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第二千七十一話 混迷(一)

「ま、大君を殺しておいて、こっちの意を汲んでくれるだなんて甘い考え、端からなかったがな」

「それにしたって、少しは考えてくれてもいいんじゃないかしら」

「無理だろ」

 セツナは、にべもなく告げた。前方、大霊宮上空から南進中のウィレドの数は、数千を越えている。それらを統率しているのは銀の衣を纏うウィレド二名。話に聞く二君子だろう。二君子のうち、一方は人間嫌いが甚だしいという。話し合いに応じてくれるとは、思い難い。

 もっとも、交渉できそうにないのは君子と呼ばれるウィレドだけではない。こちらに向かいつつあるすべてのウィレドが怒気と殺意を振り蒔いており、セツナたちを射程範囲に捉え次第、攻撃してくるに違いなかった。

「リョハンに置き換えてもみろ。戦女神が神人化したから殺した、なんていって、許されると思うか」

「それは……そうだけど」

「そういう意味では、彼らの気持ちは痛いほどわかりますが、だからといって、我らが英雄殿を傷つけさせるわけにはいきません」

「ま、そういうことね。たまにはいいこというじゃない」

「たまには、って」

 ミリュウの評価にがっくりと肩を落とした隊士の反応を見る限り、ミリュウが彼らに七大天侍として受け入れられ、尊敬されているらしいことがわかる。セツナはなんだか安堵するとともに、アスラがいっていたミリュウが変わったという話にも納得したものだ。確かにミリュウは変わった。少なくとも昔のままの彼女ならば、隊士たちと親交を深めるようなこともなかっただろう。セツナと、その周囲のものたちさえいればいいというような考え方、価値観の持ち主だったのだ。

「なんにせよ、とっと退散しよう。地上にでりゃあこっちのもんさ」

「ここでも変わんないくせに」

「ここは、逃げ場がないだろ」

「逃げるの?」

「戦う理由がない。逃げの一手あるのみさ」

 もっとも、と、セツナはふたりを抱えたまま、急速上昇しながら考える。

(もっとも、アガタラのウィレドたちが人間に害を及ぼすようなら、話は別だがな)

 セツナへの怒りを人間そのものへの怒りに転換させたあげく、近隣の都市やリョハンを攻撃するようになれば、セツナも黙ってはいられなくなる。セツナだけではない。リョハンの武装召喚師たちも、皇魔討伐に赴かざるをえなくなる。当然のことだ。皇魔は人類の天敵。リョハンもまた、皇魔討伐は正義の行いであるとしている。

 ウィレドの地下王国アガタラは、人間と交渉するべくその文化を学ぶ課程で大陸共通語を身につけ、人間の文化そのものを吸収したものたちの国だ。人間との交渉に失敗し、だまし討ちにされたにも関わらず、人間を恨みこそすれ、血みどろの闘争に明け暮れることを嫌い、地下へ潜ったものたちの。彼らは人間を憎悪する一方、人間の文化への理解を示し、自分たちの文化と融合させた。そして争いを嫌う彼らは、きわめて温厚な性格の持ち主ばかりだった。

 そんな彼らだからこそ、皇魔でありながら撃滅対象になりえなかったのだ。人類に害を及ばさないのであれば、見逃してもいい。そう、ミリュウは判定を下した。故にエリナによる治療に許可を出し、長期間に渡る軟禁に等しい滞在に至ったのだが、マルガ=アスルが神魔と化したことで、すべてが水の泡と消えた。

 エリナがアガタラで結んできた絆も、紡ぎ上げてきた信頼もなにもかも、セツナの一撃が破壊し尽くした。そうしなければならなかったとはいえ、苦いものが口の中に広がるのを認めなければならない。エリナのせっかくの努力を無為にしたのだ。

 エリナが自分から言い出したことだという。

 それを台無しにした。

 エリナはなにもいわないが、悔しい想いをしていることだろう。悔しいどころではない。絶望的ですらあったかもしれない。

 そんな彼女の想いをこれ以上踏みにじりたくはないのだ。

 そのためにも、セツナは、アガタラのウィレドたちが引き下がってくれることを願わずにはいられなかった。


 どこまでも続くかのような暗黒空間を抜けると、無数の光点が瞬いていた。それが星空だということに気がついたのは、光点以外の闇が必ずしも一定ではなかったからだ。濃度の違う闇が空を覆い、その中に無数の星々が瞬いている。雲が流れ、月もその膨大さを見せつけるように君臨していた。鼻腔を通り、肺を満たす空気の新鮮さは、地底世界とは格別のものだ。地底世界も地底世界で悪くはなかったが、地上は清々しさが違う。

(夜に清々しいってのも変な感じだが)

 眼下に目を向ける。セツナたちは、アガタラの出入り口がある大木の上空に至っていた。速度を上げすぎて、大木に開いた大穴を抜けたという実感すらなかったのだ。

「きれいな星空ねー。何十日ぶりかしら」

「本当、久しぶりですね」

「だれのせいかしら」

 ミリュウが横目でエリナを一瞥する。エリナが眼を丸くした。

「ご、ごめんなさい」

「別に怒ってないわよ。必要な経験だったのよ、きっと」

「向こうは、そう思ってくれないらしいが」

「え?」

「まったく、救いの巫女とそのご一行様なんだから、見逃しなさいよ」

「だからだろ」

「まあ、そうだけど」

 ぐうの音も出ない、とでもいいたげにミリュウがぼやいた。

「しっかし、本気であなたと戦うつもりなのかしらね」

「本気だろう。彼らにとっての太陽を奪ったんだ。俺を殺さずにはいられないさ」

 わかっていたことではあった。こうならざるをえない。セツナたちが逆の立場になれば、同じようにしただろう。

 眼下、セツナがミリュウの残した手がかりを見つけ、捜索に走り回った森が広がっている。頭上には晴れやかな星空がその存在感を示しており、青白い月の膨大なまでの輝きが夜の森を照らしていた。黒々と横たわる森の上辺は月光を反射し、まるで白い海原のようだ。強い風に揺れ、ざわめく枝葉がさながら白波の如くであり、その遙か上方に佇む一体のウィレドは、海原を荒らす悪魔のようだといっても差し支えなかった。

 皇魔特有の赤く輝く双眸が大きく見開かれていた。

 ウィレド。

 しかし、アガタラからの追手とは様子が違っていた。

「何故、あなたがたがここにいるのだ」

「セルク殿?」

「追ってきたわけじゃないのか?」

「どうもそうみたいね……でも、どういうことかしら。セルク殿、天守にいたよね?」

「そのはずだが……」

 セツナはミリュウにそう答えたものの、自信はなかった。そもそも、長々とアガタラに滞在していたわけではないセツナには、ウィレドの見分けがつかない。だれもかれも同じ悪魔に思えた。もちろん、よく見れば細部が異なるのだろうし、声色も違うのだろうが。身につける装束の違いでしか区別できないのが、ウィレドをよくしらないセツナの限界なのだ。

 ミリュウがセルクと呼んだウィレドが、御側衆が身につけていたものと同じ装束を纏っていることくらいならわかるが。

「どういうことなのです、巫女様、従者殿」

「それは……」

「大君が死んだ」

「なにを……」

「俺が殺した。白化症に蝕まれた大君は、神魔となって俺を殺そうとしてきたんだ。だから、殺した」

「……ばかげたことを申すな。大君が、貴様らのいう神魔になったというのか? 戯言を!」

「本当のことだ。だから、アガタラから抜け出してきた。あんたらは、俺を許せないだろう」

「それが事実ならば当然のこと。だが、事実ではあるまい。大君が、マルガ=アスルが貴様ら人間如きに敗れるものか。負けるものか。殺されるものか」

「嘘じゃないのよ、セルク殿。マルガ=アスル様は白化症に侵されて――」

「ミリュウ殿まで、そのようなことを申されるのか……!」

 憤然と、セルクが叫んだ。怒りが渦巻く魔力の奔流となって荒れ狂い、彼の周囲に稲光が走る。魔法が発動しているようだった。もちろん、その矛先は彼の尊崇する大君を殺したなどと平然と言い放ったセツナだ。そうなるべくし向けたのだから、そうなってもらわなくてはセツナが困る。

 セツナは、アガタラのウィレドたちの敵意を自分ひとりに向けさせたかったのだ。アガタラのウィレドたちは、温厚だ。人間と交渉の余地があるように見えるほどだとミリュウたちもいっているくらいだった。それをぶちこわしにしたのがセツナだ。彼らが尊崇してやまない大君を仕方がなかったとはいえ、殺した。となれば、彼らも激怒するしかない。その怒りをセツナ以外のだれかが引き受けることになれば、リョハンが真っ先に攻撃対象となりかねない。

 セツナが怒りや憎悪をすべて引き受けることができれば、リョハンが攻撃対象にならずに済むかもしれないのだ。

 セツナは、ミリュウたちの安全が確認できた時点で、リョハンを離れるつもりだった。リグフォードらを待たせている。帝国と結んだ約束は果たさなければならない。彼らのおかげでファリアの救援に間に合ったといっても過言ではないのだ。それを差し引いたとしても、帝国には赴いただろうが。

 かつて同一存在だったニーウェのことは気がかりだった。

 ともかくとして、セツナがすべての敵意を引き受ければ、ウィレドたちがアガタラ近隣を攻撃するのではなく、セツナを狙うのではないか、という考えがあった。無論、たとえそうなったとしても、セツナのこととは関係なく、リョハンを攻撃するかもしれず、その場合は力で訴えるしかなくなるのかもしれない、ということも頭の中にある。

 いずれにせよ、セツナが神魔と化したマルガ=アスルをたったひとりで受け持ったのには、そのような理由があったのだ。ここにミリュウたちが加勢していれば、言い訳も通らなくなる。

(言い訳なんて通りそうな雰囲気でもないがな)

 セツナは、怒りに打ち震えるセルクを見つめながら、複数の気配が地上から迫ってくるのを認めた。セルクを刺激しないよう、しかし速やかに後退する。今度こそ、アガタラからの追手だろう。

「そのようなこともなにも、事実よ」

「事実……事実だと!? マルガ=アスルが貴様らのいう化け物になったことがか! 偉大なるマルガ=アスルがセツナとやらに殺されたことがか!」

 憤激するセルクだったが、そんな彼に対し、冷ややかな声を浴びせるものがあった。

「いずれも、ですよ。セルク」

 銀衣のウィレドが、セツナたちの眼下、アガタラの出入り口から急速に上昇してきたのだ。長身だが、ほかのウィレドに比べると細身に見えなくはない。話に聞く二君子のうちのメルグ=オセルだろう。メルグ=オセルはウィレドの中でも華奢なほうだと聞いている。セルクが叫んだ。

「メルグ=オセル!」

「セルク。あなたは斯様なところでなにをしていたのです。デルクたちは皆、大君を抑えようとして、殺されたというのに」

「なんだと……」

「そうだ、セルクよ」

 もう一体、銀衣のウィレドが急上昇してくると、セルクを睨みつけるようにした。こちらは、メルグ=オセルに比べまでもなく大柄なウィレドだった。まさに悪魔と呼ぶに相応しい体格を威圧感を兼ね備えた姿であり、ほかのウィレド以上に禍々しい空気を纏っている。怒りに震えるセルクと並び立つと、凄まじいまでの熱気が渦の如くほとばしり、ぶつかりあった。おそらく、サルグ=オセル。

「デルクたちは皆、大君に殺された。大君は、デルクらの制止の声にすら耳を傾けぬ怪物と成り果てたのだ。口惜しいが、そこな人間どもの言は正しかったというわけだ。白化症なる病は、我らが太陽を悪魔へと変貌させ、我らの敵となった」

「サルグ=オセルまでもが然様なことを申すか!」

「事実なれば、致し方なし」

「とはいえ」

 メルグ=オセルとサルグ=オセルがほぼ同時にこちらに向き直った。そのころには、何千もの天魔たちが禍々しい漆黒の翼を広げ、二君子の周囲に布陣し終えている。

「大君の命を奪ったあなたをここで逃がすわけには参りません」

「然様。我らがアガタラの命脈たる大君を殺した貴様を討たねば、マルガ=アスルに申し訳が絶たぬ」

 二君子が殺意を漲らせたのを見て、セツナは、静かに息を吐いた。

 すべてはわかりきったことだ。

 なにも驚くこともない。

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