第二千七十五話 真意(一)
「セルクだと」
「どういうことです、セルク」
サルグ=オセルとメルグ=オセルが、セルクを非難するように睨んだ。当然だろう。人間とはいえ、エンデ軍と行動をともにしているものの発言なのだ。そしてその発言は、セルクがエンデの内通者であることを示している。
「どうして、エンデの人間があなたに言及したのです。返答次第では、容赦いたしませんよ」
二君子が敵意の矛先をセルクに向けるも、彼は、月光の中、涼しい顔をしていた。
「どうもこうもあるまい」
肩を竦め、そして、震わせる。行き場のない怒りのようなものを感じているらしいことが、その表情の変化でわかる。
「まったく、愚かなことになった。まったく、馬鹿げたことになった……!」
「セルク貴様」
「なにを仰っているのです! 質問に答えなさい!」
「サルグ、メルグ。貴様らの愚かしさには、ほとほと呆れたぞ」
セルクは、二君子を憎悪に満ちたまなざしで見下ろしていた。翻る漆黒の翼が月光を遮り、彼の輪郭を白く染め上げる。燃え盛るような紅い眼には、殺意が漲っている。
「貴様らさえいなければ。貴様らのような愚か者さえいなければ、このような事態にはならずに済んだのに……!」
「責任転嫁かよ」
セルクの全身に漲る魔力を見つめながら、セツナは、冷ややかに告げた。馬鹿げたこととは、まさにこのことではないのか。
「あんた、内通者だったんだろ。エンデに通じていた。そんなやつがなにをいったところで、説得力もなにもねえっての」
「部外者の人間風情が口を挟むな!」
「人間風情ねえ。それがあんたの本性ってわけだ、セルク」
セツナは、セルクの発言がミリュウたちの耳に届いていないことを願ったが、無駄に終わるだろうということも理解していた。地上のミリュウたちが上空の状態に意識を集中していないはずがないのだ。当然、彼の言葉も聞こえているだろう。
「ミリュウもエリナもあんたのことは信じていたようなんだがな。残念だよ」
「はっ、なんとでもいえ。元はといえば、貴様ら人間のせいではないか」
「なんだと?」
「貴様ら人間が邪魔をしなければ、貴様らさえいなければ、我は目的を果たせたというのに……!」
「邪魔? いったいなんのことだ? 俺たちがなにをしたってんだ? 大君のことか。俺がマルガ=アスルを手に掛けたことか?」
「それも重大なことだが……」
「マルガ=アスルを手に掛けた? ほう……」
天使のような男が口を歪めた。喜悦満面といった表情は、無関係のセツナにも癪に障る類のものだった。
「マルガ=アスルが死んだか。これは傑作だ。セルク、貴様の願い、思わぬ形でかなったではないか。なにを荒れる必要がある。笑え笑え、貴様の勝利を大いに笑え」
高らかに笑う男の様に、セルクはむしろ怒り心頭といった様子だった。
「黙れ」
「ははは、だれに向かって口を聞いている。我はケルグ=アスルぞ。エンデが大君にして、すべてのウィレドの頂点に君臨することを約束されし、ケルグ=アスルぞ!」
人間そのものといっても過言ではない男が発した言葉は、セツナたちに衝撃を与えずにはいられなかった。ケルグ=アスルとは、エンデの大君の名前なのだ。しかし、そう名乗ったのは、どう見ても人間以外のなにものでもなかった。
「ケルグ=アスルだと」
「あれが……? どう見ても人間だぞ」
「ええ、どう見ても、人間にしか見えませんが……しかし、人間にしては、少々大きすぎますね」
「そういえば……」
セツナは、メルグ=オセルに指摘されて初めて、その男が周囲を滞空するウィレドたちと変わらない体格の持ち主だということを認知した。遠目に見ていたこともあって考えもしなかったのだが、そもそも、ウィレドと同じ背格好の人間など、ありえないのだ。この世界においても、二メートルを越える人間くらいならばいるが、三メートルを優に越える人間など、ありえない。遠近感が狂っているわけでは、あるまい。セツナの視覚は正常に機能しているのだ。つまり、ケルグ=アスルと名乗った人間の姿をした男の身の丈がウィレドたちと同じであり、体格もそれに相応しいものであるという認識は、なんら間違っていないということだ。
彼は、人間ではない。
そう結論付けざるを得まい。だが、だからといって、彼をウィレドとは認めがたかった。あまりにも姿が違う。ウィレドたちは、醜悪な怪物だ。想像上の悪魔そのものといってもいい。人間と変わらぬ容姿をしたその男がウィレドであるはずがなかった。
「我を人間などという不完全極まりない生き物と一緒にしてくれるな。姿形は変わり果てたとはいえ、我は天翔ける翼ウィレドの王ぞ」
「変わり果てた?」
「忘れもせぬ……あの日、この地が壊れ果てたあの日、我はこのような姿に成り果てた。忌まわしいことにな!」
巨大な翼を広げた男の怒りと絶望に満ちた発言が、周囲のウィレドたちの表情を曇らせたところをみると、彼の言葉は嘘ではないらしいことがわかる。白化症による変容ではなく、まったく別の理由による変容が起きた、というのだろう。どういう原理かはわからない。なんらかの神の力が及んだのか、それとも、まったく別のなにかが原因なのか。
「“大破壊”があった日にか」
「どういうことだ。わけがわからぬぞ」
「わけがわからぬは我も同じ。だが、我は確かにケルグ=アスル、エンデの大君にして、すべてのウィレドの頂点に立つものなり」
ケルグ=アスルが傲岸な笑みを浮かべた。長い両手の先に魔力の光が迸り、棒状に収斂する。魔力光は、そのまま長柄の武器となった。魔法にはそのような使い方もあるのだろう。彼の周囲に展開するエンデのウィレドたちも、それぞれに構えを取った。攻撃態勢。ケルグ=アスルの号令が一斉攻撃の合図となるだろう。
対するアガタラ軍のウィレドたちも戦闘態勢に入っている。数の上では互角か、アガタラ軍のほうがわずかに少ないといったところだろう。まともにぶつかり合えばどちらが有利なのか、現状では想像もできない。大君の力が圧倒的ならば、エンデ軍のほうが優勢と考えられるが、アガタラ軍には二名の君子がいる。君子は次期大君なのだ。大君を越えるとはいわないまでも、匹敵する実力を持っていてもおかしくはない。とはいえ、エンデ側が君子を連れてきていないとも限らないことを考えれば、やはりエンデのほうが優勢かもしれない。
この場合、両軍の勝敗を分かつのは、セツナたちの動向となるに違いない。セツナたちがアガタラに肩入れすれば、アガタラの勝利は間違いない。逆にエンデ軍とともにアガタラ軍と戦えば、エンデ軍が勝利することになる。
「はっ……笑わせる。貴様如きが……マルガ=アスルを恐れ、アガタラに手を出すことさえできなかった貴様が、すべてのウィレドの頂点に君臨するなどと、よくいえたものだな!」
「なんとでもいうがいい。マルガ=アスルの世は終わった。そうだろう。我が唯一、偉大なる翼と認めた太陽が如きウィレドの王は、死んだ。もはや、貴様らが照らされることはない」
「黙れ……!」
「サルグ!」
メルグ=オセルの制止も、激しきったサルグ=オセルには意味がなかった。魔法によって加速したサルグ=オセルの巨躯は、一瞬にして闇夜を駆け抜け、セツナたちの前方、ケルグ=アスルの眼前へと至った。黒い翼が破壊的な光を発していた。凄まじい怒りの奔流。だが。
「うおおおお!」
「無駄なことを」
セルクの冷ややかな声が聞こえたとき、天地を駆け抜けた一条の閃光がサルグ=オセルの胴体を貫いていた。
「っ……貴様……!」
サルグ=オセルは、天を睨みながら、地上へと落下していく。アガタラのウィレドたちが急いで追いかけたが、間に合わないだろう。
セルクを見遣る。翼を広げた悪魔は、傲然とサルグ=オセルを見下ろしていた。
「まったく。これでなにもかもご破算だ。我が望んだ未来も、もはや手に届かぬものと成り果てた。馬鹿げたことになった。愚かなことになった」
赤々と輝く双眸には、溢れんばかりの憎悪が渦巻いていた。