第二千七十話 神ならざる魔なるもの(三)
黄金造りの大霊宮、その複雑な構造物の幾層もの床と天井をぶち抜きながら放った破壊光線は見事神魔の頭部を根こそぎ破壊し、そのまま下層の天井や床、柱などの建材もろともに薙ぎ払った。凄まじい爆圧がなにもかもを吹き飛ばすかのように荒れ狂う中、セツナと黒き矛は神魔を捉えて離さない。神魔は翼を広げ、あらがおうとするが、落下速度のほうがの格段に早い。背骨を溶けた床に打ちつけると、再生中の首元から血が噴き出した。完全に神魔と化したわけではない以上、ウィレドの部分が残っているのは当然だ。しかし、そこにマルガ=アスル当人の意識など残ってはいない。残っていれば、セツナたちへの攻撃をためらったはずだ。少なくとも、御側衆をはじめとする家臣を撫で切るように殺したりはしなかっただろう。
マルガ=アスルの意識は、完全に消滅していると見るべきであり、躊躇う必要はなかった。
それは、力を振るうことにもだ。
感知範囲内、生体反応はわずかばかりだ。大霊宮のウィレドたちは、この大騒動を知り、外に逃れたようだった。それは正しい判断だ。大君のことは、御側衆などに任せればいい。
神威に毒され、神の尖兵と化したものを元に戻す方法はない。”核”を破壊しても、元の生物に戻るわけではないのだ。肉体のみならず脳までも冒され、別種の存在に成り果てた以上、”核”の喪失は、死と同義だ。心臓も動くまい。
不意に、セツナは殺気を感じてその場から飛び離れた。神魔の翼から伸びたものと思われる触手が雨の如く降り注ぎ、神魔の周囲に突き刺さる。セツナを狙った攻撃が目標を見失ったのだ。間一髪としかいいようがない。神魔の巨躯が重力を無視して起きあがる。翼が起きあがらせたようだった。頭部が再生し、真っ白な顔面に無数の亀裂が走った。無数の目がセツナを見据える。
「やっぱり、俺が狙いなんだな」
セツナは、マルガ=アスルだったものが自分以外眼中にないとでもいうような態度を取っていることに確信を抱いた。御側衆や家臣たちを殺戮したのは、一定距離内に近づいたからにほかならない。いうなれば条件反射であり、デルクたちに多少なりとも用心深さがあれば、生き残れただろう。しかし、それは彼らの忠誠心を考えれば無理な話だ。彼らは、なんとしてでも大君を止めようとしただろうし、そのために殺されるしかなかったのだ。
「なんのために俺を狙う」
問うも、神魔は答えない。神人もそうだったが、神化したものとは意思疎通ができなくなるのだろう。神魔は、いまのいままで、一切の言葉を発さなかった。故にこそ、マルガ=アスルは死んだのだと確信を持っていえるのだが。
「黒き矛か。俺が黒き矛の、魔王の杖の使い手としってのことなんだな。だれからの命令だ。どこのだれが、あんたを操ってる」
神魔は、答えない。
一対の純白の翼が広げられた。左翼のみならず右翼までも完全に白化してしまっていることがわかる。そして、広がりきった翼が細分かしたかと思うと、無数の触手が形成された。触手の先端は槍の穂先のように鋭利に、そして硬質になっているようだ。神魔の無数の目が、光を帯びる。
(手数で圧倒するつもりか)
察した瞬間には、動いている。神魔が動き出すよりも早く踏み込み、間合いを一瞬にして埋め尽くす。神魔の無数の目がこちらを捉えるのはあまりにも遅かった。無数の触手が嵐のように殺到してくるよりも圧倒的な速度で、セツナと黒き矛は乱舞していた。神魔の巨腕を切り飛ばし、首をはね、胴を薙ぐ。さらに全周囲から殺到してきた触手を悉く切り裂き、切り伏せ、切り落とす。すべての触手を切断したときには、頭部の再生が始まっていた。
神魔を倒すには、”核”を破壊するしかない。だが、”核”は白化部位のどこにあるのか不明だ。白化部位のどこかに固定されているのか、それとも、白化部位の中を移動しているのか。どちらにせよ、見た目で判断することはできない。
(だったら……)
セツナは、再生中の頭部に矛の切っ先を叩きつけ、さらなる損害を与えると、柄から離した右手を頭上に掲げた。告げる。
「武装召喚」
三度目の召喚と同時に閃光が生じ、暗闇を黄金色に照らし出す。崩落した残骸だらけの大霊宮の一室。こちらに向かいつつある気配を無数に感じる。大霊宮の異変を知ったアガタラ中のウィレドたちだろう。幸い、ミリュウたちの反応は既に大霊宮の区画から離脱している。右手を握る。棒状の物体が手の中に収まると、強烈な電流を浴びたような感覚があった。確認するまでもなく、新たに呼び出した召喚武装を手にしたからだ。
アックスオブアンビション。
黒き矛の眷属たる大斧は、強大な熱量の塊であり、セツナの中の破壊衝動を呼び起こそうとするかのように吼えた。その怒号にも似た轟音に突き動かされるように、セツナは、大斧をおもむろに振り下ろした。再生真っ只中の神魔の上半身に叩きつけた瞬間、莫大な力が一瞬にして解放される。
アックスオブアンビションは、広範囲を攻撃することに特化した召喚武装だ。その威力、範囲ともに申し分なく、瞬間的に生じた広範囲に渡る衝撃の余波がセツナの体を浮かせるほどだった。神魔の肉体のみならず、辺り一帯、大霊宮の床や壁、柱をも粉々に打ち砕くほどの破壊の奔流。セツナ自身への反動は、メイルオブドーターの翅による防壁が妨げている。
神魔の強固な肉体を容易く破壊し尽くし、原型が完全に失われると、虚空に紅い結晶のようなものが浮かぶ。“核”だ。セツナは、それを認識したとき、左手の矛を突き出していた。黒き矛の切っ先が“核”を貫き、急速に復元を始めようとしていた神魔の肉体の繋がりが解けた。そして、白い肉の塊が空中で霧散する。
セツナは、もはや跡形もなくなったマルガ=アスルの冥福を祈ると、アックスオブアンビションを送還し、天を仰いだ。暗闇の空の彼方、無数の紅い眼光がこちらを見下ろしているのがわかる。急降下してきている。騒ぎを聞きつけたウィレドたち。騒動の原因は消滅した。セツナが滅ぼしたのだ。彼らにとってかけがえのない存在である大君を殺した。彼らはそれを知れば怒り狂うだろう。人間への憎悪を改めて噴出させるに違いない。セツナがなにをいっても、言い訳にしかなるまい。たとえどのような理由があるにせよ、セツナが大君マルガ=アスルを殺した事実に変わりはないからだ。
マルガ=アスルは、このアガタラの太陽そのものだった。たとえ白化症に冒されていても、その事実に変わりはない。そして、その太陽を奪ったという事実も、変わらないのだ。
それがわかるから、セツナは、アックスオブアンビションの一撃によって壊滅的な打撃を受けた大霊宮の一階を駆け抜け、ウィレドたちに背を向けて逃げ出した。彼らと話し合う余地などありはしない。なにを説明したところで、受け入れてもらえるとは思えないのだ。そうである以上、ここに留まるのは愚策だ。彼らが殺す気でかかってきたのであれば、こちらも応戦しなければならなくなる。
アガタラのウィレドの多くは、温厚で、人間とさえ争いたくないと考えているという。だからこそ地下に籠もったというのだ。ならば、わざわざ彼らを殺さなければならないような状況を作り出す必要はなかった。
セツナは、大霊宮の暗闇の中をなんの迷いもなく駆け抜けながら、進路上の壁を矛でもって破壊し、大霊宮の外へと至った。ウィレドたちが神魔と化し、滅び去った大君の姿を発見できず、狼狽している声が聞こえたが、無視するしかなかった。ウィレドのままの部分も、アックスオブアンビションの一撃で粉砕している。マルガ=アスルの死体は残っていないのだ。彼らはマルガ=アスルが死んだことすら理解しているのかどうか。
(それは……わかるか)
地下世界。
まばゆい光で一日中照らされていた世界はいま、無明の暗黒空間と化している。それは、この地下世界の太陽だった大君が死んだからにほかならない。死ぬ以前、神魔になったときから光が失われていたのは、神魔となって大君の役割を忘れたからだろう。マルガ=アスルの自我が失われれば、そうもなろう。
セツナは、なんともいえない虚しさと後味の悪さを抱きながら、地面を蹴り、上空に向かって飛んでいった。ミリュウたちを追い、出入り口に向かわなければならない。