第二千百十九話 獅徒(三)
かくして、ミズトリスを指揮官とするザルワーン侵攻軍が編成された。
弐型飛翔船ルクスユーグを旗艦とし、つい今しがた完成したばかりの伍型飛翔船を五隻ばかりを組み込んだ船団だ。ミズトリス専用の弐型飛翔船ルクスユーグには五千の兵が乗船しており、五型飛翔船にはそれぞれ二千名ずつ乗船する手はずになっていた。それだけを聞くと、総勢一万五千の大軍勢だが、ネア・ガンディアの規模から考えれば、大した数にはならない。
世界大戦に動員されたヴァシュタリア軍二百万のうち、半数以上がネア・ガンディア軍の基盤となっており、崩壊以降のイルス・ヴァレにおける最大勢力といってもなんの間違いもあるまい。もっとも、人数などなんの意味もないことは、ネア・ガンディアの主戦力を考えればわかることだ。ネア・ガンディアの主戦力は、かつて至高神ヴァシュタラとして北の地に君臨していた神々であり、神の威光こそがネア・ガンディアの軍事力を大いなるものとしていた。
この混乱と絶望が吹き荒れる現代において、ネア・ガンディアに匹敵する戦力を有する国も組織も存在しないのだ。
たとえば、二度に渡ってネア・ガンディアを退けた空中都市リョハンも、ネア・ガンディアが本腰を入れれば、立ちどころにこの地上から消えて失せるだろう。一度目も二度目も、本気とは程遠い戦力による侵攻だった。とはいえ、二度目の侵攻に関していえば、セツナ=カミヤが間に合わなければ、リョハンはネア・ガンディアによって制圧されていたのは間違いない。その場合、ヴィシュタルはセツナの手によるリョハンの奪還を待ち望んだことだろう。幸いにも、そうはならなかった。ヴィシュタルの望み通り彼は現れ、ネア・ガンディア軍を蹴散らし、女神イルトリにさえも重傷を負わせている。
イルトリ神は、黒き矛とも魔王の杖とも呼ばれる召喚武装カオスブリンガーの攻撃によって大打撃を受け、現在、治療中だ。神が人間如きに手傷を負わされるなどあってはならぬことだ、と女神はいっていたが、しかし、魔王の杖が相手ならば致し方のないことだ、とヴィシュタルが囁いたのをミズトリスは聞いている。
『魔王の杖は、百万世界における魔の根源そのものといっても過言じゃない。魔とはすなわち、神に相克するもの。神の……生きとし生けるものすべての、いや、万物の天敵。それが魔王の杖なんだ』
故に、信仰がある限り無限に生き、無制限に再生復元する神々さえも傷つけることができるのだ、という。そして、魔王の杖によって傷つけられた神は、その再生能力を阻害され、完治することはできないらしい。
それほどの力を持った召喚武装が黒き矛カオスブリンガーであり、ヴィシュタルがセツナの到来を望んでやまなかったのも、そのためなのだ。
つまり、皇神という絶大な力に対抗できるのは魔王の杖ただひとつであり、いかにリョハンが武装召喚術の総本山とはいえ、ネア・ガンディアが総力を結集すれば一溜まりもないということだ。どれだけ武装召喚師たちが優秀であろうと、強力無比な召喚武装があろうと関係がないのだ。
神には、何者も勝てない。
ただひとつ、魔王の杖を除いて。
しかしながら、ネア・ガンディアがリョハン侵攻に際し、総力を上げることはなかったし、これからもないだろう。
そのような余裕が、ネア・ガンディアにはないからだ。故にザルワーン侵攻軍の戦力も、膨大というほどではないのだ。
ネア・ガンディアの存在するガンディア島は現在、ネア・ガンディア軍によってほぼ完全に掌握され、支配されている。神都ネア・ガンディオンを中心にいくつもの都市や要塞が点在し、ネア・ガンディアの支配を受け入れたひとびとが以前と大きく変わらない生活を送っているのだが、ただひとつ、問題があった。それこそがネア・ガンディアの戦力をある程度は温存しておかなければならない重要な問題であり、由々しき事態でもあった。
それは、ガンディア島各地でネア・ガンディア軍を相手に大立ち回りを演じる反乱軍の存在だった。神の軍勢を相手に戦い続けることなど、常人には不可能なことだ。たとえ武装召喚師であったとしても、神々の圧倒的な力を前に瞬く間に力尽きるのが関の山なのだ。だのに、反乱軍は、二年以上に渡って、ネア・ガンディアと戦い続けている。
『救世騎士団のことは、ぼくたちがなんとかしなければならなくなった』
ネア・ガンディオンを飛び立つ直前、ヴィシュタルが難しい顔をした。
『彼らには、しばらくおとなしくしてもらうよりほかはなさそうだ』
そういって肩を竦めたヴィシュタルだが、彼がどうやって反乱軍を静めようというのか見当もつかなかった。
救世騎士団と、反乱軍は名乗っている。
ベノアガルド騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースが組織したことは、彼が陣頭に立っているという事実からわかりきっている。ヴィシュタルたちと同じく聖皇復活の儀式を阻止するべく、“約束の地”に足を踏み入れ、破壊の奔流の中で命を落としたはずの彼が生きている理由は、わからない。少なくとも、獅徒転生とは異なる方法であることは間違いなかった。獅徒ならば、神皇に逆らえるわけがない。
救世騎士団は、ネア・ガンディアこそこの世界を蝕む諸悪の根源であると断じ、その討滅こそ、この世界の唯一無二の正義であると告げた。以来、ネア・ガンディアに支配された地域を解放するべく、ガンディア島内を転戦しているという。
神兵はともかく、神々を相手に引けを取らない戦いを繰り返しているというのは、不可解極まりないことではある。
フェイルリング率いる十三騎士は、救世神ミヴューラの使徒であり、神の力を借りることが許されていた。故に神兵を圧倒するのはわからなくはない。だが、借り物の力では、神々に対抗することなど不可能なはずだ。いったいどういう理由があって、フェイルリング率いる救世騎士団はネア・ガンディアと戦うことができているのか。
疑問は尽きないが、答えのでない問題に頭を悩ませ続けるのも時間の無駄だということを彼女は知っている。
ヴィシュタル、ファルネリア、イデルヴェインに見送られる中、旗艦ルクスユーグに乗り込んだミズトリスは、すぐさまザルワーンを目指して出発した。
旗艦ルクスユーグは、数少ない弐型飛翔船の一隻だ。
飛翔船とは、その名の通り、飛翔する能力を持つ船のことであり、ネア・ガンディアの誕生から一年後、獅徒アルシュラウナが陣頭指揮を取って建造したものだ。異世界の技術の粋を結集して作り上げられており、皇神の力によって自由自在に空を翔ぶことができるほか、船そのものが戦闘行動を取ることもできた。飛翔船の船体に採用された金属は、イルス・ヴァレに存在するあらゆる物質よりも強固であり、防御面での心配は一切ないとのことだった。
なにより空を自由に飛べるということ。特筆すべきはそこであり、飛翔船の戦闘能力などは副産物に過ぎない。
この広い世界。どこでも飛んでいけるというのは、この上なく大きな利点だ。獅徒も神兵もその気になれば空を飛び回ることも不可能ではないが、だからといって遥か彼方の目的地まで飛び続けるというのは、無駄に力を消耗するだけであり、浪費そのものだ。飛翔船に乗って移動できるのであれば、それに越したことはなかったし、大量の戦力を輸送するのにも適していた。
制空権を得ることそのものは、飛翔船の有無とはあまり関係がない。
かつて、この世界における空の王者といえば竜属だった。天空を自在に飛び回る万物の霊長は、ただそれだけで圧倒的な存在感を見せつけたものだし、実際の力も圧倒的というほかなかった。
しかし、いまや天の支配者はネア・ガンディアの神々に取って代わったといっていいだろう。神々の力は、並み居る竜属を遥かに凌駕する。
三界の竜王のみが神々に匹敵する力を持っているが、三界の竜王は基本的に能動的ではなく、世界に干渉するものではない。神々が大手を振って世界の支配者の如き顔をしていられるのも、そのためだろうし、さらにその状況を維持するため、神将が打った手こそ、リョハン侵攻だったのだ。
リョハンへの侵攻は、三界の竜王が一柱、蒼衣の狂王ラムレス=サイファ・ドラースの力を封じるためだけのものであり、ヴィシュタルたち獅徒は、知らぬうちに神将たちの策を手伝っていたということだ。
神将の策はなり、ラムレスの力は消え失せた。
原初よりこの世界を支えていた三柱のうちのひとつが消滅したのだ。
それがどういうことなのかは、ミズトリスにはわからない。
わかることは、神将とは相容れない存在であり、皇神どもも、彼女にとっては敵に等しい存在なのかもしれない、ということだ。
ラムレスの消滅は、ネア・ガンディアの神々を勢いづかせている。異世界の神々にとって、三界の竜王は、目の上のたんこぶとでもいうべき存在だったからだ。その一柱が消えた。残る二柱のうち、正常なのは一柱だけであり、もう一柱も尋常ならざる状態だという。
神々の、ネア・ガンディアの最大の障壁となる可能性が高かった三界の竜王は、もはや敵にもならない、と、神々は考えているようだ。
ともかくも、そのようにして制空権を得た神々だが、だからといって彼らが想うままに振る舞えるかというと、そうではない。少なくとも、ネア・ガンディアに属する神々というのは、神皇に支配された存在であり、神将や獅徒のようにみずからの意のままに動けるわけではないのだ。
だれもかれも、操られている。
ルクスユーグの甲板に立ち尽くしたミズトリスは、純白の甲冑に包まれた我が身を見下ろすようにして、目を細めた。
手の指先から足の爪先に至るまで、操り糸が見えるようだった。