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第二千六十六話 大君(二)


「あれで……よろしかったのですか」

 客人たちが去ったあと、彼の居室に残ったのは、御側衆の武臣セルクだけだった。御側衆筆頭文臣デルクは、救いの巫女を始めとする客人たちを客室に送り届けるため、いない。

 マルガ=アスルは、セルクのどこか不満げなまなざしを見て、目を細めた。武臣として取り立ててから百年は過ぎたか。彼に対して極めて従順であり、武臣の鑑ともいうべきほどのウィレドが、セルクだ。若い頃から彼と功を競い合ったのがいまのサルグ=オセルであり、マルガ=アスルは、後継者たる君子を選ぶにあたって、彼とサルグの間で大いに悩んだ。さらにメルグとデルクを加えた四名の間で迷いに迷った末、二名の君子を選定するという暴挙に出ている。

 父祖の紡ぎあげてきた歴史への重大な反乱ともいうべき出来事には、当然、反発の声も聞かれた。しかし、アガタラの太陽たる大君の意向には逆らえぬとして、だれもがその反対意見を飲み込み、やがて二君子は受け入れられるようになった。

 あれから数十年が過ぎた。

 二君子は、いまやアガタラにおける二大勢力の頭目となり、どちらが大君を継承したとしても問題なかった。問題があるとすれば、その両名が互いに反目しあっているという事実であり、両名の間を取り持つことができなかったという現実だ。彼が生きている間は、いい。二名とも、彼のことを心から尊崇してくれているのだ。彼がいる限り、二名がぶつかりあうことはない。しかし、だ。もし、万が一にでもマルガ=アスルが命を落とすようなことがあれば、正当な君子の座を賭けた争いが、両名の間で起こる可能性があった。

 白化症の発症直後、昏睡状態に陥った彼は、エリナの必死の治療によって意識を取り戻したのだが、その後、デルクやセルクたちから事情を聞き、大いに恐れおののいたものだ。もし、あのまま、還らぬものとなっていれば、アガタラはどうなっていたのか。考えるだに恐ろしい。

 君子は、通常、一名しか選ばれない。つぎの大君なのだから、当然だ。二名以上の君子が生まれれば、大君の座をかけてなにがしかをしなければならなくなる。ウィレドは元来血の気の多い種ではないが、それでも、武力によって決しようというものが現れてもおかしくはないのだ。故に、古来より君子は一名と決められていた。

 彼は、メルグとサルグの才能を愛するあまり、その掟を破ってしまったのだ。そのことをいまさらのように後悔している。もし、あのとき、どちらか一名に絞っていれば、なんら悩むこともなければ、恐れることもなかったというのに。

 そしていまもまた、苦悩の中にいるのはそのためだ。

「よい。よいのだ」

 マルガ=アスルは、ゆっくりと口を開いた。

「巫女殿やミリュウ殿が最初にいっていた通りだった。それだけのことよ」

「しかし……巫女殿は、治療を続けたいと仰ってくださったではありませぬか」

「それよ」

 彼は、セルクの意見に頭を振った。彼がいいたいことは百も承知だし、そういう考えもわからないではない。

「巫女殿は、優しい。まるで常に我らを照らす太陽のように慈悲深い。とても、我らが父祖を騙し討にした人間とは想えぬ。おそらくは、人間の中でも極めて稀有な心根の持ち主であろうな。しかし、その優しさにいつまでも甘えていてよいものではあるまい」

 左肩を見下ろす。黄金色の長衣に隠れてはいるものの、その分厚い衣の内側では、いままさに白化し、醜く変容した部位が激しく脈打っていた。

「白化症とやらは、根本的に治療することはできぬというぞ。事実、巫女殿の大いなる御業を持ってしても、マルガ=アスルの肉体を癒やしこそすれ、この白き魔の病は消え去ることはおろか、弱まることもなかった。むしろ、勢い良くこの肉体を蝕み続けている。マルガ=アスルにはわかるのだ。聞こえるのだ。白魔どもの声がな。我らをせせら笑い、絶望の淵へ追い落とさんとする魔性どもの声が」

 右手で、首と左肩の間に触れる。異物感がある。自分の体なのに、自分のものではない感覚。熱を帯び、蠢いている。まるで彼の肉体を貪り食らうように。

「よく、聞こえる」

「大君……」

「白化症に冒されたものは、ゆくゆく神の尖兵にならざるをえぬという。はは……かつて神に仕えし我らが再び神の使いに返り咲くか。それも一興よ」

 彼は冗談でいったつもりだったが、セルクにはそう受け取ってもらえなかったようだ。セルクが、腰を浮かせたのがその証拠だ。

「なにを……」

「わかっている。そなたの心配ごと。君子のことだろう」

 マルガ=アスルは、いったが、セルクはなにもいわなかった。黙して、目を伏せた。それだけで彼がこの問題に頭を悩ませていることがわかってしまう。セルクは、武臣だが、政治にまったく関わらないわけではない。御側衆なのだ。アガタラの政は、大君と御側衆によって執り行われている。

「サルグとメルグ。いずれを正当なる君子にするべきか。まだ、迷うておる」

 サルグ=オセルとメルグ=オセル。

 武人と詩人。

 どちらも、このアガタラを愛してやまない心根の持ち主であることは、間違いない。どちらが大君になったとしても、アガタラをより良い国に変えるべく大君としての責務を果たしてくれるだろう。その点では、なんの心配もしていない。だが、だからこそ、だ。

 彼は、二君子の才覚、性格、すべてを愛していた。故に絞れぬまま、時間ばかりが過ぎていったのだ。」そして、その報いをいま、受けている。

「だが、選ばねばならぬときが迫っていることも、知っておるのだ」

 でなければ、禍根を残すことになりかねない。

 後継者問題は、国が滅びる要因のひとつだ。

 ウィレドの国とて、例外ではない。


 ときが、ゆっくりと流れている。

 アスラ、ダルクスたちとの合流後、事情を話しながら場所を移した。そこで話し合った結果、セツナたちの疲れを取るためにしばらく滞在したのち、アガタラを去ることに決まった。エリナは後ろ髪を引かれる気持ちがいっぱいのようだったが、大君にああまでいわれれば、どうしようもない。白化症を治療する手段がない以上、打つ手はないのだ。

「まあでも、白化症患者の意識を取り戻すことができただけでも、凄いもんだと想うよ」

「でしょ。さっすがあたしの見込んだエリナよね」

「そこまで面倒を見続けた師匠の腕が余程よかったんだな」

「あら、わかる? そう、いっちゃう?」

「うん」

「うふふ」

 ミリュウが、妙に嬉しそうに笑った。

「でも、実際のところは、師匠としてのあたしの腕前なんて、あんまり関係ないんだけどね」

「そんなことはないだろ」

「うーん……自信、ないなあ」

「エリナは、きっとそんな風に考えていないと想うぞ」

「そうかな」

「そうさ」

 セツナは、眼下に視線を落とした。エリナの寝顔がある。夜だった。黄金造りの部屋の中では、体感で時間帯がわかるといったことはないが、時計を見れば一目瞭然だった。午後十一時。規則正しい生活をしているエリナは、午後十時までには就寝しているらしい。しかし、セツナとの再会の興奮や大君に関する後悔などもあり、中々寝付けず、ついセツナたちと話し込んでいた。その結果、セツナの腿を枕に眠り込んでしまったのだ。

「弟子想いの良い師匠に巡り会えて、幸福だろうよ」

「なーんか、妙に優しくない?」

「なにが?」

「セツナが、あたしに対して、よ」

 ミリュウが片目を閉じて、いたずらっぽく笑ってくる。揺れる白金色の髪が、彼女の色気を何倍も引き出しているような気がして、セツナは、視線を逸した。そのまま見つめ続けていると、彼女の色気に引き込まれそうだ。そう想ったのも束の間、椅子に座っていたミリュウが立ち上がり、寝台の上のセツナに近づいてきた。そして、色気を振りまきながら、横に腰を落ち着けてみせる。そして、真横から顔を覗き込んでくるのだが、その距離の近さが、かつてを思い起こさせた。

「なんで目をそらしたのかしらね?」

「久々に逢ったからじゃないか」

「どういう意味よ」

「魅力的だからさ」

「へ?」

 ミリュウが、目を丸くした。すぐさま問いかけてくる。

「魅力的? あたしが?」

 信じられないとでもいいたげな反応だったが、セツナは、嘘ではなく本音でもってうなずいた。

「うん」

「ふぁ……」

「ふぁ?」

「ファリアにいいつけるわよ」

「なんでだよ」

「あたしに色目を使って、どうするつもり!?」

「あんまり騒ぐなよ。エリナが起きる」

「む……」

 さすがのミリュウも、エリナのことを口にされると冷静さを取り戻したようだった。直前まで慌てふためいていた様子がウソのように消えてなくなる。

「ま、いいつけたきゃいいつければいいさ。別に悪いことをいった覚えはないしな」

「むー……」

「なんだよ」

「セツナって……なんなの」

 なにかを諦めたようなミリュウの一言に、セツナは憮然とする。

「なんなのってなんだよ」

「なんで、そうなのよ」

「なにが」

「なんで変わってないのよ。なんであのころのままなの。なんで、あたしの記憶の中のセツナのままなのよ」

 ミリュウが、エリナを起こさない程度の声の大きさでまくし立ててくる。

「嘘よ、卑怯よ、おかしいわ、ありえないし、どういうことなのよ」

「まるでひとが成長していないみたいな」

「ち、違うわよ、そういう意味じゃなくて」

「じゃあ、どういう意味なんだよ」

「だからさ……そういう意味じゃなくて……」

 ミリュウは言葉を探すように視線を虚空に彷徨わせ、そして、嘆息した。

「ううん、よくわかんないかも」

 彼女は、少しばかり疲れたように笑った。

 なにに疲れたのか、セツナには想像もつかないが。

 隣りに座った彼女が、昔のままの彼女そのもののようで、セツナはなんだか安心せずにはいられなかった。



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