第二千九十話 女神と天侍(四)
「ミリュウ様が七大天侍を解任されたというのは、真なのでございますか?」
神妙な顔をしたレムが、魔晶人形たちが運んできたお茶を茶器に注いでいく様子をセツナは、静かに眺めていた。
御陵屋敷の広間に場所を移している。
室内には、セツナとレム、それにレムの指示を待つ三体の魔晶人形だけしかいない。ミリュウは運び込まれた客室で爆睡中であり、エリナも別室にて眠りについた。ダルクスもだ。人間、だれしも睡魔に抗い続けることなどできないものだ。
セツナだって、いまにも寝入りそうだった。しかし、ミリュウやエリナの事情をレムに説明するまでは眠る訳にはいかないと、お茶を淹れてもらうことにしたのだ。
「ああ」
「どうしてまた……」
「端的にいうと、重度の命令違反に戦女神がおかんむりなのさ」
セツナは、茶器に手を伸ばしながら告げた。広間の長椅子には、セツナしか座っていない。レムは立ったままで、魔晶人形たちも整列してこちらを見つめている。淡く輝く魔晶石の目。そこに意志が宿っているように見えないのが、ウルクとの大きな違いだった。
「まあ……ファリア様が?」
「数十日もの間、なんの連絡も寄越さず、手前勝手に部隊を動かしていたんだ。いくら七大天侍という立場にあるからといって、なんでもかんでも許されるわけじゃあないのさ」
「それは……理解できますが。しかし、ミリュウ様にも事情があったのでございましょう?」
「そりゃあな。だが、リョハン政府、戦女神からすれば、許せるような事情じゃあなかった。なんたって、皇魔の国の事情に自分から首を突っ込んだ挙句、連絡を取ろうともしなかったんだ。戦女神が激怒したって不思議じゃあない」
「そう……でございますか」
「とはいえ、ミリュウは七大天侍としてこれまで散々リョハンのために尽くしてきたという功績があるからな。解任するだけで、それ以上の罪には問わない、という寛大な処置が取られた、というわけだ」
「ミリュウ様……だいじょうぶでしょうか」
「心配か?」
「それはそうでございましょう。ミリュウ様、この二年あまり、リョハンの七大天侍として職務を全うしてきたというではありませんか。原因が御自身の行いにあるとはいえ……」
「まあ、仕方がないさ。ミリュウが任務を途中で放り出し、勝手に行動したのは事実だ。そのためにリョハンは危機に曝されてもいる」
第二次防衛戦の際、もしミリュウがリョハンにいた場合、リョハン軍にとって大きな戦力の増強に繋がっただろうことは間違いない。ミリュウは、押しも押されるリョハン最強の人間だ。マリク神に次ぐ力の持ち主といっていい。彼女とラヴァーソウルが織りなす疑似魔法の数々は、マリク神も一目置くほどのものなのだ。それほどの戦力が、どんな理由があれ好き勝手動き回るのは、リョハンとしても許しがたいものがあるだろう。
「リョハン政府、戦女神としては、処断しなければ示しがつかないのさ」
「ミリュウ様……」
「というのは、建前だ」
「はい?」
レムがきょとんとした。
「実際には、ミリュウが俺たちと一緒に動けるよう、取り計らってくれたんだよ」
「わたくしたちと、ですか? ミリュウ様が?」
「ああ。ミリュウ、エリナ、ダルクスの三名は、本日付でリョハンから自由の身となったんだ。ミリュウは七大天侍だ。七大天侍は四大天侍を前身とするリョハンの象徴的存在であり、戦女神に次ぐ立場にある。そんな立場の人間が好き勝手動けるわけがないし、リョハン政府としても、俺たちの旅に同行させることはできない。リョハンの守護こそ、七大天侍の役割なんだからな」
「なるほど……それで、今回の事件を追求することで、ミリュウ様を自由の身とする理由としたのでございますね。ファリア様らしいお心遣いと申しましょうか……」
深刻そのものだったレムの表情が和らぐのを見て、セツナまで嬉しくなる。
「ファリアとしては、ミリュウが俺と行動をともにしたいってのはわかりきってみたいだからな。ミリュウを七大天侍のまま、リョハンに引き止めておくのは可哀想だ、ってさ」
「それをいえば、ファリア様は、どうなのでございます?」
「え?」
「ファリア様だって、御主人様と一緒にいたいのではございませんか?」
「……まあ、そうかな」
そこは、否定しなかった。
セツナは、既にファリアの気持ちを知っている。彼女がどれほど深くセツナのことを想ってくれているのか、あのふたりきりの日々の中、全身でもって感じたのだ。ファリアの全身全霊を込めた愛情を受け止め、セツナも愛でもって返した。互いに互いを想い合っているということを理解して、だからこそ、あの日々を終えたいま、離れていても気持ちは通じ合っているのだと胸を張っていえる。いい切れる。信じていられる。
「でも、ファリアは、戦女神なんだ」
「それは、ミリュウ様も同じでございましょう」
「違うよ」
頭を振る。
「ミリュウは戦女神に任命された七大天侍のひとりに過ぎない。戦女神とは、その責任の重さ、役割の大きさがまるで違うんだ。七大天侍は、実力さえあればだれにだってできる。俺だって、その気なればできるだろうさ。その場合、リョハンに住み着く覚悟をしなけりゃならんだろうが……なんなら、レムにだってな」
戦女神は、そうではない。
リョハンにおける戦女神は、アガタラにおける大君と同じだ。
リョハンという世界を支える柱であり、恵みをもたらす太陽であり、祈りを捧げるべき女神そのものなのだ。リョハンの民の心の拠り所であり、支えであり、命の源と言い換えてもいい。とにかく、リョハンになくてはならないものであり、一度、先代戦女神の名の下にそこからの脱却を図ったが、結局は失敗に終わった。数十年に渡ってリョハンのひとびとに刻みつけられた信仰心は、生半可なことでは消し去ることはできないのだ。
それ故、ファリアを戦女神として迎え入れた。
ファリアは先代戦女神の孫娘であり、先代直々にファリアという名を授けられたことから、リョハンのひとびとは彼女を戦女神の正統後継者と認知していたからだ。だからこそファリアは戦女神となり、ひとびとに受け入れられた。それから二年以上に渡る彼女の統治運営は、リョハンのひどびとに安寧と平穏をもたらし、いまではリョハンに必要不可欠な存在となっていた。
四大天侍を元に増員することさえできた七大天侍とは、何もかもが違うのだ。
「では、ファリア様はリョハンにおられるのですか?」
「そうなる」
肯定する以外には、ない。
ファリアは、先にもいったが、リョハンの戦女神なのだ。リョハンにとってかけがえのない存在だ。失えば、その途端、瓦解したとしてもおかしくはないくらいの影響力がある。強引に連れ去ることはできるが、そんなことをすれば、ファリア自身の恨みを買うことになるだろう。愛は、一瞬にして憎悪へと変わりうる。
「俺は、リョハンを離れなきゃならない。帝国との約束もあるし、俺の目的を果たすためにもな。長い旅になる。いつでもリョハンに戻ってこれるわけもない。ファリアは連れていけない」
「そんな……」
レムが落胆するのも無理からぬことだ。
レムは、ファリアたちと再会できれば、また昔のように一緒に生きていけるはずだと考えていたかもしれない。彼女だって能天気ではないし、それぞれの立場を理解できないほど愚かでもない。しかし、ファリアたちとの間に結ばれた絆は、そういったこと以上に強烈に彼女の心に入り込んでいたのだ。
そしてそれは、セツナとて同じだった。
「ファリアと話し合って、決めたことなんだよ」
アレクセイの計らいによって、セツナとファリアは、ふたりきりの時間をたっぷりと与えてもらった。その時間は、ふたりにとってこの上なく重要なものとなった。愛を確かめ合い、散々、話し合った。それこそ、ガンディアにいた数年よりも濃密な数日間だったかもしれない。
終生、忘れることなどないだろう。
だからこそ、前に進めるともいえる。その想い出が、消えようのない記憶が、ふたりの絆となって結んでくれている。
どれだけ離れても、心は繋がっている、と信じられる。
信じられる限り、どこまでも行ける。




