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第二千百一話 未来への扉(四)


「ファリアちゃん。本当についていかなくていいの?」

「ついていくって……だれに」

 ファリアが声を絞り出すようにいわなければならなかったのは、ミリアのその質問があまりにもまっすぐで、力強すぎたからだ。

「セツナ君に決まってるでしょ。あなたの大好きな」

「……わたしは、戦女神ですから」

「聞いたわ、さっき。そうね、あなたは戦女神。リョハンという天地を支える柱にほかならない。ほかのだれにも真似のできない立場、重要な役割」

 ミリアは、至極嬉しそうに、しかしどこか辛そうな表情をした。嬉しいのは、ファリアが戦女神としての責務を全うしようとしているからだろう。では、なぜそうまで辛そうなのか。それは、ファリアにはわからない。ミリアは、いう。

「でも、それでいいのかしら」

「え?」

「セツナ君、取られちゃうかもしれないわよ」

「なにを……」

 いっているのか。

 ファリアは叫ぶように問おうとして、声が出ないことに気づいた。ミリアは、静かに続けてくる。戦宮の静寂を乱さないように、穏やかで柔らかな声音で、静かに。

「セツナ君の周りには女の子ばかりじゃない。皆、セツナ君に想いを寄せている。あなたと同じくらいね」

 いわれなくとも、それくらいはわかっていることだ。わかりきっている。そう、たしかにその通りだ。セツナの周りには、彼に好意を寄せる女性が多い。いまだけでも、ミリュウ、レム、エリナがセツナに対し惜しみない好意を向けている。そこにシーラやウルクなどが加わるのだから、セツナの人気っぷりはどうしようもない。それだけ魅力的な人間だということだし、それは、ファリアにとっても喜ばしいことだ。一方で、あまり喜んでばかりもいられないということも、わかっている。

 セツナに好意を寄せる女性が多いということは、それだけ、ファリアの心が休まる時間が少ないということでもあったからだ。だが、それも今は昔の話。いまは、違う。いまは、もう、揺れようがなかった。

 結ばれたのだ。

 身も心もひとつになり、どれだけ離れても解けることはない、と、いい切れる。

「……信じていますから」

「あら、そうなの?」

「はい」

「でも、セツナ君はそうでも、周りの女の子たちはどうかしら。強引な方法を取るかもしれないわよ」

 ミリアの神経を逆なでにするような発言には、さすがのファリアも黙って聞いているわけにはいかなくなった。ミリアの言いたいこともわからないではない。セツナと離れている時間が増えれば、そのようなことを危惧しなければならなくなるかもしれないのだ。だからこそ、ファリアは余計に苛立ちを覚えたのかもしれない。図星、というやつだろう。

「母上……母上は、そうやってわたしを煽って、なにがしたいんですか。わたしは、戦女神なんですよ。リョハンの皆のためにも、わたしはここにいなきゃならないんです」

 ファリアは、叫ぶようにいった。ファリアにはファリアの、セツナにはセツナの役割があり、人生があるのだ。そう決めたのだ。自分はここで生きると。戦女神としての責務を果たし、セツナを待ち続ける、と。それをみずから否定するようなことなど、できるわけがない。

「煽ってるつもりはないのよ、ごめんなさいね。あなたの本音が聞きたかっただけなの」

「本音……? いってるじゃないですか、わたしは!」

 戦女神だ、と、ファリアは叫ぼうとした。だが、ミリアの憐憫に満ちたまなざしを見たとき、声が出なくなってしまった。なぜ、そのようなまなざしをするのか。なにを憐れみ、なにを哀しんでいるのか。自分はそんなにも悲しい生き物なのか。胸の奥に湧き上がった疑問が彼女の意識を硬直させる。

「本当は、どうなの? 本当にセツナ君と離れ離れになってもいいの? もう二度と、逢えなくなるかもしれないわよ」

「逢えますよ。帰ってきます。ここに、必ず」

 ファリアは、ミリアの目を見つめながら、断言した。セツナ自身が約束してくれたことだ。必ずここに戻ってくる、と。どれだけかかるかわからないけれど、すべてのことをやり終えたなら、リョハンに戻ってくるのだ、と、彼はいった。それはつまり、その後は、ファリアの側にいてくれるということに違いなかった。それが、ただそれだけが、ファリアにとっての希望といえた。

「何事もなければ、そうね。でも、セツナ君は、戦場に向かうのよ。その行き着く先は、世界の命運を賭けた最後の戦場となるのは明白。だって、彼はあのひとによって選ばれた希望の光なんだもの」

「希望の光……セツナが、ですか」

「そうよ。彼は希望なのよ。この神々に毒された世界を救う、たったひとつの希望の光。だから彼の行き着く先は、最後の決戦の地になるでしょう。そうなるよう、あのひとが仕向けるわ」

 ミリアが、告げる。

「死地に行くのよ」

「……セツナは、強いんです。そう簡単に――」

「死ぬはずがない。そう断言するのは勝手だし、信頼するに足る実力の持ち主だということは、認めるわ。でも、なんにだって絶対なんていうことはないのよ、ファリア」

 ミリアは、まるで聞き分けのない子供に諭すような口振りで、いってくる。

「セツナ君は強い。確かにあなたのいうとおりでしょうね。黒き矛の使い手として、着実に成長している。地獄での試練をくぐり抜けた彼に敵う人間なんていないでしょう。わたしでも、無理よ。おそらく全盛期のお母様でもね。それほどまでに鍛え抜かれた彼でも、絶対に負けない、とは言い切れないものよ」

 ミリアのいうことがわからないわけではない。彼女のいうことは、もっともだ。この世には、絶対、などということはないのだ。セツナは、強い。だれよりも強い、と、いい切れる。神軍が擁する神にさえ食らいつき、撃退せしめるほどの力を持っている。彼は負けない。なにものにも負ける気がしない。それでも、状況次第では、どうなるかわからないのが現実なのだ。

「あなたがどれだけ信じていても、万が一は起こりうるの。彼だどれだけ強くとも、敗れる可能性はないとはいえない。絶対なんてこと、ありえない。傷つき、敗れ、殺されるかもしれない。もう二度と逢えないかもしれないのよ」

「……わ、わたしは……」

「あなたはどうしたいの?」

 問われて、ファリアは、答えを見失った。

 本来であれば、戦女神をやり続けたい、とでも即答するべきだった。それがいまのファリアの立場であり、役割であり、責務であり、使命なのだから、ほかに答えようなどなかったはずだ。しかし、ファリアは、迷ってしまった。混乱が起きている。頭の中、意識の内側がぐるぐると渦を巻き、なにもわからなくなっている。目頭が熱い。感情が乱れに乱れている。

「このまま、セツナ君と離ればなれになってもいいの? もう逢えなくなっても、後悔しない?」

「……そんなこと聞いて、わたしにどうしろっていうんですか!?」

「ファリアちゃん……」

「わたしは、戦女神なんですよ! リョハンの、この天地を支える柱なんです、みんなの心の支えなんです! セツナと一緒に行きたくても、行けるわけないじゃないですか! わたしだって、セツナの側にいたいんです! もう二度と、離れたくなんてない……!」

 机に手をおいて叫びきったとき、ファリアは、自分が涙を流していることに気づいた。泣くほどのことだった。どっちも大事なのだ。リョハンの戦女神としての役目を果たすことも、セツナの側にいるということも、どちらも、優劣のつけようがないくらい大切なことだ。だが、セツナの側にいて、彼を支えることは、悲しいことにファリア以外のだれにでもできることだ。それに対して、戦女神は、ファリア以外のだれにできるというのか。リョハンに住むひとびとの心に平穏と安息をもたらすことができるのは、自分だけなのだ。 

 だからこそ、苦しい。 

 だからこそ、悲しい。

 セツナの側にこそいたいのに、それだけは、できない。許されない。

「やっぱり、それが本心なのね」

 ミリアが、安堵したようにいった。


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