第二千百十五話 予感
リグフォードらとの合流を果たしたのは、四月十三日のこと。
北ヴァシュタリア大陸を出発するのは、翌々日の十五日と決まった。
リグフォードらは、セツナたちがいつ戻ってきてもすぐさま出発できるように準備しており、故にわずか二日後に出航する運びとなったのだ。アレウテラスから派遣された闘士五十名も、すでに帝国軍と合流しており、船に乗り込んでいた。
セツナたちは、当然方舟に乗り、空路、帝国本土を目指すことになる。海上を進むリグフォードたちを乗せた船を頼りに、だ。方舟の速度ならば、リグフォードたちを先行することもできるが、それでは意味がない。リグフォードとともに帝国本土に辿り着くことこそが肝要であり、また、行動をともにすることで、万が一の事態に備えることもできるというものだ。
海にはなにがあるかわからない。
以前、リョハンを探しての船旅の最中、海神に襲われるという事態が起きている。幸いにも海神マウアウは話のわかる神であり、友好的な関係を結ぶこともできたが、マウアウのような神ばかりとは限らないのだ。中には問答無用で襲い掛かってくるような傍若無人な神がいても、なんら不思議ではない。
ヴァシュタラより分化した神は限りないという。
それら神々がなにを目的としているか次第では、セツナと敵対することだって十分有り得る話だ。
もし海上を進むリグフォードらがなんらかの問題に直面した場合、即座に対応できるよう、方舟はある程度の高度を飛行することにしていた。
十三日。
つまり、アレウテラス近郊に到着し、三者会談を終えた後のことだ。セツナたちは西帝国軍の出港準備が整うまでの間、暇つぶしも兼ねてアレウテラスに赴いている。方舟には大量の食料や衣類、様々な荷物が積み込まれているものの、それだけでは足りないものもあるかもしれない、ということで、買い出しも行った。その買い出しには、ゲインやエリナの母ミレーユも同行することになり、エリナはミレーユとの買い物を心底楽しんだようだ。
アレウテラスでは、極剛闘士団の闘士たちによる歓迎を受けるとともに、セツナの闘技を目撃した一般市民が歓声でもって出迎えたものだから、大騒動になったのはいうまでもない。
「いったいなにをしたらこうなるの?」
などとミリュウが呆れるのも無理がないほどに、セツナの周囲には人集りができていた。満足に買い物もできず、困り果てるしかなかった。
「なにをって、俺はなにもしてねえ」
「嘘でございます」
「なにが!?」
「御主人様は、闘技においてとてつもない戦いぶりを見せつけられ、アレウテラスの皆様方に衝撃を与えられたのでございますよ?」
「……そういわれりゃ、そうかもしれんが」
だとしても、ここまで歓待されるほどのものだろうか、などと思わずにはいられない。しかし、冷静になって考えてみると、アレウテラス市民の反応は、当然のものかもしれなかった。
アレウテラスは、闘技を生活の中心とする、一風変わった都市だ。一般市民は老若男女に至るまで闘技に親しみ、楽しんでいるという。そんなひとびとにとって、セツナとウォーレン(ラジャム)の闘技ほど衝撃的なものはなかっただろう。闘技とは元来、鍛え上げた肉体をぶつけ合い、練り上げた技を競い合うものであり、超絶的なものではない。武装召喚師同士の闘技もあるとはいえ、それでも控え目な代物にならざるをえないのだ。セツナとウォーレンの激突は、類を見ないほどに苛烈なものであり、度肝を抜かれるのもわからなくはなかった。
闘技の歴史を塗り替えた、という声もあるほどだ。
故にそれ以降の闘技が地味に見えて困る、というものもいる。
とはいえ、闘都アレウテラスの名が廃るような事態にはなっておらず、セツナとウォーレンの激闘こそが特別なものであるという認識が広まっているようだ。
また、セツナの名声が広まると同時に最上級闘士ウォーレン=ルーンの名も上がった。当然だろう。あの戦いを目撃しただれもが、セツナと戦っている相手が闘神ラジャムだとは知る由もないのだ。皆、ウォーレンが本当の力を見せたものだと想っている。ウォーレンの最上級闘士としての立場は、当分の間、揺るがぬものとなるだろう。
そんなウォーレンを始めとする闘士たちとの交流のため、会食を行ったりもした。その席上、ウォーレンら闘士はセツナの闘技を熱く語り、ファリアやミリュウたちの興味を引いた。さらにレムがそのときの戦いぶりを熱烈に話したものだから、ミリュウやエリナに闘技への参加をせがまれる羽目になった。セツナは頭を抱えたものの、機会があれば、という風な言葉で切り抜け、会食を乗り切っている。
アレウテラスの闘士たちは、セツナとウォーレン(ラジャム)の激闘を目の当たりにしてからというもの、これまでの闘技が生ぬるいものであったと猛省、日々、鍛錬に励んでいるとのことであり、セツナはウォーレンとともに彼らの考えが少々行き過ぎているということを注意しなければならなかった。セツナとウォーレンの戦いが激しく、そして派手だったのは、神と神に匹敵する力を持つもの戦闘だったからであり、常人が真似できるものではない。そのことを説明するまではしなかったものの、人間には人間の分があるということだけは伝えた。
アレウテラスでの買い出しや闘士団との交流を終えた一行は、リグフォードらの待つ陣地跡地へと向かい、そこで今後の方針を話し合った。
その際、ファリアやミリュウ、エリナたちは、魔動船メリッサ・ノアや水平の果まで続く大海原を目の当たりにして、驚き、また、大騒ぎをした。
「海……これが海なのね!?」
「湖なんかとは規模が違うわね?」
「すごーいです!」
ミリュウも、ファリアも、エリナも、ミレーユも、いずれもワーグラーン大陸の内陸地に生まれ育ち、海の存在こそ知れど、実際にじっくりと見たことなどなかったのだ。感嘆の声を上げるのは当然だった。
とはいえ、ファリアたちは、リョハンへ向かう最中、大陸がばらばらに引き裂かれていく光景を目の当たりにしている。大地が裂け、どこからともなく流れ込んできた膨大な量の海水が大地を分かつ、天変地異そのものといっていい光景は、彼女たちの記憶に深々と刻まれていることだろう。その際、海がどういったものなのか見ているはずなのだが、しかし、そのときは大陸が破壊されゆくという恐ろしさに打ちのめされ、海に驚きを覚えることなどなかったのだ。
出発までの有り余る時間をミリュウたちは、波打ち際で子供のようにはしゃいでいた。
そしてそんな中、レムがひとり勝ち誇ったような反応を見せているのがセツナにはおかしかった。彼女も初めて海を目の当たりにした時は、ミリュウやエリナと同じように童心に戻っていたはずだ。そのことを口にすると、余計な仕返しをされかねないので、黙ってはいたが。
セツナは、ファリアたちが浜辺で子供のように遊ぶファリアたちの様子を心に留め置くようにして、見守っていた。微笑ましい光景だと想っていると、ミリュウとエリナにせがまれ、彼自身も彼女たちの水遊びに付き合う羽目になってしまった。それもいいだろう。海水のしょっぱさは、この世界でも変わらない。塩分たっぷりの波打ち際を駆け回りながら、セツナは、確かに幸福を感じていた。
こうしてじっくりゆったり遊んでいられる時間など、そうあるものではない。
つぎは、帝国の戦場へとむかうのだ。
戦いが起きれば、遊んでいる暇はなくなるだろう。
そのときまでは、遊んでいればいい。常に気を張っている必要はないのだ。息抜きできるときに息を抜き、気張る時は気張る。それでいい。
セツナは、そんなことを考えながら、半ば本気になって逃げ回るミリュウを追いかけた。
北の大地の春は、寒い。
海水も冷たく、足をつけるのも遠慮したくなるほどだ。だが、そんなことなどお構いなしになるほど、セツナたちは一時的な現実逃避に熱中した。
だれもが、予感していたのかもしれない。