、怪我人ひとり出ていないことは龍府から聞こえてくるひとびとの声からも明らかだ。それは方舟も同じで、船内のだれひとりとして負傷していないこともわかっている。皆、船外の様子を見ていたようだが、それもどうやらマユラの力によるものだろう。マユラは、セツナが方舟をどう処理するのかをファリアたちに見せつけていたというわけだ。

 あるいは、方舟が龍府に直撃し、消滅する光景を見せつけようとしていたのかもしれない。いずれにせよ、趣味が悪いとしかいいようがないが、それさえもマユラの慈悲心から現れた行動であることは、疑いようがなかった。

 いまも、マユラは哀れみを以て、セツナを見下ろしている。

「あんたは、方舟を龍府に落とせなかった。龍府は滅びず、方舟も無事だ。あんたの目論見は、果たせなかった」

《それが我の目論見ではなかったとしたら?》

「強がりだろ」

 セツナが告げると、マユラは目を細めた。天蓋の上へとゆっくりと浮上しながら、いってくる。

《そう想いたければそれでいいが、汝は、そうではあるまい》

「……なにがいいたい」

《我は、これでも汝のことを認めているのだ》

「あんたに認められても、嬉しくねえよ」

 それは、セツナの本音だった。他人に認められることそれ自体は喜ばしいことだ。だれであれ、そういうものだろう。しかし、相手がマユラであれば話は別だ。マユラに認められたところで、喜びようがない。それほどまでにセツナはマユラを嫌悪していたし、その気持ちが反応に現れることを止められない。誰に対しても優しくしてなどいられないのだ。

 自分のことは、どうでもいい。

 マユラは、方舟を落として龍府を滅ぼそうとした。

 それがセツナには許せない。

《そういうな。我はこれでも神だ。神に認められるということは、それなりの人間であることの証だ。光栄に想うがいい》

「いやだね」

 セツナが即答すると、さすがのマユラも鼻白んだようだった。が、特に気にする様子もなくセツナの眼前に降り立つと、その透き通るような目でこちらを見つめてくる。神秘的な金色の瞳は、ただただ美しい。その事実は認めるしかない。

《まあ、よい》

 マユラがそういってからしばしの間があったのは、互いになにを話すべきか迷ったからだろう。セツナは、マユラを警戒し、マユラはセツナが口を開くのを待っている。そんな状況が少しの沈黙を生んだ。先に口を開いたのは、セツナだ。

「……あんたは、いったいなんなんだ。なにが目的なんだ。なんで」

《我は、絶望を司る。真実としての絶望をな》

 四本の腕を胸の前で複雑に組んで、マユラは告げてきた。

《絶望に堕ちる人間を、絶望に堕ちる前に救うことが我の存在理由であり、そのために死をもたらす。滅びこそが絶望を終わらせる唯一の方法故、な》

 絶望そのものではなく、絶望から救うことがマユラの神としての存在意義だということは、これまでの発言からもわかっていたことだ。そのためにセツナを殺そうとしたのだし、龍府を滅ぼそうとしたのもそれだ。それはわかっている。

《だが同時に、我は矛盾を抱えてもいるのだ》

「矛盾?」

《マユリのことよ》

 マユラがその名を上げた瞬間、なにを指しているのか理解できた。女神は自己主張が激しく、常にそのことをいってくるからだ。

「……希望を司る女神か」

《そうだ。我が絶望を司るように、あれは希望を司る。同一の、表裏一体の存在でありながら、その性質は正逆であり、相反し、矛盾しているのだ。故に我とあれは常に反目し、相争っている。愚かなことにな》

 最後に自嘲気味に笑ったのは、自分たちの矛盾に満ちた在り様があまりにもおかしかったからだろう。確かに不思議な存在だった。神は、祈りによって生まれるという。人間の祈り、願い、望みが神という存在を生むのだ、と。であれば、どのような祈りがマユラとマユリという、相反する性質を内包する神を生み出したというのか。不思議でならなかった。

「それが今回のことに関係があると?」

《大いにある》

 マユラは、尊大にうなずく。

《我が眠っている間に、あれは、汝に接触し、力を貸す約束をしてしまった。おそらくは我の記憶を盗み見て、汝のことを知ったのだろうが……まったく、いくら我のことが気に食わぬとはいえ、意趣返しにも程があろう》

 嘆くようなマユラの発言によって、セツナは、マユリがなぜあのとき方舟内にいて、ルウファに率先して力を貸そうとしたのか、その真相がわかった気がした。つまりは、仲の悪い神々の喧嘩に利用されたということだ。しかし、それでもマユリに対して悪印象が持てないのは、マユリ神の徳というものだろうか。単純に、マユリ神の善意に満ちた行いが、マユラのそれとは正逆だからというのもあるだろう。また、マユリ神は、ミリュウたちとの交流を子供のように喜ぶという側面があり、それがセツナにも好印象というのもあるかもしれない。

「あんたは、やっぱり俺に力を貸したくなんてないんだな」

《当たり前だ》

「そうかい」

《汝は、我が救うべき最大の存在なのだ。汝を救わねば、我の存在意義は失われ、消滅するほかないほどにな》

「そこまで俺を殺したいのかよ」

 セツナが呆れ果てるも、マユラは真剣そのものだ。

《殺すのではない。救うのだ》

「同じことだろ」

《違う》

「同じだ。俺は死なねえ。滅ぼされねえよ」

《……まあ、いい》

「よくねえけど」

《そこにこだわっておれば、話が進まぬぞ?》

 マユラのいうことももっともだ、と、セツナの冷静な部分がいってくるので、彼は肩を竦めた。仕方なくうながす。

「……話を進めてくれ」

《……うむ》

 マユラは、厳かにうなずくと、この荒涼たる大地の静けさと同じくらいの静かさで話を続けた。

《さて、どこまで話したか。ともかくも、我は汝に力を貸すつもりなど毛頭なかった。我にとっては救済対象である汝に助力するなど、救いから程遠いこと故な》

(そりゃあそうだろうよ)

 だからこそのこの事態なのだ。マユラは、セツナを滅ぼすことを救済と考え、そのための行動ならばなにをしても許されると考えているらしい。そのためになにを巻き込み、多くのものが巻き添えになろうと知ったことではない、とでもいうのだろう。いや、それら巻き添えになったものたちの死さえも、救いであると考えているのかもしれない。

《されど、マユリが汝らに助力すると約を結んだ以上、我はその約に従わざるを得ぬ。我は神。神なるは、契った約を違えぬもの。違えてはならぬもの。それこそ、神なるものの本質への裏切りであり、存在そのものを否定すること。神の、滅びに繋がる》

「神の滅び……」

《つまり、我がマユリと汝らの約を違えれば、我は滅び去るということだ》

「へえ……」

 初めて聞く話だった。

 神がひとの祈りによって生まれた存在である以上、なんらかの制約があったとしてもおかしくはなかったし、不思議ではない。むしろ、そういう制約がなければ、神を神たらしめることなどできないのではないか。絶対的な力を持つ自由気儘な存在など、厄災でしかない。人間の願いや望みを聞き入れることもなくなるだろう。そうなればそれは、ただの暴力装置になりかねない。そんなものを敬うものなど、極少数だ。

《我とマユリが別の神であれば話も別であったのだがな、我とマユリは表裏一体の存在。我が結ぶ約がマユリにも有効であるように、マユリが結んだ約もまた、我を縛り、我を支配する》

「つまり、なにがいいたいんだ?」

《……ここまでいって理解できぬか? 我も汝に協力せねばならぬということだ》

「だったら!」

 セツナは、マユラに躙り寄った。突如として噴き出した怒りをぶつけるためだ。

「なんでこんなことをした!」

《汝に助力するためよ》

「はあっ!?」

《我は、汝らを裏切ったつもりは一切ないぞ。すべては、汝が目的のため。汝が今後、この終わりゆく世界で戦い抜くためには、あの程度の事態、軽々と切り抜けられねばなるまい?》

「……物は言いようだな。要するに俺の力を試したってことだろ」

 セツナの冷ややかなまなざしをマユラは涼しい顔で受け流す、マユラは神だ。人間如きがどのような態度で応じようと、気にも留めないし、動揺することなどありえない。そういう超然たる態度がセツナの感情を逆撫でるのだが、それさえも、マユラにとってはどうでもいいのだろう。

《そうだ。汝の力量を知ることは、我にとっては急務だった。でなければ、どれほどの助けを必要としているのかわからぬ》

 マユラの発言は、先程の方舟落としを正当化するものであり、セツナの怒りをさらに掻き立てるものだった。だが、マユラはこちらの気持ちなど一切気にすることなく続けてくるのだ。

《それに、汝はこの地と縁深きもの》

「この地……」

《この地を見捨て、帝国なる地にこそ汝らの本願があるというのであれば話は別だがな》

「ここでなにかがあるっていうのか?」

《なにもないわけがあるまい》

 マユラは、冷ややかに告げてくる。

《世界は変わり果てた。汝らが“大破壊”と呼ぶ事象によって、ひとつであった大地は徹底的に引き裂かれ、打ち砕かれたのだ。この世界と外界を隔てていた壁までもが失われてしまった。この世の現状、決して芳しいものではないぞ》

 マユラは、組んでいた四本腕を広げ、この地を指し示すようにした。

 ヴァシュタリア大陸に比べれば狭いものの、ひとの身からすれば広大な地だった。

 この地に一体なにがあるというのか。

 セツナは、マユラの言いようが気にかかって仕方がなかった。



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