第二千百十四話 方舟飛行(二)
セツナたちを乗せた方舟がアレウテラス上空に至った四月十三日は生憎の天候であり、空を覆う鉛色の雲と降りしきる雨の中、方舟はアレウテラス南方の岸辺に向かって降下していった。セツナたちはその間、船内で待機していればよかったし、たとえ甲板に出たとしても、天蓋のおかげで雨に濡れることはなかったのだ。
ともかくも、方舟はアレウテラス南岸に築かれた帝国軍陣地付近に降り立った。すると、帝国軍陣地からは帝国軍の兵士たちが、アレウテラスからは極剛闘士団の連中が方舟を取り囲むように布陣し、こちらの出方を窺った。方舟は元来神軍の所有物なのだ。警戒するのは当然だし、急接近に対し危機感を持って応対することこそ正しい反応だろう。
方舟からセツナたちが出ると、帝国軍将兵もアレウテラスの闘士たちも一様に驚き、愕然としたようだった。
そして、帝国軍側からは将軍リグフォード・ゼル=ヴァンダライズが、アレウテラス側からは闘士長ウォーレン=ルーンが護衛を伴ってセツナに歩み寄った。セツナが神軍の手先になったのではないか、と、警戒してのことだ。神軍の所有物である方舟を運用しているのだ。そう考えられるのは当然のことだったし、セツナは、彼らの警戒を解く必要に迫られた。
セツナは、両者に神軍とは無縁であり、むしろ敵対関係にあるということを説明するとともに、なぜ方舟を利用することになったのかも軽く触れた。
リグフォードは、セツナの無事を認めると、素直に喜び、約束通りの帰還に感激さえしたようだった。リグフォードとしては、突如として姿を消したセツナが約束通り戻ってきてくれるのか、不安だったに違いない。
一方のウォーレンは、闘神練武祭におけるセツナへの強引な参加をいまさらながら謝罪するとともに、闘神ラジャムがセツナとの再戦を心の底から望んでいる、ということを伝えてきた。せつなは勘弁願いたかったし、神様と本気で戦うなど考えたくもなかったが、ウォーレンの言葉は受け取った。
その後、急遽開かれた三者会談の席で、アレウテラスと帝国軍が交渉を持ち、アレウテラスが帝国軍に選りすぐりの闘士を貸し出すことに同意した、という話を聞いた。元々、西帝国軍が海に出たのは、対東帝国軍戦力の確保のためであり、セツナ以外にも戦力を獲得しようと動くのは至極当然の考えだった。そして、その考えの元にアレウテラスと交渉し、良い結果に結びついたのであれば、なにもいうことはない。
アレウテラスとしては、選りすぐりの闘士を海外に派遣することで、極剛闘士団の武名を知らしめるとともに、将来、海を行き来する手段が確立された場合、アレウテラスに観光客を呼び込むきっかけにしたい、と考えているらしい。その宣伝にザイオン帝国を利用するのは、悪くない。帝国はかつての三大勢力の一角であり、人口は他の小国家とは比べ物にならない。その地でアレウテラスの闘士たちが活躍すれば、ウォーレンの思惑通り、アレウテラスの闘技場への関心が高まり、将来的に観客を呼び寄せることに繋がるかもしれない。
海を渡る手段が確立されてもいない時代だ。帝国を始めとする三大勢力ならばまだしも、それ以外の国や地域が海に乗り出すというのは、遥か先のことなのは明白だ。数多くの船を有する帝国も、一般市民が船に乗り、海外旅行に出かける、などということはできておらず、ウォーレンらの思惑が三和夫結ぶのは遠い将来のこととなるだろう。しかし、決して無駄にはなるまい。
西帝国が東帝国に打ち勝ち、併呑した暁には、西帝国の戦力として活躍したものたちの名は帝国領土全域に広がるのだ。そこにアレウテラスの闘士たちの名が加われば、それだけで大きな宣伝となる。
ウォーレンはそこまで考えた上で、闘士たちの帝国への派遣を決めたのだろう。
そのうえで、帝国の問題が片付けば、帝国軍の中から選りすぐりの戦士をアレウテラスに派遣し、闘技に参加して欲しい、というのがアレウテラスからの条件であり、帝国側はこれを了承。かくして、西ザイオン帝国とアレウテラスの同盟が結ばれた、とのことだった。
セツナとレムが姿を消している間、ただ待つだけでなく、帝国のために動き続けていたというのがリグフォード将軍の有能さを示していた。リグフォードは、とにかく、時間を無駄にしたくなかったのだろうし、セツナひとりにすべてを任せるような考えは持ち合わせていなかったようだ。
セツナは、闘神練武祭の真っ最中、どこへ消え、それからなにをしていたのか、かいつまんで説明している。リョハンが神軍との戦争の真っ只中であり、もし少しでも遅れていれば大変な事態になっていたということを伝えると、ウォーレン=ルーンは、闘神ラジャムがセツナとの戦闘に盛り上がり過ぎたことを深々と謝ってきた。しかし、セツナは、むしろラジャムのおかげでリョハンに間に合ったという考えを持っていて、そのことを告げた。
闘神ラジャムがセツナとの戦闘でひとり盛り上がり、その大きな力を発揮したがためにセツナも応じなければならなくなり、その結果、リョハンでの戦闘を垣間見たのだ。もし、あのとき、ラジャムが儀式としての闘技に終始していれば、セツナはリョハンの状況を知ることもなかっただろう。少なくとも、完全武装状態となってまで急ぐことはなかったはずだ。
セツナがファリアを守ることが出来たのは、ラジャムのおかげと言い換えてもいい。
ウォーレンは、そんなセツナの考えを聞いて、多少、安堵したようだった。
その後、特にどうということもなく三者会談は終わり、アレウテラスの軍勢は都市へと引き上げることとなり、帝国軍はアレウテラスの南岸に築かれた陣地を大急ぎで引き払う準備を始めた。リグフォード率いる帝国軍が長らくアレウテラス南岸に滞在していたのは、セツナの帰還を待っていたからにほかならない。セツナがリョハンでの目的を果たし、戻ってきた以上、ここに留まっている理由はないのだ。一刻も早く海を渡り、帝国本土に帰還しなければならない。
「まあしかし、セツナ殿が無事に戻られたこと、心より安堵いたしましたぞ」
リグフォードは、陣地の引き払いを命じた後、その隆々たる巨躯を揺さぶらせて大いに笑った。
「本当ならもう少し早く戻ってきたかったんですが」
「いやいや、それこそ本来ならばもっと時間がかかっても不思議ではありませんし、これほどの短期間で戻ってこられたことのほうが奇跡というべきでしょう」
そういって、リグフォードが見遣ったのは方舟だ。曇り空の下、方舟の巨大な船体は、異様なほどの存在感を放っている。当然だが、地上にあるときは翼を生やしてはいない。しかし、それでも巨大かつ類を見ないほどの威容には目を奪われるものだ。
リグフォードは、空路戻ってきたことだけを指して、そういったわけではあるまい。通常ならば、陸路を進んでリョハンを目指したはずであり、その場合、一日二日で辿り着ける距離ではないことは明白だ。数十日は、馬上、旅をしなければならなかっただろう。となれば、戻ってくるのも同じだけの日数を要したはずであり、リグフォードらは数ヶ月ほどの滞在を覚悟していたのだ。それが二ヶ月あまりの短期間で済んだのだから、彼らが喜ぶのも無理のない話だった。
「しかも、方舟を手に入れられた。これは、我が帝国にとっても望外のこと」
「東帝国との戦争にも役立つのは間違いありませんね」
とは、ジェイド=メッサ西帝国陸軍少尉。アレウテラスで行動をともにした彼は、本来ならば、セツナたちとともにリョハンに向かうはずだった人物であり、セツナたちがリョハンから戻ってきたことを心底喜んでいた。それと同時に自分がリョハンに行けなかったことを寂しがってもいるようだ。
「うむ。空に浮かぶ船というだけで、東帝国の連中に恐怖を与えることもできよう」
「そこにセツナ殿が乗っているとなれば、凄まじい効果となりましょう……!」
ジェイドが興奮気味にいったが、それは彼がセツナと闘神ラジャムの戦闘を目の当たりにしたからのようだった。彼はそれまでセツナの実力を疑問視していたのだろうが、闘神練武祭でのセツナの戦いぶりは、彼に衝撃を与えたのだ。
「うむ」
「東帝国との戦いに関しては、俺たちがいる限りなんの心配もありませんよ」
セツナは、胸を張って、告げた。セツナ一行は、戦力でいえば一国以上といっていいだろう。帝国軍の全戦力と並び立つかどうかは不明だが、少なくともとてつもない戦力であることは疑いようがない。ファリア、ミリュウという当代最高峰の武装召喚師が二名いて、ダルクスもいる。エリナは支援限定ではあるが、その実力は師匠ミリュウのお墨付きだ。さらには不老不滅の死神レムと、黒き矛の使い手セツナがいる。
西帝国が負ける要素はないだろう。
「おお……これは頼もしい限りですな」
リグフォードが感嘆の声を上げ、ジェイドらが大いに頷く。すると、ミリュウが背後から茶々を入れてきた。
「セツナひとりでも十分過ぎるくらいだと想うけどね」
「まあ、そうね」
「そうでございますね」
「うんうん!」
ファリア、レム、エリナがそれぞれに反応するのを見て、セツナは半眼になった。
「おいおい、俺を過労死させる気かよ」
「そんなことあるわけないじゃない!」
ミリュウが憤慨すると、三人がそれに便乗してくる。
「そうね、セツナの負担を減らさないとね」
「そのとおりでございます」
「うんうん!」
「……おまえら、本気でそう想ってんのかよ」
セツナは、なんだか彼女たちのやり取りに気疲れを覚えて、肩を落とした。




