第二千六十四話 予期せぬ再会(四)
「それにしても……」
ミリュウが話を切り出したのは、黄金の広間から場所を移している最中のことだった。
ちなみに、あの再会の直後、ちょっとした騒動があった。それというのも、セツナとアスラが大霊宮に到着し、入ったことをこの迷宮ともいうべき宮殿の主に伝えるべく、ウィレドたちが天守へと飛び立っていたからであり、その反応が、ちょうどそのころにあったからだ。アガタラそのものの主たる大君マルガ=アスル本人は姿を見せなかったが、その側近たる御側衆筆頭デルクが、重臣たちとともに現れ、セツナたちの到来を受けて喜びを示した。
デルクたちがなぜそうもあっさりとセツナたちを受け入れたのかは、彼らの発言からすぐに判明している。デルクらアガタラの重臣たちも、アガタラの大君も、皆、救いの巫女たるエリナに感謝してもしたりないくらいに感じており、なにがしかの方法でもってエリナの日々の行いに報いたいと考えていたというのだ。そのひとつがエリナたちを厚遇することだったが、それだけでは足りない、と人語も悠長な皇魔たちは考えた。なにせ、アガタラの支柱であり、太陽ともいうべき大君が目を覚まし、このところ精力的に政務に参加できているのも、すべて、エリナによる治療があってこそのものであり、エリナの協力がなければ、アガタラはいまも暗澹たる空気に包まれ、絶望感さえもが地下世界を覆っていたに違いない、というのだ。
希望ひとつ見いだせない状況を脱し得たのは、エリナが手を差し伸べてくれたおかげであり、だからこそ、そんな彼女のためになにかしてあげられることはないかと考えるのは当然である、とウィレドたちはいった。エリナが会いたがっていた“オニイチャン”を探し出すべく、地上にウィレドたちを派遣したのもそのためだった。
セツナにアガタラでの滞在および大霊宮への出入りを許すのは、当然の判断である、と、デルクたちはいうのだ。元来、アガタラはウィレドの国であり、人間が足を踏み入れていい場所ではないが、しかし、救いの巫女エリナの労苦に報いるためであれば、そのようなことは些細な問題にすぎない、と。
エリナは、そんなデルクたちに感激し、涙さえ流した。デルクたちは、エリナのために取った行動が無駄にはならなかったと喜んでいるようだった。
そうして、デルクたちとの話し合いは終わったものの、それでなにもかもが解決したわけではなかった。話によれば、エリナはまだしばらく大君の治療を続けるつもりだという。つまり、いましばらくはアガタラに滞在する予定であり、セツナとアスラもここに残らざるをえないという話になったのだ。セツナは、消息不明のミリュウたちを探し出し、リョハンに連れ帰ることがその使命だった。ミリュウとエリナ、それにミリュウ隊の面々の無事を確認した以上、強引に連れ帰っても構わないのだろうが、さすがにエリナの気持ちを踏みにじるような真似はできなかった。
師匠であるミリュウが、エリナの気持ちを汲んでいるのだ。セツナが応じず、なんとするというのか。
とはいえ、ミリュウ隊が消息を絶って数十日以上が経過し、その間、リョハンがとんでもない事態に陥っていたという事実もあり、彼女たちのリョハンへの帰還は早急に行わなければならないのもまた、事実だ。どこかでいい落とし所を見つけなければならない。
困っているものを見過ごせない、というエリナの気持ちは、痛いほどわかる。しかしそれは、リョハンも同じだ。リョハンは、ミリュウ隊という重要な戦力を失ったまま、神軍との戦争に望まなければならなかったのだ。神軍が三度、リョハンを襲ってこないとは限らないのだ。そして、そのときはおそらく、セツナのことを踏まえ、さらなる大戦力を繰り出してくる可能性がある。
そのときにミリュウがいるのといないのとでは、大きく違うはずだ。
疑似魔法の使い手であるミリュウは、リョハンでも最高峰の戦力のひとりといっていい。
だから、というわけではないが、セツナは、大君との対面を望み、デルクに了承された。アガタラ側としても、大恩人エリナと関わりのあるセツナとアスラを大君に逢わせておくことは、無駄にはならないと判断したようだ。
ミリュウがセツナの右隣を歩きながら、こちらを見た。いつものように、とは、違う。微妙な距離間がセツナとミリュウの間にあった。ミリュウのほうが、なにやら遠慮しているような、そんな雰囲気。故にセツナも以前のように軽々しくはできない。それが寂しさを感じさせるのは、ミリュウという人物がどういった性格の持ち主なのか、完全に決めつけていたからかもしれない。
「よくあたしのこと、わかったわね。エリナに師匠っていわれる前から、気づいてたわよね?」
「あったりまえだろ」
「当たり前……?」
ミリュウがセツナの言葉を反芻し、眉根を寄せる。そして、白金色の前髪をいじりはじめた。
「おかしいなあ……髪、染めてないのに」
「髪の色なんてのは、外見的特徴のひとつに過ぎねえっての」
「そりゃあそうだけど……困らせてやろうって想ってたのに」
「なんでそんな風に想うんだよ」
セツナが呆れながらいうと、ミリュウは子供のように頬を膨らませた。
「だって、セツナったらまったく連絡よこさないんだもん。生きてるなら連絡くらいよこしなさいっての」
「むう……そういわれると、困る」
セツナは、口を真一文字に結んで、黙り込んだ。
実際のところ、ひと目見た瞬間、白金色の髪の女性がミリュウだということは、考えるまでもなくわかった。ミリュウそのものは二年前より少しばかりやつれて見えるものの、大きく変わっていないからだ。衣服こそ七大天侍のそれであり、髪型も多少変わってはいるが、その程度の変化が見抜けないセツナではない。猫の目を思わせる双眸に青い瞳、貴族出身であることを見せつけるような品のある顔立ち、顎の形まで、ミリュウそのひとだった。二年前の別離まで、ほぼ毎日のように顔を合わせていた。特にミリュウは、隙を見つけてはセツナにべったりとくっついて離れなかったのだ。そんな彼女の顔を忘れることなど、ありえない。
すると、セツナの左腕が引っ張られた。エリナが、握った手を引っ張ってきたからだ。見ると、栗色の髪の少女は、目を輝かせていた。
「わたしのことも、すぐにわかってたよね?」
「うん」
「変わってないから……かな?」
少しばかり残念そうなエリナの表情を見て、セツナは即座に首を横に振った。
「そういうことじゃないよ、エリナ。君は立派に成長してる。びっくりするくらいにね」
エリナもすぐにわかったが、それは彼女がミリュウと手を繋いでいたからというのが大きかった。エリナは、二年以上の別離の間に別人のように成長していたからだ。子供から大人になった、といってくらいの変化だった。髪色という特徴がなければ、すぐにはわからなかったかもしれない。特にエリナは、セツナの記憶の中でいつまでも子供だったのだ。それが、いまや立派な大人になっていた。とはいえ、まだ十代の後半に差し掛かったばかりだろうし、子供といえば、子供なのだろうが。
「じゃ、じゃあ、お兄ちゃんと結婚できるかな」
「へ?」
突拍子もないエリナの発言にセツナの頭の中は真っ白になった。予想だにしなければ、想像もつかない方向からの一撃に、セツナではなくミリュウが反応した。
「ぶはっ」
「し、師匠?」
「な、なんでもないわ……」
「ん?」
セツナは、ミリュウがエリナに食ってかからないことに違和感を覚えずにはいられなかった。以前のミリュウならば、たとえ相手が愛弟子のエリナであろうが、セツナにちょっかいをかけようものなら、蛇蝎の如く噛みついたはずだ。
それがあの頃の日常だった。
セツナは、一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。いまやあの懐かしい日々は遠い過去のものと成り果てたのだ。
ミリュウが、取り繕うようにエリナに話しかける。
「ただ、結婚はまだ早いんじゃないかしら」
「そう、ですか?」
「うん。まだ、免許皆伝ってわけでもないし……」
「うーん……それじゃあ仕方がないです。いますぐ結婚は諦めます」
実に残念そうなエリナの反応を見る限りでは、結婚できるかどうかについての発言が彼女の中で本気だったということが判明し、セツナはどきりとした。ミリュウもエリナの真剣さを思い知ったのか、少しばかり後ろめたそうな表情で口を開く。
「それがいいわ。そうよ。そうしなさい、うん」
しかし、ミリュウがいつになくおとなしいことが、セツナにはどうも気になって仕方がなかった。ミリュウらしくないのだ。無論、その“らしさ”というのは、セツナが彼女とともに過ごしていた数年余りの中でのみ発揮され、積み上げられてきたものであり、ミリュウの実像とはかけ離れているものかもしれないということは、わかっている。しかし、セツナには、ミリュウがどうも無理しているように見えたのだ。無理に自分を隠しているのではないか。
「ミリュウ……おまえ」
「な、なに?」
「なんか無理してないか?」
「そ、そんなことないわよ。あたしはね、変わったのよ」
ミリュウが、胸を張って、告げてくる。その自信に満ち溢れた表情も、どこか空疎なものに見えるのは、セツナの考えすぎなのか、どうか。ミリュウは、こちらの気持ちなど考慮する様子もなく、続けてきた。
「セツナがいない二年の間に変わり果てたの。以前のままのあたしを期待したのなら、お生憎様」
「そうか……」
「な、なによその反応! もう少しがっくりきてもいいんじゃないかしら!?」
ミリュウが憤慨したのは、セツナの反応が想像とは違ったものだったのだろうが、セツナは、むしろ、ミリュウの反応の理由こそわからず、困惑を隠せなかった。
「なにがだよ」
「セツナだってまんざらでもなかったくせに!」
「いやまあ、そりゃあそうだけど……」
「え」
きょとんと、ミリュウ。
「え?」
「まんざらでもなかった、って本当!?」
「嘘いってどうすんだよ」
セツナは、ミリュウを横目に見ながら微笑んだ。
「俺は好きだったよ、ずっと」
「えっ……!?」
「あのころの騒がしい日常がさ」
なにやら愕然とするミリュウを尻目に、セツナは、ただ懐かしくも輝かしい日々に思いを馳せながらいった。なにかにつけて騒がしいミリュウとそれに振り回されるセツナたち。もちろん、常にミリュウが騒いでいたわけではない。レムが調子に乗ることもあれば、ほかの面々が騒ぎを起こすことも少なくなかった。そしてその中心には、常にセツナがいた。そこには、幸福で、なにごとにも代えがたい空気があったのだ。
「いまはもう、取り戻せないのかもしれないけど」
「……そんなことは、ないんじゃないかしら」
「そうかな」
「そうよ。ねえ、エリナ」
「はい!」
「そうですわ、お姉様のいうとおりです!」
エリナのみならずアスラまでもが賛同してきたことに驚きを覚えつつ、否定はしないセツナだった。
あの懐かしい日々は戻らない。それは事実だ。ガンディアは失われ、そこにあったすべてのものもまた、消えてなくなってしまった。もはや、取り戻せない。もう二度と手に入れることはできない。しかし、それとは別に、失わなかったものもまた、あるのだ。
それもまた、事実。
ファリアがいて、ミリュウがいる。レムやエリナがいて、ルウファたち、アスラもいる。それで失ったものを埋め合わせられるなどという傲慢な考えは持ち合わせてもいない。しかし、それはそれとして、いつまでも過去に囚われ、現在を見失えば、未来さえ掴み取れないということも理解しているのだ。
だから、行く。