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第二千百二十八話 希望と絶望(四)


 映写幕に映し出された船外の光景というのは、遠目に迫りつつある大海原であり、その先の黒黒とした大地といったものであり、マユラが方舟を地上に激突させるべく急降下させていることがはっきりと伝わってくるものだった。それも、降下速度はいまもなお上がり続けており、白波の海面が急速に近づきつつあった。いや、近づいているのは海面ではない。大地だ。マユラは、方舟を大地にぶつけるつもりなのだ。

 それもただの大地ではない。

 映写幕に映し出された大地は、リョハンやベノアガルドのように“大破壊”によって変わり果ててはいたが、セツナには見覚えのある光景だったのだ。少なくとも、その大地の北西端に位置する大都市は、かつて彼が領地としたザルワーンの古都龍府に違いなかった。“大破壊”の影響を受けてさえいない様子なのが不思議だったが、そんなことを気にしている場合ではない。なぜならば龍府は、方舟の進路上にあったからだ。

 つまり、マユラは、方舟を龍府に直撃させるつもりなのだ。

 セツナは、そうと認識した瞬間、感情の爆発を止められないまま、床を蹴っていた。一足飛びにマユラの眼前へ。だが、マユラもそれを理解し、予測していたのだろう。神の姿はそこから消えていた。

《魔王の杖の力を用い、我を滅ぼしたところでどうにもならぬぞ。この船はもはや我の手を離れた。我が滅ぼうが滅ぶまいが、我の示した場所に向かっていくのみ》

「てめえ!」

《憤っている暇があるのか? 早くしなければ、この船は汝の愛した都に落ちるぞ》

 せせら笑うように告げてきたマユラだが、その姿は機関室のどこにも見当たらない。言葉通り、マユラは方舟を制御するつもりもなくなったということだ。そして、それが意味するところは、方舟はもはや落下し続けるしかないということだ。

《あの都には、汝を領伯と慕ったものたちがいまも生きている。汝は、それら罪なきひとびとを見殺しにはできないだろう。それが汝だ。セツナ=カミヤ。いや、神矢刹那。それが汝なのだ》

「なにを知ったふうなことを!」

《知っている。知らないわけがない。いや、思い出したというべきか。そうだ。汝なのだ。汝こそが。だからさ。だから、汝を救わねばならぬ》

「なにがいいたい!?」

 セツナは脳内に響く神の聲への怒りのあまり、自分の頭を潰したい衝動に駆られた。不快感をもたらす聲が直接響き渡るのだ。いくら耳を塞いでも、その聲だけは聞こえてくる。

《ふふ……問答をしている時間はないぞ? 方舟も龍府も失って構わないのなら話は別だがな》

「んなわけあるかよ!」

《ならば、どうする》

「こうするだけさ」 

 セツナは、手にした矛を翻すと、逡巡することなく自身の右太ももを切りつけた。鋭い痛みとともにわずかに流れた血が媒介となって、黒き矛の能力を発動する。血液を媒介にした空間転移。全周囲の空間が歪む異様な感覚の後、セツナは、空中に身を放り出されていた。方舟の外へ転移したのだ。すかさずメイルオブドーターの翅を広げ、滞空する。視線をわずかに傾ければ、方舟が地上に向かって巨大な流星の如き勢いで接近しているのが視界に飛び込んでくる。マユラ神は、方舟の天蓋の上にいた。こちらを見て、笑っている。嘲っているのではない。楽しんでいるのだ。

 この状況を、心底愉しんでいる。

 セツナは、歯噛みすると、メイルオブドーターを羽撃かせた。急加速で地上へ、龍府へと接近する方舟の進路上に向かって、ひたすら速度を上げる。方舟の速度は、その船体の大きさからは考えられないほどのものであり、そんな速度で龍府に直撃すれば、大惨事になること間違いなかった。いや、龍府そのものがこの地上から消滅するかもしれない。

 マユラが方舟に膨大な量の神威を注ぎ込むのを目の当たりにしている。その神威がただの動力ではなく、龍府に壊滅的な打撃を与えるためのものである可能性は、決して低くはなかった。おそらく、だが、マユリが希望を司るように、マユラは絶望を司っているのだろう。マユラのこれまでの言動はそれで辻褄が合う。そして、絶望からひとを救うことがマユラ神の務めであり、そのために示現したに違いない。

 この世は、絶望に満ちている。

 無論、龍府にも――。

 その絶望からひとびとを救う一環として、方舟をぶつけ、龍府ごと抹消しようというのではないか。

 死こそが救いである、と、マユラが考えているのは、以前からわかっていたことだ。なぜ、どうしてそのような考えに至ったのかは、神ならざるセツナにわかるわけもないが、ただひとつ、理解できることがある。それは、マユラが本気で方舟を龍府にぶつけるつもりだということだ。

 龍府を肉眼で確認し、その無事を目の当たりにしたことによる歓喜や興奮は、一瞬にして消えて失せた。喜びは怒りに変わり、激情が全身を支配する。漲る力が衝動となって体内を駆け抜け、全身全霊、あらん限りを吐き出させる。

 方舟の落下を止めるのだ。

 方舟を破壊することで龍府を護るという方法もなくはない。しかし、方舟は、移動手段として有用であり、今後も必要不可欠な存在だった。ここで失うわけにはいかないのだ。ミリュウたちが乗っていることもあるが、彼女たちに関してはいくらでも守りようがある。いまでもこの異変に気づき、ミリュウが擬似魔法による防壁でも展開してくれていることだろう。そして、彼女たちが集まっている船不展望室だけを護るように破壊することも、いまのセツナならば不可能ではないのだ。しかし、方舟を破壊するという考えは、セツナの頭の中にはなかった。

 世界を股にかける必要がある以上、方舟を失うのは大きな痛手た。ならば、どうすればいいのか。簡単な話だ。

(止めてやる)

 セツナは、方舟の進路上へ猛然と突き進みながら、立て続けに呪文を口走った。黒き矛の眷属たるエッジオブサーストとマスクオブディスペアを異世界より呼び寄せると、真っ先にマスクオブディスペアの能力を発動させる。闇人形を作り出す能力の一部を用いて黒い腕を生成、黒き矛を掴ませると、自身は続けて召喚したエッジオブサーストを両手に握りしめた。メイルオブドーターの飛行能力を最大限に発揮した高速飛行の真っ只中のことだ。それでも、龍府へと猛然と落下する方舟の進路上には間に合いそうにない。そして、マユラには、方舟の激突を止める気配など見受けられない。

 だからこそ、セツナはエッジオブサーストを召喚したのだ。二刀一対の深黒の短刀、その刀身を重ね合わせ、能力を発動する。眷属の能力の中でもっとも世界への影響が強く、そして消耗が激しい能力は、世界そのものを支配するものといって差し支えない。

 時間静止。

 セツナは、能力発動と同時に方舟がまったく動かなくなるのを確認すると、自分の選択がなんの間違いもなかったことを知った。方舟は、いまや龍府の上空数百メートルといったところまで接近しているのだ。落下速度を加味すれば、数十秒の猶予もなかった。メイルオブドーターの最高速度でも追いつけるか微妙な距離と速度。ならば世界そのものの時を止めてしまえばいい。

 エッジオブサーストの時間静止能力は、自分以外すべての存在の時間を止めるものだ。使い方次第では有用だが、その使い所が難しかった。なぜならば時間静止中、動き回れるといっても、時間が止まっているものに対し、力を加えることができないからだ。つまり、時間を止めて一方的に攻撃できるわけではなく、攻撃のために使えないということは、あまり利用価値がないということにほかならない。それになにより、消耗が大きい。

 発動しただけでも凄まじいばかりに精神力が削られているのがわかるほどであり、そんなものを長時間維持するなどどだい無理な話だった。

 だが、今回ばかりは、この判断はなんら間違ってはいない。

 龍府上空で静止した方舟を見つめながら、その進路上へと移動する。その間、だれが邪魔してくることもない。当然だ。

 いま、世界はセツナによって支配されている。



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