第二千六十話 二君子(七)
「ははは、なるほど、サルグ=オセルには門前払いを食らいましたか」
メルグ=オセルが、さもありなんといった様子で声を上げて笑ったのは、ミリュウがここにきた経緯を話したからだ。
場所は、正面玄関の前ではなく、正面玄関右手側の奥、花壇のある庭に移っている。花壇には色とりどりの花が植わっており、地上の季節気候など知らぬ顔で大輪の花を咲かせている。ミリュウにしてみれば季節はずれもいいところだが、常春の国アガタラにとっては当たり前の光景のようだった。
アガタラは年中、大君の生み出す光に照らされている。気候は一定であり、季節の変化もない。地底世界ならばこそなせる業だが、それにしたって、想像を絶することに違いはない。大君がいかに強大な力を持ち、ウィレドたちに神の如く崇め奉られるのかわかろうというものだ。そして、そんな大君の意識を回復させた救いの巫女ことエリナが尊崇されるのも、当然の道理とさえいっていいということも。
「笑い事ですか」
「ええ、笑い話ですよ。サルグ=オセルの性格を知っていれば、避けられた愚ですから」
「愚……」
ミリュウは、和やかに笑いながらも棘のある言葉を平然と突きつけてくるメルグ=オセルの長身痩躯に目を細めた。ウィレドの体というのは、人間の中でも大男と呼ばれるであろうダルクスが子供に見えるくらいに大きい。背丈だけでなく、体格そのものが違うのだ。メルグ=オセルは、そんなウィレドの中でも華奢な部類に入るだろう。武臣セルクとは比べものにならないほどの細身であり、やはり、ウィレドといえど日頃の鍛錬を怠れば痩せるものだということがわかる。
ちなみにそんな彼が身につける銀色の装束は、どうやら君子という立場を示すもののようだ。どのようなときでもなにかしら銀色のものを身につけるのがならいらしい。
ミリュウとダルクスは、庭に置かれた木製の長椅子に腰を下ろし、同じく木の長椅子に腰掛けたメルグ=オセルと向かい合っていた。
左を向けば、メルグ=オセルの部下、つまり青凛衆と呼ばれるウィレドたちが焚き火を囲み、串刺しにした魚を焼いている様子が伺える。なぜ唐突にそのようなことを始めたのか、よくわからない。メルグ=オセルの指示ではあるのだろうが。
「サルグ=オセルの人間嫌いは極まっているといっても過言ではないのですよ」
「それほど……ですか」
「まあ、サルグに始まった話ではないのですがね。しかし、アガタラの民の大半は、人間を嫌う以上に大君のことを大切に想っています。長らく眠り続けていた大君を呼び起こし、いまも治癒に当たってくださっている救いの巫女様とその従者の方々に対し、それ以外の人間と同じように敵意を向けるのはおかしな話でしょう」
メルグ=オセルが焚き火をみやりながら目を細めたのは、火が強すぎたからではあるまい。徐々に焼けていく魚と立ち上る煙、風に運ばれるにおいが食欲を沸き立たせるが、それも原因ではあるまい。
「大君は我らが太陽。神そのものといっても、過言ではないのですから」
「それでも、サルグ=オセル様は気に入らない?」
「頑固ものなのですよ、彼は」
苦笑を交えつつ、メルグ=オセルは続ける。
「彼は、君子に選ばれる前から、そういう性格でした。アガタラをだれよりも愛し、アガタラの将来をだれよりも憂い……アガタラという国を様々な外敵から守るためには武力こそが必要不可欠であり、それ以外は不要であると切り捨てる。苛烈ですが、彼の愛国心は本物です。大君が君子に選ぶほどですから」
大君は、アガタラのウィレドにとって神の如き存在だ。そのことは、彼のこれまでの発言からもよくわかる。彼だけではない。出会ったウィレドたちの言動は、すべて、大君を神の如く尊崇しているからこそのものだ。だからこそ、救いの巫女とその従者は、人間でありながらアガタラで特別扱いを受けることができるのだ。
大君が、一言、そのように発しただけでそうなるのだから、大君が選び抜いた君子に間違いなどあるはずがないという結論に至るのは、必然とさえいっていいだろう。
「ですから、本来ならば外敵である人間に救いを求めたセルクを許せないし、大君が回復したからといって平然と受け入れている民も許せないでいる。大君が回復したことは嬉しくても、ね」
「アガタラの将来を考えれば、どのような理由があれ人間を受け入れるわけにはいかない、と?」
「そう、考えているのでしょうね。こればかりは、サルグ本人の意識が変わるまでどうしようもありません。大君が宥めたところで、聞く耳持たないでしょう」
「そこまで……」
「ええ。だからいったでしょう。頑固ものだと。そういうところが大君のお気に入りだというのですから、大君の説得に期待するだけ無駄というものです」
「別に説得してほしいわけではないんですが」
「おや? わたしはてっきり、サルグ=オセルの考え方を正すために彼の元を訪れたものだとばかり」
「そんな傲慢な考えはしていませんよ。あたしは、ただ、この国の将来を背負って立つ君子様のひととなりを知りたかっただけで」
「ほう……」
「君子様は将来、大君になられるお方。そのお方がもし、地上への侵攻を将来的にでも考慮しているのであれば、あたしたちも考えなくてはなりませんから」
「ふむ……なるほど。そういう言い訳も、あるのですな」
「はい?」
ミリュウは、メルグ=オセルの穏やかながらも鋭い刃のような一言に緊張を覚えた。彼は、告げてくる。
「セルクの差し金でしょう」
首筋に刃を突きつけられたような冷ややかさがあった。
「いわなくとも、わかりますよ」
メルグ=オセルは、微笑んでいる。まるで、ミリュウたちの行動の真意などどうでもいいとでもいいたげだった。
「あなたがたがアガタラにきて、すでに十日以上経過しています。その間、あなたがたが我々に興味を示したという話も聞いたことがありません。それが突如動き出したかと思えば、だれの案内もなくサルグの屋敷を訪ね、追い返されればわたしの方へ来た。なんらかの意図を感じずにはいられないでしょう」
メルグ=オセルの説明により、ミリュウは、彼が自分たちの行動を完全に把握していたことを知った。サルグ=オセルの屋敷を訪ねたとはいったが、追い返されてすぐこちらにやってきたとはいっていないのだ。こちらが伝えていない情報を知っているということはつまり、彼の部下がミリュウたちの動向を監視し、ミリュウたちがここに辿り着く前に伝えていたということにほかならない。
油断も隙もあったものではない。というよりは、ミリュウたちが油断をし過ぎたというべきかもしれない。もう少し慎重に行動するべきだったのだが、時すでに遅しだ。
「サルグの屋敷だけならば、昨日のこともありますから、疑念は疑念のままで終わっていたのですがね。即座にわたしの屋敷に足を向けられれば」
疑念は確信に至るーー彼は、そう言いたげに笑いかけてきた。
「それで、セルクはなにを探っているのです? わたしとサルグ、世に二君子と謳われる我らのなにを調べようというのです」
メルグ=オセルが語気を強めて、問い質してきたのを見て、ミリュウは、ダルクスに目を向けた。ダルクスは、視線だけでミリュウの意図を察したのだろう。即座に頭を振り、意志を伝えてくれた。常に召喚武装を身に纏う彼は、わざわざ術式を展開する手間を取る必要もなく、召喚武装の能力を使うことも、身体能力強化などの恩恵を得ることができる。彼は瞬時に周囲を索敵し、ミリュウたちの周囲に聞き耳を立てているようなものがいないかを調べ上げてくれたのだ。ミリュウはダルクスにうなずき返しメルグ=オセルに向き直った。
彼の表情は柔らかなままだったが、ミリュウたちの反応を見て、警戒を強めているのがわかった。話をはぐらかしても、無駄だろう。そんなことをすればメルグ=オセルからの疑念を深めるだけであり、彼とセルクの間に溝を作ることになりかねない。それでは、なんの意味もない。かといって、強引に話を進めることもできまい。彼の疑念を払わなければならないのだが、いい案が思い浮かばない。
(こういうとき、あたしって本当に駄目ね)
ミリュウは自分が交渉事に向かないという事実を思い知りながら、内心でセルクに謝った。ほかに方法が思い浮かばない。
「メルグ=オセル様。真にいいにくいことなのですが……セルク殿は、あなた様とサルグ=オセル様、お二方のいずれかがエンデと通じているのではないか、と疑っておられるのです」
「……ほう」
メルグ=オセルは、目を細めた。双眸から溢れる赤い光はいや増すばかりであり、ミリュウは、彼の感情の高ぶりを感じた。
悪手だったかもしれない。
ミリュウは己の不甲斐なさに胸中で舌打ちしながら、彼にすべてを説明した。もし、彼がエンデとの内通者だった場合、すべてがご破算になる可能性がある。それでも、この動きようのない状況に打開するには、なにかしらの変化を持ち込む必要があったのは確かだ。それが吉と出るか、凶と出るかを考えている暇はなかった。