第二千七十八話 神威
視界を埋め尽くした凄まじい熱量を伴う純白の光は、セツナの眼前、エンデ軍の多層構造の陣形を斜め方向に貫いていた。立方体のような空中陣形を構築していたエンデ軍数千のウィレドのうち、その大半が光の奔流に飲まれ、断末魔の声を上げることもできないまま、消滅していったようだった。それは、セツナの超感覚によって把握できたことであり、瞬時には理解できないことだろう。
実際、セツナ自身、なにが起こったのか、正確には理解していない。
ただ、北東方向――つまり、リョフ山付近に強大な力が発生したのを感じただけであり、その熱量がなにを意味するのかまではわからなかった。敵か味方かもわからない。しかし、発生地点がリョフ山つまりリョハンの近くだったということが、セツナがその力に期待する一因となった。
リョハンには、強大な力が発生する要因がいくつかある。ひとつは、世界最高峰の武装召喚師たちがいるということ。武装召喚師たちが力を合わせた可能性がある。ひとつは、リョハンにいる神様の存在。守護神マリクは、基本的にリョハンの守護以外に力を割くことはないが、リョハン近郊で皇魔が大量発生したとなれば、動かないとも限らない。
そのいずれかであると考え、放置していた結果が、いま目の前で起きた出来事だ。やはり、セツナにとって味方のなにかだったようだ。でなければ、最低限セツナを巻き込まないような方角に攻撃することはあるまい。セツナの居場所は、ちょうど、皇魔の軍集団の戦力が集中している最前線だ。皇魔を排除するためだけの攻撃ならば、戦力の集中した座標に行うだろう。
そうは、ならなかった。
セツナは見事、物凄まじい熱風を浴びるだけで済んだ。大量の汗が全身から吹き出したが、それだけで済んだのだから、なにもいうことはない。
そして、光が消えると、そこには想像以上の結果が残されていた。
「な……なんだこれは!? なにが起こったというのだ!?」
ケルグ=アスルは、燃え上がる夜空の中で、半壊状態の自軍を振り返り、大いに狼狽していた。空中に浮かぶ巨大な立方体のような陣形に、斜め方向の大きな風穴が穿たれていたのだから、そうもなろう。光が突き抜ける前までは、そこに空洞などはなく、ぎっしりとエンデ軍のウィレドたちが詰まっていた。そこが空隙になったということはつまり、そこにいたはずのウィレドたちが蒸発するように消え去ったということを示している。
ケルグ=アスルが取り乱すのも無理からぬことだ。
それは、彼が小物だとか器が小さいだとか、そういうことが原因ではない。遥か遠方からの予期せぬ攻撃が、彼が誇るエンデ軍を一瞬にして半壊させたのだ。だれであれ、取り乱すのが必然であり、この状態で余裕ぶっていられるとすれば、それはただの虚勢以外のなにものでもない。指揮官たるもの、虚勢を張ってでも強がるべきではあるのだろうが、難しい話だろう。
そして、取り乱しているのはなにもケルグ=アスルだけではない。陣形が崩されただけでなく、かなりの数の味方が一瞬にして消滅したことで、埋め合わせようのない動揺がエンデ軍兵士たちの間に広がっていた。魔法攻撃の嵐が止み、アガタラ軍が優勢になる。
「これはいったい……どういうことだ」
「なにが起きたというのでしょう……?」
「まったく、わからんぞ」
とはいえ、アガタラ軍の首脳陣も、混乱状態のエンデ軍と同じような反応を示していた。そうなるのも仕方のないことだ。彼らにしても、予期せぬことだったのは紛れもない。それに、いまの攻撃がアガタラ陣地を狙っていれば、彼らとて無事では済まなかったのだ。冷や汗をかいていたとしても不思議ではない。
「リョハンからの攻撃だろうさ」
「リョハンからの……」
「リョハンだと……!? なぜだ!?」
ケルグ=アスルが絶叫するようにいってきたのは、自軍の置かれた状況を理解したからにほかならないだろう。
「なぜ、リョハンの人間どもが我らの戦いに関与する!?」
「当然だろ。あんたらは、人類の天敵なんだ」
「なに!」
「人間風情にはな、あんたらの生命力、魔力、繁殖力、すべてが脅威なんだよ。これほどに群れ集ったとあらば、放ってはおけないさ。人間は、あんたらと違って、あまりにか弱く、儚いからな」
そのか弱い人間の中に自分を含めてもいいものかどうか、多少迷いながらも、セツナはそう言い切り、矛を構え直した。そのときには、戦況は一変している。開戦当初、セツナたちの攻撃によって戦力を失い、劣勢に立たされていたアガタラ軍だったが、リョハンからの攻撃がエンデ軍を半壊させたことで、盛り返していた。サルグ=オセルの指示によって繰り出された戦力が、混乱状態のエンデ軍を的確にえぐり、陣形にさらなる傷口を広げていく。
先程の攻撃さまさまといったところだろう。
(だとしても、ちょっとやばすぎるが)
なにがやばいかといえば、威力、範囲、射程のすべてだ。
セツナが感知した力の発生地点は、リョフ山の麓近くだ。アガタラ軍とエンデ軍の交戦地点から遥か北東に位置しており、通常、攻撃の届くような距離ではない。通常兵器は論外としても、ファリアのオーロラストームのような長距離攻撃用召喚武装でさえ、難しい。たとえ届いたとしても、あれほどの威力を発揮し、何百何千の皇魔を消し去ることなどできるとは想い難い。その時点で召喚武装という線は、消えた。
いや、召喚武装の線が消えたのは、それ以前の問題なのだが。
つい先程セツナの視界を突き抜けた光からは、神威――神の気が感じ取れたのだ。
つまりは、神の力がいままさにセツナの視界を横切り、エンデ軍に風穴を開けたということだ。
マリクが、セツナたちが置かれた状況を知り、手を差し伸べてくれたということだろう。それ以外には考えようがない。なぜならば、リョハンにはマリク以外の神など存在しないからであり、たとえほかの神が現れたのだとしても、セツナに協力する道理がないからだ。魔王の杖を持つセツナは、神々に目の敵にされる存在だ。海神マウアウのように話のわかる神もいるにはいるのだが。
(やっぱ、神様ってのは凄まじいな)
いまさらではあるが、セツナは、感嘆するほかなかった。セツナでも、あの距離を攻撃できるかどうかというと、疑問の残るところではあった。最大出力の“破壊光線”ならば可能かどうか、といったところだろう。
「低劣なる人間どもめが……! よくも、よくも我がエンデの兵共を……!」
「いっただろ。だからさ。人間は、あんたらと比べて極めてか弱いんだ。あんたらにのさばられたら生きていけないくらいにはな」
「ならば、我らがこの天地を支配し、この地上より人間どもを消し去ってくれる!」
「できるものかよ」
セツナが冷ややかに告げた直後、またしても北東で光が瞬いた。今度は、さっきよりも近距離であり、そのことにセツナが驚いている間にも莫大な量の神威が光の奔流となって前方を駆け抜け、エンデ軍の陣形に再び盛大な風穴を開けていった。またしても断末魔の叫び声さえ上げる暇さえないまま、数多のウィレドが跡形もなく消滅している。もはやエンデ軍は全軍総崩れといった状況に陥っていた。開戦当初四千ほどはいたであろうウィレドの数は、これまでの戦闘と二度に渡る神威砲の直撃により、半数以下の一千強にまで激減しているのだ。
自分のすぐ後方で起こった大惨事にケルグ=アスルは空いた口が塞がらないといった様子であり、セツナや人間への怒りに紅く燃え上がらせていた顔を青ざめさせるほどにまでなっていた。
「なんだ……これは……なぜ、こうなったのだ……!」
「あんたたちが人間を甘く見るからさ」
「なんだと……」
「人間はいつだって生きるために必死だった。生き残るためになんだってしてきたんだ。どんなにか弱くとも、どんなに儚くとも、生きるために、未来に生を繋ぐために全力だった。あんたたちのように生まれながらの強者ってわけじゃないからな。そりゃもう、必死にならざるをえないのさ」
などと、セツナは、ケルグ=アスルを煽りながら、北東から接近中の巨大な気配に注意を向けていた。無論、目はケルグ=アスルを捉え、エンデ軍将兵の動向からも意識を逸らさずに、だ。故にその巨大な圧力を持つ物体が夜の闇を押しのけるように迫りつつあることに気づくのに遅れたというのもあるだろう。想像だにしていなかった、というのが、気づくのに遅れた一番大きな理由だろうが。
それは、とてつもなく強大な力と圧を以て、冷え切った夜の大気を押しのけ、こちらに向かって進行していた。それが、先程の神威砲の発生源であることは疑いようがない。一度目と二度目の発射地点が違うこと、二度目の発射地点がセツナにより近い位置から放たれていたこと、そしてその座標が巨大な質量の座標と同じだったことから確信に至っている。つまり、これまでの推測を考慮すると、その移動する巨大質量にマリクがいるということになるが、そうなると疑問が湧く。果たして、マリクがリョハンの守護を解くだろうか、という疑問だ。
セツナが疑問に頭をひねっている暇は、なかった。ケルグ=アスルがうなるように叫んだからだ。
「我らが……貴様ら人間よりも劣るとでもいうつもりか!」
「そうはいってねえだろ。あんたたちは、確かに俺たちより生物として優れた種ではあるだろうさ。でも、それだけなんだよ。そして、それだけが勝敗を分かつ決定的な違いにはならないってことさ」
「ふざけるな!」
「ふざけているのはあんただ。勝敗は決した。あんたの負けなんだ、ケルグ=アスル」
「我が負けただと!? なにをいっている! 我は負けてなどいない! 我はここにいるぞ! 天地万象を照らす偉大なる太陽たるケルグ=アスルは、ここに!」
爆発的な魔力の光がケルグ=アスルの全身より放出された。まさに太陽と呼ぶに相応しいだけの光輝ではあったが、その眩しさも、セツナの前には意味をなさない。確かに強大で圧倒的な力だ。ただの人間では敵わないだろうし、並の武装召喚師でも太刀打ちできまい。だが、セツナはただの人間でも並の武装召喚師でもないのだ。
吹き荒ぶ魔力の奔流が周囲の大気を焼き焦がし、暴風の如く逆巻いていく。その光景を涼しい顔で見つめながら、彼のために惜しんだ。ここまで追い詰められてなお、現状を理解できていないということをだ。理解していれば、もう少し穏やかに解決できたかもしれない。
「あんたがもう少し利口だったなら、って想うよ」
「見くびるな! 我はケルグ=アスル! マルガ=アスル亡きあとの世を統べるものぞ!」
ケルグ=アスルは叫び、魔力光そのものとなってセツナに殺到してきた。セルク、サルグ=オセル、メルグ=オセル、それに数多のウィレドたちが迎撃のために魔法を放つ。火炎、烈風、氷弾、雷撃――多種多様、千差万別の魔法の嵐がケルグ=アスルに襲いかかるが、それらは彼にかすり傷ひとつつけられなかった。太陽の如き魔力の光がすべてを跳ね除けるからだ。それだけを見れば、彼が大君に相応しいだけの実力の持ち主であることは明らかだ。しかし。
「遅いな」
セツナは、悪魔のような形相で飛来してきたケルグ=アスルに向かって矛の切っ先を向けると、瞬時に“破壊光線”を放った。破壊的な熱量が一条の光線となってケルグ=アスルへと直進する。ケルグ=アスルが両腕を顔の前で交差させる。魔力光の防壁。“破壊光線”を防ごうというのだろう。そして実際、適度に力を抜いた“破壊光線”は、ケルグの魔法障壁に防がれている。ただし、魔法障壁に包まれたケルグ=アスルは、破壊の光に押し戻されるようにして後方に下がっている。彼が再びセツナとの距離を詰めるべく、純白の翼を広げた瞬間のことだった。
巨大質量が発した極大の光芒がケルグ=アスルを飲み込んでいた。