第二千六十三話 予期せぬ再会(三)
アガタラ大霊宮。
すべてが輝かしいばかりの黄金で作られた宮殿は、一歩足を踏み入れると抜け出すのも困難極まりないだろう迷宮そのものとなった。ウィレドの案内がなければまず間違いなく出入り口を探して迷走する羽目になっただろうし、それらが見つからぬまま迷い続けた挙句、最終手段にでなければならなくなったかもしれない。
それほどの迷宮の中を、セツナはアスラとふたり、ウィレドたちの案内に従って進んでいった。進み行く最中、アガタラの様々な話を聞いた。アガタラの歴史と人類の文化の影響や、アガタラのウィレドたちが大陸共通語を用いている理由についても、再度勉強したのだ。そうしなければ退屈で死にそうになるくらい、大霊宮の迷路じみた作りは複雑であり、防衛のためのとはいえ、やり過ぎだろうと思わずにはいられなかった。
空を飛ぶことのできるウィレドにとっては、この程度の構造、なんてことはないらしいのだが。
そうして奥へ奥へと進んだ先、少しばかり広い空間に出た途端のことだった。
黄金尽くしの空間、その真ん中に集団がいた。それも人間の集団だ。漆黒の全身鎧を身につけた男を先頭に、白金色の髪の女、栗色の髪の少女、それに護峰侍団の隊服を身に着けた武装召喚師たちが二十名ほど。
セツナが思わず絶句したのは、まさかこんな形で再会するとは想像だにしていなかったからであり、髪を染めていないミリュウと大きく成長したエリナの様子に感動さえ覚えたからにほかならない。それは、向こうも同じらしかった。セツナを目の当たりにし、セツナであることを認識したはずであるのにもかかわらず、ミリュウもエリナも驚愕を顔面に張り付かせたまま、微動だにしない。それどころか一言も発さず、セツナは自分が忘れられたのではないかと不安を覚えたほどだ。
「おお、これは巫女様に従者の皆様ではありませんか!」
セツナたちをここまで案内してくれたウィレドがまっさきに口を開き、エリナの側へと駆け寄った。そして、恭しく傅いて見せる。ほかのウィレドたちも、エリナに対して同様の態度を取った。ここに至るまでの話通り、アガタラのウィレドたちがエリナを救いの巫女として尊崇してやまないという話が真実であることは、それらの反応でよくわかった。そして、それほどまでに尊崇しているからこそ、エリナのために“オニイチャン”なる人間を探し回っていたのだろう。
「巫女様、オニイチャン殿を連れてまいりましたぞ!」
「お……お兄ちゃん……? 本当にお兄ちゃん……なの?」
エリナは、半信半疑といった様子だった。
彼女の反応も、わからないではない。
この二年あまり、セツナはエリナたちと一切の連絡を取れない場所にいた。いや、それ以前に、セツナは“大破壊”の爆心地近くにいたのだ。“大破壊”の巻き添えとなり、命を落としたと想っていたとしても、なんら不思議ではない。生きていると信じていながらも、なんの音沙汰もなければ、どこかで諦めていたとして、だれが責められよう。
いや、エリナの疑問は、そういうことでもないのかもしれない。
彼女は、繋いでいたミリュウの手を離すと、おずおずと近づいてきた。その間、護峰侍団の隊士たちがアスラに駆け寄っていったのは、エリナの邪魔をしないためだろうか。
「ああ、そうだよ」
セツナは、どう返事していいものかわからないから、そういった。自分で自分のことをお兄ちゃんと呼ぶのは、どうも気恥ずかしい。
「お兄ちゃん……本当に生きてた……生きてたんだ……!」
「あったりまえだろ。俺は死なないよ」
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……うわああああああああああああん!」
「お、おいっ……!」
声なのかなんなのか、セツナ自身であることを確信したエリナが大涙を流しながら抱きついてきたため、彼は少しばかり慌てた。エリナの反応が予想外というわけではない。彼女の心情を想えば、どう対応するべきなのかを考えたからだ。エリナにとって自分がどのような存在なのか、まったくわからないセツナではなかった。
「生きてた……生きてたよー……お兄ちゃん、生きてた!」
「ああ、生きてたさ。生きてたんだ」
何度もセツナの実在を確かめようとするエリナのいじらしさに心を打たれながら、彼は、エリナの大きく成長した体を優しく抱擁した。背丈は、エリナだけが伸びている。セツナは、地獄での二年間、髪が伸び、体格も良くなっていたが、身長そのものは変わらなかったのだ。それだけにエリナの成長がよくわかる。以前はセツナよりもずっと低かった身長が大きく伸びていた。それでも胸元に彼女の頭頂部が届くかどうかではあるが、成長は成長だ。感慨深くもなるし、それだけ長い間、なにもしてあげられなかったという事実が押し寄せてくる。その思いが、つい、口をついて出る。
「だから、ごめんな」
「なんで……謝るの?」
「生きてたのに、なにもしてやれなかったじゃないか」
「……そんなこと、気にしなくていいよ。わたしだって、お兄ちゃんのためになにもできなかったもの。これまでずっと、そうだったから」
「エリナ……」
「で、でもね、でも、これからはわたしもお兄ちゃんの力になれるよ!」
エリナが、セツナの腕の中で満面の笑顔を見せた。まるで暗雲を吹き払う太陽のようで、セツナは、彼女の笑顔が発するまぶしさに目を細めたくなった。それくらいに輝かしく、生命力に満ち溢れている。彼女を救いの女神と呼び、敬いたくなるウィレドの気持ちもわからないではなかった。もちろん、ウィレドたちが彼女をそう呼んでいるのは、まったく別の理由からだということは理解しているが。
「俺の?」
「うん! 師匠にいっぱいいっぱい鍛えてもらったから! ね、師匠!」
エリナがミリュウを振り返ると、彼女は、ただ、呆然としていた。どこか間の抜けた表情だった。あるひとつの事象に関して以外は常に怜悧で冷徹とさえいっていい彼女がそのような表情を見せるのは、稀といってよかった。
「え……?」
なぜ話を振られたのか、まるでわかっていないようなきょとんとした表情だった。隣に立つ黒い戦士が肩を竦めたのは、どういう意図があるのかセツナには想像もできない。ただ、ミリュウの呆然とした表情の意味は、なんとはなしにわかってしまった。彼女は、セツナとの予期せぬ再会に自分を見失っているといってもいいような状態に違いない。
だから、というわけではないが、セツナは自分から声をかけることにした。
「ミリュウ」
名を呼ぶと、びくりと反応する。そして、やはり彼女も口を開いた。
「セツナ……」
声も、昔となんら変わっていない。ミリュウ=リヴァイアそのものだ。懐かしさと愛おしさで胸がいっぱいになる。感極まっている。だから、だろう。声が裏返った。
「ただいま」
「ここ、あなたのおうちだっけ?」
ミリュウが、なにかを思い出したかのように半眼を向けてくる。碧い瞳。懐かしいまなざし。懐かしい態度。彼女の言動のひとつひとつが遠く隔てられた過去を思い起こさせ、感動を呼び起こす。エリナごと彼女を抱きしめたい衝動に駆られるが、抑える。ミリュウは、そういう精神状態ではなさそうに想えたからだ。
「そういうことじゃなくて」
「わかってる……わかってるわ。ただ、さ……」
「ん?」
「ううん……こっちのこと」
ミリュウも、感極まり過ぎて、なにがいいたいのかよくわからなかったのかもしれない。
「おかえりなさい。セツナ」
ミリュウがようやく、微笑んだ。
その透徹された微笑は、芸術作品のように美しく、いつまでも見ていたいと想ったほどだった。