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第二千百二十三話 想い、巡る(二)


 いまから十数年の昔。

 リョハンは、平穏そのものの日々を送っていた。

 ミリアは、夫メリクス、娘ファリアと幸福に満ちた生活を送っていて、日常になんの不満もなかったし、未来も明るいものだと信じていた。母も父も健康そのものであり、むしろ若い頃以上に働いている様子さえあるふたりを見ていると、自分の不甲斐なさを恥じ入るばかりだったし、そのために彼女も日々の仕事に懸命になったものだ。

 ミリアは、夫メリクスとともに武装召喚術の教室を開いていた。

 リョハンにおける武装召喚術の教育というのは、資格を持つ武装召喚師が独自に開く教室で行われるか、護峰侍団が公的に開いている学校で行われるかのふたつにひとつであり、護峰侍団が本格的に武装召喚術を取り入れる前から活発に行われていた前者のほうが圧倒的に利用人数が多かった。

 あるいは武装召喚師に弟子入りするという方法もあったが、リョハンにおいてはあまり一般的な教育方法ではない。武装召喚師としても、ひとりふたりに教育を施すよりも、教室を開くなりして多人数相手に武装召喚術を教えるほうが効率的であり、弟子を取ることに消極的だった、というのもあるだろう。

 ともかくも、ミリアはメリクスとともにアスラリア教室と呼ばれる武装召喚術の私学校を開いていた、ということだ。教室を開くには、そのための資格がいる。資格は、護山会議と護峰侍団の合議によって発行されるものであり、ミリアもメリクスも難なく発行されている。ふたりは、武装召喚師として折り紙つきの実力者だった。

 アスラリア教室は、いくつもある教室の中で特に人気であり、欠員ができると間髪を置く暇もなく埋まるほどだった。それもそのはずだ。アスラリア教室の二名の教師は、戦女神ファリア=バルディッシュの愛娘と、始祖召喚師アズマリア=アルテマックスの直弟子というとんでもない肩書をもっているのだ。その上、ふたりの評判もいい。

 武装召喚術を学ぶならばアスラリア教室で――だれもがそう考えたというが、しかし、ミリアもメリクスも超人ではなく、教えられる数には限りがあった。二十人ほどが限度であり、しかし、その二十人をリョハン最高峰の武装召喚師に育て上げる覚悟でもって、ふたりは教室での指導に当たった。

 生徒の中には、ふたりの愛娘ファリア・ベルファリア=アスラリアもいたし、甥のスコール=バルディッシュがいて、ふたりは彼女たちを指導するとき、ひときわ厳しくしたものだった。生徒たちの手前、親族だからと甘い顔をするわけにはいかないのだ。他の生徒と同じようにするだけでもとやかくいわれる以上、厳しくするほかない。そのことでファリアやスコールが音を上げなかったのは、ふたりが純粋に武装召喚師として成長したいと想い、邁進したからに違いなかった。

 そうやって、日々、娘や甥、はたまた親類縁者にかぎらず、自分たちの教室に集った後進の育成に力を注ぎ、人生を謳歌できるものだと信じていたのは、ミリアひとりではあるまい。メリクスも、そう想い、望んでいたはずだ。

 だが、その望みは叶わなかった。

 魔人が現れたから――ではない。

 もっと、根源的な理由だ。

 最初からそうなる運命だった、というほか、あるまい。

 あの日のアズマリア=アルテマックスのリョハンへの到来は、別段珍しいことでもなんでもなく、リョハン市民は総出で始祖召喚師を歓迎した。戦女神ファリア=バルディッシュみずからが先頭に立ち、久々の師との再会を歓ぶと、リョハン全体が歓喜に湧いたことをミリアは覚えている。

 しかし、アズマリアは、弟子たちとの再会を喜ぶ風もなく、いつになく物憂げな顔をしていたことが印象的だった。いまにして思い返せば、それこそ、事変の兆候だったのだろう。アズマリアは、メリクスと再会したときには決断していたのだ。

 メリクスは、異世界の人間だ。

 イルス・ヴァレとはまったく異なる世界に生まれ育った彼は、その世界における神の使いだったのだと、いう。そして、異教の神々との戦いに駆り出される日々を送っていた彼は、あるとき、敵対神との戦闘中、命の危機に瀕した。それを救ったのが、アズマリアによる召喚であり、終わることのない神々の戦いに飽いていた彼は、アズマリアの召喚に応じ、このイルス・ヴァレにやってきたのだ。

 そう、メリクスは、元の世界における神々との戦いの中で神威に蝕まれ、日々、白化症の進行と戦い続けていた。だが、アズマリアがその事実を察したのは、メリクスと久々の再会を果たしたときであり、そのときまで、アズマリアでさえ気づくことなく隠し通していた。白化症は、激しい痛みを伴うものだという。肉体を蝕むだけにとどまらず、精神までも食い破ろうとするそれに対し、彼はただひたすら我慢しながら治療法を探し続けていたのだ。武装召喚術を熱心に学んでいたのも、そのためなのかもしれない。異世界の力たる武装召喚術ならば、体内の神威を取り除き、浄化することができるのではないか。彼がそう考え、縋るような想いで修練に励んだのも無理のない話だ。彼にしてみれば、リョハンでの平穏な日々を続ける上で、絶対に解決しなければならない問題だった。

 しかし、白化症に治療法はない。

 神の力だ。

 神の偉大なる力は、神以外の生物にはあまりにも強力過ぎ、毒となって作用する。肉体を蝕み、変容させ、ついには神の徒と成り果てるのだ。それが白化症と呼ばれる症状のすべてであり、一度発症したものが元に戻ったことはないのだという。それでも、メリクスは解決策を探した。治療法を模索した。彼が様々な術式を試し、数多の召喚武装の使い手となったのも、そのためだったのだろう。

 彼は、自身を蝕む神の毒気を体内から消し去る術を得たかったのだ。

 だが、結局、解決策は見つからないまま、運命の日を迎える。

 アズマリアは、メリクスと再会したとき、彼の体内を蝕む神の気配を感じ取った、という。そして、もはや放置しては置けないと判断した。よって、アズマリアは、メリクスを殺害することを決意し、そのことをメリクス自身に告げている。

 メリクスは、アズマリアの手で殺されることを本望だといった。

 ミリアは、そのときの光景をアズマリアの依代となっている最中、何度となく夢に見た。おそらく、アズマリア自身の記憶が悪夢のような形で現れたのだろう。アズマリアの苦悩に満ちた心の内を見せつけられるようで、彼女はなんともいいようがなかった。

 アズマリアは、メリクスの才能を愛していたのだ。

 アズマリアという人物は、魔人などと恐れられてはいるが、実際には、弟子想いの師匠であり、彼女の弟子となったものは皆、彼女の虜となるほどだった、という。ミリアの母ファリア=バルディッシュがアズマリアを心の底より尊敬しているのも、アズマリアの本質を理解しているからだ。彼女は、メリクスを手に掛けたくなどなかった。できるならば、メリクスを神の毒気から解放してやりたかったのだ。しかし、そんな方法は古今東西、どこを探しても存在しない。

 といって、ゲートオブヴァーミリオンによってメリクスを異世界に追放したところで、なんの解決にもならない。どこの世界へ飛ばされようと、メリクスが神の徒と成り果てるだけだ。それでもいい、とは、ならないのだ。

 メリクス自身が、それを望まなかった。

『師よ。どうか、わたしに人間の心がある間に殺して欲しい』

 メリクスは、心苦しそうな表情でもって、アズマリアに頼み込んでいる。彼がなぜみずからの死を望んだのかといえば、彼自身、もはや手の施しようがない事を悟っていたからなのだろう。神の毒気は、彼の体内を蝕み尽くし、あとは意識を乗っ取るだけ、という状況になっていたのだ。それほどの状況にもかかわらず、彼は、痛みを表情に出すことすらなく、日々、教師としての職務にあたっていた。苦しいという一言もなければ、我慢している様子も見せない。とてつもない精神力というほかないが、そのことを喜べるミリアではなかった。

 メリクスは、自身の体に起きている異常事態を生涯の伴侶として定めたはずのミリアに打ち明けようともしなかったのだ。治療法が見つかるまでは話すわけにはいかない、とでも想ったのか、どうか。

 いずれにせよ、ミリアは、メリクスの身に起きている異変を知ることもないまま、アズマリアとメリクスの対峙を目撃し、ふたりを止めようとした。

 それが、事の始まり。

 いや、とっくの昔に始まっていたことが終わっただけ、というべきなのかもしれない。

 少なくともそれは、始まりなどというようなものではなかった。

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