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第二千六十七話 震源


「リョハンは無事なのね?」

「ああ。無事だ。ファリアもルウファもみんな、な」

「そっか……それを聞いて安心したわ」

 ミリュウが安堵の満ちた顔をしたのは、第二次リョハン防衛戦の顛末をセツナから聞いてからのことだった。なぜそのような話になったのかといえば、セツナがここにいることへの当然の疑問をミリュウが口にしたからであり、セツナは、リョハンに至った理由から話さなければならなかった。ただ、それまでのことは、掻い摘んで話している。詳細に説明するのは、もう少し時間があるときのほうがいいだろう。

 ミリュウが膝を抱えながら、ため息を浮かべた。

「まさか、あたしたちがここにいる間にそんなことになっていたなんてさ……ううん、もちろん、最悪、そうなることだってありうるってことくらい想像したりはしていたけれど……それにしても、ね」

「リョハンと連絡が取れていりゃあな」

「ここのウィレドは人間なんて信用していないもの。それは無理な相談よ」

「そりゃあわかってるさ。でも、ファリアはミリュウたちの心配をしていたと思うよ。ファリアだけじゃない。みんながさ」

「うん……」

 ミリュウが深く息を吐く。

「アスラに怒られちゃった」

 当然だろう、などとはいわないものの、アスラがどのような剣幕でミリュウに迫ったのかは、想像に難くない。アスラは、ミリュウを姉のように慕っているのだ。ミリュウからなんの連絡もないまま日数を過ごすようなことになれば、いてもたってもいられなくなるくらい心配するのは当たり前のことだった。

 捜索任務中は、涼しい顔をしていたアスラも、ミリュウの無事な姿を目の当たりにした途端、溜まりに溜まった想いが爆発したに違いない。

「みんなを心配させすぎだってさ」

「まあな。でも、判断は間違いじゃなかっただろうよ」

「そうかな?」

「神軍との戦いの最中にここの連中とエンデだかの連中が戦争を始めるようなことがあれば、もっと面倒なことになっただろうしな」

 マルガ=アスルの意識の回復が、不安定きわまりなかったアガタラの情勢に安定をもたらしたのは紛れもない事実だろう。もし、マルガ=アスルが昏睡状態のまま、エンデが干渉してくるようなことがあれば、アガタラは荒れ、エンデとの間に戦が起きた可能性もある、と、ミリュウはいっていた。故にエリナによる治療行為は無意味ではなかったと彼女は主張している。そして、セツナもその主張に賛同していた。

 無数の神人を兵力として運用していた神軍に比べれば、アガタラやエンデというウィレドの国の戦力など、大したことはない。しかし、リョハン軍が神軍との戦いに集中している最中、ウィレドの軍勢が戦場に現れれば、その限りではないのだ。皇魔の軍勢のために戦力を割く必要がでてくる時点で、厄介としかいいようがない。

 そういう意味でも、第二次防衛戦に部外者たるウィレドたちの横槍が入らなかったことは、大きかった。もし、横槍が入っていれば、セツナがリョハンに辿り着くまで、リョハン軍が戦線を維持していられなかったかもしれない。

「セツナがいるなら、なんの問題もない気がするけど」

「間に合わなきゃ、意味がないだろ」

「それはそうだけど……っていうか、セツナは、それまでどこでなにをしていたのよ? 愛しい愛しいファリア様をさしおいて、さ」

「……深い事情があるんだよ」

「それはそうでしょうね。あなたが愛してやまないファリア様を二年以上も放置しているんだもの。それはそれはふかーい事情とやらがあるんでしょうよ。ないと嘘よ」

「なんか棘があるな」

「あるに決まってるでしょ」

「む……」

 ミリュウの鋭い一言にセツナは憮然とした。彼女の言い分のほうが正しい以上、返す言葉もない。確かに彼女のいうとおりだ。あるに決まっている。

「二年以上、音沙汰もなかったのよ。ファリアやみんながどれだけあなたのことを心配していたのか、わかってる?」

「ミリュウも?」

「……当然じゃない」

 彼女が肩を竦めたのは、当たり前すぎたからかもしれない。

「ずっと、ずっと心配だった。”大破壊”に巻き込まれたんじゃないか。もう生きていないんじゃないか。セツナが簡単に死ぬはずはない……そう想っても、セツナだって人間だから……」


「死ぬかもしれない。死んでいるかもしれない。そんなことばかり考えてしまうから、あなたのことを思い浮かべないようにしないといけなかった。でないと、絶望してしまうから」

「ミリュウ……」

「そしてあたしは変わったのよ。あなたのことを考えずに生きていられる人間になったの。最愛最高の弟子ちゃんと二人三脚で生きていけるわ。どんなことがあってもね」

 力強くいいきったミリュウだったが、その横顔は、とたんにか弱いものになる。

「そう……想ってた」

 

「でも、駄目なの。あなたがいる。あなたが目の前にいて、生きている。いままでとなんら変わらない様子で、ここにいるのよ。なんでよ。なんでそんななのよ。なんで、あたし、こんなにあなたのことが好きなのよ」

「俺に聞くなよ」

「うん。わかってる。全部あたしの問題だってこと。セツナはなにひとつ悪くないってことくらい、わかってる。あたしにとってあなたは光だもの。あなたという光を失っている間、別人のようになるのは、当然のことなのよ」

「うん?」

「だから、いまからのあたしは、元のあたし」

「お、おい……」

「こうしていることが最高の幸福なあたしなの」

「変わったんじゃないのかよ」

「変わったわよ。なにもかも、変わったわ。その上で、あたしはあなたが好き。セツナ=カミヤを愛してるの」

「ミリュウ……おまえ」

「なにもいわないで。あなたの音を聞かせて」

 ミリュウは、セツナの背中に耳を当てているようだった。背中越しに心音を聞こうとでもいうのだろう。それは、まさしくミリュウ=リヴァイアという女性ならではの行動にほかならなかった。

 彼女は、リヴァイアの”知”の継承者だった。レヴィアから連綿と受け継がれてきた呪い、その一部を受け継いだ彼女の頭の中は、常に音で溢れているという。受け継がれ、積み上げられてきた膨大な量の情報が音として頭の中に氾濫しているのだ、と。その音が彼女の意識をかき乱し、正常な感覚を失わせていく。やがてその情報に意識を塗りつぶされ、ひとの姿をした怪物に成り果てるのがリヴァイアの呪いなのだ。

 頭の中の音を静める方法は、ひとつだけ。

 外部から音を取り込む以外にはないという。雑音でもいい。とにかく音で音を打ち消す以外に方法はなく、そのため、彼女は静寂を嫌った。静寂は、彼女の人間性を奪う悪魔に過ぎないのだ。ただ、そうはいっても、常になんらかの音が聞こえているわけではない。夜眠るときなど特にそうだ。だれが好き好んでうるさい中で眠るものか。

 ミリュウは、そうではなかった。雑音が吹き荒れる中でこそ、ゆっくりと眠ることができるのだ。

 では、雑音の存在しない大霊宮のような空間では、どうやって穏やかに眠るのか。といえば、いまのようにするほかなかった。

 他人の心音や脈拍を聞いて、それによって頭の中の雑音をかき消すのだ。

「セツナの音……」

「……こうしていると、昔を思い出すよ」

「いうほど昔じゃないと想うけど」

「二年……か」

 二年。

 たった二年と考えられないのは、その間にあまりにも多くのことがありすぎたからだ。それこそ、セツナの人生観、価値観が変わるほどの出来事があったのだ。流れた時間以上の隔絶を感じる。故にこそ、皆との再会がこれほどまでに喜ばしく、限りなく嬉しいのだ。

「そのわりにはセツナの髪、伸びすぎじゃない?」

 ミリュウが、セツナの後ろ髪をもてあそびながら、いった。確かに、二年程度で伸びる長さではあるまい。いくら髪を切る暇がなかったからとはいえ、たった二年あまりでここまで伸びるわけがないのだ。実際に流れた時間は二年と少し。しかし、セツナが体感した時間はもっと長かった。もっともっと長く、それこそ、現実を忘れかけるほどのときの流れを実感した。

 地獄における真の試練において、だ。

「ああ……いろいろあったんだよ」

「それ、聞かせてくれないんだ?」

「いまは、いいだろ」

「うん……いまは、いいかもね」

 ミリュウは、穏やかに笑った。セツナの背中に耳をくっつけたまま、両肩に手を伸ばしてくる。そのまま耳を離し、肩に置いた手に力を込めた。そして、背後からセツナを抱きしめてくるようにして、両腕をセツナの首に絡めた。体重がかかり、彼女の豊かな胸が自己主張も激しく、背中に圧力をかけてくる。彼女はまるで気にしていないのだろうし、セツナも慣れたものだった。彼女の物理的接触の激しさは、彼女と出会ってからというものほとんど変わっていない。

 だから、なのだろう。

 だから、再会直後からいまに至るまで感じていた少しばかりの距離間に寂しさを覚えていたのだ。それが、いまやなくなったかと想うと、圧倒的な速度で埋めてくるのだから、ミリュウは正直だ。そして、そんな彼女の素直な態度にこそ、懐かしさを覚え、寂しさも吹き飛ぶのだ。

「このまま、ときが止まればいいのに」

 ミリュウがセツナの耳元で囁く。甘い吐息。規則的な息づかい。懐かしく、愛おしい。セツナは、エリナの頭に置いていた手をミリュウの右手の上に重ね合わせた。

「どうしてそうまで優しいのかしらね」

「優しい?」

「うん。優しいよ、セツナは」

 ミリュウの声もどうしようもないほどに優しく、セツナは目を細めた。

「だれに対しても、さ」 

 ミリュウがなにかをあきらめるようにつぶやいた直後のことだった。

 突如として、激しい震動がセツナを襲った。大地が怒りにのたうつような揺れは、セツナだけでなく、ミリュウにも、エリナにも感じられたようだった。ミリュウがセツナの体にぎゅっとしがみつくと、エリナがはっと目を覚ましたのだ。

「地震か?」

「そんなの、”大破壊”以来起きたことないわよ?」

 ミリュウがきわめて冷静にいってくる。その声音の冷ややかさのわりにはセツナに離すまいとしているところが愛らしいというべきかどうか。

 地震は、大陸がひとつだった時代から、この世界においてはめずらしい現象だった。近年、小国家群において地震が起きた記録はなく、地震とは無縁の世界といってもよかったのだ。

「なにが起きているんでしょう?」

 寝ぼけ眼のエリナを抱き抱えるようにして起きあがったセツナは、背中から抱きついた状態のミリュウをそのままに、揺れが激しさを増すのを実感として認めた。そして、その震動がどうやら大地そのものの揺れなどではなく、何者かがこの大霊宮をふるわせていることによるものであるということがわかってくる。

 震源が、セツナたちのいる部屋に向かってきているのだ。



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