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第二千六十五話 大君(一)


 迷宮を抜け、天守へと至る。そこからは特段、迷うような作りにはなっていなかった。おそらく、天守にいるのはアガタラのウィレドの中でも特権階級といってもいいものたちであり、それらウィレドの生活空間だからだろう。支配者たちの生活が困難になるような構造の建物など欠陥以外のなにものでもないのだ。

 もっとも、そこに至るまでの構造が侵入者対策とはいえ、複雑極まりない迷宮のような造りになっているのだから、天守だけ簡素な構造になったところで大した意味はなさそうだが。

 そんなことをああでもないこうでもないと話し合いながら、天守を上りきると、御側衆の部屋にたどり着いた。そこでデルクにより、セツナ、ミリュウ、エリナの三人だけが大君の居室に通されることになり、残りの二十数人は待機することになった。

 ここ数十日に及ぶエリナの献身的な治療により、大君は健康そのものといっていいほどに回復したとはいえ、さすがに二十人以上もの人間が押し寄せたとなれば疲労し、消耗すること請け合いだ。御側衆が大君の体調を気を使うのは当然のことであり、セツナたちにも否やはなかった。

「ダルクスには悪いけど、みんなとここで待っていてね」

 ミリュウが黒い戦士ことダルクスにそんな風に声をかけたのは、いつもはダルクスがミリュウとエリナの護衛としてついて回っていたからのようだ。召喚武装の全身鎧を常に身につけている彼は護衛として申し分ない。ミリュウやエリナたちがが一切警戒していないところをみる限りでは、信用に値する人物のようではあるが、セツナはいまのところ、信用しきってはいなかった。

 とはいえ、ミリュウとエリナを今日まで護衛してきてくれた事実に違いはなく、そのことには感謝していた。それとこれとは別の話なのだ。

 ダルクスはというと、ミリュウに謝られてもただうなずいただけだった。話によれば、彼は言葉を発せないとのことであり、だからこそ余計にミリュウがなぜ彼を信用しているのか、セツナにはよくわからなかった。

 ともかくも、セツナは、ミリュウ、エリナとともに大君の居室へと案内されたのだ。

 天守の最上階。黄金尽くしの広い部屋に通されると、諸々の話通り、白化症に冒されたウィレドが座していた。豪奢な黄金の椅子は、彼の玉座だろう。座しているのは、アガタラにおいてもっとも高貴な色彩である黄金色の長衣を身につけた悪魔であり、その禍々しくもどこか哀愁を帯びた姿には、同情さえ抱かせるものがあった。背に生えた一対の翼のうち、左の翼は完全に白く染まり、変容さえしているのだが、そのように白化症の症状に冒されているのは翼だけではなかった。おそらく翼の付け根から拡大したのだろう。首の付け根の左側から後頭部にかけて、漆黒の外皮が白く染まっていた。長衣で隠れた部分にも広がっている可能性は高い。このままでは、白化症に全身を支配され、神人化ならぬ神魔化するのも時間の問題としか思えなかった。

 大君マルガ=アスル。

 アガタラの支配者にして太陽の如き存在であるウィレドは、その年輪の深く刻まれた顔を驚くほどに和らげ、セツナたちを迎え入れた。

「よくぞ、参られた。そなたが話に聞く”オニイチャン”じゃな?」

「え、ええ」

 セツナは、大君にまで”オニイチャン”という呼び方が浸透しているという事実にたじろがざるをえなかった。ミリュウが苦笑し、エリナが微笑む。

「うむ……巫女殿のいうとおり、黒い髪に赤い目をしておるな。まるで我らウィレドのようではないか」

「ウィレド……」

「うむ。我らは、ウィレド。そう、人間たちに呼称され、定義された。聖皇の魔性にして、天翔る悪魔、ウィレドとな。我らは、かつて別の言葉で己らのことを表していた。しかし、その言葉は召喚とともに失われ、我らは我らを定義することすらできずにいた」

「だから、忌み嫌う人間がつけた名前でも、構わないと?」

「我らの父祖は、この世界の原住民である人間に敬意を払っていたのだ。召喚当初より、悲劇的な邂逅によって永遠の決別へと至るまでは……な」

 マルガ=アスルが遠い目をした。紅く濁った輝きを発する双眸には、確かな知性を感じる。

「人間の言葉を学び、人間との交流を図ろうとしたのも、人間の文化を学び、己らの文化に取り入れようとしたのも、すべては人間への、この世界の原住民への敬意あればこそ。いまやその事実を知るものは、このマルガ=アスルを除いてはおらぬだろうが……」

 仕方のないことだ、と、彼は語った。

 マルガ=アスルらアガタラのウィレドの父祖は、人間と交流を持とうとした。人間は、ウィレドもほかの恐るべき皇魔と同じく人類の敵と見ていたが、当のウィレドたちの中には、人間と友好を結ぶことでその固定観念ともいうべき考え方を変えようとしていたものたちも少なくなかったというのだ。しかし、この世界の原住民たる人間にとって、異世界の怪物に過ぎないウィレドたちと交渉するなど、考えられないことだったのだろう。人間は、ウィレドの代表を交渉の席にまで呼び寄せると、有無を言わさず殺した。騙し討ちをしたのだ。

 アガタラのウィレドたちが人間を徹底的に憎悪し、忌み嫌うのは当然の帰結であり、エリナが大君の体調を回復させたとはいえ、このようにセツナたちを受け入れ、手厚くもてなすなど到底考えられないことだった。人間が真逆の立場に立った場合、同じような行動を取れるものだろうか。

 いや、それは人間に限った話ではない。

 ほかの皇魔ならば、どうか。

 マルガ=アスルやアガタラのウィレドたちのように、諸手を上げて喜び、人間を迎え入れることなどできるものではあるまい。五百年に渡る確執は、それほど容易く埋められるものではないのだ。アガタラのウィレドたちが特別理解力があるからこそ、このような話し合いの場を設けることができたとしかいいようがない。

 マルガ=アスルは、エリナに目を向けた。その瞬間、彼の表情は、神々しい存在でも目の当たりにしたかのように変化した。それだけで、彼がエリナを尊び、敬い、重んじていることがわかる。

「しかし、このマルガ=アスルを治療するべく全力を尽くしてくれたのは、ほかならぬ巫女殿よ。マルガ=アスルは、巫女殿に、そして人間たちに敬意を払おう。無論、そなたにもだ。”オニイチャン”殿」

 そういって、マルガ=アスルはセツナに微笑みかけてきたものだから、セツナは少しばかり困惑した。

「それは……嬉しい申し出ですが」

「ふむ?」

「わたしにはセツナという名前があります。セツナ=カミヤ。それがわたしの名前です」

「ふむ……では、”オニイチャン”というのは?」

 今度は、マルガ=アスルが困惑する番だった。

 セツナは、お兄ちゃんという呼称について説明する羽目になった。すると、大君は、セツナの説明に大いに納得した。

「ほう、つまり、セツナ殿は巫女殿の兄上であられたか」

「いや、そういうわけでもなくてですね」

 実の兄ではないのにお兄ちゃんと呼ばれていることを説明し、理解してもらうために少しばかりの時間を要した。

 エリナに説明させても彼女は、お兄ちゃんはお兄ちゃんだ、としかいわないのだ。とはいえ、それ以外の言葉で説明するのは簡単なことではない。確かにエリナがセツナをそう呼ぶのは、そういう間柄だから、としかいいようがない。

 人間社会では、血の繋がりがなくとも、尊敬する相手を兄や姉と呼ぶことがある、ということで納得してもらったが。

「ま、稀に血がつながっていても尊敬できない兄もいるけどね」

 ミリュウがこっそりと毒づいたことについては、聞かなかったことにした。

 それから、エリナの治療と大君の病状について、詳しく話をした。

 マルガ=アスルは、長期間に及ぶ献身的な治療のおかげで、白化症が発症する以前よりも体調が良好になっているといい、改めてエリナに感謝を示した。実際、大君の回復速度は驚くほどのものであり、まさか治療開始前まで半年もの間眠っていた患者が、瞬く間に立ち直り、精力的に動き回れるようになるとはエリナたちも想ってはいなかったという。それほどまでに回復しながらも、エリナは、大君の感謝の言葉に対し、謝るだけだった。

「なぜ、謝られる。巫女殿のおかげで、このマルガ=アスルはアガタラの大君としての責務を果たすことができているのですぞ」

「大君様……」

 エリナは、マルガ=アスルの肉体を蝕む白化症を目の当たりにして、口ごもった。いいたくても、いえないのだ。白化症は収まるどころかいまもなお活発に増殖し、その勢力を広げ続けている。いくらエリナの召喚武装がマルガ=アスルの体調を回復させ、活力をみなぎらせたところで、神の毒気の顕現ともいうべき白化症を治療することはできないのだ。

 それは、最初にいったことでもある、という。

 これまで、リョハンの武装召喚師たちは白化症の治療を何度となく試みてきた。しかし、いかな召喚武装を用いても成果はあがらなかった。マリア=スコールが治療法を発見する可能性も、高いとはいえない。いまのところ、白化症に発症したが最後、白化症に蝕まれ、神の尖兵と化す以外の道はないのだ。自然に回復することもなければ、治療法もない。そして、神の徒と化すのが嫌ならば、命を絶つしかない。

 それを告げた、という。

 それでもエリナのフォースフェザーによる治療に賭けたいというマルガ=アスルの望みに応え、エリナたちは長らくこの地下世界に閉じ込もっていたのだ。だが、なんの成果もあげられなかった。エリナが悔しい思いをしているのは間違いない。

「……巫女殿。マルガ=アスルもわかっておるつもりだ。白化症な。巫女殿の御業でも治る気配がないことくらい、承知しておるのだ。されど、今日まで巫女殿が尽力してくださった事実に変わりはござらぬ。我らは人類の天敵たる皇魔。巫女殿にとっては憎むべき悪魔に過ぎぬ。手を差し伸べる理由もない。だのに、巫女殿は慈悲深くも救いの手を差し伸べてくださった」

 マルガ=アスルは、エリナに向かって深々と頭を下げた。

「ありがとう」

 その後、エリナの任が解かれた。

 フォースフェザーによる治療が白化症になんの効果も及ぼさないということが明らかである以上、これ以上、アガタラに留め置くのは救いの巫女への非礼に当たる、とマルガ=アスルがいった。エリナは、まだ大君の治療を続けたいと申し出たが、大君がそれを断った。

 エリナには感謝しているし、できるのであればいつまでもアガタラに残っていてもらいたいという思いもある。しかし、エリナは人間であり、人間としての生活がある。リョハンに帰るべきだ、と。これ以上、アガタラに留まり続けても、リョハンのひとびとに心配をかけるだけでなんの意味もない。

 後の始末は、自分でつける。

 マルガ=アスルの決然とした言葉は、彼が白化症患者の末路を聞き知ったが故のものだった。

 エリナも、マルガ=アスルの覚悟を知れば、なにもいえなかった。

 かくして、セツナたちは、支度を整えたのち、アガタラを去ることになった。



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