第二千八十三話 最終決戦兵器
「これで、なんとか丸く収まりそう……かな」
セツナは、周囲を見回しながらつぶやいた。
アガタラのウィレドたちは、決して消え去ることのないだろうセツナへの憎悪や復讐心を胸の奥に封じ込めたようであり、だれひとりとして、セツナに食って掛かってくるようなことはなかった。統制の取れた動きだ。エンデ軍とはまるで違う。互いに大君を失い、混乱真っ只中だというのに、アガタラ軍はエンデ軍のように無残なまでの狼狽を見せることはなかった。
だれもが大君の弔い合戦に命を賭け、死すら受け入れていたからだろうし、大君に次ぐ立場にあった二君子が代理としての機能を果たしていたからに違いない。その大君代理たちが大君への復讐を諦め、むしろセツナへの感謝を言葉にすると、彼らに付き従っていたウィレドたちまでも合唱するかのように感謝の言葉を述べたのは、つまりはそういうことなのだ。
一方、エンデは壊滅状態の軍をまとめきれず、混乱のまま逃散した。おそらく、エンデには次期大君たる君子の座についたウィレドがいなかったのだろう。だから、大君の代理者が生まれず、指揮系統を再構成することもままならなかったのだ。
「うん。良かった……」
「本当にな」
セツナが一息ついたそのときだった。背後に下から上に突き抜けるような凄まじい風圧を感じたかと思うと、両肩になにかが伸し掛かってきて、その重量に耐えきれず落ちそうになる。もちろん、すぐさま姿勢制御をして事なきをえるのだが、両肩にのしかかった重みは、そのままセツナの首筋に絡みつき、背中に密着する。それがなんであるかを察したときには、振り払えなくなっていた。
「はあい」
「わっ」
「なによー」
右肩の辺りを見下ろすと、むっと頬を膨らませながら口先を尖らせたミリュウの顔があった。エリナと同じようにラヴァーソウルの力を用い、飛び上がってきたのだ。わずかでもセツナがずれれば足の裏にでも激突しかねないほどの至近距離を飛び上がってきたのだから、彼女の度胸というか、恐れ知らずさには感心するほかない。
「そりゃおまえ、いきなり飛びついてくりゃ、驚くに決まってんだろ」
「エリナのときは驚かなかったのに?」
「状況が違う」
セツナが憮然と告げると、彼女は、納得いかないとでもいうように眉根を寄せた。
「エリナは特別扱いするんだーそうなんだーあたしなんて適当にあしらっておけばいいって思ってるんだー」
「んなこたあねえっての」
「ほんとにー?」
「本当だよ」
「じゃあ、抱きしめてよ」
唐突なミリュウの提案に、セツナは、一瞬虚空を見やり、しばし考えた。そして矛を送還すると、空いた両手で首に絡みつく彼女の手に触れる。予期せぬ行動に弾けるような反応を示した手をつかみ取り、ミリュウを振り向きざまに抱き寄せる。
「こうか?」
「……もう」
「なんだよ、ったく」
セツナは、彼女にいわれるまま抱きしめたにも関わらず、当の本人が顔を真っ赤にして黙り込んだのを見て、なんともいえない感情を抱いた。
「おまえがいったんだろうが」
「うふふー」
「こいつ」
「まあまあ、師匠も喜んでますし」
「エリナはそれでいいのか」
「はい!」
エリナの威勢のいい返事に、セツナは、なんだか毒気を抜かれるような気分になった。ミリュウを抱擁したまま――ミリュウが離れようとしないからだ――エリナを振り返ると、彼女は、想像以上に満面の笑みを浮かべていて。その笑顔だけで嬉しくなった。彼女は、アガタラのウィレドたちを傷つけずに済んだことを喜んでいるのだろう。
「そうか。ま、エリナとミリュウがいいんなら、別に構いやしないが」
「うんうん」
ミリュウがセツナの腕の中でこくこくとうなずく。まるで花も恥じらう少女のような可憐な仕草を見て、セツナは、彼女がそういった性格の持ち主だったことを思い出した。セツナに対し、過激なまでの愛情表現を平然とするくせに、セツナが積極的な愛情表現を行うと、その途端、おとなしくなるのが彼女なのだ。
アスラは変わった、といったが、こうして見るとなにも変わっていないように思えてならない。それが悪いというわけではない。むしろ、セツナにとっては嬉しいことだ。彼女への対抗手段がいまもなお健在かつ有効的なのは、彼女の暴走を止める上では貴重な情報だ。かつて、セツナ至上主義だったミリュウは、セツナ以外の相手への言動が鋭く、破壊的ですらあったのだ。そんな彼女の言動を封じるための手段として、愛情表現を利用したこともあった。
とはいえ、セツナがそのような行動を取ることができるのは、彼女を相応に愛しているからだったし、言動に嘘を含めたことはなかった。
と。
「セツナ殿、エリナ殿」
話しかけてきたのは、メルグ=オセルだった。銀衣の君子は、夜のように黒い翼を閃かせながら、こちらに近寄ってきている。
「我らはこれより戦死者の亡骸を回収後、アガタラに戻るつもりです。エンデは去り、あの船は我らとは無関係のようですのでね」
「しかし、問題がひとつ残っているのだ」
とは、サルグ=オセル。メルグ=オセルとは別方向からこちらに向かってきていた。見比べると、両者の体格の違いが浮き彫りになる。詩歌を愛するメルグと武を重要視するサルグでは、鍛え方が異なるのは当然の話だろう。
「問題?」
「我らがアガタラの居場所があなた方に知れ渡ったことです」
「それが問題なのか?」
「我々が地下に潜ったのは、人間たちとの諍いを避けるため。それからというもの、地上に出るとしても、慎重に慎重を重ねました。人間にアガタラの所在地が判明すれば、攻め滅ぼされるのはわかりきっていますからね。人間は、我々を恐れ、同時に憎んでもいる」
「我らが人間を忌み嫌い、憎むようにな」
自嘲するでもなくサルグがいった。すると、セツナの首元に埋めていた顔を離し、ミリュウがサルグに目を向けた。ただし、セツナの腕の中から離れようとはしなかったし、セツナもまた、彼女を抱きしめていなければならなかった。セツナが彼女を解放すれば、地上まで真っ逆さまだからだ。エリナを空中で固定することができているというのに自分にはそうしないというのは釈然としないが、セツナに甘えることがすべてだと考えれば、理解もできよう。
「それは否定しないけど、あなたたち、人間と敵対するつもり?」
「人間側がその気になれば、そうせざるを得ないでしょう。すべての人間があなたがたのように我々の在り様を理解し、認めるわけではないでしょうし」
「故に問題なのだ。アガタラは、大君を失い、暗闇に閉ざされた。人間に所在地が認知されているということもある。これを機にアガタラを放棄するという話も出ている」
「そんな……もったいないですよ」
「エリナのいうとおりだな。数百年かけて作り上げてきた地底世界の自然環境、そう簡単に手放せるもんでもないんじゃないのか?」
脳裏には、地下世界の広大かつ自然豊かな風景が浮かんでいた。黄金の宮殿は、神魔との戦闘によって崩壊しただろうが、それ以外の四つの区画は無傷のままだ。彼らの祖先たちが汗水たらして作り上げた地底の楽園。美しく、住み心地も良さそうだった。放棄するのは簡単だろうが、エリナのいうようにもったいないと思う気持ちが先に立つ。
メルグもサルグも惜しんではいるようだ。
「ええ。しかし、そうせざるを得なくなれば、仕方がありませんよ。人間に目をつけられれば、地下に籠もってなどいられませんから」
「それって、あたしたちがリョハンの軍勢をアガタラに差し向けることが前提の話に聞こえるんだけど?」
「まさか。しかし、あなたがたが人間の中でも例外中の例外だということは、念頭に入れて置かなければならないのもまた、事実なのです。あなたがたは、リョハンに戻れば、このことを報告しなければならないはず。となれば、アガタラの所在地を報告せずとも、近隣にウィレドの国があるということは知れ渡る。あなたがた以外の、ウィレドを憎むひとびとが動き出したとしても、なんら不思議ではない」
「そうだな。そしてそうなったら、俺たちには止めようがない」
セツナは肩を竦めた。セツナはアガタラやウィレドたちに特に思い入れもないが、温厚な彼らがミリュウたちに良くしてくれたという事実まで否定するつもりもない。人間よりも強靭な肉体、圧倒的な力を誇りながら、人間との争いを不毛なものと断じ、地下世界に楽園を築いたのがアガタラのウィレドたちなのだ。その温厚さには、驚かざるをえない。
だが、そんな温厚なウィレドたちも、事情を知らないものからすれば、人類の天敵であることに変わりがないのだ。皇魔は皇魔。人類にとっては恐るべき敵であり、残忍かつ狂暴な化け物だ。その巣窟の所在地が知れ渡れば、攻め滅ぼすべきという意見が生まれるのは当然の帰結だろう。
「そうね。でも、だいじょうぶよ」
「だいじょうぶ、とは?」
「アガタラを攻撃しないよう、戦女神様に掛け合ってあげるわ。あなたたちが無害だということは、あたしたちもよく知っているし」
「戦女神……ああ、リョハンの統治者ですね。ミリュウ殿は、戦女神様に意見を具申できる立場なのですか?」
メルグ=オセルが驚いたように両目を見開いた。セツナも、メルグたちがリョハンの内情についてある程度知っていることに驚きを禁じ得ない。皇魔が人間社会についてなんらかの情報を得ているなど、考えもしなかったからだ。しかし、よくよく考えてみれば、当然ともいえた。メルグらアガタラのウィレドたちは、人間の文化の影響を多分に受けていたのだ。地下に籠もりながらも人間社会の情報収集を続けていたとしても、おかしくはない。
「ふっふっふー……対戦女神用最終決戦兵器がここにあるから、どーんと任せなさい!」
ミリュウが高笑いをしながらセツナを指差してきたことに対し、彼は憮然とするしかなかった。それ以外の表現を持ち合わせていない。
「俺かよ」
「なるほど!」
「納得するのかよ」
エリナの反応にツッコミを入れるも、彼女は当然のような表情だった。
「ええと……よくはわかりませんが、ミリュウ殿は随分自信がお有りの様子。それに、これまであなたがたがなしてきたことには間違いがなかった。我々がこうして生きていられるのも、あなたがたの判断のおかげにほかなりません。リョハンのことも、おまかせしてもよろしいでしょうか」
「ええ、まっかせなさい。ここにいる女誑しが本領を発揮してくれるに違いないわ」
「だれが女誑しだ」
「あなた以外にだれがいるのよ」
「ですよー」
「エリナまでそんな風に俺のことを見ていたのかよ」
「あたしたちだけじゃないわよ。みんなそうよ。ねえ、ルウファ?」
『ですね!』
方舟から聞こえてきたルウファの大声には、悪意など一切感じられなかったが、セツナは、船を睨みつけて叫んだ。
「てめえルウファ、そこで首を洗って待っていやがれ!」
『ひい!?』
ルウファの素っ頓狂な悲鳴に確かな満足感を覚えたセツナは、周囲の視線を黙殺し、話を戻した。
「……ま、ミリュウが約束した以上、俺も手を尽くすが、アガタラとは無関係の俺があんたらの無害を訴えても、なんの保証にもならないはずだ。リョハンとアガタラの間で、しっかりと交渉するのが一番だと思う。そのためなら協力は惜しまないつもりだ」
「セツナ殿がそういってくださるのであれば、我々も考えを改めましょう。ねえ、サルグ?」
「ああ……」
サルグが乗り気ではない理由は、わからないではなかった。
アガタラのウィレドたちが地下に潜った最大の理由は、当時の人間が徹頭徹尾皇魔と交渉する気を持っていなかったからだ。交渉の場を用意したといって呼び寄せた当時の大君を騙し討ちにして殺したという。その失敗が、アガタラのウィレドたちの人間嫌いの直接的な原因となり、二度と人間と交渉せずに済むよう、地下へと逃げ込んだ。アガタラを手放さずに済むのであれば、それに越したことはないとはいえ、そのためにかつて自分たちを騙し討ちにした人間たちと交渉するのは、気が引けるものだ。
「数百年前と同じ結果にはならないさ。俺がそうさせないし、リョハンの戦女神は聡明で理性的な方だ。きっと、あんたたちのことを知れば、交渉にも応じてくれるだろう」
セツナは、サルグの気持ちを理解しながらも、そうすることが一番であると考え、伝えた。
人間と皇魔が共存共栄していくことができるのであれば、それ以上に素晴らしいことはあるまい。
世界は、滅びに瀕している。
天地の間に満ちた神の気は、すべてを蝕む毒となって猛威を振るい、世界の寿命を早めている。世界はいずれ滅び去る。にもかかわらず、神々は暴れまわり、世界の滅びを加速させるかのようだ。
そんな状況下で、人間と皇魔が終わりのない争いを続けている場合ではないだろう。




