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第二千百二十一話 獅徒(五)


 ネア・ガンディオンを出発して二日あまり、ザルワーン侵攻軍の飛行船隊がザルワーン島上空へと差し掛かろうという頃合い、ミズトリスは、ルクスユーグの自室で眠りの中にいた。

 獅徒は、人間でもなければ、この世の生物でもなんでもない。しかしながら、無制限に活動できるわけでもなければ、不老不滅の存在というわけでもないのだ。万全を期するのであれば、毎日しっかりと睡眠を取り、また食事などで栄養を取る必要もあった。

 夢は、見なかった。

 だから、だろう。

 船体を激しく揺らした衝撃にも即座に対応し、寝台から飛び降りた彼女は、すぐさま甲板に向かった。衝撃は、外から伝わってきたことがわかっている。船内でなにかがあったわけでもなければ、あるはずもない。外圧。敵対勢力による攻撃か、と、一瞬思ったが、そんなことがあるとは考えがたかった。

 船隊は、地上より遥か上空を進んでいるはずなのだ。

 ネア・ガンディアにとっての明確な敵対勢力というのは、世界各地に数多といるが、ザルワーン島に向かう飛翔船を攻撃できるような勢力は思いつかなかった。ラムレス=サイファ・ドラースの眷属が報復に出向いてくる可能性はないではないが、中央ヴァシュタリア大陸から離れるというのは少々考えにくい。では、帝国軍か。

 などと、ミズトリスが思考を巡らせていると、脳内にモナナ神の聲が届いた。

《起きたのですね、ミズトリス》

「ああ。起こされた。なにが起こっている?」

《さあ?》

「は?」

 ミズトリスは、モナナ神の要領を得ない返事に怪訝な顔をした。モナナ神は常に機関室にいて、ルクスユーグの動力となり、また、船そのものを操っているのだが、同時に船の眼を務めてもいるはずだった。モナナは神なのだ。その御業を持ってすれば、船内にいながらにして船外の状況を把握することくらい容易い。そして、船の内外の状況をもっとも理解しているのが、女神モナナであるはずだった。飛翔船に搭乗する神というのは、そういう重要な役割も担っている。

 第二次リョハン侵攻において旗艦ユフモイオンに乗り込んでいた女神イルトリがそうであったように。

 だというのに、モナナ神にはまるでなにが起こっているのかわからない、とでもいいたげな反応が帰ってきたものだから、ミズトリスも急ぐほかなかった。部下たちがつぎつぎと飛び出してくる通路を駆け抜け、甲板へ躍り出る。またしても、船が揺れた。

 転倒しかけるのをなんとか踏み止まったミズトリスは、群青の空の中を駆け巡る純白の奔流を見た。それはさながら逆巻く嵐のように猛然と駆け抜け、大気をかき混ぜ、暴風を巻き起こしていた。純白の奔流。澄み切った青空を白く濁らせるように渦巻いては、伍型飛翔船を飲み込み、地上へと引きずり落としていく。

「なにが起こっている!?」

 ミズトリスは、わけもなく叫んでいた。

 なにが起こっていのか、まったくわからなかった。ただ、圧倒的な力の奔流が暴威となって吹き荒んでいるということだけは、確かだった。

《よくはわかりませんが、攻撃を受けているのは確かなようですね》

「見ればわかる!」

 ミズトリスは叫び返しながら、ルクスユーグの船体が度々揺れている原因を把握した。白い奔流が度々ルクスユーグに直撃しているからだ。無論、ルクスユーグの船体を直接攻撃出来ているわけではない。ルクスユーグは、神の力を転用して作り上げた神霊防壁によって守られており、並大抵の攻撃では触れることもままならないのだ。

(だったらなぜ、揺れている!)

 神霊防壁に守られているはずのルクスユーグが激しく揺れているということはつまり、神霊防壁では受け流しきれないほどの圧力がかかっているということであり、それほどまでの凄まじい力の持ち主がミズトリスたちに攻撃を仕掛けてきているということだ。

 ミズトリスはすぐさま全感覚を研ぎすませたものの、力の及ぶ範囲があまりにも広大すぎて、力の主の居場所を特定することは不可能に近かった。そもそも、ミズトリスが感知できるのであれば、モナナ神がとっくに把握しているだろう。モナナ神にもよくわからない攻撃なのだ。ミズトリスが理解できるわけもない。

 だが、そんなことをいっている場合でもなかった。

 白い暴威は、ただルクスユーグを揺らしているだけではないのだ。

「なんということ……」

 五隻の伍型飛翔船が、つぎつぎと撃ち落とされていく絶望的な光景を彼女はただ呆然と見ているほかなかった。

 伍型飛翔船も神霊防壁によって守られているはずだったが、実際に神が乗っているか否かの問題なのか、白い暴威はそれら伍型飛翔船の防壁を軽々と突き破り、船体に大穴を空けると、渦を巻いて地上に叩きつけた。遥か眼下、ザルワーンの大地に激突した飛翔船は、凄まじい閃光と轟音とともに大爆発を起こす。

 ルクスユーグを除くすべての飛翔船が空中と地上それぞれで爆発四散すると、暫くの間、ルクスユーグを攻撃していた白い暴威も消えて失せ、ザルワーン上空は何事もなかったかのように穏やかになった。

 ミズトリスは、なにが起こったのかを理解できぬまま、絶句していた。

 

 ルクスユーグは、その後、なんの問題もなくザルワーン島に降り立つことに成功した。

 ネア・ガンディオンを出発したザルワーン侵攻軍のうち、ザルワーン島に上陸できたのは、ミズトリスとともにルクスユーグに乗船していた五千名だけだった。

 ヴィシュタルがミズトリスのために編成してくれた一万五千の大軍勢の三分の二が、上陸目前、飛翔船の爆発に巻き込まれて消滅してしまったのだ。飛翔船の爆発は凄まじいものであり、生存者はひとりとしていなかった。搭乗していたのは、全員が全員、聖軍の人間ばかりというわけではない。一割が神兵だったはずだが、神兵の生命力をもってしても消滅を免れることはできなかったのだ。どれだけ傷つけられても瞬時に再生する神兵も、“核”ごと破壊されてはひとたまりもないということだ。

 それほどの爆発がザルワーンの大地に刻んだ爪痕というのはあまりにも巨大だが、同時にその巨大な爆心地に散らばった飛翔船の残骸は、飛翔船の頑丈さを示してもいた。死んでも死なない神兵を消滅させるほどの爆発を受けながら、ある程度原型を留めているのだ。飛翔船の頑丈さだけは信用しても、問題はあるまい。

「ミズトリス様……どう、いたしましょう?」

「どうするもこうするもない」

 ミズトリスは、このたびの侵攻軍副官を務める聖将ワルカ=エスタシアの狼狽ぶりに対し、冷ややかに告げた。五隻の飛翔船がなにものかによって撃ち落とされ、戦力の大半を失ってしまったという事実は、どう足掻こうとも覆しようがない。ミズトリスたちが油断していなかった、などという言い逃れは通用しないのだ。まずは目の前の現実を受け入れ、その上で対処しなければならない。

「ザルワーンの地には辿り着けたのだろう?」

 振り向く。

 弐型飛翔船ルクスユーグの厳しい巨大な船体は、無傷のまま、荒れ果てた大地に着陸している。船から降りた聖軍の兵卒たちは、さっきまでのミズトリスたちと同じく、飛翔船の残骸を目の当たりにして呆然としているようだった。だれもが、驚愕し、数多の同輩を失ったという事実に打ちひしがれている。総勢一万五千の内、一万もの聖兵、神兵が虚空に消え去った。その衝撃たるや、凄まじいとしかいいようがない。

 あのとき、なにが起こっていたのか、神にさえわからないのだ。

 突如として吹き荒んだのは圧倒的な力であり、暴威であり、破壊の奔流そのものだった。モナナ神みずからが防壁を張るルクスユーグこそ無事だったものの、神に乗らざる伍型飛翔船は為す術もなく破壊され、撃ち落とされ、爆散した。

 なにものかが、ネア・ガンディアの軍勢に対し、警告を発してきた、と考えるべきなのかどうか。警告にしては、あまりにも暴力的であり、凶悪極まりないものだった。

(警告というよりは、迎撃だな)

 ザルワーンの空を侵したがために迎撃を行ったのではないか。そして五隻の船を撃ち落とせたことで、満足した攻撃者は、ルクスユーグの着陸は見逃した。いや、見逃さざるを得なかった、と考えるべきだ。攻撃者の力では、神の防壁を打ち破ることはできなかったのだ。故に諦め、攻撃を止めたに違いない。隙を見せれば、すぐにでも攻撃してくることだろう。そのため、警戒を怠るわけにはいかず、ミズトリスはモナナ神に最高級の警戒を頼んでいた。

「はい……そのとおりです、ミズトリス様」

 ワルカ=エスタシアの物憂げな顔がいつにもまして暗く見えたのはきのせいではあるまい。

 だが、ミズトリスは、ワルカの心情など気にするつもりもなかった。ワルカを始めとする聖軍の将兵というのは、人間ばかりだ。神の加護によって強化されているとはいえ、ただの人間なのだ。生身の人間に獅徒の心情など理解できようはずがないのと同じように、獅徒にもまた、生身の人間の気持ちなどわかるはずもなかった。

 獅徒は、人間ではない。

 この世の生物ですらない。

 ただの化け物だ。

 成れの果てなのだ。

 故に、立ち止まる必要もない。

「では、神皇陛下の勅命に従い、ザルワーン方面の再制圧に取り掛かるとしよう」

 ミズトリスは、たった五千人あまりの将兵と自分の力だけで、この変わり果て、未知の力渦巻く大地を制圧するべく動き出した。

 

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